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砂塵の王  作者: 秋山 和
彼らは嵐雲をのぞむ
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1

 暗い影に覆われた谷間は、喧騒に満ちている。


 駱駝、驢馬、縞馬、駆竜、甲竜といった様々な騎獣。軍装に身を固めた兵たち。出立をひかえた軍の緊張に満ちた音は、そそり立つ巨岩の間で反響している。


 支度を終え岩室から出たラワナは、その奇妙な響きを聞きながら歩いた。


 駆け寄って来た部下たちが、矢継ぎ早に報告を始める。ラワナは、歩きながら彼らの言葉に頷いていく。糧食の量。兵たちの数、装備、編成。これから待つ戦いのために、急ぎ整えらたが、まるで待ち構えていたかのように破綻なく準備を終えている。


 ラワナは皆を引き連れながら、月光の差し込むところへ向かった。


 岩棚の上に立っているワアドとダカホルは、振り返りラワナを見る。


 ワアドが手で眼下を示して言った。


「皆、待っている」


 ラワナは頷くと、谷間にひしめく兵たちを見下ろした。


 ウル・ヤークス軍が水場から撤退を始めた。


 ウル・ヤークス支配下の水場のうち、北の水場から守備している兵たちが去った。同時に、『砦』から兵たちが北へ向かっている。おそらく、撤退を支援するために残された最後の水場で合流するのだろう。


 カドアドから送られた砂文によれば、砦の空兵伝令が蟻の民の攻撃を掻い潜り、北へ向かったという。その後、デソエから出てキエサ率いる部隊を追うウル・ヤークス軍がその進軍を速めた。空兵伝令が到着して戦況を伝えたことで、彼らの決断を速めたのだろう。


 これによって、キエサ率いる部隊は、ウル・ヤークス軍の挟み撃ちにあう恐れが高まった。そして自分たちは、この安全な砦に籠り、座したまま彼らの危機を“聞いて”いることはできない。


 キエサたちからは、砂文によって『砦』の挟撃を進言されていた。しかし、大軍同士で睨み合っている中で、カラデア同盟軍は出陣を躊躇ったまま時を過ごした。しかし、ここに至り事態は急変した。


 急速に動き出した事態を前にして、カラデア同盟軍は総力をもってウル・ヤークス軍の『砦』を攻めることを決めた。北から向かうキエサたちを挟み撃ちにさせないために、南から進軍してこちらへ注意を引き付ける。あるいは、逆にこちらが北と南から『砦』を挟撃する。それは、カラデア同盟軍とウル・ヤークス軍の進軍の速さによって大きく結果が変わって来ることになるだろう。いずれにしても、これから待つ戦いの勝敗によって、戦の趨勢は決まる。それは間違いない。


 月光に照らされた兵たちは落ち着きなく身じろぎし、緊張に満ちた表情で互いに話している。


 この砦に籠ったこれまでの長い時間は、カラデアの市民を兵として鍛えた。しかし、例え厳しい訓練を経たとはいえ、実戦は違う。鱗の民やンランギの戦士たちといった生粋の武人たちにはとても及ばない。それは、訓練を重ねるほどに彼らが実感したことだ。自分たちは果たして戦えるのか。長い時が彼らの熱を冷まし、一時の高揚は失われ、初めての戦へのぞむ不安が溢れている。


 ラワナにとって、戦争とは多くとも数百人同士の争いだった。それは、ほとんどのカラデア人にとっても同じだろう。


 それが今や、数万の兵と、それも異郷の民と共に戦うことになった。ラワナは、形だけとはいえ、彼らを率いる長だ。生粋の戦士たちであるンランギ王国の者たちならば、それを誉れとして誇るだろう。今日までに増援として続々と駆け付けたンランギの戦士たちは、ラワナに挨拶をする時に必ずこの戦いに参加できることを名誉であると誇ってくれた。


 それは決して世辞ではないのだろう。その誇らしげな表情を見れば分かる。しかし、ラワナはそうではない。戦とは恐れるべきもの。襲いくる砂嵐のようなものなのだ。そして、逃れることが出来ないのならば、身を潜めるか、立ち向かうしかない。

 

 そして、立ち向かうために自分はここにいる。


「いよいよですね」 


 背後からの声に、ラワナは振り返った。


 真珠の髪は、淡い月光を浴びて微かな輝きを帯びている。笑みを浮かべた娘、ツィニが立っていた。その後ろにはカングもいる。


「はい。これからが本当の戦いです」

「麗しの月も祝福してくれています。出陣の門出に相応しい夜です。月の申し子であるあなたが軍を率いれば、勝利は間違いないでしょう」


 天を指差したツィニの言葉に、ラワナは苦笑した。


「あなたまでそんなことを……。民の言うことを真に受けないでください」


 その呼称がカラデアの民の士気を支えていることを自覚しているために彼らの口を封じることはしないが、独り歩きすることを危惧もしている。自分はあくまで太守の一族の一員でしかない。まるで精霊か何かのように崇められても、何ももたらすことはできないのだ。


