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砂塵の王  作者: 秋山 和
導かれし者たち
128/220

7

 砂の上に置かれた小さな爬虫類の頭骨。淡い燐光を帯びたそれは、誰も触れていないのに音を立てて砕けた。


 強烈な冷気が、一瞬、洞窟の中を満たして消えた。


 赤や青、緑といった色鮮やかな石が砂の上に置かれ、それを節点として、盛られた砂が線を描き大きな図形を形作っている。真珠の髪をもつユトワの人々は、円を描くようにしてその図形の中に座り、その頭骨を取り囲んでいた。


 年長の男、カングが苦痛の唸りを押し殺し、顔を上げた。その両目からは血が流れ出している。大きく息を吐き出したツィニの鼻からも血が垂れていた。その他のユトワの司祭や助祭たちも、苦痛をこらえるように、地に両手をついてうつむいていた。 


「な、何がおきたのですか?」 


 その尋常ではない様子に、ラワナが思わず声を上げた。


「『ンガノクの鳥』が退けられた」


 カングが、声を絞り出すようにして答える。

 

「ンガノクの鳥……。あの妖魔が……、やられたということですか?」


 ユトワの司祭たちが呼び出した小山のような巨大な妖魔。その恐ろしい姿は目に焼きついてる。ウル・ヤークスはあんな化け物も倒すことができるのか。驚くキエサに、ツィニが頷いた。


「はい。ウル・ヤークスも精霊を呼び出してきました。それも、とても強い力をもった精霊だったのです。ンガノクの鳥は、その精霊に討たれました」

「そのまま砦を平らげてしまおうと思ったが、甘かったな。あんな高位の精霊を使役するとは……。噂に違わぬ恐ろしい魔術の使い手たちだ」


 カングは唸るように言うと、頬を伝う血を手でぬぐった。そして、キエサに顔を向ける。


「ンガノクの鳥を討たれたのは大きな損害だったが、敵の実力の一端を知れたことは収穫だった。キエサ。君の言う通りだ。ウル・ヤークスの魔術は恐るべきものだな」

「……勝てますか?」


 キエサの問いに、カングは頭を振った。


「正直に言えば、分からない。ユトワの魔術は近隣に並ぶものがいない、と自負しているが、逆に言えば並び立つものと争ったことがない、ということだ。ユトワの魔術は、ユトワと、臣民である諸族によって編まれてきた。ウル・ヤークスの魔術は、そんな我々の魔術の系統とは異質だ。この戦いでそれを感じることができた。……果たして、異質な者同士が衝突すればどうなるのか。私にはまだ分からない」


 言い終えたカングは、大きく息を吐く。そこには、疲労と苦痛の色がはっきりとあらわれていた。


「皆さん、体は大丈夫ですか?」


 気遣うラワナの言葉に、カングが答える。


「皆、痛手を受けている。少し、休まねばならない……」

「分かりました。癒し手を呼んできましょう」

「……いえ、これは呪いに近いものです。幽体に負った傷が原因なので、癒し手の技では手に負えません」


 ツィニが頭を振った。


「の、呪いですか……」


 ラワナが気圧された様子で息を呑む。 


「はい。ですので、お心遣いはありがたいのですが、我々で対処します」


 そう言いながら、ツィニは立ち上がる。しかし、足元がもつれ、従者たちが慌ててその体を支えた。


「ンガノクの鳥は強い力を持った妖魔だ。術者は、使役する精霊や妖魔を失った時には、代償を支払わなければならない。その力が大きければ大きいほど、術者に返ってくる痛みは激しいものになるのだ。我々はしばらく何もできなくなる」


 従者の肩を借りたカングが、キエサとラワナに言う。


「分かりました。まずは体を休めてください」

「すまないな」


 頷いたラワナに、カングは弱々しい笑みを見せた。ユトワの司祭や助祭たちは、従者に支えられながら洞窟の中の一室から出て行った。


「やはり、恐ろしい相手ね……」


 キエサは、そう言って溜息をついたラワナの肩を抱く。


「分かっていたことだ。あの炎を……、仲間たちの悲鳴を俺は忘れることはない。枯れ草を焼くみたいに、仲間たちが業火に焼かれたんだ」

「キエサ……」


 こちらを気遣うようなラワナの表情。キエサは、カラデアで帰りを待っている子供たちの顔を思い浮かべる。


「ああ、コユラの笑顔が見たいな……。そうだ、ハムドゥに剣の稽古をつけてやらないといけない。……まったく、こうも長く留守にしていると、顔を忘れられやしないかって心配になるよ」

「大丈夫よ。二人ともあなたのことを心配していたわ。そして、とても誇りに思っているのよ。ハムドゥなんて、早く大きくなってあなたを助けるんだって息巻いてたわ」

「そうか……。きっと俺は、ハムドゥが軍人になると言ったら反対するだろうな」


 キエサは大きく溜息をつくと小さく頭を振った。


「こんな……、糞みたいなことに、子供たちを巻き込みたくないんだ」


 ラワナは、何も言わずに優しくキエサの手を握った。その手を握り返しながら、ラワナを見つめる。


「昨日の晩に酒を酌み交わしていた仲間が、次の日には冷たくなっている。ハムドゥには、そんな事を経験して欲しくない。こんなことは俺たちの代だけで終わらせるんだ。子供たちには、昔、戦なんてものがあったんだ、なんて呑気に話せるような、そんな世にしたいんだよ」


