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砂塵の王  作者: 秋山 和
燎原、赤く染まる
163/220

11

 激しく上下する鞍上で、中腰になって平衡を保つ。


 もう敵は目の前だ。睨み付ける先で、戦士たちが隊列を組んで槍の穂先を連ねた。


 その動きには乱れはあったものの、一端いっぱしの歩兵部隊と評価してもいいだろう。もし、戦場にいる戦士たち皆がその動きを保っていたならば、今ここに自分はいなかったかもしれない。本陣を守るだけあって、統率が取れた戦士たちだ。


 イハトゥは口の端を歪める。


 たとえ練度が高いとはいえ、その数の歩兵が、付け焼刃の連繋と短い槍で迎え撃てるほど重装騎兵の突撃は甘くない。騎兵槍は長い。恐鳥の足の速さと相まって、歩兵たちの槍が届くことなく彼らを傷つけ、葬ることができるだろう。


 すぐに戦士たちへと迫る。


 決死の表情で槍を構える戦士たち。


 イハトゥは、脇に抱えた騎兵槍をすくい上げるようにして小さく払った。


 騎兵の突進力は凄まじい。その穂先は簡単に人を貫くが、深く突き刺さってしまえば槍はそのまま使えなくなる。戦場を思うがままに駆け抜けるために、槍を手放すわけにはいかない。そのため槍のしなりを活かした、かすめ切るような使い方をすることになるが、重装騎兵の突進力を活かせば、穂先が触れるだけで大きな傷となる。


 絶叫と共に立ち塞がった戦士は、槍の柄ごと頭を割られて、血を噴き出しながら仰け反った。


 恐鳥を駆りながら、戦士たちの中へ躍り込む。槍を跳ね上げ、振るい、次々と戦士たちに出血を強いた。


「隊長に続け!!」


 騎兵たちは、口々に叫びながら恐鳥を駆る。


 隊の者たちは、この若く、傍若無人な隊長を敬愛していた。ここで隊長を死なせてはならない。兵たちは、先頭を切って駆けるイハトゥを守るようにして、疾走する一つの槍となる。 


 ひしめく戦士たちの向こうに、この流れを操るものがいる。血煙とともに駆けるイハトゥは、その流れを感じ取りながら目を凝らした。


 戦士たちを蹴散らすイハトゥの前に立ち、碧い瞳でこちらを見つめる一人の男。


 狂乱に満ちた戦場の只中では場違いな穏やかで静かな表情を浮かべている。その優しげで女のような整った容貌は、禍々しい紋様で彩られていた。それは、聖導教団によって刻まれた紅旗衣の騎士の証だ。


「お前は!!」


 イハトゥは驚きに目を見開く。


 その男は、イハトゥの父である第三軍将軍ヴァウラに認められていた紅旗衣の騎士だ。奴隷上がり風情がなぜ父に重用されるのか、常々疑問に思っていた。確かに武勇に優れた男であることは認めざるを得なかったが、それだけだ。父親は、元々の古巣であり、子飼いの部下たちである紅旗衣の騎士を特別扱いしている。イハトゥはそう思っていた。


 イハトゥは叫んだ。


「お前は、シアタカァ!!」


 西からカラデアへやって来るという大蟻を操る人々。


 紅旗衣の騎士が捕虜である蟻使いの娘を連れて脱走した。


 追撃した部隊をカラデア軍が迎撃した。


 沙海に来て読んだ様々な報告の中にあったそれは、ここに来るまで記憶の中に紛れて忘却していた。しかし、その記憶の断片は蘇り、浮かび上がった欠片が組みあがって一つの形になる。


 シアタカが蟻の民の軍勢を率いて沙海へ戻ったのだ。


 その結論は少し飛躍しているものだったが、イハトゥの中ではすんなりと腑に落ちる。


「裏切り者め……。殺してやる」


 イハトゥは呟くと、槍の穂先をシアタカに向けた。





 凄まじい勢いで迫る恐鳥。


 シアタカは無言で大槍を構えると、イハトゥを待った。


 伸びてくる槍をかわし、突進してくる恐鳥の前を衝突すれすれで横切ると、その首めがけて大槍を繰り出した。しかし、イハトゥはシアタカの鋭い突きに反応して、恐鳥の首へ迫る刃を盾では阻んだ。激しい音と共に大槍は弾かれた。


 イハトゥを乗せた恐鳥はその場を駆け抜けると、素早く反転する。そして、逆手に槍を握ると、柄を肩に担ぐようにして穂先をシアタカに向けた。騎兵槍を脇に抱えた構えは、あくまで騎兵が突撃する時のものであり、乱戦となって左側に敵がいる場合、恐鳥の体や盾が邪魔になって素早い攻撃が繰り出せない。そのために、イハトゥは構えを変えたのだ。シアタカは、そこに自分を仕留めようという強い意志を感じ取った。


