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砂塵の王  作者: 秋山 和
燎原、赤く染まる
174/220

22

 月光の下、シアタカが砂丘の頂に腰を下ろしている。


 静かに、気配もなく、その姿がまるで砂丘の一部になってしまったかのように錯覚して、エンティノは、目を瞬かせた。


 シアタカは、すぐ側まで歩み寄ったというのに、こちらを一顧だにしない。その目は大きく見開かれ、沙海の彼方を見ていたが、その碧い瞳はどこにも焦点があっていないように見える。


「シアタカ」


 エンティノの呼びかけに、シアタカは我にかえった。驚いた表情でエンティノを見上げて口を開く。


「エンティノ」

「何でこんな所で一人でいるのよ。登って来るのも面倒だったのよ」

「……ああ、何でなんだろう。沙海を見ていた、のか?」


 当惑と恥じらいの表情を浮かべたシアタカ。その疑問形の答えに、エンティノは笑った。


「何よそれ、意味が分からない。……シアタカ、起きてる?」

「寝ぼけてるわけじゃないよ」


 覗き込むようにしてたずねるエンティノに、シアタカは苦笑すると小さく頭を振った。


「……ここまで登ってきて疲れちゃった。背中貸して」

「ああ」


 大きく息を吐いたエンティノは、地面に座り込むとシアタカの背中に体重を預けた。


 冷えた沙海の夜空の下、背中の体温が一際暖かく感じられる。


 なんでこんなことで小娘みたいに浮ついてるんだ。少し早まった己の鼓動に、エンティノは自嘲の笑みを浮かべる。


 ウル・ヤークス軍との初めての戦いを終えた後、キシュガナンたちは、カラデア軍とともに水場のある岩塊群ガノンで数日の間休息していた。行軍と激闘の疲れを癒すために、そしてウル・ヤークス軍を牽制するためだ。


 ウル・ヤークス軍の北伐部隊を打ち破ったカラデア連合軍が北に居座っている。その存在感をデソエのウル・ヤークス軍は無視することは出来ないだろう。


 二人はしばらく沈黙していたが、やがてシアタカが口を開いた。


「大丈夫か?」

「何が?」


 背中越しのシアタカの言葉に首を傾げる。何を問うているのか分かっていたが、あえて聞き返した。


「ウル・ヤークスに叛いて、刃を向けたことだ」

「別に……、覚悟してたことだから」


 エンティノは素っ気なく答えた。


 会戦の後、自軍と、そしてウル・ヤークス軍の兵たちの死体を砂の下に埋めた。


 もし死体を放置したならば、苛烈な陽射しによってあっという間に干からびて、やがて、餌のありかを嗅ぎ付けた空ノ魚や空ノ蟲によって片づけられてしまう。しかし、シアタカは聖王教徒として、死体を野晒にすることを善しとしなかった。そして、兵たちの亡骸を埋葬することを命じたのだった。


 エンティノも、仲間やキシュとともにその埋葬に加わった。沈む夕陽を背に受けながらかつての同胞を白い砂に埋める時、彼女は何の感慨も抱かなかった。


 紅旗衣の騎士はエンティノにとって自分を保つための型だった。怒りと絶望から身を守ることができるのならば、その型はどんなものでもよかった。憎悪をなだめすかし、狂気から顔を逸らすために、自分が紅旗衣の騎士であるという誇りはとても役に立った。


 そしてその型を捨てた今、自分にとって紅旗衣の騎士という肩書と、ウル・ヤークスという国はそれほど重要ではなかったことが分かる。結局、あの国は自分にとっては忠誠や信仰の対象ではなく、牢獄でしかなかったのだ。


 今は何より、側にいて、支え守らなければならない人たちがいる。


 『導かれし者たち』。『御嶽の約者たち(アシュハール)』。


 キシュガナンは自分たちを仰々しい名で呼ぶが、エンティノにとってどうでも良いことだ。エンティノが守るのは大切な仲間だけであり、その過程でキシュガナン達に手を貸しているにすぎない。彼女の広げた腕はそこまで広くはない。エンティノが抱き寄せることができるのは、親しい仲間だけだ。


