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砂塵の王  作者: 秋山 和
彼らは嵐雲をのぞむ
188/220

2

 甲殻に覆われた脚が砂を蹴立てた。


 丸みを帯びた巨体は、その身に繋がれた荷車を曳きながら動き出す。


 集まった人々が、一斉に歓声をあげた。


 五頭の大鐘虫オオガネムシは、決して馬や牛のように早くはないが、その体にしては予想を裏切る速度で駆ける。まさしく大きな鐘に似た姿が砂塵を引き連れて地を這う様は、迫力があった。背に乗った騎手は、甲虫の頭の前で必死に竿を揺らして急き立てている。当人たちは必死なのだろうが、まるで釣りのように竿を揺らすその姿は、駱駝や馬の騎手を見慣れたヤガンにとって、のどかで滑稽に見えた。


 並んで駆ける大鐘虫たちは、斜めに傾いた石柱を通り過ぎた所で速度を落とした。


 同時に上がる、喚声と嘆声。


「よしっ!」


 拳を握ったヤガンは立ち上がった。


「くそ、はずした」


 隣の岩に腰かけていたウドゥ人の男が悔しげに言う。


「残念だったな、カセクタ」

「次は当てて見せるぜ」


 ヤガンの言葉に、護衛であるカセクタは拳を握って見せた。


 アシス・ルーの郊外にあるこの会場は、大鐘虫の荷引き競争が行われ、いつも多くの人々で賑わっている。


 近隣の農民たちは、自分たちが育てた大鐘虫を連れてこの会場にやって来る。良く育ったものは高値で取引されることがあり、この競争もお披露目の場所としての役割があった。そして、賭博の対象として貴重な収入源にもなる。


 ここにいるのは荷引き競争を見物する人々だけではない。いくつも屋台が並び客を呼び込み、芸人たちが技を披露している。荷引き競争の賭博や大鐘虫の売買だけではなく、賑やかな娯楽の場所として人々は楽しげに行き来していた。


 胴元から金を受け取ったヤガンは、しかめ面のカセクタをからかいながら岩に腰を下ろした。


 隣では、ウルス人の男が大きな笑い声と共に酒瓶をあおる。ヤガンの視線に気づいたのか、男はヤガンに笑いかけた。


「よお、調子はどうだい!」


 その声量に少し面食らいながら、ヤガンは片手を上げた。傍らのカセクタが鋭い視線で一瞥するが、すぐに視線を戻す。


「今日は少し運が良いみたいだ」

「俺もだよ! 大当たりさ! 見てくれ! かねが唸ってる」


 男はそう言って袋を広げた。


 自分が金を持ってることを見せつけるなんて、相当酔ってるな。男の帰り道を心配しながら見ると、そこには貨幣の類は一切入っていなかった。代わりに、凝った意匠の首飾りが一つある。


「これに見覚えがあるだろう? “駱駝面”」


 男はにやりと笑うと、囁くように小さな声で言った。


 それは、ルェキア族の、女性が身につける首飾りだ。遊牧の民であるルェキア族は、貴金属の類を装飾品として常に持ち歩く風習がある。装飾品には氏族、一族ごとに独特の意匠があり、それを基本として首飾りや腕輪などを作る。


 今、男が見せた首飾りを見間違えることはない。その首飾りの持ち主は、ヤガンにとってとても身近な女。ラテンテの物だった。


 表情を強張らせたヤガンが口を開こうとした時、男はカセクタに視線を送りながら人差し指を己の唇に当てた。その意図を察したヤガンは、男を睨み付けながら口を噤む。男は親指で離れた所に建っている小屋を指差した。ヤガンが頷くと、男は立ち上がり小屋へと歩いていく。


「カセクタ、ちょいと小便に行ってくる」


 ヤガンはカセクタに声をかけると、おもむろに立ち上がって小屋へと向かった。


 荷引き競争の会場からは物陰になっている小屋の裏で、男は壁に寄りかかって待っていた。笑みを浮かべた男は、ヤガンへ歩み寄ると、首飾りを手渡す。


「捜したぜ、ヤガンさんよ。まさか、こんな遠くまで逃げ延びてるとはな」

「そりゃあご苦労なことだったな。それで、はるばるアシス・ルーまで追っかけて来て、俺に何の用だ?」


 ヤガンは首飾りを握りしめながら男を見据えた。


「俺の雇主が、あんたと話したがってる。言っておくが、雇主はウル・ヤークスのお偉いさんだ。この首飾りを手に入れることが出来るってことは……、分かるよな? 下手なことをすると、あんたのお仲間は酷い目にあう」


