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砂塵の王  作者: 秋山 和
導かれし者たち
148/220

27

 荒れ狂っていた風によって巻き上げられた白砂は今も宙を漂い、まるで霞がかかったように世界を覆っている。


 ワゼを待ち構えていた人々は、颶風が去ってすぐに出立の準備を始めた。


 すでにワザンデは囮の役目を果たす先遣部隊とともに北に向かっている。特に騎乗と弓の腕に優れた精鋭。そしてユトワの司祭によって呼び出され、守りとして付けられた妖魔も共にいる。彼らが敵の目を引き付けている間に本隊は北に向かわなければならない。


 一帯を襲った大きなワゼは、北西の方向へ吹き抜けて行った。北東へ向かう自分たちとは同じ進路ではないが、空兵たちはあえて凶暴なワゼを追うようなことはしないだろう。目眩ましとしての役割は十分に果たしてくれている。


「キエサ隊長。ありがとうございます」


 壮年のルェキア族の男が笑みを浮かべて言う。彼はワゼンデとともに最初に援軍ととして駆けつけた一人で、ここまでずっと共に戦ってきた。経験豊かな彼に何度助けられたか知れない。


「正直言って、カラデアの民はルェキアを見捨てると思っていました。それが、キエサ隊長が一番に助けるべきだと言ってくれた。沙海の英雄が言い切ってくれたのだから、こんな心強いことはなかったですよ」


 長い歴史の中で、カラデアとルェキアの関係は必ずしも良好であったわけではない。両者の間でこれまでも度々争いがあり、時折カラデアやデソエを襲う野盗の中にはルェキア族のはぐれ者が混ざっていることも多い。カラデアとルェキアの関係は、友好と緊張の間を常に揺れ動いている。共に黒石を崇拝しているが、その生活や習慣の違いもあって、互いに相手を完全には信用してはいないのだ。


 キエサもそれをよく理解している。だからこそ、自分が向かうと宣言しなければならなかった。ルェキア族だけに援軍に向かわせても、それはカラデアが事態を放り出しただけと思われる恐れがある。しかし、カラデア兵ではルェキア族に付いて行くことはできずに足を引っ張るだけだろう。


 ラワナたちと話したことで、キエサは自分の立場と価値を自覚した。キエサという男は、この同盟軍の中で象徴の一つとなっている。カラデア兵を同行させることはできないが、英雄という象徴が共に戦うことで、カラデアはルェキアを見捨てないという姿勢を示すことができるのだ。


「俺たちは共に戦ってきた仲間だろう? 仲間の家族は俺の家族だ。見捨てることなんてできないさ。それよりも、カラデア兵を出せなくてすまない」

「カラデア人には無理なことは皆分かってますよ。一刻を争うって時に、鞍から落ちた奴らを助けてる暇なんてないですからね」


 からかうような笑みに、キエサも苦笑で応じた。


「俺も気を付けないとな」

「キエサ隊長くらいなら、何とかなります。ワザンデからもしつこいくらいに言われてますからね。皆が守りますから安心してくださいよ」

「ああ、助かる」

「守り手様も守らないといけませんね。まあ、ンランギの戦士たちは大丈夫でしょう。奴らは砂漠でも戦い慣れているらしいですから」


 男はダカホルやラワナ、ワアドと話しているカドアドを一瞥した後、整然と隊列を組む縞馬シマウマ騎兵たちに視線を向けた。


 行軍のための準備を終えた彼らは、ルェキア族にならった装束を身に着け、一人の戦士に四頭の縞馬を連れている。男の言葉に、キエサも彼らを見ながら頷いた。キエサは、彼らの恐ろしさを良く知っている。傭兵をしていた頃、キエサは沙海の向こうにある南の地にいたことがある。雇主は、カラデアと似た立地にある交易都市だった。その頃のンランギ王国は、その武力をもって周辺の地を侵し屈服させてきた。そして、キエサがいた交易都市もンランギ王国の獲物となった。交易都市は、凄まじい速さで攻め寄せたンランギの戦士たちによって滅ぼされたのだ。幸いキエサは何とか逃げ延びることができたが、ンランギ騎兵の恐ろしさは刻み込まれている。砂漠でありながら自在に騎馬を操り、防衛側を蹴散らした。その苦い経験が、皮肉なことにンランギ騎兵への信頼感の裏付けになっている。


