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砂塵の王  作者: 秋山 和
燎原、赤く染まる
156/220

4

 夜は更ける。


 町の人々と歓談していたカドラヒが、再びユハたちの元にやって来た。


 少し酒を飲んで奇妙な浮遊感を味わっていたユハは、頬を叩いて気を取り直す。


 そんなユハの様子を見て、カドラヒは不思議そうな顔をする。ユハは、居住まいを正して彼を見つめた。


「カドラヒさん、マムドゥマ村でのことでお話があります」 


 その言葉を聞いたカドラヒの目が鋭く光った。


「何か分かったのか?」

「確実なことではありませんけど……」

「構わねえ。聞かせてくれ」


 身を乗り出したカドラヒは強く頷いた。


「……まず、私たちが追われている身であることから説明させてください」

「ああ、それは知ってるが、今回の事と何か関係があるってのか?」


 ユハは大きく息を吸い込んだ。シェリウと顔を見合わせ、頷く。


「私たちを追っているのは、聖王教会です」


 カドラヒは微かに目を細めると、顎に手を当てた。


「……そいつはまた、やばい相手を敵に回したな」

「疑っていますか?」

「いや、信じるよ。あんたがこんな時にくだらない冗談を言うとは思わねえからな」

「ありがとうございます」

「それで、ユハ、あんたは何をやらかしたんだ?」


 カドラヒはにやりと笑う。


「ユハを罪人みたいに言わないでください」


 シェリウが顔をしかめてカドラヒを睨んだ。


「ユハが特別な“力”を持っているのは、カドラヒさんも感じたと思います。教会は、その力を求めているんですよ」

「ああ、そういうことか……。そいつは大変だな。だが、教会の世話になったら、一生安泰だろ? その癒しの力があれば、皆がちやほやしてくれるんじゃねえのか?」

「一生、鎖に繋がれることになるんです。自分が自分であることも忘れさせられて……」


 険しい表情で言うシェリウ。カドラヒは絶句すると、頭を抱えて小さく仰け反った。


「……悪かったな。そんな恐ろしい話とは思わなくてよ」

「いえ、平穏に生きていれば、そんなことは考えもしません」


 右手を上げて謝罪するカドラヒに、ユハは答えた。


「しかし、教会相手だと、ラハトやシアがいても分が悪いな」

 

 カドラヒは唸りながら顎をさする。


「だから道案内が必要なのよねぇ」


 月瞳の君が目を眇めてカドラヒを見る。カドラヒは口の端を歪めて両手を上げた。


「ああ、分かってる。待たせて悪いと思ってんだよ」

「まあ、帰ってこないのは仕方ないわ。待つしかないわねぇ」


 そう言ってこちらを見た月瞳の君に、ユハは頷いて見せた。


「それで、マムドゥマでのことは教会が関係してるって言うのか?」

「いえ、違います」 


 シェリウが頭を振った。


「先日、私たちは町の食堂で昼食を食べていました。その時、太守が食堂を訪れたんです」

「ああ、その話は聞いてるよ。ちょっとした騒ぎになったそうだな」


 カドラヒは話題の転換に困惑しているのか、微かに眉を寄せて頷く。


「太守は、ユハを見るために現れたんです」

「何だって?」

「ユハのもつ特別な力を確かめるために……。太守もユハの力に気付いたのだと思います」


 カドラヒは目を見開くと、ユハを見つめた。


「ちょっと待て。ユハの力に気付いたって……、もしかして、マムドゥマ村でのことを知ったってのか?」

「おそらくは……」


 シェリウが頷く。カドラヒの目が据わった。発せられた声は低く、抑えられている。


「……太守があの呪いに関係しているって言うんだな?」

「私たちはそう考えています」


 カドラヒは歯噛みした。きしむ音が微かに耳に届く。


「馬鹿にされたもんだぜ……。太守からすれば、農民なんざ刈り取ってもすぐに生えてくるとでも思ってるんだろうな」


 獣が唸るようなその声からは、怒りが伝わって来る。


「善人は金持ちになれない。あんたが言ったでしょう? 昔から、命を数として数えることができる者だけが、権力を握ってこれたのよ」

 

 月瞳の君が微かに口元を歪めた。


「金勘定みてえに、収支と損得だけを考えれば良いってことか……」

「そういうことねぇ」


 カドラヒは大きく息を吐き出すと、うつむいた。


「カドラヒさん……」


 ユハはおずおずと手を伸ばすとカドラヒの肩に触れる。カドラヒは顔を上げるとその手を見て、ユハに顔を向けた。


「ああ、ユハ。あんたの手は、本当に暖かいな」


 一転して明るい表情になったカドラヒは、皆を見回した。


「俺もまだまだ甘いよな。金持ち目指して頑張らねえとな!」

「……でも、今のカドラヒさんを忘れないでくださいね」


 カドラヒは、そう言って自分を見つめるユハから顔を逸らす。


「ああ、そうだな」


 呟くように答えた。 


 深刻な表情をしているユハたちをよそに、人々は笑い、歌い、宴を楽しんでいる。


 しかし、その祝宴は暴力的な音によって遮られた。


 机が倒れ、食器や杯が地面に転がる。怒号と、悲鳴が響いた。


「道を誤りし愚かな異端者どもよ! 聖女王陛下を愚弄する汚らわしい儀式を止めよ!!」


 甲高い男の声。


 その男は、背が高く、痩せていた。僧衣の上に銀糸が縫い込まれた肩掛けを羽織っている。司祭位を表すものだ。男の周囲には十人の屈強な男たちが付き従っている。彼らは、僧衣を着ているが、猛々しい雰囲気を漂わせ、手には太い棒を持っていた。それは明らかに武器として使う物だ。


