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砂塵の王  作者: 秋山 和
燎原、赤く染まる
170/220

18

 兜の奥の赤い光。


 シェリウは、そこから強い視線を感じた。


 身をくねらせながら迫った巨体は、もう目の前にある。逃げることは出来ない。振り上げられた剣を見上げ、恐怖に屈しそうになる。しかし、それでは何もできずに死ぬだけだ。己を奮い立たせ、烈しく短い聖句を唱えた。


 振り下ろされた巨大な刃は、赤い光と共に阻まれた。凄まじい力が盾を打つ。それは、剣の物理的な力だけではなく、刃が帯びた鋭い魔力のせいだ。その力は、触れあったシェリウに大きな影響を及ぼす。まだ、自分の術法や力が優っているならば防ぎきれる。しかし、相手の力が上回るならば、シェリウの心と体は痛手を受けるだろう。


 シェリウは歯を食いしばり、その圧力に抗う。


 蛇身の妖魔は止まらない。


 さらに剣を振り下ろす。


 シェリウは、聖句を唱えながら魔術の盾に力を込めた。


 その一撃はさらに力を増している。盾を形作る力とぶつかり合い、軋んだ。その衝撃は、術者であるシェリウを襲う。まるで肩を掴まれて大きく揺さぶられているような感覚だ。


 もう一撃。


 三度目の斬撃は、痛みとなってシェリウの芯を貫く。頭の奥で、何かが弾けたような音が聞こえた。


 眩暈を感じて、体が傾く。膝から崩れ落ちたが、何とか両手をついて体を支えた。鼻から流れ出た血が数滴、地に落ちる。


「シェリウ!!」


 ユハの絶叫が聞こえた。


 妖魔の向こうに、こちらへ駆けてくるユハの姿が見える。


「ユハ……、来ちゃ駄目……」


 叫ぼうとしたが、口から漏れた声はまるで呟きのようで、掠れて小さい。 


 自分はまた選択を誤った。


 シェリウは己の愚かさを呪った。


 月瞳の君に従ってすぐに退いていればこんな事にはならなかった。


 いつだってそうだ。


 幼い頃から、道を間違え続けて、そして、その結果としてこんな所に立っている。賢くなろうと足掻きつづけて、結局自分は何も変わらなかった。愚か者はここで死ぬのだ。


 絶望と共に、再び振り下ろされる剣を見上げる。


 その刃に切り裂かれる覚悟したシェリウの前に、凄まじい速さで跳びこんでくる姿があった。


 妖魔が振り下ろす剣を、ラハトは己の剣で受け止める。目の光が増し、口から青い炎が噴き出した。


 凄まじい金属音とともに、ラハトの体が弾き飛ばされ、シェリウに激突する。しかし、ラハトも、ただ飛ばされているわけではなかった。体を回転させながらその身に受けた衝撃を逃し、そのまま両腕を広げ、シェリウの体を抱いて共に後ろへと転がっていく。


 ようやく止まった所で、ラハトがシェリウの体を離した。 


「ラ、ラハトさん、ごめんなさい」


 体に力が入らず、立ち上がることができない。シェリウはラハトを見上げると、弱々しい声で言う。


「喋るな。少し休んでいるんだ」


 ラハトはそう言うと立ち上がった。そして、すでに目前にまで迫っている妖魔を見上げる。


 剣が振り下ろされた。


 ラハトはまるで踊るように身をひねり、翻しながら、妖魔の剣に打ち当てるように剣を繰り出してその軌道を逸らす。続けざまに襲いくる妖魔の剣を、ラハトは同じように凌いだ。


 蛇身の妖魔はラハトよりもはるかに大きく重い。この体格差では、真正面から斬り合うことは出来ない。力負けをして、すぐに圧倒されてしまうだろう。一方で、機敏さではラハトが優る。そのため、本来ならばラハトは常に動き回り、妖魔を翻弄して戦うべきだった。しかし、シェリウが動けないために、ここに留まるしかない。


 そのため、ラハトは敵と真っ向から斬り合いながら、その力をまともに受け止めないように戦っていた。その体はまるで突風にさらされた若木のように激しく揺れている。


 シェリウも、ラハトがあえて踏みとどまって戦っているのが自分のせいだということは理解できた。そして、このままでは後がないということも感じる。


 このままでは、絶望の時が先延ばしにされただけだ。しかも、ラハトを巻き込んでしまった。


 悔恨の念に苛まれて、シェリウはうめいた。


 