 雄叫びとともにイハトゥが恐鳥を駆る。


 手綱さばきとともに恐鳥が爪で蹴りつけた。


 飛び退いたシアタカへ、上から騎兵槍が突き下ろされる。半ば倒れ込むようにしてその一撃をかわした。肩をかすめる刃を気にすることなく後方に転がり、跳ね起きる。追いすがり再び突き出された穂先を、大槍で叩きつけるようにして払いのけた。


 イハトゥは姿勢の崩れた体を盾でかばいながら恐鳥を後退させる。


 二人は、互いに槍の穂先を突き付けあったまま睨み合った。


「シアタカ……。なぜこんな所にいる」


 イハトゥの唸るような問いに、シアタカは答える。


「為すべきことを為すために」

「為すべきことだと? 聖女王陛下と第三軍を裏切り、蛮族に与することが為すべきことだって言うのか?」

「今のウル・ヤークスは、聖なる教えに背いている。俺は、聖なる教えを守り、自分の犯した罪を償うためにここにいる」

「教えに背いているのはお前だ、シアタカ!! お前は、奴隷上がりの分際で、救ってもらった恩も忘れたのか!!」


 イハトゥの怒りに満ちた叫び。シアタカは頭を振った。


「恩を忘れてはいない。だから、皆、ここで無駄死にしてほしくないんだ。イハトゥ千人長、これ以上同胞が死ぬ前に、沙海から撤退してくれないか?」


 イハトゥは呆気にとられた表情を浮かべる。そして、開かれた口はゆっくりと笑みを形作った。しかし、その瞳は殺意に満ちている。


「シアタカ……、お前がそんな愉快な奴だとは知らなかったな。もう少し仲良くしておけばよかったよ」

「同感だ」


 頷くシアタカ。イハトゥは睨み付けると言う。


「殺してやる」


 恐鳥が砂を蹴った。


 騎兵の歩兵に対する優位性は突進力だけではない。常に歩兵より高所から攻撃できることは有利だ。そこに、騎兵槍のような長い武器が加われば、歩兵にとって抜け出すことのできない悪夢となるだろう。


 イハトゥもその利点を生かして、雨のように間断なく突きを浴びせかけている。巧みに恐鳥を操り、追い詰めるようにして槍を繰り出してくるのだ。調律によって身体能力が増しているシアタカでも、この鋭い連続した刺突の中で隙を見出すことができない。乱戦の中、執拗に追いすがる攻撃をかわし、受け流し、跳ね除ける。


 しかし、その突きにも目が慣れ始めた。何度も突きを捌きながら、機を計る。


 突き下ろされる騎兵槍と振り上げた大槍の刃がぶつかった。


 その瞬間、シアタカは槍をその場に残して跳躍している。


 目を見開くイハトゥ目掛けて、腰の刀を抜き打ちで斬りつける。咄嗟に仰け反ったイハトゥの兜を刃が打った。紅い刃は兜を切り裂き、その下の額を傷つける。


 苦痛と怒りの唸りをあげるイハトゥへ、地に降り立ったシアタカは続けざまに刀を繰り出した。


 イハトゥは騎兵槍を振り回してその一撃を阻む。槍は柄から斬り飛ばされた。武器を失ったイハトゥは、手綱を引いて恐鳥を動かし、シアタカへ盾を向けながら腰の剣を抜く。


 横合いから絶叫と共に恐鳥騎兵が飛びこんでくる。


 追撃しようとしていたシアタカは、大きく飛び退いてそれをかわした。


 騎兵は、シアタカを威嚇して槍を何度も突き出す


「隊長! 退いてください! 撤退が始まっています!!」


 イハトゥを庇うようにもう一騎の騎兵が並び、イハトゥに叫んだ。次々と騎兵がイハトゥの周りに集い、鎧の壁となる。


 シアタカはその場に立ったまま、視線を遠くに向けた。


 生き残ったウル・ヤークス兵たちは何とか態勢を立て直し、互いに庇いあいながら戦場から逃れようとしている。


 対するキシュガナンの戦士たちは、ほとんどが手を出すことなくそれを見送っていた。


 冷静さを取り戻したのか。


 シアタカは安堵の息を吐く。


 敵に勝利しても、撤退する時に追撃をしない。この戦いの前に、シアタカはそう厳命していた。その命令を思い出してくれたようだ。強化された視力が、ウァンデやエイセンが戦士たちに指示している姿も見える。


