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砂塵の王  作者: 秋山 和
彼らは嵐雲をのぞむ
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4

「おお、スハイラ……」


 出迎えたラアシュは両手を広げて大袈裟に嘆いた。


「来ると言うのならば、報せてくれれば良いものを。あなたをもてなす支度が出来ていないぞ。……さては、私を礼儀知らずとして貶める企みだな?」

「突然の訪問で驚かせようと思ってね。リドゥワの危機と聞いて、居ても立っても居られなかったんだ」


 スハイラは小さく肩をすくめると微笑む。ラアシュは僅かに目を細めて聞いた。


「……リドゥワの暴動を聞きつけて来てくれたのか?」

「ああ。今度の騒ぎは少し大きいと感じてね。以前に約束しただろう?」 

「それはありがたいな。しかし、我らが第二を率いる将軍閣下は随分と耳が良いようだ」

「良い目と良い耳が軍人にとって最も重要なことだからね。常に周辺の情勢には注意を払っているよ。リドゥワに何かあっても今回のようにすぐに対応できるので、安心してほしい」

「成程、心強い話だ。あなたの思惑通り、驚かされたよ」」


 ラアシュはそう言って笑う。そして、スハイラを部屋へと導いた。


 リドゥワに到着したスハイラが直行したのは、リドゥワの中心にある市庁舎だった。第二軍の到着に驚いた兵士たちはすぐに太守へと報せに走り、スハイラもそれに追いつけと言わんばかりにリドゥワへと入城した。


 街路を進む第二軍を、リドゥワの人々は驚き、歓迎した。北の国境いを守る第二軍がリドゥワを訪れることはほとんどない。その為、彼らにとってスハイラと第二軍は、あくまで噂や武勲詩でしか知られていない存在だった。


 応接室の長椅子ソファに向かい合って腰かけた二人は、使用人の運んだ茶を一口飲む。牛乳を入れた茶は、コクがあってとても良い匂いがした。


「初めて飲む茶だ。とても美味しい」


 目を見開いたスハイラは、杯を見て、ラアシュを見た。 


「近頃シンハ商人が売出し中の茶でね。南洋の向こう、はるか東の地で採れるそうだ。中々の物だろう?」

「病み付きになりそうだよ……。良いリドゥワ土産になりそうだ。後で銘柄を教えてほしいな」

「勿論だとも」


 カイラハは主要な交易路から外れた地に位置する。それは、軍事上の理由から意図的なことなのだが、必然的に流行りの文物を手に入れることが難しくなる。将軍としてのスハイラにとってそのことは当然だったが、どうしても不満は募るものだ。そのため、アタミラやリドゥワのような大きな街を訪れると、市場や路地裏を散策したくなる。残念ながら、その立場上そんな時間を取ることが出来ないことも多いのだが。


「それで、リドゥワの様子はどうだい?」

「幸い、落ち着きを見せているが、油断はできないな」

「危急の時にはすぐさま第二軍が駆けつけるということを知って、リドゥワ市民は安堵するだろう。これで、大きな役割は果たしたと思っているんだ」

「確かに、市民たちも喜んでいるようだ。勇猛なる第二軍を率いるのがこんな美しい将軍だとは、驚いたに違いない」

「お役にたてて光栄だよ」


 軽い笑い声と共にスハイラは優雅な仕草で頭を下げた。ラアシュは小さく息を吐くと頭を振った。


「まったく……、こんな時にあなたを迎えることになるとは不本意だ。本当ならばきちんとした場所を設けてあなたをもてなしなかったが、仕方がない。急いで第二軍を迎える準備をしよう。強行軍で疲れているだろう? 数日はリドゥワでゆっくりしていってほしい」


 微笑むラアシュの言葉に、スハイラは右手を軽く振った。


「君の邸宅が無事ならもてなしを受けようと思っていたのだけど、そんな状況ではないはずだ。後始末や修復の手配など、大変だろう。君の仕事の邪魔をするつもりはないからね」

「……来たばかりだというのに、あなたは本当に良い耳を持っているのだな」


 ラアシュは肩をすくめる。おもむろに身を乗り出したスハイラは、ラアシュを覗き込むようにして見つめた。


「太守の邸宅を襲うなどと、まさしくそれはウル・ヤークスへの反逆だ。王国への反逆者を相手にするとなれば、我ら第二軍も力を貸す。そんな大それた真似をしたのは何者なんだ?」

「異端の徒だよ」


 スハイラの問いに、ラアシュは静かに答えた。


「異端を信奉する暴徒たちが乱入してきたのだ。幸い、守備兵で撃退することが出来たが、残党は今だリドゥワに潜んでいる。引き続き、捜索と取り締まりを強化するつもりだ。第二軍の手を煩わせるようなことはない。安心してくれ」

