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砂塵の王  作者: 秋山 和
導かれし者たち
131/220

10

「マスマ!」


 アシャンが、名を呼んだ。  


 キシュを連れてこちらに歩いてくるマスマが、手を上げて応える。その背後には、エイセンとジヤが続いていた。


「大変なことになってるわね」


 マスマは自分の頭に触れて笑みを見せた。彼女の言いたいことを理解したアシャンは頷く。


「各地の一族のキシュの声が飛び交って、頭がくらくらします」

「本当ね。キシュ同士でも少し混乱しているみたい」


 マスマが平原に集うキシュを手で示した。キシュは、巣ごとに“方言”がある。それは、匂いと関節の音によって意思を伝え合い、意識を形成するキシュにとって、他の巣の群れと“混線”しないためのものだ。複雑な言葉を多様な音によって編むことのできる羽翅カーナトゥと比べて、歩荷デギウン大顎クラーシュといったキシュでは、どうしてもその発することのできる音が限られてしまう。そのため、同じ場所にここまで多くの群れが集まっていると、“方言”の相違よりも、類似した部分が強調されることで認識が難しくなる。しかも、ラハシはキシュの意思も同時に感じ取ってしまうために、似たような無数の“声”が耳元で反響しているように感じるのだった。


「困りましたね……、どうしましょうか」


 これから共に沙海へ向かうというのに、群れ同士が意思の疎通を邪魔しあっていては本末転倒というものだ。


「それは今、大いなる母とお社様が考えているわ。アシャンも感じていると思うけど、それぞれの巣のキシュが、盛んに他の巣のキシュと“言葉”をかわしているの」

「はい。ずっと、意味のない“言葉”をやりとりしていますね」


 人で言えば独り言や、幼児の呟きのような明確な意思を持たない言葉を、返事をするわけでもなくキシュ同士で交換している。その言葉のやり取りが、この地にキシュの言葉の洪水で満たされている原因になっていた。


「キシュが、全体で一つの群れになろうと試みているのよ。このやりとりは、その為の準備ね」


 マスマの言葉に、アシャンは驚きの声を上げた。


「キシュ全体で!?」

「そう。この地に集うキシュ、全ての群れを一つにして戦いに挑もうとしているの。これはかつてなかったことよ」

「み、導く者のおど、脅しが効いたらしい」


 首を傾けたジヤは、困惑するアシャンを面白がっているようだ。マスマは、彼に頷いてみせると、言葉を続けた。


「キシュは、怯えて警戒しているの。あなたから受け取ったウル・ヤークスの形を受けて、色々と考えているみたいね。巣それぞれの群れが動くよりも、戦場に向かうキシュ全てが繋がったほうが効率よく戦えると結論したみたいなの」


 受けた衝撃が去らないアシャンは、しばしの沈黙の後、次の言葉を口にした。


「私が臆病だから、キシュにも影響を与えてしまったんでしょうか……」


 自分の恐怖心によってキシュに誤った判断をさせてしまえば取り返しがつかないことになる。全ての群れが繋がるということが良いことなのか悪いことなのか、アシャンには判断がつかなかった。


「こ、この場合、オ、臆病なのは、は、良いこと、だ。お前の、か、形を受け取った俺も、キシュに、同意す、スル」


 アシャンの憂慮を感じ取ったのか、ジヤが言う。


「そうね。あの恐ろしい敵を相手に、警戒するに越したことはないもの。それに、それぞれの巣のキシュの群れが消え去ってしまうわけではないわ。あくまで、浅い所で繋がるだけのようだから、そこまで心配する必要はないと思う」