「帰ってヴァウラ将軍に伝えてほしい。シアタカが『わかたれし子』として、王国の過ちを正すために帰って来たと」


 シアタカはイハトゥに顔を向けると言った。


「お前は何を言っているんだ?」


 イハトゥの表情に困惑の色が浮かんだ。


「言えば分かる。そして、このまま沙海から去るように進言するんだ」

「父上がそんなことを聞き入れるものか」


 額から流れる血をそのままに、イハトゥは顔を歪めて笑った。


「だとしたら、仕方がない。皆、この砂に沈むだけだ」


 答えたシアタカを睨み付けて、イハトゥは鳥首をめぐらせる。そして、部下と共に駆け出した。


 シアタカは刀をおろし、その背中を見送った。







 戦場は狂乱から覚めた。


 多くの骸を残して、ウル・ヤークス軍は退いて行った。


 キエサは、ワザンデとガヌァナと共に、ウル・ヤークス軍を退けた戦士たちの元へ向かう。


 長衣をみにまとい、槍を持った戦士たちの中から一人、異貌の者がこちらに歩んできた。大柄な体躯の後ろで、長い尾がゆったりと宙に弧を描いている。


「カナムーン!!」


 キエサの呼び声に、鱗の民がゆっくりと右手を上げた。そして、キエサたちの前に立ち、口を開く。


「やあ、キエサ。無事で何よりだ」

「お前こそ……。本当に援軍を連れて戻って来てくれたんだな」


 キエサは大きく息を吐いた。この援軍がなければ、戦いがどうなっていたのか。悪い結果しか思い浮かばない。やはりウル・ヤークス軍は強い。今回も勝ったが、何度も奇策を使えるわけではない。いずれ、敵と正面からぶつかり合うことになるだろう。その時、キシュガナンの戦士たちがいることは、心強い。


「私は約束を守る。できないことは約束をしない」

「ああ、そうだったな」


 平坦なカナムーンの答えに、キエサは苦笑した。そして、傍らのガヌァナとワザンデを示して言う。


「カナムーン、ガヌァナ殿とワザンデだ」

「初めまして。カナムーンという」

「ンランギ、千騎の司ガヌァナだ。偉大なる鱗の民の戦士よ。此度の援軍に大いなる感謝と敬意を捧げる」


 ガヌァナはカナムーンに深く一礼した。カナムーンは小さく喉を膨らませると、答える。


「私はただ彼方の地で彼らと交渉したにすぎない。あなたのその心は、彼らに贈ってほしい」


 カナムーンの言葉に、ガヌァナが微かに眉根を寄せた瞬間、大きな声が響いた。


『アシュハール……』


 集った戦士たちが、一斉にそう唱和したのだ。


 その厳かな響きには、恐れや敬意が感じ取れる。


 キエサが驚き戦士たちに顔を向けると、彼らは跪きながら同じ言葉を再び唱和した。


 その声を背に受けながら、一人の男がこちらに歩いて来る。


「お前は……、シアタカ?」


 デソエからの脱出を手助けしたウル・ヤークスの男。国を裏切りキシュガナンの娘を助けた男が、目の前に立っている。


「久しぶりだ、キエサ」


 シアタカは頷くとキエサを見つめた。


「……お前がこの戦士たちを率いているのか?」


 恭しく跪く戦士たちを見て、シアタカが彼らの中で高い地位にいることは間違いないはずだ。アシュハールという言葉の意味は分からなかったが、何かの称号なのだろうとキエサは推測した。


「正確に言うと俺と仲間たちなんだが……」


 シアタカの指差した先には、金髪の女や、沙海で出会ったキシュガナンの兄妹が立っている。


「どうだね、キエサ。彼らを助けておいてよかっただろう。小さなデソエの抜け道など、問題にならないほどの価値だ」


 大きく喉を膨らませたカナムーンに、キエサは苦笑した。


「ああ、そうだな。本当に、カナムーンは賢い奴だよ」

「キエサ、俺はキシュガナンとともにウル・ヤークスと戦う。俺は、味方だ。まだ疑っているだろうが、それだけは信じてほしい」


 シアタカが静かな口調で、しかし力を込めて言った。


 初めて出会った時のシアタカへの己の態度を思い出して、キエサは小さく頭を振った。


「信じるさ。何より大きな証を見せてくれたんだからな」


 キエサは、シアタカを見つめた。その碧い瞳は、揺らぎなくキエサの視線を受け止める。この男は黒石の心に触れた男だ。ダカホルは黒石の力を感じ取れると言った。だとすれば、大いなる黒石はカラデアを守り、救うためにシアタカを導いたのかもしれない。


「シアタカ。お前たちを頼りにしている。俺たちを助けてくれ」

「ああ。よろしく頼むよ」


 シアタカは深く頷いた。


「しかし、大した策だったな。あの大蟻があんな風に戦えるなんて思いもしなかった」


 キエサは振り返ると、地にひしめく大蟻の群れを見やる。


「隠れんぼう……」

「何?」


 キエサは怪訝な表情でシアタカを見た。


「前に聞かれただろう? 隠れんぼうで遊んだことはないかって。俺は遊んだことがなかった。沙海ではあなた達に驚かされてばかりだったからな」

「だから自分が驚かせてやろうと思ったのか?」


 確かに、あの時鱗の民を砂に潜らせてウル・ヤークス軍を迎え撃った。シアタカはそれを再現したということだ。キエサは思わず笑った。


「それで、上手くいってどんな気分だ?」

「……あまり良い気分はしないな」


 シアタカは、屍に満ちた戦場を見て呟くように答えた。

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