 ヤガンは無言で頷いた。男も小さく頷くと話を続けた。


「ちょいと脅したが、こいつはあんた、いや、あんた達ルェキア族にとって悪い話じゃないはずだ。あんた達が得意な、商売の話だよ。これから俺に付き合って、少し話を聞いてもらうだけでいい。あんたも、こんな所で安い賭け金に一喜一憂しているのは本意じゃないだろ?」

「商売の話だと? 身を隠してる俺には何の手札もないんだぞ?」


 ヤガンは思わず怪訝な表情を浮かべて聞いた。男は笑みと共に答える。


「あんた自身が手札なんだよ」

「俺が?」

「おっと、これ以上の話が聞きたいなら、俺に付き合ってもらうぜ。馴染みの店があるんだ」


 男は軽く両手を上げると、おどけた表情で言った。ヤガンは小さく溜息をつくと、腕組みする。


「ああ、分かった。はるばるこんな所まで負け犬に会いに来てくれたんだ。丁度いい、酒くらい奢ってやるよ」


 吉兆なのか凶兆なのか。響く人々の歓声を聞きながらヤガンは思った。






 カセクタに野暮用があると言って振り切ったヤガンは、街中で男と合流する。男はナドゥシと名乗った。


 混み合う通りをナドゥシと歩く。


 アシス・ルーはアタミラに劣らず様々な人々で溢れている。


 ウル・ヤークスの民はもちろん、黒い人々(ザダワーヒ)や西方人の姿も多く見られた。彼らはアシスの地で収穫される農作物や南方から運び込まれる珍奇な品を求めてこの地を訪れる。ウドゥ人をはじめとするスアシァ帝国の人々、沙海のルェキア族、南洋の向こうからやって来る人々。ウル・ヤークスの民は、南方の広大な土地から訪れる様々な民をまとめて黒い人々(ザダワーヒ)と呼ぶ。同じように、西方から来た人々も一緒くたに西方人と呼んでいた。


 しかし西方人と言っても、その姿は多様だ。洋橄欖オリーブ色の肌を持つのは、エルアエル帝国やその周辺の沿岸の民。他にも、赤らんだ白い肌に金や茶といった薄い色の髪を持つ北の民もいれば、濃い褐色の肌に鮮やかな青い瞳を持つ人々もいる。


 この、街中で見かける西方人の多さが、アシス・ルーとアタミラの大きな違いを感じさせる点だ。


 そして、乾燥したアタミラの暑さとは異なる蒸し暑さと、通りを行き交う駱駝や驢馬といった獣ではない、荷車を曳く大鐘虫。同じ国とはとても思えない全く異なる街角の風景。


 狭いカラデアやほとんど景色の変わらない沙海と比べて、このウル・ヤークスという国は広大で多彩だ。商人だった頃はそれを楽しむことが出来た。そして、逃亡者となった今、身を隠す助けになっていることは、皮肉な話だ。


 ひしめく人々をかき分けるように幾つもの市場、路地を抜けていく。ヤガンは、未だアシス・ルーの街に慣れていない。大まかな道や構造は理解したが、全く知らない区画に放り出されてしまえば迷ってしまうことは確実だ。どこか整然とした印象を与えるアタミラと違い、アシス・ルーの街は薄汚れ、混沌としている。おそらくそれは都市としての歴史の違いもあるのだろう。アシス・ルーと呼ばれる以前から、この街は繁栄してきたという。どこか、故郷であるカラデアに似た匂いを感じていた。


「アタミラでいつも連れてたあの色男はどこに行ったんだ?」


 ナドゥシの問いに、ヤガンは目を瞬かせた。


「……あいつを知ってるのか?」

「そりゃそうだ。あいつのお蔭で、中々あんたに近付けなかったからな。俺がつけてることに気付かれた時は、さすがに落ち込んだぜ」

「そいつは苦労を掛けたな」


 真顔で言うヤガンに、ナドゥシは苦笑した。  


「お気遣いどうも。……それで、あの使用人はついてこなかったのか? ルェキア族取り締まりの時にも家にいなかったって聞いたぞ。てっきり、あんたの逃亡を助けているもんだと思っていたんだがな」

