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砂塵の王  作者: 秋山 和
彼らは嵐雲をのぞむ
191/220

5

 駅逓では、兵たちが慌ただしく行き交っていた。


 いち早く到着した騎兵部隊が水場である岩塊群ガノンの日陰で休んでいる。しかし、武装は解いていない。空では、大鳥空兵と翼人空兵が哨戒しており、北から迫るカラデア軍の接近を警戒していた。


 岩棚の上で兵たちを見ていたファーダウーンは、北に顔を向けた。


 空兵からの報告によれば、すでにカラデア軍の斥候、“羽蟻”の群れを発見したという。遠からず、カラデア軍はこの駅逓の前に姿を見せるだろう。


 北にいるシューカからの“報せ”によって、北から迫る軍勢には蟻の民が加わっていることが分かった。しかも、彼らをシアタカが率いているという。ルェキア族を討伐するはずだった四千を超える軍勢は、この蟻の民も加わったカラデア軍によって敗退させられた。


 軍路を伝い、北から迫るカラデア軍。


 このまま駅逓を守ることは不利だと判断した彼らは、敵が到達する前に撤退を始めた。同時に、『軍営府ミスル』から騎兵部隊と歩兵部隊が出立し、残された最後の駅逓で合流する。岩砦ガダラシュから北上するカラデア軍本隊が軍営府ミスルに到着する前に、南下するカラデア軍を迎え撃つのだ。そうしなければ、北と南から軍営府ミスルが挟撃されることになる。


 先行した騎兵部隊はすでに駅逓に到着した。後は、足の遅い歩兵部隊が合流するのを待つだけだ。その進軍速度は、南下するカラデア軍の接近を計りながら慎重に調整されていた。


 ファーダウーンの立つ岩塊は、駅逓の岩塊群の中でも一際大きい。まるで大きな館に置かれた食卓のような形をした岩塊は、屋根のように岩が張り出し、穿たれた穴が幾つもある為に日除けの場所には困らない。

 

 陽を遮った岩室のようなここから眺めた風景はただ連なる白い砂丘と青空で、刃の煌めきと舞い上がる砂塵はまだ見えない。


 本当に不思議な奴だ。


 ファーダウーンは、空と砂の境界を見ながら、すぐにここへやって来るだろうシアタカのことを考えていた。


「シアタカが裏切ったことは、本当だと思うか?」


 隣に立つ副隊長が口を開く。どうやら同じことを考えていたらしい。ファーダウーンは微かに口元を緩めると頷いた。


「ああ、イハトゥ殿が直接剣を交えたというのだから、間違いないだろう」、

「信じられん。紅旗衣の騎士の精神を体現していたあいつが裏切るなどと……。あの聖女王陛下の忠実なるしもべが、信仰を覆すと言うのか?」

「お前も真実の愛を見付けたなどと言って、あれだけ入れ込んでいた女にふられただろう? 人の心はうつろいやすいものだ」 

「忠誠と信仰を男女の仲と一緒にするな」


 副隊長は顔をしかめる。


「変わらんよ。愛も、信仰も、忠誠も、皆、同じことだ」

「同じなものか」


 舌打ちをした副隊長は、ファーダウーンを睨んだ。


「我らは国のために、信仰のために、そして共に戦う同胞のために命を懸けて戦っている。たかが色恋沙汰に命を懸けられるはずがないだろう」

「そうでもないぞ。サラハラーンの下町を歩いてみろ。惚れた、裏切られた、別れた、と色恋に狂って刃物を持ち出す奴で見世物小屋が開けるほどだ」

「お前の例えは冒涜が過ぎるぞ。いい加減にしろ」


 苛立たしげに副隊長は言う。 


「冒涜ではない。そこに、己の命さえ顧みない、魂を駆りたてる何かがあるということだ」

「またそれだ。お前はいつもそうやって雲を掴むような話をする」

「俺は真面目に話しているつもりなんだが……」


 ファーダウーンは肩をすくめると、副隊長の肩に手を置いた。


「とにかく、気楽に行こう。奴が真の騎士なのか、すぐに分かる」

「何を言っているんだ? 奴は裏切り者だ。もう騎士ではない」

「黒衣の騎士アウラフは、己の信念に殉じた。己の信ずる何かに命を捧げる。それが騎士だ。奴は、己の中に在る何かのためにウル・ヤークスを裏切った。ならば、シアタカは今も騎士に違いないさ」