「……しかし、あの妙なまじない師どもは大丈夫なんですかね。本当についてこれるんですか?」


 二人が視線を向けた先には、ワンヌヴと三人のラ・ギ族の者たちがいる。彼らの食料や水はルェキア族の駱駝に分担して積んでいる。彼らは皆仮面を付けているが、言葉を発するのはワンヌヴの肩にとまる洋鵡だけだ。そのワンヌヴの使い魔が、甲高い声でラ・ギ族は駱駝はいらないと答えたのだ。どうするつもりかと問うたキエサたちに、見ていれば分かると答えたのだった。


 ラ・ギ族は小さな焚火に何かを放り込む。青白い焔が爆ぜるように燃え上がった。その炎の周りを、彼らは回り始める。 

 

「いったい何を始めるんだ?」


 キエサは、隣に立つ男を顔を見合わせた。


「ユトワの人たちは何を考えているのか分かりませんよ」


 肩をすくめる男に、キエサは苦笑する。


 ラ・ギ族の人々は、大きく両手を広げ、舞うようにして歩く。それは、鳥を表現しているように思えた。


 戦の前に突然奇妙な儀式を始めた彼らを皆が注目している。


 風が巻き起こる。


 それは沙海の風ではない。焚火を中心として踊る彼らから吹いてくる風だ。青白い焔が勢いを増した。


 見守る人々はそれに気付いてざわめく。


 風の向こうで舞うラ・ギ族の人々の姿が揺らいだ。歪み、曖昧な影になる。ただ、仮面だけはしっかりと形を保ったまま宙にあった。


 焔が花のように燃え上がる。


 次の瞬間、そこに人の姿が消えた。


 風が収まる。


 火勢の落ちた焚火を取り囲んでいるのは、四羽の鳥だった。


 それはひょろりとした、足と首の長い大きな鳥だ。全身は灰黒色で、白色や黒色が入り混じっている。何より目を引くのが頭で、そこには金色の扇形の冠羽があった。


冠鶴カンムリヅル……」


 それは、沙海の南の土地、乾いた草原から、湿地まで、様々な所で見かける鳥だった。


 皆の驚愕の声が上げる中、一羽の冠鶴が長い足を動かしながらキエサの前に立った。そして、その背中に洋鵡が舞い降りる。


「我らはこの姿で同行しよう」


 洋鵡が声をあげた。キエサは驚きのあまりそれに答えることができない。


「風の乱れが収まるまでは駱駝に相乗りさせてもらう。風が落ち着けば我らは飛んでそなた達に付いて行こう。斥候の任もこなすぞ」


 冠鶴は嘴を動かすこともなく、じっとこちらを見つめている。その背中にいる洋鵡が、しきりに首を動かしながら自慢げに言った。


「……そ、それは心強いな」


 キエサは何とか心を落ち着けながら答えた。ウル・ヤークスの魔術にも驚かされたが、それは恐怖や怒りを伴ったものだ。ラ・ギ族の魔術への驚きは、それとはまた違う感情を伴っている。


「皆、ずっとその姿のままなのか?」

「休息の時は元の姿に戻るぞ。我らの変化へんげは、生命の本質を仮初めの形で置き換えたものだ。しかし、それも持続することで真実になってしまう。長い間人以外の姿でいると、魂まで変質してしまうのだ。そうやって昔から、自らの術法に溺れて人に戻れなくなった術士が後を絶たん」

「ああ、大変なんだな」


 我ながら間抜けな答えだと思ったが、他に言葉を思いつくこともなく頷く。ずっと鳥の姿になってしまうと魂まで鳥になってしまうというのは、魔術を知らないキエサにも直感的に理解できた。


「俺たちはその辺りの限界が分からない。疲れた時はいつでも駱駝の背中で休んでくれ」

「ああ、そうさせてもらおう」


 キエサの言葉に洋鵡が答え、冠鶴の姿をしたワンヌヴが頷いた。


 カドアドと話し終えたラワナたち三人が、鳥の姿をしたラ・ギ族を横目にキエサに歩み寄った。


「キエサ」



 ワアドが厳しい表情でキエサを見つめる。

「お前だけを送り出すことになってすまん。本来ならばカラデアからお前に兵を付けてやるべきなのだが……」

「これ以上戦場を増やす余裕なんてありませんよ。これが俺の仕事なんです。俺が行くことで結束が保てるなら、安いものだ」


 キエサは笑みと共に頷いた。カラデア兵や鱗の民は、この戦いでは足手まといになる。ごく少数のカラデア人しか同行できないのは仕方がないことだ。だからこそ、自分が行く必要だある。