「おや、せっかく駆けつけたと言うのに、つれないな。小勢で駆けつけたことがご不満だったかな?」


 身を引き、軽く首を傾げたスハイラは、冗談めかして言う。


「そうではない。第二軍が来てくれたことには感謝しているのだ。ただ、第二軍に頼り切りとなれば、我らリドゥワ行政府の力を疑われてしまうだろう? 第二軍は後ろで控えて睨みを利かせてくれるだけでいい。そうすれば、我らの立場も守られるというものだ」 

「確かにそうだね。軍が出しゃばりすぎるのも良くないな。……まったく、太守というのは大変だ」


 大きなため息をついたスハイラを見て、ラアシュは苦笑した。


「君もカイラハの太守だろうに」

「本職は将軍だからね。いざという時は力尽くで押し通すのさ。おかげで法官や書記には嫌われているんだよ」


 スハイラはそう言って笑う。


「いずれにしろ、あなたに感謝している。是非とも礼をさせてほしい。行軍で疲れた体を癒し、清めてはどうかな? その後、夕食に付き合ってくれればとても嬉しい」


 ラアシュは微笑みと共に両手を広げた。スハイラは軽く右手を上げると、頭を振る。  


「申し出はとてもありがたい。だけど、残念だがすぐに出立しなければならないんだ。話をしなければならない人がいてね」

「ほう……、私を放っておいて会いに行くとは、その男は、どんな美男子なんだ?」

「可愛い娘だよ。とても敬虔で、人を惹きつける魅力を持っているんだ。彼女に惹かれた者は皆、その身を守るために己の命すら懸ける。偉大なる『癒し手(イス・シーファ)』のようにね……」


 スハイラは、ラアシュの表情がほんの一瞬固まったことを見逃さなかった。


 ああ、やはり君だったのか。


 ずっと渦巻いていた疑念は確信へと変わり、稲妻のように彼女を打つ。その衝撃は、激しく心を震わせた。


 湧き上がる感情を押し殺すことなく、スハイラは大きな笑みを浮かべる。


「すぐに戻って来るよ、ラアシュ。すぐに戻って来るとも」


 スハイラは静かに言った。






「ああ、ここにいたんですね!」 


 小柄な少女が駆け寄って来る。この年下の少女は、慌てた様子で彼女の前に立った。


「皆がどこに行ったのかと捜してますよ。本当に心配しました」


 少し怒ったような上目遣いの少女に、彼女は慌てて釈明する。


「シア、気持ちは分かるけれど、そんなに責めては駄目だよ」


 こちらに歩いてきた細身の青年が、笑いながら言う。シアと呼ばれた少女は振り返った。


「責めてなんていませんよ、ニアザロさん。ただ、居なくなったかと思って心配で……」

「……そうだね。あなたの様子がおかしかったのは、皆感じていた」


 頷いたニアザロは、シアの肩に手を置いた後、彼女を見つめた。


「僕も、あなたの感じる恐怖を理解できる。だけど、もう始まってしまったんだ。あなたは決して一人じゃない。僕たちは、あなたと共に荒野を歩く。そう誓ったんだ。どうか、皆を信じてほしい」


 彼女は、大きく息を吐いた後、ゆっくりと頷く。


「私も、あなたと共に歩きます。微力かもしれませんが、あなたの力になりたいんです」


 真剣な表情のシアに、彼女は微笑み、感謝の言葉を告げる。


「ああ、いつものあなたの笑顔だ。さあ、行こう。皆が待っている」


 ニアザロは手で回廊の先を示した。彼女は頷き、歩きはじめる。ニアザロとシアがそれに続いた。


 中庭を抜け、屋敷の外に近付くにつれて、多くの人々の声が聞こえてくる。それは、一つの名を呼んでいた。


 『癒し手(イス・シーファ)』。


 彼女が過分に思っている呼称だ。


 決して大きくはない。


 しかし、静かな興奮と共に、人々は呟くようにその名を連呼している。


 門の傍らに佇んでいるアシュギは、こちらを振り返り、安堵の表情を浮かべた。


 立ち止まった彼女の横で、アシュギは一礼すると門の外に顔を向ける。


 屋敷の前の街路は人で埋まっていた。


 ウルス人。シアート人。カザラ人。カッラハ族。黒い人々(ザダワーヒ)。狗人。翼人。貧しい者から富める者まで。彼女を見出し、彼女を信じて集った人々。


 その感情のうねりは、不可視の力となって彼女の奥底を揺さぶる。


 彼女は思わず目を瞑った。


 歓声が上がる。己を呼ぶ声が一際大きくなった。


 門に現れた自分を見出したのだ。


 彼女がそう理解した瞬間、凄まじい力が己に流れ込んで来る。


 その力を御そうと大きく息を吸い込み、胸に手を当てる。


 同時に、背中から暖かい力が流れ込んできた。驚いて顔を上げると、隣に立つニアザロが何かを唱えながら彼女の背を右手で支えている。


 思わずその名を呟くと、ニアザロは彼女を見て微笑んだ。


「支えるって言ったでしょう? さあ、心配はいらない。『癒し手(イス・シーファ)』……、歩き出すんだ」

 