「そうですか……」


 アシャンは安堵の吐息を吐き出す。そして、エイセンを見上げた。


「それで、どうして叔父さんたちが一緒にいるんですか?」

「戦士たちは、シアタカに話があるそうよ。私も、その答えを聞きにきたのだけど……」


 マスマの答えに、アシャンはエイセンを見た。エイセンはその視線に小さく頷いた後、微かに眉根を寄せる。


「ウァンデ、シアタカには話したのか?」


 その言葉を聞いたシアタカは、怪訝な表情をウァンデに向けた。それはアシャンも同様だ。ウァンデは頭を振って答えた。


「身内の間で大事な話をしていたんだ。俺が話すので待ってくれないか」


 ウァンデの答えに、エイセンは肩をすくめる。


「何の話なんだ?」


 シアタカはウァンデに問う。アシャンも、不思議に思う。どうやら、自分たちと話し合った、彼の中にある欠片のことではなさそうだ。


「昨日、叔父貴とジヤとで話し合った。沙海での戦のことだ」

「ああ……」


 ウァンデは、ためらいの表情を浮かべ、言う。


「この事は、お前にとってあまり望ましくないはずだ。嫌なら、断ってもいい……」

「ウァンデ。お前はいつからそんなまどろこしい男になったんだ? もういい、俺が話す」


 エイセンが舌打ちすると、ウァンデの言葉を遮った。


戦士ガラドシアタカ」


 エイセンは、キシュガナンの呼称で呼んだ。シアタカの表情が緊張の色を帯びる。


「お前には、キシュガナンの戦士たちを率いて欲しい」

「何だって?」


 シアタカは、驚き、エイセンを、そしてウァンデを見た。アシャンも思わず驚きの声を上げる。


「ここまでの旅で、お前は、ウァンデに東の地の戦について話していたそうだな」

「ああ。ウァンデは敵のことを知りたがっていた。俺も、知っていることは出来るだけ話したつもりだ」

「お前は、ウル・ヤークスで戦の長としての教えを学んだと聞いたが」

「そうだ。紅旗衣の騎士は、旗の館という所で、軍学も学ぶ。各地の戦史、部隊の運営、幾つもの戦術、その他、軍を率いるために必要な様々なことだ。後に指揮官になるかもしれないから、これらのことを叩き込まれる」


 エイセンは頷くと、野原に集う戦士たちを一瞥した。


「ウァンデから聞いていると思うが、キシュガナンの戦は小さい。おそらく、どんなに多くても戦場に五百を超える戦士が集まることはないだろう。それに比べて、東の地では、何千、何万もの戦士が戦うこともあるそうだな?」

「……正確に言うと、その全てが戦士ガラドというわけじゃないんだ。工兵部隊や輜重部隊が含まれることも多いし、戦う兵士も、農民や市民から徴募された者がほとんどの場合がある。武術を鍛え、誇りを持った戦士ガラドはごく一部なんだよ」

「だが、戦において数は大いなる力だ。木の棒では濁流に抗えまい」

「それは確かにその通りだ。だけど、それはしっかりとした指揮官に率いられて初めて、全てを呑み込み押し流す濁流になる。兵士の練度が低く、士気に乏しくて、指揮官が愚かなら、水はただ撒き散らされて地に吸い込まれるだけになってしまうんだ」

「まさしく今のキシュガナンがそれだ」


 エイセンがシアタカを指差して頷いた。


「キシュガナン諸族の戦士は、総数で言うならば多いだろう。しかし、一族ごとに細切れで、連携も取れていない。お前が話していたような、千人の戦士が一つの槍となるような戦い方をすることはできんのだ。キシュもその点を憂慮して、まずは自分たちだけでも団結しようとしているんだ」

「キシュが……」


 驚いた様子のシアタカは、アシャンを見る。アシャンは、頷いて肯定した。


「お前はどの一族の者でもない。そして、大戦おおいくさの戦い方を知っている。キシュガナンの戦士たちを率いるに相応しい男だ。だから、俺たちは、お前をキシュガナンの戦長いくさおさに推そうと考えている」


 エイセンは、そう言ってウァンデとジヤを手で示した。


 アシャンは息を呑んだ。


 シアタカは自分とともに戦場に向かう。そのことは理解していた。しかし、それはあくまで一人の戦士として、自分を守ってくれる存在だと考えていた。


 アシャンにとって戦の記憶は、父が死んだ戦いを除けば、デソエを脱出する時に追っ手を迎え撃った時だけだ。これから向かう戦場でも、その時のようにシアタカは自分の傍らにいて戦を見守っているのだと漠然と考えていた。経験と知識に乏しい彼女には、自分が戦で何をするのかということがほとんど想像できていなかった。ましてや、シアタカの役割など考えてもいなかったのだ。シアタカが戦の趨勢に関わることなど、想像もしていなかったことだった。


 シアタカは困惑の表情を浮かべ、首を傾げる。


「おれは元々敵であるウル・ヤークスの軍人だぞ? そんな人間に戦士を率いろと言うのか?」

「獲物の通る道を知る者を狩りに加えないのは愚か者のすることだ。俺たちは、シアタカという戦士を信用する。お前に道案内を頼みたいんだ」


 堅い表情のウァンデが、シアタカに言う。


「助言役では駄目なのか?」

「どの一族の者が戦長いくさおさを務めても、必ず揉める。そして、ニウガドの一族は戦に出ない。それならば、どの一族にも属しておらず、ニウガドの客人であるお前が戦長になるのが一番手っ取り早い」