「お前という奴は……。命知らずだとは思っていたが、ここまでとはな」


 ワアドの言葉に、キエサは目を瞬かせた。命知らずなどという評価ほど、自分に似合わないものはない。思わず呟く。


「俺が、命知らずですか……」

「ワアド、お前は勘違いしているぞ」


 ダカホルが苦笑すると手を振った。その否定の仕草に、ワアドは怪訝な表情を浮かべる。


「勘違いだと?」

「そうだ。キエサは誰よりも死を恐れている男だ」

「死を恐れている?」

「ああ。臆病という意味ではないぞ? お前のように粗雑な男ではないということだ」 

「ワアドは粗雑ではありませんよ!」


 顔をしかめたワアドを見て、キエサは慌てて言った。ダカホルは口元に笑みを浮かべたまま、ワアドを見て、キエサに顔を向けた


「キエサ。ワアドは、勝利のためなら自分の命すら惜しくない男だ。そんな男に命知らずと言わせたのだから大したものだよ」


 ダカホルはくつくつと笑うと、ワアドに顔を向け、キエサを指差して見せる。


「こいつは、生き残ることを諦めない。どんな時も生き延びようとあがく。だからこそ、この砦を守り抜くことができたんだ。お前ならば、早々に諦めて、潔く突撃して多くの道連れに満足して死んだかもしれんな」


 ワアドはダカホルの言葉に微かに眉根を寄せた。


「痛い所を突いてくるな。確かに、絶対に違うとは否定できんよ……」


 いつものワアドとは違う弱い語調に、キエサは驚いた。小さく頭を振ったワアドはキエサを見据える。


「キエサ。お前はお前のやり方を通したからこそ、英雄と呼ばれるようになった。皆が称えるその名に惑わされるな。たとえお前が英雄だと称えられようと、お前は何も変わってはいない。そのことを忘れずに、これまで通り、お前のやり方で皆を率いるのだ。……いや、お前には必要ない忠告だったな」

「……いえ、そんなことはありません。ワアド、ありがとうございます」 


 キエサは頷いた。キエサは軍人として、ワアドは自分の師だと思っている。一介の傭兵だった自分をここまで鍛えてくれたのはワアドなのだ。だからこそ、彼の言葉は深く胸を打つ。その様子を見ていたダカホルが笑った。


「やれやれ、あのキエサがワアドには素直だな。その態度の半分でも俺に向けてくれればいいものだが」

「それは難しいですね。あなたは尻を叩かなければ働いてくれませんから」


 キエサは肩をすくめる。ダカホルは苦笑と共に頭を振ると、背後に目をやった。


「さて、いつまでも年寄り二人が邪魔をするものではないな。行こう、ワアド」


 ワアドが頷く。そして、離れた二人の背後から、ラワナがこちらへと歩み寄った。


「ラワナ……」


 まっすぐにこちらを見つめるラワナは、キエサの前に立つと、深く頷いた。そして、右手を上げると、掌を向けて口を開く。 


「キエサ。あなたの武運を祈ります。風があなたの目と口を奪うことなく、太陽があなたの血を奪うことなく、泉があなたの命を潤し、影があなたの心を冷まし、月明かりがあなたを善き道へと導きますように」


 それは旅人の無事を祈る言葉だ。最初の戦いで、キエサが出陣する時にも、ラワナは同じ言葉で祈ってくれた。ただ、あの時とは少し状況が違う。キエサは口元に笑みを浮かべると恭しく一礼した。


麗しの月(ネーア)よ。必ずやあなたの光の下に戻り、喜びの酒を捧げます」


 その言葉にラワナは小さく頬を膨らませると、キエサの肩を軽く押す。


「その呼び方は止めてって言ったでしょう?」


 自分だけに見せてくれるその表情を愛おしく思いながら、キエサは笑みを深めた。


「験担ぎだよ、ラワナ。 最初の出陣の時も、君と喧嘩をして機嫌を損ねた。そして、生きて君の元に戻ることができたんだ。だから、今度もそのご機嫌を少し損ねておこうとおもったのさ」


 その言葉を聞いたラワナは、大きくため息をつく。


「……あなたって人は、いつも私の心を騒がせておいて、ほったらかしにして行ってしまうのね」


 ラワナはもう一歩踏み出すと、キエサに顔を寄せた。潤む瞳を見つめながら、キエサも顔を寄せる。二人の額が触れ合い、抱き合った。


「必ず帰ってきて」


 ラワナは囁く。


「ああ。必ず戻る」


 キエサも囁きで応えた。

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