 アウラフは、聖戦の初期に聖戦士アータカを率いて戦った男だ。武勇に優れ軍才もあり、未だ数の少なかった聖戦士アータカたちに信頼されていたという。聖女王軍が大敗を喫した戦場において、彼は殿しんがりを務め、聖戦士アータカたちと共に何倍もの敵の軍勢を相手に奮戦し、散った。


 聖戦の初期に亡くなった人物の為、聖戦の英雄の中でもあまり知られていない。聖典の中においても、幾つかの名と共に列記されるだけで、その他の多くの殉教者の一人という認識しかない。


 しかし、紅旗衣の騎士たちにとっては、アウラフは『紅旗掲げし者たち』を率いた英雄だ。紅旗衣の騎士の始祖であり、その精神を体現する理想の人物だった。


「馬鹿な! シアタカが騎士アウラフと同じとでも言うつもりか?」


 副隊長は、ファーダウーンの言葉を聞いて声を荒げた。崇拝する騎士に例えたためか、その声は怒気を孕んでいる。しかし、ファーダウーンは特に表情を変えることもなく答えた。


「命を懸けるべき者を見付けた。同じだろう?」

「奴は女の色香に惑わされただけだ」

「騎士アウラフも、聖女王陛下の色香に惑わされた」


 ファーダウーンの答えに、副隊長は呆気にとられた表情を浮かべた。しばらく無言でファーダウーンを凝視した後、溜息をつく。


「……お前がそこまで馬鹿だとは思わなかったぞ」


 表情を変えることもないファーダウーンに、小さく頭を振った副隊長は呆れ顔で聞いた。


「奴が真の騎士だと言うのなら、俺たちは何だと言うんだ」

「もちろん、俺たちも真の騎士、紅旗衣の騎士だ。俺たちは聖女王陛下とウル・ヤークスに絶対の信仰と忠誠を捧げる。己を捧げる対象が異なるとして、それは、シアタカと違いはない。互いの信じるものをかけて殺し合う。それだけのことだろう?」


 デソエで最後に会ったシアタカと、蛮族たちを率いる今のシアタカで何が変わったのか。ファーダウーンは、何も変わっていないだろうと思っていた。


「お前のその割り切り方が俺には理解できんよ」

「信仰とは己に問うものだ」

「もう良い。これから俺は、お前が何を言っても聞かなかったことにする」 

 

 副隊長はファーダウーンの肩を軽く殴りつけた。


「お前が妖術師のような物言いで俺を言いくるめようとしても無駄だ。俺は、聖女王陛下を裏切ったシアタカを真の騎士とは認めん。奴は、あの忌まわしき呪われた背教者ニアザロと同じだ」


 彼が顔を歪めて口にしたのは、ウル・ヤークスにおいて罪人の代名詞だ。ニアザロは建国の英雄の一人だったが、後に聖王教を棄て聖女王への弑逆を企てた男であり、その大いなる罪から、恐れられ忌まれた名として皆口にするのを避ける。