「残念ながら女の尻を追っ掛けて行ったよ」


 ヤガンは肩をすくめた。ラハトと別れて何年も経ったような気がする。


「そうかい。そりゃあ仕方がないな。いい女には勝てねえ、気落ちすんなよ」


 ナドゥシはにやりと笑うと、ヤガンの肩を叩いた。


 長い間街を歩き、ようやく案内されたのは、混み合った酒場だった。正装でなければ追い出され、目玉の飛びだすような額の酒が出されるような高級な店ではなく、安酒と口噛み葉(カート)で騒ぐような場末の酒場でもない。街の人々が食堂代わりにも使うような大きな店だ。


 喧騒に満ちた店内の奥まった所にある席には、仕立ての良い長衣と高価そうな首飾りをつけたカザラ人の男が座っていた。


「連れてきました」

「ご苦労」


 どこか不機嫌そうな表情で、カザラ人の男は頷く。


「つけられてはいないな?」

「それは勿論。俺を信用してくださいな」


 ナドゥシは両手を広げ言った。男は表情を変えることなく右手を上げ、そしてヤガンに顔を向けた。


「お前が、ヤガンだな。“駱駝面”のヤガン」

「ああ、そうだ」


 こいつはあまり好きになれそうにないな。ヤガンはそう思いながら首肯した。


「で、あんたは?」

「そこに座れ」


 ヤガンの問いを無視して、男は向かいの席を指差す。


 男の言葉に反感を覚えながらも、ヤガンは頷き席に腰を下ろした。もう一つの席に、ナドゥシが座る。早速給仕娘が注文を取りにやって来たが、男は娘を見ることなく手で追い払った。娘は小さく悪態を突きながら去る。


「私のことはイウスームと呼べ。我が主の命でここに来た」


 男は、傲岸な口調で名乗った。偽名であることをあからさまに主張するその態度に思わず笑いそうになるが、ヤガンはこらえて再び頷く。この際、名前などどうでも良いことだ。


「この男に聞いたと思うが、私はお前に取引を話を持ってきた」

「ああ、聞いたよ。俺たちルェキア族の為になる話だって?」


 イウスームは、重々しく頷いた。


「そうだ。お前たちがこうやって飼い殺しにされている間にも、刻一刻とルェキア族の立場は悪くなっている。時間を無駄にしているとは思わんか? 我々ならば、現状を打破するもう少しましな提案が出来る」

「俺はこの通り、着の身着のまま逃げ出してきたただのルェキア族の男だ。無一物の俺が、先物として何を約束すればいいんだ?」

「まさしく、そのルェキア族であることだ」


 イウスームはヤガンを指差し、言った。


「ルェキア族であること? 落ち目の俺たちに価値を見出してくれるとは有り難い話だな」


 自嘲の笑みを浮かべたヤガンは小さく両手を広げ、おどけた表情で肩をすくめる。イウスームは傲岸な表情を変えることなく、ヤガンに鋭い視線を向けた。


「お前とくだらない戯言をかわすつもりはない。ルェキア族は確かに今、力を失っている。だが、我が主は、お前たちに価値があるとお考えだ」

「そいつはありがたいね。泣けてくるぜ」

「ルェキア族に商品として価値があることを示すために、お前は死に物狂いで働かねばならない。これからお前の果たす役割は、大きく二つある」


 イウスームは右手を上げて人差し指と中指を立てた。


「二つ?」

「そうだ。まず、一つ目。それは、お前自身がもつ手札でもある。その手札はお前を守っているが、同時に、弱点でもある。そして、それを欲する者には、高く売れる。主は、その手札を買いたいとお考えだ」  

「まどろっこしいな。はっきり言ってくれ」


 曖昧な物言いに苛立って、ヤガンは眉根を寄せる。


「お前には、シアートを売ってもらう」


 イウスームは微かに口の端を上げると、ヤガンを指差し言った。

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