「カラデアの民は真実を感じているのだよ」


 カングが右手を上げながら進み出た。


「我々は大きな運命の流れの中で、迷い、翻弄されている。その中で、道標となって輝くのが、ラワナ殿なのだ」

「私が……?」


 夜空を一瞥したカングは、、再びラワナを見て答える。


「沙海と、その南の地は、今、新しい時代を迎えようとしている。ウル・ヤークスをはじめとする、はるか異郷の地と、我らが暮らす地が、繋がろうとしているのだ」

「それは、戦だけではないということか?」


 ワアドの問いに、カングが頷いた。


「ユトワがカラデアを助けることは、古き盟約に従ったこと。だが、それだけではない。祭祀の王は仰せになった。この戦は、新しき風、新しき運命を我らの地に導くと。澱み、曇っていた我らの地に、渦巻く風を吹き込み、雲を払い、道標となる光が差すであろうと」

「どういう意味ですか?」

「新しいが来るのだ」

「ユトワを出る前、我らが王は、運命の糸を織る蜘蛛ユゥク・ンティワタに戦の行く末をたずねました。占いの結果はとても曖昧でしたが、希望を感じさせるものだったのです。……死、悲しみ、炎、黒鉄くろがねの輝き。夜空の月と砕けた殻の欠片が紡いだ糸が、美しく大きな網の目を織り上げるだろう。それは死よりも多くの喜びを導く」


 厳かな口調でツィニが言う。ラワナは、その言葉が理解できずに困惑した。 


「よく意味が分からんが……、つまり、夜空の月がラワナだと言うのか?」


 微かに眉根を寄せたダカホルが言う。


「私はそう考えている」

「では、殻の欠片、というのは何のことでしょうか」

「それは我々にも分からない。ルェキアやカラデアの言葉では訳しにくいのだが、この殻という言葉は、我々の教えの中では、生命や神秘の例えでもあるのだ」


 カングはそう言って小さく肩をすくめた。


「……ウル・ヤークスから来たシアタカという男が、黒石の心に触れた」


 呟くようなダカホルの言葉を聞いて、カングとツィニが彼を見た。


「ウル・ヤークスの者が……、黒石の心に触れた?」 


 微かな驚きの表情を浮かべたカングに、ダカホルは頷く。


「黒石は、我々の敵、味方という概念を超越している。だから、黒石にとってウル・ヤークスであろうとどこの土地の者であろうと、関係はないだろう。しかし、ご存知だとは思うが、黒石が人に心を開くことは滅多にない。黒石の守り手を目指す多くのカラデア人のほとんどが振い落される。十年も新しい守り手が生まれなかったことさえある」

「はい、それはよく知っています。黒石の祝福さえも、必ずしも授けられることはない。ましてや、黒石の心に触れるなんて稀なことですね」


 両手を握り合わせたツィニは、驚きからか小さく頭を振った。


「その通りだ。おそらくは魔術の心得もないような若者に、黒石は心を開いた。黒石が惹かれる大きな何かを、その若者は持っているのだろう。そして、その若者は今、キシュガナンの戦士を率いてキエサと共に北からこちらに向かっている」

「……殻の欠片。それは、そのウル・ヤークスの若者なのかもしれませんね」


 ツィニは、北の方角に顔を向け、言う。


「そう信じたいな。もしそうならば、祭祀の王の占いも吉兆となる」


 腕組みしたワアドの言葉に、カングは頷いた。


「私もそう信じているよ。いずれにせよ、この戦のあと、我らの地は大きく変わる。何が待っているのか分からないが、我らの王は、新しい、希望のが訪れると仰せだ。そして、ラワナ殿。そなたはその道標の一つになる」


 あまりに壮大な話しに付いていけず、ラワナは溜息をつく。そして、皆を見回し口を開いた。


「正直言って、私が運命の流れの中で大きな役割を担っているというのは信じられませんが……、きっと、私の意思とは関係なくその流れに巻き込まれてしまっているのでしょうね」

「そうですね。ですが、その中であなたは自らの意志で糸を紡ぐことができるのです。その紡いだ糸は、運命を引き寄せ、結ぶことが出来る」

「ただ流されるだけではないということですね」

「はい。あなたは決意し、そしてここまで人を導いた。そして、その先へ歩むための光となるのです」


 ツィニは微笑んだ。 


 太守の娘として、人を率いることが自分の役割であることは覚悟している。しかし、運命などという曖昧で大きな言葉を前にすると、己がとても小さな存在であることを思い知らされる。たとえ祭祀の王の言葉であろうとも、自分が運命の流れを導く人間であるなどと信じることが出来ない。彼らの言葉は、ラワナ一人で受け止めるにはあまりに大きく、重すぎた。


 この運命を分かち合い、寄り添い、共に歩んでくれる人。


 その存在がたまらなく恋しくなる。


「……キエサが待っている」


 ラワナの呟きを耳にしたワアドは、彼女の肩に手を置いた。


「そうだ。キエサが待っている。あいつも、お前を輝く月と信じて戦っているのだ」


 ラワナはワアドを見つめて、頷いた。そして、ツィニとカングに顔を向ける。


「私はヌアンクの娘、カラデアのラワナ。私にとってそれだけで十分です。愛すべき人々、守るべき人々。カラデアの民のために、私はラワナとして己の責任を果たす。その為に、ここにいます。その結果として、新しい運命の導き手となれるのならば、光栄なことです」

「ああ、それで良いのです。それこそが、紡ぎ手のとしての素質。我々も、あなたを助け、そして運命の糸を紡ぐことが出来ることを光栄に思います」


 そう言ったツィニは、そしてカングは、胸に手を当てると恭しく一礼した。


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