「ニアザロか。そうかもしれないな……」


 ファーダウーンは小さく頷く。


「お前……、何を笑っているんだ?」


 副隊長の問いを聞いて、ファーダウーンは己の頬に手を当てた。俺は笑っているのか。ファーダウーンは吊り上がった己の口角に気付くと、小さく笑い声を上げた。


「人生は面白いと思っていた」

「何だと?」

「このままギェナ・ヴァン・ワの旗に怯える弱兵を蹂躙し、殺し、そのうち流れ矢で死ぬか、生き延びて農場でも買って隠居するか。俺の人生はそんなものだろうと思っていた。それがどうだ? 本来ならば今頃、仕事を終えた俺たちはサラハラーンで一休みしていたはずだ。だが現実は、ウル・ヤークスに帰ることもままならず、サラハラーンからはるか遠くの白い砂漠で、挟撃を恐れて地べたを這いずりまわり、息をひそめて敵を待っている。誇り高い騎士が、砂漠の真ん中で、山賊の真似事だ。そして、戦う相手は紅旗衣の騎士を体現していると思っていたシアタカで、奴はウル・ヤークスを裏切り異教徒たちを率いてる。こんなことを誰が予想していた? 少なくとも俺は、こんなことを考えもしなかった」

「……そうだな。だが、そんなことを考える必要は無い。我らはただ、その刃を振るうためにここにいる。同胞のために乾きに苦しみ、血を吐くことは騎士の本分だ」

「ああ。まさしく、奴らは俺に騎士の本分を思い出させてくれた。それだけでも、シアタカに感謝しなければな。惰性で仕事をこなすよりも、楽しむことが何より大事だ。予想がつかないからこそ人生は面白いというが、ここまで思いもよらない風が吹くとは、身体を焼かれながらこんな所に来た甲斐があるというものだ」

「まったく、お前という奴は……。俺には何も聞こえんぞ!」


 顔を歪めた副隊長は、右手を激しく振った。


 上空から、甲高い笛の音が響いた。見上げると、一人の翼人空兵が舞い降りてくる。


「報告いたします! 羽蟻が姿を見せました!」


 岩棚に降り立った翼人空兵が叫ぶ。


「来たか……」


 ファーダウーンは副隊長と視線を交わすと、頷きあった。南の砂原に顔を向け、翼人空兵に問う。  


「歩兵部隊はもう来ているか?」

「はい! 間もなく到着します」

「よし。予定通り、停止して待機するよう伝えろ」

「はっ!」


 一礼した翼人空兵は、すぐに南へと飛び立つ。


「ファーダウーン殿。我々も出ます」


 歩み寄って来た騎兵部隊長が言った。


「ここが踏ん張りどころだ。矢面に立たせてすまないが、戦いの勝敗はお前たちに懸かっている。頼むぞ」


 ファーダウーンの言葉に、隊長は頭を振った。


「紅旗衣の騎士の方々こそ、我らよりはるかに危険な役割を担っておられる。我らはただ己の役割を果たし、紅旗衣の騎士の武運を祈るのみです。紅旗衣の騎士に、聖女王陛下の加護が有らんことを!!」


 隊長が胸に手を当てて一礼した。


「お前たちもな。また後で会おう」


 ファーダウーンは右手を上げて応える。隊長たちは岩棚から去った。それを見送ったファーダウーンは、立ち並ぶ同胞を振り返る。


「さて……俺たちの出番だ」


 この戦いにおいて紅旗衣の騎士に任された任務は、最も危険なものだ。しかし、彼らだからこそ任されたのだといえる。それに臨む騎士たちは、静かな表情でファーダウーンに注目した。


「ここから死の荒野が待っている。踊る刃の丘を越え、ふりそそぐ血で顔を洗い、敷きつめた骸を踏みしだいて駆け、敵の喉笛に喰らいつく。それが出来るのは、我ら紅旗衣の騎士だけだ」


 その言葉に、騎士たちは己の胸を拳で叩いて応えた。


「異教徒どもに恐怖を与えよう。我らの旗を目に焼き付けさせるのだ。死にゆく者はそれが最後に見る物になり、生き残った者は毎夜、悪夢となって苛まれることになる」

「我らは刃! 聖なる鉄槌! 断罪のいかずち! 罪深き異教徒たちに、死の祝福を与えん!!」  


 騎士たちは雄叫びのように唱和する。猛々しいその声は、岩の間を駆け抜け、響いた。


 ファーダウーンはゆっくりと北へ顔を向ける。 


「……さあ、お手並み拝見だ、シアタカ。俺を失望させないでくれよ」


 遠く広がる青と白の境界を見て呟いた。

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