 シェリウの危機を目にした時、ユハは駆け出していた。


 自分に何ができるのか。そんなことは考えもしない。ただ、助けなければ、という衝動に駆りたてられてシェリウの元へ向かう。


 背に負った祝福の剣が、何かに共鳴するように鳴った。


 思わず柄に手を伸ばす。


 背に負ったままではこれまで一度も抜くことができなかった剣を、まるで熟練の剣士のように抜き放った。


 次の瞬間、ユハの中に在る欠片が弾けた。


 愛しさ、悲しさ、怒り。


 感情が、そして力が奔流となって溢れ出す。


 欠片は、まるで祝福の剣を自らの中に取り込んでしまおうとしているように感じた。しかし、それがかなわないがために、必死に手を伸ばすように、その力をもって剣へ繋がろうしている。凄まじい力が、剣を握る手に、全身に満ちていく。己が侵食される感覚。


 駄目だ。この力に身を委ねてしまってはいけない。


 ユハは崩れゆくユハという存在を繋ぎとめようと、必死で抗う。同時に、剣が鳴らす音も一際高まった。それによって、薄れつつあった己の魂が、はっきりと形を取り戻していくのを感じる。


 剣が助けてくれている。


 そう感じた。


 曖昧になった感覚がすぐに明瞭さを取り戻す。体に力が満ちているが、この心はユハ、己自身のままだ。自分は自分のままでシェリウを救う。その決意がユハを奮い立たせる。


 駆けるユハの隣に誰かが並んだ。顔を向けると、それは月瞳の君だった。怒りに満ちた表情で、ユハに言う。


「その剣はあなたの願いに応えてくれるわ! ユハ、あいつを滅ぼしてやりなさい!」


 そんなことは望んでいない。ユハは思った。ただ、自分と大切な人たちを放っておいてほしい。それだけだ。しかし、必死に息を弾ませて走るユハは、答える余裕がない。


「ラハトォ! ユハがそいつをぶち殺すわ! 助けなさい!」


 月瞳の君が叫ぶ。それはまるで獣の吼える声のようだった。


 蛇身の妖魔と激しい戦いを繰り広げるラハトは、こちらを一瞥することもなく、答えを返すこともない。おそらくどんな小さな隙を見せることもできないのだろう。


 あっさり剣を抜くことは出来たが、相変わらず重く、その振り方も分からない。そんな自分が、あんな恐ろしい場所に割って入って、何ができるというのか。ユハは、今更ながらにそのことに気付いた。その一方で、あの戦いを止めることができる、という根拠のない確信がある。


 近付くにつれて、祝福の剣が発する音は高まる。 


 妖魔の攻撃が止んだ。


 動揺した。


 ユハはそう感じた。


 蛇身の巨体が僅かに後退する。


 その隙にラハトがシェリウの方向へ体を向けた瞬間、妖魔の尾が跳ねた。弧を描いた巨大な縄のような尾が振り下ろされ、ラハトは激しく叩き伏せられる。地面に激突した体が大きく跳ねた。


 寝そべったままのシェリウが、悲鳴を上げ、上体を起こし手を伸ばす。 


「いい加減にしろ!!」


 月瞳の君が、絶叫と共に妖魔に跳びかかった。その手には、鉤爪のような刀身をもつ長柄の鎌が握られている。


 振り下ろされた刃が、妖魔の左腕を切り裂いた。何匹もの蛇が解けるように零れ落ちる。しかし、妖魔も反撃した。切り払われた刃を、月瞳の君は飛び退いて躱す。さらに止まることなく振り下ろされた剣を、鎌の柄で受け止めた。両手で鎌を支える月瞳の君は、巨躯に圧し掛かられて押しつぶされそうだったが、膝立ちになりながらも耐えていた。


「ユハ、今よ! あなたの力と、剣の力をこいつにぶつけなさい!!」


 刃の下で、月瞳の君が叫ぶ。


 ユハは剣を抱きかかえるようにして妖魔に向かった。それはとても剣の構えとはよべないものだったが、ユハも剣を振るうつもりはない。今、自分が何をするべきなのか、全てが分かる。祝福の剣が導いてくれる。


 駆け寄りながら、ユハは剣を高く掲げた。


「……旧き者よ、ここはあなたのいるべき場所ではありません。あなたの真の主はもうここにはいない。どうか、安息の寝所へ、微睡まどろみときへお還りください」


 ユハは、言葉と共に剣の切っ先を妖魔へ向けた。


 兜の奥の赤い光が明滅し、上体が仰け反る。


 次の瞬間、その巨体の表面を小さな雷光が無数に奔った。


 妖魔の体が激しくうねり、後退していく。


 その体が大きくなった。ユハはそう感じた。しかし、それは錯覚だった。互いに絡み合った蛇たちが、ほどけ、離れつつあるのだ。その為に、絞り上げられていた肉体が緩み、広がっていた。