 それが難しいことはキエサ自身、よく分かっている。東の地の人々は、沙海の中で輝く宝石に気付いてしまったのだ。カラデアに富と繁栄と黒石がある限り、これからも狙われ続けるだろう。この戦争が勝利に終わったとして、その後も押し寄せてくる敵と戦い続けなければならないのだろうか。終わりの見えない暗い未来に暗澹たる気持ちになって、キエサは顔を歪めた。 


 ラワナが、そっとその頬に触れる。その温もりが心地よくて、キエサの表情は緩んだ。


「早くこんなことは終わらせたい。さっさと家に帰って、一日中酒でも飲んでいたいよ」

「あら、英雄がそんなことを言ってはだめよ。皆が失望するわ」


 ラワナが苦笑する。キエサは首を傾げた。


「英雄だって? 俺が?」

「そう。ずっと沙海に踏みとどまって敵を防ぎ続けた。兵たちはあなたを英雄だって称えてる。ユトワやンランギの人たちもそう言ってるわ」


 キエサは大きく息を吐き出した。


「英雄なんかじゃないさ。死なないように、小狡く立ち回っただけだ。俺は、戦場では死にたくない。人は、家族に見送られて安息の眠りにつかないといけないんだ」


 誇り高いンランギの戦士は、戦場で死ぬことを名誉だと考えている。軍人として理解はできるが、共感はできない。自分が死ぬ場所は、寝台の上だと決めているからだ。


「それに、ずっと戦えて来れたのは、皆がいたお陰だ。皆が逃げ出さず、共にここに踏みとどまってくれたからこそ、俺はこうして生き延びている」

「人は、信じるに足ると思った相手でなければ、自分の命を預けないわ。あなたを信頼して、命を預けると決めたから、皆は逃げ出さずに戦ったのよ。それは、あなた自身の力。皆を励まし、率いて、敵に打ち勝った。そんな力の持ち主を英雄と呼ばずに、何て呼ぶの?」


 ラワナの言葉と視線を受けることが面映くて、キエサは視線をそらした。


「だとしたら、その信頼を失わないようにしないとな。せいぜい酒は控えるよ」

「ええ。皆の士気に関わるから、お願いね」


 揶揄するような彼女の口調に、思わず苦笑した。


「ラワナ様、キエサ隊長!」


 自分たちを呼ぶ声に、キエサは答えた。


「ここにいるぞ」


 その声を聞きつけて、黒石の守り手が姿を現した。 


「どうしたのカドアド?」

「ダカホルが戻ってきましたよ!」

「何だって?!」


 思わずカドアドの明るい笑顔をまじまじと見つめる。


 彼から少し遅れてやって来たのは、壮年の黒石の守り手だった。


「ダカホル!」

「やあ、戻ったよ」


 キエサとラワナに、ダカホルは右手をあげた。


「ダカホル、体は大丈夫なんですか?」


 ダカホルは、以前よりひどく痩せている。戦場に戻って良いような健康状態とは思えない。ダカホルは、キエサの問いに静かに頷いた。 

 

「ああ、癒し手のおかげでな、何とか生き延びたよ」

「しかし……、まだ回復はしていないでしょう?」

「まだ、前のようにはいかんが、砂の音は聞けるさ」

「いや……、しかし……」


 さすがにこの弱々しい様子のダカホルを戦場に連れ出すことには躊躇いを覚える。ダカホルはそんなキエサに意地悪そうな笑みを浮かべた。


「おいおい、あのキエサがどうしたっていうんだ? これまでのお前なら、死に掛けの駱駝にも塩の板を運ばせただろうに。それとも、愛妻に甘えすぎて自分の性悪を反省したのか?」