「私どもはささやかな宴を催しているだけです。何か問題があるのでしょうか」


 老人がそう言いながら進み出ると、司祭の前に立った。


「問題だと? 聖女王陛下に信仰を捧げることなく、古の邪霊を崇める異端の教えが問題ではないとすれば、何が問題だというのだ!」

「じゃ、邪霊など、崇めてなどいません」

 

 老人の抗議は司祭の手で遮られた。


「魚の魔物や海の精霊を崇めているではないか。この儀式も聖女王陛下の御世を呪うものであろう」

「そんな馬鹿なことは」

「黙れ!」


 司祭が老人の頬を打った。老人はその場に倒れこむ。息を呑んで見守っていた人々から悲鳴と怒りの声があがった。


「異端者ども、王国を蝕む罪人どもよ! 悔い改めよ!」 


 右手を上げた司祭に応じて、男たちが机や台を蹴倒し始めた。さらに、詰め寄る者たちを棒で叩く。


「糞野郎が……」


 カドラヒが唸り立ち上がろうとした瞬間。


「止めなさい!!」


 鋭く響き渡る声。立ち上がったシェリウは、まなじりを決して司祭に歩み寄る。ユハは驚き、咄嗟に動くことができなかった。


「何だ小娘! 歯向かえば女と言えど容赦はせんぞ!」 

「他教派の祝宴に乱入し、力を以てその場を乱すなど、恥を知りなさい! 『典礼は平穏と共にある。白き月、湧き出る泉のごとくあれ』!」


 シェリウの言葉を聞いた司祭は、口の端を歪めた。


「ほう……、異端者のくせに、新典を学んでいる者もいるのか。面白い」


 腕組みして胸を張ると、司祭はシェリウを睨んだ。甲高い声で言う。


「『清き泉の水も、穢れた水瓶にて毒となる。汝、その水瓶を打ち砕け』! アユルム記、九章、十五節!」

「『己の目を疑え、己の耳を疑え、己の舌を疑え。麗しの乙女は飢えし亡者。救済の福音は怨嗟の呪詛。良き葡萄酒は苦き泥水。汝、惑わされることなかれ』! イサイール記、二章、八節!」 


 司祭の自信に満ちた表情は、シェリウの言葉を受けて歪んだ。


「『偽りの言葉は魂を迷わせる。偽金の輝きは救済の明かりにあらず』! アユルム記、十五章、二節!」

「『救いは何者にももたらされる。我らと彼らの教えに真贋はなく、歩む道は違えど、先に待つ光を同じく仰ぐ』! キェーラ記、十二章、二十三節!!」

「ぐっ、貴様……」 


 シェリウの反論を受けて、司祭の顔はますます醜く歪んだ。


 司祭はなおも聖典、教典を引用してシェリウに挑むが、ことごとく打ち砕かれていった。


 最初は不安なまま成り行きを見守っていたユハだったが、シェリウの独壇場となった今、落ち着くことができた。説法問答となれば、シェリウに敵う人はいないのではないか。修道院の日々を思い出して、そう思う。修道院の姉妹たちは、シェリウは聖典の引用で会話ができる、とよく冗談で言っていた。


 司祭はみるみる顔色が青ざめていく。そして、後ろによろめいた。男が慌ててその体を支える。 


「も……、もう良い。異端者どもよ。これに懲りて悔い改めるがよい。……今日はここまでにしておいてやろう」


 弱々しい声で司祭は言うと、男たちに手を振った。男たちは戸惑った様子で顔を見合わせる。一人が司祭に聞いた。


「司祭様、良いのですか?」

「今日の教導はこれで終わりだ。今後、異端の教えを捨てねばまた来るからな」


 司祭はシェリウを睨みつけると、踵を返して歩き始めた。男たちは慌てて後に続く。


 通りの向こうの暗闇にその姿が消えた瞬間、人々が歓声を上げた。一斉にシェリウを囲み、目を輝かせて賛辞を口にする。ユハはその中に入って行けずに、外から見守った。


 やがて、興奮が収まった人々から解放されたシェリウは、ユハたちの元に戻った。


「シェリウ、あんたは大した奴だな!!」


 カドラヒは笑顔でシェリウの肩を叩く。


「説教大好きなシェリウの本領発揮ねぇ。……あら?」


 月瞳の君はにやにやと笑みを浮かべてシェリウの顔を覗き込んだ。そして、目を瞬かせるとユハに顔を向ける。


 うつむいていたシェリウが顔を上げる。泣き出しそうに顔を歪めていた。


「ご、ごめんなさい。黙っていられなくて。余計なことをしました……」


 そう言ったシェリウは、再びうつむいた。こんな意気消沈したシェリウを見るのは初めてだ。


「そんなことない!」


 ユハは思わずシェリウを抱きしめた。


「シェリウはとても立派だったよ。力で押さえつけようとしたあの人たちを、教えによって跳ね除けたんだ。善き信徒として、本当に正しいことをしたんだよ」


 シェリウは潤んだ瞳でユハを見た。ユハは頷くと、その体を抱く腕に力を込める。


「ありがとうシェリウ。皆あなたに感謝してるんだよ。だから笑って。ね?」


 シェリウは、ゆっくりと頷いた。 

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