 大きな音を立てて鎧や兜、そして剣が地面に落ちた。


 氷が融け崩れるように、妖魔の体は無数の蛇となり、地面に流れ落ちていく。地に転がっている武具も、端から塵となって宙に舞い散っている。


 蛇の大群は、次々と運河の水面に消えて行った。


「何よぉ。追い返しただけなの?」


 月瞳の君が、不満げな表情で立ち上がった。


「それで十分です」


 ユハは頷く。早くシェリウとラハトを癒さなければ。そう思い振り返ったユハは、悲鳴のような声を上げた。


「シェリウ!!」


 倒れていたはずのシェリウが立ち上がっている。しかし、自力で立ったのではない。シェリウは、鋭い視線をこちらに向ける女、ルミヤに抱えられていた。シェリウの喉元には、帯が巻き付けられ、その顔は苦しげに歪んでいる。


「……ユハ、ごめんなさい」


 掠れた声でシェリウが言った。涙をにじませたシェリウを見て、ユハの胸は締め付けられる。


 傍らに立った月瞳の君が、擦過音にも似た威嚇の唸りをもらした。


 少し離れた場所で、ラハトは倒れたまま動かない。彼に頼ることはできないのだ。自分たちで何とかするしかない。


「あなた達を甘く見ていた……」


 ルミヤは、ユハを見つめながら言った。


「お姉さま……」


 弱々しい足取りで、娘がルミヤに歩み寄る。


「ティアンナ、大丈夫なの?」

「ええ、何とか」

「シェナの容態は?」

「ティアンナ様の癒しが間に合いました」


 男が答える。


「血止めをして少し活力を与えただけだから、すぐに癒し手に診せないとだめ」


 ルミヤにそう言った後、ティアンナはユハを見て、月瞳の君へ視線を据えた。


「あなたは精霊ですね」


 ティアンナの言葉は、問いというよりも断定だった。月瞳の君は厳しい表情を浮かべたまま答えない。ティアンナは視線をユハに向けた。


「その剣は、マムドゥマ村にあった聖遺物……。やはり、あなた達が手に入れていたのね」

「あの呪いはあなた達の仕業ですか?」

「ええ。見事にあなた達に祓われてしまったけど」


 ティアンナは弱々しい笑みと共に頷いた。


「ヌアキ、シェナを連れて戻りなさい」


 ルミヤは、男に言った。


「はい……、しかし……」


 ヌアキと呼ばれた男は、剣を手にしたまま地に倒れ伏すラハトに目を向けた。


「ラハトに手を出したら、八つ裂きにするわよ」


 月瞳の君は、唸りと共にヌアキを睨み付けた。


「分かっているとも、精霊よ。我々も痛手を受けた。あなたが本気で襲って来れば敵うまい」


 ヌアキは肩をすくめた。


 ティアンナは溜息をつくとユハと月瞳の君を見やる。


「私たちは実質、敗北した。これ以上無駄な戦いをするつもりはない。……私の魔術を防ぎ、皆を寄せ付けず、『聖墓の守り手』を送り還した。聖墓の守り手は古き盟約に縛られた強大な妖魔。それを退けるなんて信じられない」

「……お願いです。私たちを放っておいてください。私はただ、故郷に帰りたいだけなんです」


 ユハは強張った表情を浮かべて言った。ルミヤはユハを見つめた後、口を開く。


あるじはあなたの力をとても評価しておられる。私は半信半疑だったけれど、身をもって理解したわ。こんな優れた護衛に守られて、強大な精霊を従え、旧き妖魔を退ける。災厄の主の信徒よ……。あなたはまさしく、主が求めるに相応しい者」

