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上空を旋回していた翼人空兵が喇叭を吹き鳴らした。
その合図を待ちかねていた騎士たちは、潜んでいた横穴から次々と飛び出る。足場はすぐに消え、砂原へと落ちていく急な斜面が待ち構えているが、騎士たちは勢いを止めることなく恐鳥を駆った。
同時に、調律の力を呼び起こす。己の体に満ちていく力と、これから待つ戦いへの戦意によって昂ぶった騎士たちは、凄まじい喚声を上げた。
岩肌を爪で蹴立てる恐鳥たちも一斉に鳴き声を上げる。
野生の恐鳥は、森や山、平原と、住処を選ばない動物だ。草原で獲物を狩ることもあれば、山の奥深くで木の実をついばむこともある。しかし、本来ならば、山羊とは違いこんな崖のような斜面を駆け降りることはほとんどない。騎士たちが駆る恐鳥は、跨がる騎手と同じく、あらゆる戦場で戦うために特別に鍛え上げられているのだ。
均衡を保つためか、あるいは遠い親戚のように空を飛ぶことを思い出そうとしているのか、恐鳥たちは小さな翼をひらひらと羽ばたかせながら、凹凸の多い斜面を跳ね、駆ける。その激しい動きは乗り手を振り落とそうとするが、騎士たちはまるでその背中に張り付いているかのように離れない。軽やかに弾むように駆け降りた恐鳥は、すぐに白い砂原へ降り立った。
縞馬を駆る騎兵部隊は、すぐにこちらに気付いた。岩塊群から騎兵部隊の隊列まで、まだ少し距離がある。練度の高い縞馬騎兵ならば、すぐに迎え撃つ態勢を整えてしまうだろう。そうなれば、数では圧倒的に少数である紅旗衣の騎士は、包み込まれ、握りつぶされてしまうことになる。そうなる前に、その懐に飛び込む必要があった。
一騎も欠けることなく砂原へと降り立った騎士たちは、足を止めることなく駆け続け、自然と横一列に広がりながら縞馬騎兵へ向かう。そして、警戒の声を上げる敵に向かって、盾の裏に備えていた投槍を放った。
横一線となって飛来した投槍は、騎兵たちを右から襲った。ほとんどの騎兵が盾を左手に持っているため、咄嗟に防ぐことが出来ない。唸りを上げる穂先が、まともに頭蓋や肩、胸を貫いた。調律によって増した膂力は、投槍に盾をも貫通する威力を与える。運よく盾を向けることが出来た者も、大きな傷を負った。
携えていたもう一本の槍を投じた後、ファーダウーンは叫ぶ。
「喰い破るぞ!! 縦深突撃!!」
ファーダウーンの指示は連呼され、横に広がっていた騎士たちは速やかに縦に並ぶ。駆ける速度を落とすことなく、大きく乱れた隊列へと飛び込んだ。
木の葉のような形をした穂先の槍を持ち、美しく装飾された楕円形の盾を構えた縞馬騎兵たちは、防御の薄い右から攻め込まれたため、防ぐこともできずに騎士たちの刃を受ける。紅旗衣の騎士の騎兵槍は、騎手たちを突き刺し、切り裂き、叩き落とし、道を切り開いた。先頭の騎士が開き、潜り込んだ傷口は、続く騎士たちによって押し広げられる。砂原に薙ぎ倒される人や馬を跳び越え、踏みつぶしながら隊列を横断した。
血の嵐を巻き起こしながら、騎士たちは隊列を喰い破る。そのまま弧を描くように駆けると、反転して再び敵へと刃を向けた。立ち止まることは許されない。足を止めてしまえば、たちまち囲まれてしまうだろう。
圧倒的な殺戮によって、縞馬騎兵たちは混乱に陥った。
美しいまでに整っていた隊列は乱れ、分断され、連携は失われている。しかし、彼らはこの混乱の中でも一人一人が武器を構え、騎士たちへ反撃を試みていた。よく訓練され、士気が高い証拠だ。その勇気を称えながらも、ファーダウーンは眼前の槍を持つ腕を切り裂き、返した穂先で逆の方向の騎兵の喉を貫いた。
紅旗衣の騎士は乱戦の中でも決して隊列を崩すことなく、一匹の大蛇のように連なったまま、隊列を切り裂き死の道を作り上げた。まさしく蛇のごとく右へ左へと波打つように進み、散り散りに乱れた縞馬騎兵の中をずたずたに引き裂く。
血を浴びた騎士たちは、再び敵の群れの中から飛びだした。開けた視界の先に、喚声と共に迫る影が見える。