 大きな揺れに促されて、ユハは目を覚ました。 


 暖かさを感じて顔を傾けると、月瞳の君の顔が目に入る。


 月瞳の君は、ユハの左肩に頭を乗せ、左腕を抱えるようにして眠っていた。右に顔を向ければ、シェリウも寄り添うようにして眠っている。


 ああ、ここは馬車の上だ。


 ユハは、地面の起伏によって激しく上下する振動で、ようやく眠りの世界から帰還した。


 スハイラ将軍は、リドゥワに向かう前に五騎の兵士を残していった。その中の一人はマムドゥマ村とも交流のあるイムガルゥ庄出身の兵で、彼の仲介もあってイムガルゥ庄で馬車を借りることができたのだ。


 ダリュワはユハたちと共に行動し、残りのマムドゥマ村の人々はユハの訪問を告げるために急いで帰って行った。


 ユハには、馬車を借りて出発してから後の、ここまでの記憶がない。


 重傷を負った月瞳の君を癒すのは難事であったし、それからラハトとシェリウの傷も癒さなければならなかった。シェリウも高度な魔術を行使したことで疲れ切っていたし、月瞳の君も消耗しきっていた。


 お互いに支え合うようにして荷台に座った所まで覚えているが、その後は全て暗黒に閉ざされている。


「おお、起きたか」


 上体を起こしたユハに、御者を務めるダリュワが肩ごしに声をかけた。隣に座るラハトも振り返ると、目があったユハに頷く。


「ごめんなさい。寝てました……」

「気にするな。あんなことがあったんだ。疲れない方がおかしい。マムドゥマ村はもう少しだ。休んでいてくれ」


 ダリュワの言葉に頷くと、未だ起きる気配のないシェリウと月瞳の君を見る。自分たちは生きている。その喜びを静かに噛みしめながら、二人の髪をそっと撫でた。


 視線を巡らせると、馬車を守るように、馬を駆る五騎の兵士たちが共に進んでいる。


 ユハが目覚めたことに兵士たちも気付いた。そのうちの一人の兵士と、ユハは目があった。思わず一礼する。兵士は目を瞬かせ、そして笑みを浮かべた。 


「おはよう、お嬢さん」

「おはようございます」


 兵士は馬車へと馬を寄せてくる。


「体は大丈夫なのか?」

「はい。もう元気です」

「大したものだな。連れの怪我は酷いものだったのに、もう傷跡も見えない」


 兵士は、荷台の娘たちを覗き込むようにして、その後ラハト達にも視線を向けた。


「私はその……、癒し手(シーファ)ですから……」


 答えたユハの言葉は躊躇いと気後れで小さくなる。それを聞いた兵士は笑みと共に頷いた。


「そうだろうな。彼らが命を懸けて守ろうというのだから、尊敬される、卓越した癒し手に違いない。戦場であんたのような癒し手がいれば心強いというものだ」


 兵士の言葉に戸惑ったユハは、何も答えなかった。


 やがて、馬車はなだらかな丘を越える。


 道の続く先には、見覚えのある風景があった。


 家々が建ち並ぶ村の前で、人々が立っている。彼らは、丘を下って来る一団に気付き、大きな歓声を上げた。そして、まだ距離があると言うのに、一斉にこちらに駆け寄って来る。


「これは……、大した人気だな」


 それを見た兵士たちは驚きの表情を浮かべた。ダリュワが笑い声を上げると、ユハを振り返る。その表情は少し自慢げだ。


「皆、お前が来るのを待ちきれなかったんだよ。少し騒がしいお迎えだが、許してやってくれ」 


 馬車と騎馬は足を止め、人々が取り囲む。荒い息と共に、皆が口々に歓迎の言葉を叫んだ。 

 

 さすがに、シェリウと月瞳の君も目覚め、取り囲む大勢の人々に驚きの表情を浮かべている。 


「皆さん、ありがとうございます」


 馬車から降りたユハが一礼すると、彼らは再び歓声を上げた。そして、誰ともなく歌を口ずさみ始め、それはすぐに皆へ伝わっていく。それは、聞いたことがない歌で、聖なる教えによってもたらされる慈愛と祝福を謳うものだった。


 歌声と踊りに満ちた中で、一人の少女が可憐な白い花を差し出した。あの夜、共に踊った少女だ。


「お帰りなさい!!」


 身を屈め花を受け取ったユハに、少女はそう言って笑いかけた。

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