「私は、あなたの主に用はありません」

「そういうわけにはいかないの。あなたが主の招きを断ることはゆるされないわ」


 ルミヤは微笑むと頭を振る。そして、拘束しているシェリウに目を向けた。


「といっても、あなたも素直についてこないでしょうね。だから、この娘を預かるわ」


 首元を締める帯を引き上げる。シェリウの表情が苦しげに歪んだ。


「駄目……。ユハ、あたしのことは気にしないで、逃げて……」


 シェリウが呻くように言葉を発する。


「そんなことできないよ!!」


 ユハは思わず叫んだ。ルミヤが笑みを大きくする。


「麗しい友情ね。そうでなければ困るわ」


 ユハは思わずルミヤを睨み付けた。ユハとして、人を怨んだり憎んだことはあまりないが、この時ばかりは怒りと憎しみが激しく感情を揺さぶった。欠片が己の奥底で蠢く。


「さて、ここでお喋りしている場合ではないのよ」


 ルミヤは小さく首を傾げると、一気に帯を締めあげた。ぐぅ、と唸りのような声を漏らした後、シェリウの体が力を失った。ルミヤはその体を抱くようにして支える。


「シェリウ!」

「大丈夫よ。死んではいないわ。ただ失神しただけ。魔術を使われると厄介だから、大人しくしてもらったのよ」


 ルミヤは笑みと共にシェリウを肩に担いだ。


「お友達が大事なら、あなたが世話になっていたカドラヒという男の商会に戻りなさい。すぐに、使いを出すわ。それまで、大人しく待っているのよ」

「精霊よ。迂闊な手出しは控えてください。私の力もほとんど残っていませんが、あなたがこの娘を取り戻そうと襲いかかってきたならば、道連れにすることくらいはできますから……」


 ティアンナが月瞳の君に言う。月瞳の君は鋭い犬歯をのぞかせて口元を歪めた。  





 

 体を暖かい力が満たす。


 暗黒の海から急速に意識が浮かび上がる。


 ラハトは、素早く上体を起こすと、自らを覗き込む人影の腕を手繰った。


 跳ね起きると共に、引き込まれて前のめりになるその体の背に回り、首へ左腕を回した。締め付けながら、右腕で短剣を抜く。


「ラハト! 落ち着きなさい!!」


 聞き覚えのある女の声に、ラハトは動きを止めた。ぼやけていた視界が鮮明になり、自分の腕の中にいるのがユハだと気付いた。


「ユハ……、すまない、大丈夫か?」


 ラハトは言いながら腕を解いた。


「大丈夫です。ラハトさんこそ、体の調子はどうですか?」


 首をさすりながらユハが問う。


「何の問題もない。癒してくれたんだな」

「はい」


 ユハが頷いた。ラハトも頷くと、周囲に目をやる。運河の辺でこの場にいるのは自分とユハ、月瞳の君の三人だけだ。


「シェリウはどうした」

「……連れていかれました」


 ユハが悲痛な表情で答えた。


 太守の手の者の姿はない。妖魔もいない。戦いに負けたわけではないようだ。そうなると、シェリウだけが人質として捕まったということになるのか。


「すまない。俺のせいだ」


 ラハトは深く頭を下げた。ユハが目を見開くと、ラハトの肩を掴む。


「謝らないでください! ラハトさんのせいじゃありません!」

「そうよぉ。あんたはしっかりやってたわ。敵が強かっただけよ」


 月瞳の君が言う。ラハトは小さく頭を振った後、ユハを見つめた。


「それで、奴等は何を要求してきた? シェリウを取引の材料に使う気だろう?」

「私の身柄だと思います。まずは、カドラヒさんの所へ戻れと言われました。そこで使いを待つようにって……」

「カドラヒ……? 奴は太守と手を組んでいるのか?」

「そんな訳ありませんよ。カドラヒさん、マムドゥマ村のことでとても怒ってましたから」


 ユハの答えに、ラハトは頷いた。


「ああ、そうだな」


 ユハを留めておく分かりやすい窓口としてカドラヒを使うつもりなのかもしれない。いずれにしても、リドゥワにいる限り、太守の目からは逃れることができないということだ。


「……ユハ、どうする。このままリドゥワから出るか?」


 ラハトの言葉に、ユハは衝撃を受けたようだった。


「どうしてそんな! シェリウを見捨てるっていうんですか!?」


 その叫ぶような問いに、ラハトは静かに答える。


「お前を守るのが俺の仕事だ。このまま罠に飛び込むことが正しいとは思えない」

「嫌です! シェリウを置いて何て行けない!」 


 ユハは激しく頭を振った。


「罠だと分かっていてもか?」

「シェリウを見捨てて、私が生きている意味なんてない!」

「そうか……」


 ラハトは一つ息を吐きだすと、ゆっくりと立ち上がった。厳しい表情の月瞳の君と視線を合わせ、ユハに顔を向ける。 


「シェリウを救い出そう」


 ユハは決然とした表情で頷いた。

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