先頭を進むのは、陽光を浴びて黒光りする甲殻をまとった巨大な蟻のような生き物だ。それに続く槍を構えた戦士たち。その男たちの中に、一際高い姿があった。それは、恐鳥に跨った者たちだ。
恐鳥を駆るのは四人。ファーダウーンの遠目は、彼らの顔をしっかりと判別することが出来た。それは、本来ならばこの戦場で共に恐鳥を並べているはずの、見知った者たちの顔だ。
「もう紅旗衣は捨てたのか」
ファーダウーンは彼らを見てニヤリと笑った。
シアタカ、エンティノ、ハサラト、ウィト。紅旗衣の騎士に属していたはずの彼らは、今や鎖甲の上に見慣れない意匠の刺繍がされた上衣をまとっている。それが、彼らの現在の立場を主張しているようだった。
すでに大蟻と、大蟻の民は近くまで迫っている。先頭を扇状に広がって駆けてくる蟻に似た化け物は、想像していた以上に巨大だった。大蟻の身体かは甲殻の光沢だけではない、金属の煌めきが見えた。槍をくくりつけているのか。大蟻の背中に揺れる棒状の物体を見て気付く。その甲殻と地を這う姿を見てとったファーダウーンは、瞬時に危険を理解した。馬や駱駝と違い、長い二本の足で駆ける恐鳥騎兵は、足元を狙われることを嫌う。恐鳥はその爪で敵を蹴り飛ばす訓練はしているが、人の腰ほどの体高の相手を想定していない。初見でまともに相手取るには不利な敵だ。
空で喇叭の音が三度鳴る。
味方の重装騎兵が近付いているという翼人空兵の報せだ。
同時に、蟻の民の軍勢も二手に分かれていく。少数の隊が、真っ直ぐにこちらに向かい、大蟻と多数の隊は南へ向かった。おそらく、重装騎兵を相手取るつもりだろう。
縞馬騎兵は分断され、釘づけにされている。そこに重装騎兵が突入すれば、思うがままに蹂躙できるだろう。本来ならば、これは勝利の報せだった。しかし、今、迫り来る蟻の民によって、それは確実なものではなくなった。
こちらに駆けてくる蟻の民の先頭には、恐鳥を駆るシアタカの姿が見える。兜の端から金色の髪をのぞかせるのはエンティノ。小柄なウィトもいる。
「シアタカ……、お前は期待を裏切らない男だな」
警鐘と興奮で高鳴る胸をなだめながら、ファーダウーンは呟いた。
シアタカの前を、まるで馬が駆けるような速さでキシュの群れが駆ける。
足元が不確かな砂原の上でも乱れがなく、まるで黒い波のように整然とした横隊を保ったままだ。胴体にくくりつけた槍はキシュが歩くたびに大きく撓り、まるで威嚇しているように見える。激しく揺れる穂先は、陽光を受けて瞬く無数のきらめきをはなった。
その槍は、ウル・ヤークス軍との戦いで鹵獲したものだ。
革や布の帯で胴にくくりつけた槍は、斜め上を向いている。そのまま飛び込めば、ちょうど恐鳥の大腿部や馬の胸、騎手の足辺りに突き刺さる高さだ。
簡易的に括り付けているため、おそらくは最初の突撃の衝撃に耐えきれずに外れてしまうだろう。しかし、それは意図したものだ。キシュの得意とする戦いは、懐に潜り込み足をすくい、喰らいつく接近戦だ。本来ならば、低い姿勢から滑り込み肉薄する攻撃に長い槍は邪魔となる。しかし、逆説的に言えば、その邪魔となるはずの長い槍は、キシュ本来の戦いに持ち込むために必要なものだった。
ウル・ヤークス軍も最初の接敵においては巨大な蟻を戦うことに戸惑うはずだが、魔物との戦いも経験がある為にすぐに対応するだろう。そうなれば、槍や弓矢を携え、盾や甲冑に身を固めて整迅速に動く騎馬兵団を相手に肉薄することもできず、ただ傷を負うことになりかねない。対抗策として考え出したのが、キシュに槍を“身に付けさせる”ことだった。まだキシュとの戦いに慣れていない間に、初撃を遠い間合いから敵に傷を負わせる武器を備え、そのまま得意とする近い間合いへと飛び込む。槍は、キシュにとって有利な戦いに持ち込むために大きな武器となるはずだ。
喇叭の音が響いた。
翼人空兵の合図だ。
砂塵を高く舞い上げて、重装騎兵の部隊がこちらに向かってくる。ンランギ騎兵との接敵は間近だ。
ンランギ騎兵の隊の中で、紅旗衣の騎士は縦横無尽に暴れている。部隊は崩壊していないものの、進むことも退くこともできずに、その場に釘付けになっている状況だ。このまま重装騎兵と衝突すれば、ひとたまりもなく叩き潰されることになるだろう。紅旗衣の騎士の猛攻を引き受けて、ンランギの騎兵が立て直す時間を作り出さなければならない。