 何より大切な人の傍らで、その人を守る。


 エンティノは振り返り、肩ごしにシアタカを見た。 


 シアタカは化け物だ。


 己の感情を抜きにして客観的に彼を評するならば、その一言に尽きる。


 以前、シアタカは自分たちがまともではないと言った。あの時、茶化して答えたが、エンティノ自身、己がまともな人間ではないことは自覚している。戦場を生きる場所として、殺すことに何の躊躇いも覚えない自分は、どこか狂っているのだろう。


 しかし、シアタカはそれとはまったく違う、異質なものをもっている。


 シアタカには、強者特有のぎらついた欲望がなく、感情の起伏も穏やかだ。その容姿ゆえに様々な欲望や感情に晒されてきたエンティノにとって、そんなシアタカの傍らにいることは、何よりの安らぎだった。しかし、長く付き合っていくうちに、シアタカの異常性に気付いた。彼は、人として何か大きなものが欠落している。それが何なのかこれまでエンティノには分からなかったが、だからこそシアタカの傍にいなければならない、という想いが生まれた。


 シアタカの中に在る聖女王の力の欠片が、その異質さの本質だとは思えない。いずれにせよ、その身に超常の力を宿し、恐ろしいまでの武勇を持つシアタカという男は、キシュガナンを率いる戦長いくさおさという立場も相まって、特別な存在になっている。


 これまでのシアタカは、ただアシャンを守ることに命を懸けてきた。そして今や、この戦争を終わらせようと、その腕を大きく広げている。あまりに研ぎ澄まされたその様に、聖人というのはこういう人なのかもしれないとエンティノは思った。聖女王の欠片という恐ろしい力がシアタカにどれだけの影響を与えているのか分からないが、今のシアタカは、このまま消えてしまうのではないかと思えるほどに澄み切っている。それはエンティノをひどく不安にさせる。


 だから、背中に感じるシアタカの暖かさは、その存在を確固としたものとして感じさせ、安心することができた。


 エンティノが見下ろす砂原では、焚火を囲んだキシュガナンやルェキア族、ンランギの人々が思い思いにくつろいでいた。


 その中に、アシャンの姿も見える。アシャンは、サリカとワンヌヴと楽しげに話している。出会ったばかりだというのに、あの肩に喋る鳥を乗せた黒い人(ザダワフ)のまじない師と、アシャンとサリカは意気投合してしまった。エンティノには気味の悪い男にしか見えないのだが、変人同士、気が合うのかもしれない。当然ながら、本人たちの前では言えないことだったが。


 あの戦いの後、アシャンが隠れて嘔吐している姿を見ていた。


 戦場の過酷さに耐えることができずに心を病んでしまう者がいることは知っている。アシャンは心優しい娘だ。きっと、長く戦場の狂気には耐えられないだろう。アシャンは自分が逃げることは出来ないと言っていたが、ことさら残酷な現実を見続ける必要は無い。シアタカはできるだけ負担を減らそうと考えている。エンティノもそれに協力するつもりだった。たとえ変人のまじない師が相手とはいえ、アシャンの気が紛れるならば何よりだ。


「……シアタカ」

「何だ?」

「あんたこそ大丈夫?」

「ああ。俺も、とっくに覚悟は出来ているよ」

「いや、そうじゃなくて……」


 先刻見た、砂丘の一部になってしまったかのようなシアタカの姿。それを思い出して眉根を寄せる。あの姿は、シアタカでありながらシアタカではないように見えた。その思いが問いになって口にから発せられたのだが、いざ言葉にしようとすると、説明に困ってしまう。


「だったら何だ?」

「ええと……、何て言うか……」


 どうしても不安と違和感を言葉にすることができず、エンティノは頭を振った。


「ごめん。何でもない」


 エンティノはそう答えると、もどかしさと気まずさを誤魔化すように背中でシアタカを強く押した。シアタカは小さく笑うと、同じような力でエンティノを押し返す。子供みたいなことをしている自分とシアタカがおかしくて、エンティノは笑みを浮かべていた。