 エイセンはそう言って笑みを浮かべると、挑むようにしてシアタカを見据えた。


「お前は、同胞を殺すことに知恵を貸すのは嫌か?」


 その視線を受け止めたシアタカは、しばらくの沈黙の後、強張った表情でおもむろに頭を振った。


「戦う、ということは敵を殺すことだ。俺は、キシュガナンと共に戦うことを決めた。もう……、覚悟は決めている」

「引き受けてくれるな?」

「……ああ。勝利のために、持てる力を尽くそう」

「それでこそ戦士だ!」


 エイセンは大声で笑うと、シアタカの肩を叩く。


「キシュは、あなたが戦長いくさおさになることを納得しているわ。あとは……、他の戦士たちが納得するかどうかね。この話は、今のところあなた達とごく僅かな人たちにしか話していないのよね?」

「ああ。まずはキシュガナン諸族の戦士たち皆に話さないといけない」


 ウァンデは、マスマの言葉に頷いた。


「武勇で名を轟かせるキセとカカルの戦士、そしてこの俺が推すんだ。文句は言わせんさ」

「上手くいくといいけど」


 胸を張るエイセンを見て、マスマが溜息をつく。


「キ、キシュは、……お前から良く学ぶ、だ、だろう。お、お前の話している、ウル、ウル・ヤークスの戦、は、キシュに、合っている」


 ジヤが、シアタカを指差して言った。シアタカは深く頷く。


「そうだな。俺は、キシュとも知識を共有しないといけない。……アシャン。キシュとの仲介を頼むよ」


 そう言ってこちらを向いたシアタカの視線に、アシャンは一瞬肩を震わせた。そこには、一人の戦う人が立っている。いつものシアタカとは違う、優しさの中にある冷徹な視線。シアタカの心は戦場を見ている。そう感じたのだ。


「う、うん。分かったよ」


 シアタカが怪訝な表情を浮かべたため、アシャンは慌てて笑顔ともともに頷く。


「こいつはすげえな、おい」


 ハサラトが笑いながらシアタカの肩を叩く。


「これでお前は将軍だ。そして戦に勝った暁には、いよいよ聖王だな!」

「だから、俺は聖王になんてならないぞ。まったく」


 シアタカは溜息とともに、その手を払った。


「何の話だ?」

「シアタカが、戦に勝って、ウル・ヤークスに王として帰還するって話さ」


 エイセンの問いに、ハサラトは答える。


「そいつは良い。お前がウル・ヤークスの王になるなら、万事が丸く収まるだろうな!」


 大声で笑ったエイセンも、シアタカの肩を叩く。


「エイセンまで……。止めてくれよ」


 シアタカはげんなりとした表情で、叩かれるがままとなった。


「シアタカを王にするのはともかく、どこまで戦うのか、それも考えないといけないわね」


 冷静なエンティノの言葉に、男たちは真顔となって彼女を見る。


「どういう意味だ?」

「守る戦は、受身のままならいつまでも戦うことになる。第三軍を撤退させるにしろ、降伏させるにしろ、それで終わりじゃないはずよ。どうやって次の侵攻を諦めさせるのか。それを考えなきゃいけないでしょ」

「なるほどな……。言われて見ればその通りだ。一族同士で延々と戦いを繰り返すのとは訳が違う」


 ウァンデが腕組みして頷いた。


「最後はカラデアとウル・ヤークスで交渉することになるでしょうね。戦を続ければ損だ。そう思わせることが勝利なんだと思うけど」


 エンティノが肩をすくめる。


「だとすれば、戦を始めたことを後悔するほど痛めつけてやらないとな」


 エイセンは、そう言って獰猛な笑みを浮かべた。


 兄は、エイセンは、そしてシアタカたちは、これから起こることが何なのか、自分たちを待っているのが何なのか、それを肌で感じ、経験している。それでもそれに立ち向かう自信と覚悟を持っている。 


 しかし、自分は何も知らない。


 アシャンは、彼らのやり取りを見て、感じながら、今更ながらに気付いた。


 そうだ。自分はこれから、戦場に行く。


 これまで、漠然として曖昧だった現実が、突然目の前で形になった。


 飛び交う怒号。絶叫。押し寄せる敵意や殺意。父が死んだ時の戦場を思い出す。


 あの感情の嵐の中で、自分は立ち尽くし、何も考えることができなかった。ただ、恐怖だけが自分の体を支配していたのだ。


 忌み嫌っていた、殺し殺される場所へ、自分は行く。


 しかも、キシュや人々を導いて。


 導くものの名において、私は、多くの人を死地へ導くんだ。


 そのことをはっきりと自覚したアシャンは、恐れ戦いた。

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