しかし、この乱戦の中に陣形を組んだキシュを突撃させても力を発揮することはない。今のキシュは、同じように陣形を組んで突撃してくる騎兵を相手取るためにいる。恐るべき刃となり、思うがままにンランギを切り裂く紅旗衣の騎士の進撃を止めるためには、同じように一本の槍となって追い縋り、ぶつかるしかない。
戦場の状況を見て取ったシアタカは、仲間たちに叫ぶ。
「軍を二つに分ける!」
そして、エイセンに顔を向けた。
「エイセン! “あかがねの刃”を率いて俺と共に来てくれ! ンランギを助けるぞ!」
“あかがねの刃”は、キシュガナンの戦士の中でも特に武勇に優れ、ウル・ヤークスの集団戦闘を体得した戦士たちを一族の隔てなく集めた部隊だ。
「応! 腕が鳴るな!!」
「ハサラト! 残りの隊を指揮してくれ! キシュとキシュガナンを重装騎兵に当てる! 寄せ付けないでくれ!」
「何だよ、昔馴染みに挨拶はさせてくれないのか?」
ハサラトが顔をしかめた。シアタカは頭を振る。
「後から嫌でも顔を突き合わせて罵り合うことになるさ」
「……分かったよ。任せてくれ」
微かに片頬を歪めたハサラトは片手を上げた。
「ウァンデ! ハサラトの指揮に従って、戦士を率いてくれ! ジヤも、キシュガナンとの連携を密に頼む!」
ウァンデとジヤは、槍を肩に当てて大きく頷く。
シアタカが大きく手を上げ、振った。
それを合図にキシュガナンたちは整然と二手に分かれていく。
先頭で恐鳥を駆るシアタカ。それに続くエンティノとウィト。ラゴも恐鳥に遅れずに駆ける。その後を、“あかがねの刃”が続いた。
一人が朗々とした声を発し、それに応えるように彼らは歌い始めた。
『我らは キシュの歌に導かれる 父祖の通った 悲嘆と怨嗟の道 今やそれは 栄光と名誉の道 外つ国の凶賊は 大顎と大槍の 鋭さと痛みを思い知る』
それは、沙海にやって来てからいつの間にかキシュガナンに広まった歌だ。特に歌声の良い者が先導し、皆がそれに唱和する。駆ける足音を韻律として、その声にほとんど乱れはない。
砂原に足音と歌声を響かせながら、彼らは駆けた。
隣にエンティノが恐鳥を並べたことに気付き、シアタカは顔を向けた。
「シアタカ、背中は任せて。……今度は足を引っ張らないから」
「ああ。頼りにしてる」
その真剣な表情を見て、シアタカは頷いた。
「騎士シアタカ! 今度は無茶をしないでください! 必ず、私たちが守りますから!」
ウィトの力のこもった言葉に、シアタカは思わず苦笑した。
「笑い事じゃないのよ。ウィトの言う通り、私たちを信じて、自分の命を餌にするよう真似はもう止めて」
「分かってるよ。もうそんな戦い方はしない」
こちらを睨み付けるエンティノに、シアタカは表情を引き締める。戦場とは場違いな温かさが心を満たした。それは、シアタカに何よりも力を与える。自分は死ぬ為に戦場にいるのではない。人々の未来のためにここにいるのだ。傍らにいる仲間と、響く歌声に囲まれて、シアタカはその決意を強くした。
“あかがねの刃”の足は速い。すでに殺戮の場は近付き、混乱するンランギ騎兵の中から、紅旗衣の騎士団が飛びだした。
「槍を構えろ!!」
シアタカの号令は繰り返され、戦士たちは肩に担いでいた槍を両手に構えた。同時に、彼らの口からは歌ではなく、低い唸りのような声が発せられる。
槍を構えながらも、彼らは足を止めない。紅旗衣の騎士団との距離が縮まっていく。
戦士たちの発する声音は徐々に高くなった。その腹の底に響くような唸りは、音が高くなっていくほどに戦意と集中力を高めてくれるように感じる。
紅旗衣の騎士たちも、迫るキシュガナンを敵に定めたらしい。ンランギ騎兵の隊列から抜け出し、そのままこちらに駆けてくる。
「来るぞ!」
シアタカの鋭い声。
「いくぞお前たち! 我ら戦士の武勇を見せつける時だ!!」
エイセンの大きな叫び。
高まる唸り声。
迫る騎士たち。
互いの足音が一つの響きとなって戦場を覆う。
唸りは絶叫となり、肉と鉄がぶつかり合った。