「騎士シアタカー!!」


 シアタカを呼ぶ声に、エンティノは砂丘の下に顔を向けた。右手を上げたウィトが、こちらに歩いて来る。


「どうした、ウィト」

「御二人とも、キエサが呼んでいます!」


 その言葉に、二人は同時に立ちあがった。 





 キエサは、こちらにやって来るシアタカとエンティノに片手を上げた。


 シアタカは、キエサを見て頷く。そして、アシャンとウァンデの隣に腰を下ろした。人々は、砂の上に描かれた、立体的な模型のような地図を囲んで座っている。


「休んでいたところ悪いな、シアタカ」

「いや、大丈夫だ。それより、何かあったのか?」


 ここに集まったカラデア連合軍の主だった人々を見渡したシアタカは答えた。


「これからどうするべきか、皆の意見を聞きたかったんだ。シアタカ、お前はどう考える?」


 キエサの、皆の視線が集まる。シアタカはキエサを見つめた後、おもむろに口を開いた。


「このまま、ここに留まって、ウル・ヤークス本国からの補給を襲い、長い戦いに引きずり込む手もある」


 キエサは小さく頷いた。それは、彼も考えていたことだった。デソエや沙海の只中にある『砦』に駐屯するウル・ヤークス軍を、本国から切り離す。それによって彼らは干上がり、弱体化させることができるだろう。しかし、この策には大きな問題がある。


「だが、俺はそれをするべきだとは思わない」


 続くシアタカの言葉に、キエサは再び頷いた。この男も同じ問題に気付いている。そう思えた。


「この場に留まり、ウル・ヤークスの補給を絶ち、それを守るために出てきた部隊を叩き、デソエに駐屯する軍を疲弊させて干上がらせる。そういう戦い方は可能だ。だが、それはデソエの民を犠牲にすることになる。ウル・ヤークスへの補給を絶つことは、デソエの民をも苦しめることになる。たとえそれによってデソエを奪還することができても、カラデアはデソエの人々に恨まれ、大きな溝ができることになる」

「ああ、そうだな」


 キエサは同意する。シアタカは小さく頷くと言葉を続けた。


「分断して、仲違いさせて統治する。これは、古代から、巨大な帝国がとってきた手段だ。デソエを犠牲にして勝利したとして、この戦いの後、カラデアに不信感を抱いたデソエは、再び野望を抱いたウル・ヤークスに簡単に傾いてしまうかもしれない」

「……成程。団結を失ったところに、ウル・ヤークスが付けこんでくるというわけだな」


 ガヌァナが呟くように言った。


「カラデアという街は、何も生み出さない。信仰と、交易という流れの中心にあるからこそ、その力と価値をもつ。だが、今は戦によってその流れが止まっている。そうなれば、カラデアはその力を失うことになる」

「その価値が分かってるから、こうして故郷も種族も違う者たちが集まってるんだろ?」


 ワザンデはそう言ってキシュガナンを、カナムーンを、ウル・ヤークスの者たちを、ガヌァナを、ワンヌヴを、次々と指差す。


「そうだ。カラデアは人々を惹きつけ、団結させた。それは、まさしく大きな力だ。だけど、同時に弱点でもある。今言ったように、故郷も種族も違う者たちがその力の元に集った。だからと言って、その力だけでは人は戦い続けることは出来ない」

「痩せ我慢をしていても、飯を食わなければ人は倒れる」


 エイセンが口の端を歪めた。シアタカは答える。


「その通りだ。もし長期戦に持ち込むならば、それは我慢比べになる。互いに切りつけあい、血を流しながら、どちらが先に倒れるのか競い走り続けるようなものなんだ」

「国力の差か……」


 キエサはうめくように言った。シアタカはキエサに顔を向け、頷く。


「カラデアとウル・ヤークスでは、国力に大きな差がある。このまま我慢比べを続けていれば、音を上げるのはカラデアの方だ。同胞を犠牲にするような戦いをすれば信用を失い、長引く戦いによって同盟を保つための財も力も失い、戦うこともなく瓦解することになる。たとえ戦に勝ったとしても、戦いが長引けば長引くほど、カラデアの受ける傷は大きくなり、人を惹きつける力を失い、これまでの繁栄を取り戻すことが出来なくなると思う。受けた傷が多ければ多いほど、人は元の健康な体に戻ることが難しくなる。戦で受ける国の傷も同じだ。傷を大きくしないうちに、人々が疲れ果ててしまわないうちに、戦を終わらせるべきだ」