「ダカホル……」


 キエサは思わず苦笑する。ダカホルは、キエサを優しい表情で見やった。


「冗談はともかく、今のお前は最後に会った時とは変わったよ。ラワナが側にいるだけで、お前の顔も随分ましになった」

「そんなにひどい顔してましたか?」

「ああ。いつ睨み殺されるかわからんような目をしていたからな。今のお前のほうが良い」


 ダカホルは、ラワナに顔を向けて笑みを浮かべた。その視線を受けて、ラワナは頷く。


 キエサは、大きく息を吐き出すとダカホルを見て言う。


「……ダカホル。あなたがどれだけ偉大な存在なのか、いない間に思い知りました」

「死に損ないの男にお世辞を言っても何も出ないぞ」


 ダカホルはくつくつと笑う。キエサは、腕組みをすると大きく笑みを浮かべた。


「いえ、これからやる気を出してもらって、こき使いますよ」

「まったく……、お前は本当にひどい奴だな」


 ダカホルは大袈裟に肩をすくめた。そして、キエサの肩に手を置き、強く掴む。黒石の欠片がきらめく双眸で彼を見つめた。


「キエサ。よくぞここまで持ちこたえてくれた。礼を言うぞ」


 キエサは無言で深く頷いた。








「正面から突っ込むなんて、何を考えているんだ!」


 ウリクは、地上に降りるなり、イェナに駆け寄った。そして、大鳥の傍らにいる彼女に怒鳴る。


 イェナは、強張った表情でウリクを見つめ、口を開く。


「妖魔の頭を狙おうと思いました。その為には、ああするしかありませんでした」


 固い口調で答えた。ウリクは顔をしかめると彼女を見据える。


「お前は命令を聞いていなかったのか? 俺たちは時間稼ぎをするだけでよかった。妖魔を倒す必要はなかったんだぞ」

「でも、仲間が何人も落とされました。何とかしなければ、被害が大きくなると考えました」

「何とかするだと? 自殺まがいの突撃をすることを何とかするというのか?」


 ウリクの言葉に、イェナの瞳から涙がこぼれた。唇を噛み、そしてウリクを睨み付けるようにして口を開く。


「あの偵察の時、私が、無闇に高度を下げなければ……、攻撃を受けた時に竦んでしまわなければ仲間は死ななかった。……私のせいで死んだんです。私のせいで死んだ仲間に償うために、私も命を懸けないといけない」


 イェナを苛む自責の念が見えるような気がして、ウリクは溜息をついた。


「……いいか、俺たち空兵は少しの失敗で死ぬ。だからこそ、お互いに助け合い、出来るだけ失敗の原因を潰していかないといけない。勝手に飛び出して、無謀な攻撃をしかけるなんて空兵失格だ。命懸けと無謀は違うんだぞ」


 ウリクは頭を振るとイェナの顔を覗き込むようにして言う。


「お前のやってることはただの無謀だ。無謀なことをした仲間が死んで、それを賞賛するとでも思っているのか? むしろ、それは軽蔑されるだろうな。それどころか、下手をすれば仲間の命を危険にさらすことになる。現に俺は、お前を助けるために右肩を痛めた。あのまま戦闘が続行されていたら、俺は戦うことも出来ずに落とされていたかもしれない」 


 イェナが息を呑み、目が見開かれた。 


「あ……、あの」


 怯えにも似た表情を浮かべたイェナ。ウリクはイェナの頭を指差しながら言葉を続ける。


「頭に血が上ったまま空に上がる気か? そんな様だと赤い世界を見ながら気を失うことになるぞ。大きく息を吸い、足に力をこめ、頭を冷やす。大鳥乗りの心得を忘れたのか?」

「い、いえ……」

「自分のせいで死んだと思っているなら、次はそうならないように気をつけろ。それが、生き延びた者の義務だ。そして、同じように仲間を助けるんだ。そうすることで、多くの者が生き延びる。お前に出来ることはそれだけだ。いいか、命を懸ける時と場所を間違えるな。死ぬ時を間違えたなら、それはただの無駄死にだ」


 軍人はある意味で死ぬことが仕事だ。それしか選択肢がない場合、躊躇なく死を選ばなけれればならない。だからといって、無謀で安易な死を選ぶことは許されない。兵の死は、目的を果たすための足どりの一歩でなければならないのだ。ウリクは、自分より若い部下たちに、無駄死にを決して許すことはない。


「それで、あの時死んだ仲間たちは、無駄死にだったのか?」


 キエサの問いに、イェナが顔が歪んだ。


「あいつらが無駄死にでなかったことを、お前が証明して見せろ。いいな!」


 その鋭い言葉に、イェナは頷く。


「ウリク」


 自分を呼ぶ声に、振り返る。こちらに歩いてくる一人の翼人の姿を認め、姿勢を正した。


「シャン・グゥ隊長」


 シャン・グゥは頷いてみせると、イェナに視線を移した。


「お前があの妖魔に突撃した娘か」

「は、はい」


 緊張した顔でイェナは頷いた。


「死を恐れぬその勇気は認めよう。しかし……」


 シャン・グゥは鋭い視線でイェナを見据えた。イェナは身を震わせて固まる。


「大鳥はお前の飼い鳥ではない。大鳥は軍の持ち物。つまりは、聖女王陛下の物だ。お前の勝手で危険にさらしてよいものではない。そして、それはお前の命も同様だ。空兵は大きな費用をもって維持されている。お前には多くの金がかかっているのだ。聖女王陛下が死ねと命ずるまでは、勝手に死ぬことは許されん」


 イェナは厳しい表情とともにシャン・グゥを見つめた。シャン・グゥはその視線を受け止め、ウリクを一瞥した。 


「ウリクはこれまでに何度も死の風を渡り切った優れた大鳥乗りだ。死に引かれて地に落ちることがないように、この男にしっかりと学べ。いいな」


 イェナはウリクに顔を向けた。彼女の目には、強い決意が宿っているように見えた。ウリクは頷いて見せる。


「はい。……ありがとうございます」


 イェナは深く一礼した。

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