 シアタカは強い意志の宿った目でキエサを見つめる。この男は、戦争に勝利することだけではなく、その後に続く未来の事も考えている。そのことに、キエサは衝撃を受けた。ただの軍人や戦士は、戦の勝利と、己の武勲だけを追求する。しかし、シアタカからはそんな意思が全く感じ取れない。カラデアという国がどう戦い、どうこの苦難を切り抜けるのか。まるで太守のように大局的にこの戦争を見ている。


 ウル・ヤークスという国の軍人が皆そうなのか、それともシアタカという男が特別なのかキエサには判断できなかった。いずれにせよ、キエサにとっては、ただ勇猛な戦士よりもはるかに信用することができる。


「『血は泉よりも早く涸れる』という。我も、シアタカに賛成する」


 ガヌァナが言った。


「私も同意見だ。我々は繁栄のために戦う。戦の勝利が破滅を呼び寄せることになってはいけない」


 カナムーンが喉を鳴らして皆を見回す。人々は各々頷く。カナムーンはシアタカに顔を向けた。


「以前、エンティノが言っていた。どうやってウル・ヤークスを諦めさせるのか。それを考えねばならないね」


 カナムーンの言葉に、シアタカは小さく息を吐きだして答える。


「……こんな言い方は好きじゃないが、ウル・ヤークスにとって、戦争は商売の一環という側面もあるんだ。交易路を独占したい。同じ商品を売る国を妨害したい。武器や防具を新しく売りたい。商品を売りつける相手を増やしたい。そんな様々な人々や勢力の思惑、利益のために始める事も多い。だから、この戦争を続ければ大きな損をすると教えることで、利に敏い者たちは怯えて手を引くようになる。ウル・ヤークスの軍隊は、多くの人々が金を出し合って結成された、いわば武器を携えた巨大な隊商だ。出資者が減ってしまえば、維持が難しくなって故郷に引き返すことになる」


 様々な地を傭兵として渡り歩いたキエサには、シアタカの言うことが感覚的に理解できた。


「奴らに損だと分からせるためにも、大きな勝利が必要だな」

「ああ。そのためにも、俺たちは出来るだけ早くここを発ち、南にいるカラデア軍と合流するべきだ。『たらした水の一滴は土に消え、染みすら残さない。溢れ出た水瓶の水は、地に水鏡をつくり、眩く陽を写す』。ウル・ヤークスの軍学ではこう教えられる。我々は一つの大きな力となって、ウル・ヤークスと戦う必要がある」

「そうして、まずは奴らの『砦』を落とすべきだと考えるんだな?」

「そうだ。一つずつ、確実にウル・ヤークスの足場を崩していく。そして、ウル・ヤークスを沙海から追い出すんだ」

「いよいよ大戦おおいくさだな!!」 


 エイセンが愉快そうに笑う。


「今回のような醜態はもう晒せないぞ」


 顔をしかめたウァンデに、エイセンは笑顔のまま頷いた。


「腕ならしにはちょうど良かった。もしもっと大きな戦ならば、キシュガナンは半分に減っていたかもしれんな。これを教訓にして、戦士を、そしてキシュを鍛え直さなければならん。アシャン、ジヤ、頼むぞ」


 アシャンは、エイセンの言葉に硬い表情で頷いた。


「カドアド。『満月の盾』へ砂文を頼む。俺たちは南へ向かうと伝えるんだ」


 意を決したキエサは、カドアドに顔を向けた。


「待ってくれ、キエサ。カラデア軍も、ウル・ヤークスの『砦』に向かうよう進言してくれないか?」


 砂に手を触れようとしていたカドアドは、シアタカの言葉を聞いて手を止めた。キエサはシアタカを見やる。


「北と南で連携するということか?」

「そうだ。我々は『砦』で落ち合う。進軍してくるカラデア軍が注意を引いている間に、俺たちが不意を打つことが出来れば最善だ」

「本軍を囮に使うのか」


 キエサは思わず笑う。シアタカは小さく頭を振った。


「囮じゃない。このまま、『砦』をデソエから遮断、孤立させる。そうすることで、何が起きているのか正確に把握できなくなる。そんな中で南から大軍が迫れば、どうしてもそちらに注意が向くだろう。そして、不意に背後から全く違う軍勢が襲い掛かれば、大きな動揺を招くことが出来る」

「遮断、孤立? どういうことだ?」

「デソエと『砦』との通行を断つ」


 そう言って、シアタカは、砂上の地図を指差した。


 ウル・ヤークスは進軍するために最適な道を確保している。それを軍路と呼んでいるという。それは、黒石の守り手によって割り出された、ウル・ヤークス軍が行き来している水場を繋ぐ道のことだった。シアタカは、ここからその軍路へ向かうべきだと言う。


 現在、キエサたちが休む岩塊群ガノン周辺を羽翅カーナトゥが常に哨戒している。一定以上の距離からウル・ヤークスの空兵を近付けないだめだ。カラデア軍の偵察を試みた空兵斥候部隊は羽翅カーナトゥの群れに襲われ、騎兵斥候部隊は待ち伏せを受けた。


 そうして追い散らされたウル・ヤークス軍は、カラデア連合軍の正確な位置を見失っている状況だ。この状況が、静かな圧力となってデソエのウル・ヤークス軍を牽制している。


「軍路を南下する。そして、南下しながらデソエと『砦』を行き来する伝令、補給、斥候を妨害する。それによって、デソエと『砦』は連絡は途絶し、互いの状況が分からなくなる」


 シアタカの提案に、キエサは思わず拳を握った。それは、キエサが理想とする戦い方だったからだ。そして、黒石の守り手を擁するカラデア軍と、キシュを擁するキシュガナンが協力しなければこの戦術を実現することは出来ない。


 ウル・ヤークス軍のカラデア侵攻に端を発する一連の戦役は、後世の史家たち、特に戦史を修める者たちにとって特別な位置を占めている。特殊な環境で異質な文化をもつ人々がぶつかり合ったこの戦争は、学究の徒にとって魅力あふれるものだった。


 そんな中で特筆すべきなのは、この沙海の戦いにおいて“制空権”の概念の萌芽がみられたということだ。戦場の空を支配し、戦争の流れを奪う。空戦の多かった東方においても同様の戦術が散見されたが、空兵が特に重要な役割を果たすことになったのは、やはり沙海における戦役だろう。


 これは、キシュと羽翅カーナトゥという特殊な存在がいたから為し得たことで、完全な“制空権”の実現は、後世の革新的な軍事技術の発展があるまで難しかった。いずれにせよ、この戦争を経た後、戦場における空兵の重要性は増すことになるのである。


 当然ながら、ここにいる者たちは、自分たちが戦史や軍事史に重要なページを書き加えたことなど知る由もない。これから始まる戦いについて、熱い議論を始めたのだった。


「隊長……」


 議論の輪に加わっていたキエサは、背後からの呼び声に振り返った。少し離れた場所で、緊張の面持ちを浮かべたカドアドが立っている。キエサは彼の元に歩み寄った。


「どうしたカドアド」

「あの、シアタカという人は何者なんですか?」

「前に話したじゃないか。ウル・ヤークス軍の軍人で、キシュガナンに助けられた後は彼らに味方したと」

「私は、あの人が恐ろしいです」


 硬い表情で言うカドアドを見て、キエサは頷いた。


「確かに、只者じゃない。武勇と戦術に優れた恐るべき指揮官だな。味方になってくれて心強いよ」

「いえ、そうではなく……」

「どうした? 何か不審なことでもあるのか?」


 眉根を寄せたキエサの問いに、カドアドは躊躇いながら答える。


「あの人に宿る黒石の力のことです」

「ああ、シアタカは黒石の祝福を受けたそうだ。お前も聞いているだろう?」

「あの人に宿る黒石の力は途轍もないものですよ。体に黒石の欠片を埋めていないのに、あの人に宿る力はエタム様を超えています。まるで黒石がその場にあるように感じるんです」


 怯えにも似たカドアドの表情に、キエサは目を細めた。


「そこまで凄いのか」

「あの力を宿したまま、人でいられることが信じられない。あそこまで大きな力を宿した守り手は、皆、晶合しょうごうしてしまうはずなんです」


 晶合しょうごうは、黒石の守り手が修行の果てにたどり着くことを目指す境地だ。黒石の意思を知った守り手は、やがて、自らも黒石の一部となるという。カドアドは、大きく息を吐くと頭を振る。そして、シアタカを見ながら呟くように言った。


「あの人は……、化け物だ」

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