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砂塵の王  作者: 秋山 和
導かれし者たち
126/220

5

 舟は、運河を進む。 


 ユハは、飽きることなく船上から町並みを見上げていた。両岸に並ぶ建物や行き交う人々。窓の外に吊るされた洗濯物や玉葱、薬草の束。窓から放り出される生活排水やゴミの類。漏れ聞こえる子供たちの笑い声。窓から身を乗り出して隣人と楽しげに話している女性。舟に運ばれながら人々の営みを眺める非日常感が、ユハの心を刺激する。


 茶店を出た一行は、舟に乗り、カドラヒの導く拠点へと向かうことになった。舟をこぐ船頭は彼らの部下らしく、ユハたちを丁重に扱った。舟を操る腕も同じように丁寧で、巧みだ。多くの舟が行きかう水路を危なげなく進み、乗るものに何の不安も感じさせることはない。


「ダリュワさんの故郷はリドゥワから遠いんですか?」


 シェリウが、前に座るダリュワに尋ねた。ダリュワは振り返ると、その厳めしい表情を微かに緩めて口を開く。


「マムドゥマだ」

「え?」

「村の名前だ。マムドゥマ」

「マムドゥマ……」


 ダリュワは頷くと、言葉を続ける。


「マムドゥマは、リドゥワを出て大体半日くらいで着く。ちょっと変わった由来の里でな。聖戦が終わったあと、活躍した英雄がつくった村なんだ」

「もしかして、その英雄は“清貧なる剣”アシュギ様ですか?」


 思い当たる伝承から導き出された名を口にする。思わず声が弾んだ。


「知っているのか?」


 ダリュワは意外そうな表情でユハを見つめた。ユハは大きく頷く。


「はい。アシュギ様は偉大な英雄として、私の暮らしていた村でもとても人気でした。遊んでいる男の子たちが、誰がアシュギ役をするのかでもめるくらいには」

「そうか……」


 ダリュワは微笑んだ。


 アシュギは、黒人奴隷ザーデュたちによる反乱軍の頭目の一人だった。いち早くウル・ヤークスの傘下にくだり、聖戦においてめざましい武勲をあげた。戦乱の後、どんな報酬を望むのかと聖女王に問われた彼は、小さな農園と一軒の家を、と答えたという。そして、アシュギは軍にも宮廷に仕えることなく、そのまま家族とともにその農園にひきこもってしまった。その生き方もあり、アシュギは清貧の徳を体現した人物として尊敬される、知る人ぞ知る英雄だ。


「アシュギ様の仲間たちも、聖女王陛下に許されて、その周辺で一緒に暮らし始めた。俺の故郷の村と農地は、その時にもらった土地なのさ」

「アシュギ様も欲がねえ人だよな。本当に、ただの農園だもんなぁ」


 カドラヒの言葉に、ダリュワは肩をすくめた。


「まあ、もう少し贅沢な望みを言って欲しかったというのはあるがね。そうしたら俺も、大地主か、元老議員か何かだったかもしれないからな」


 そう言ってダリュワは笑う。


「でも、元老院議員も大変そうですよ」


 アトルや別荘で紹介されたシアートの人々を思い出しながら言う。そして、口にした瞬間ユハは己の失言を悔いた。ダリュワは微かに首を傾げてユハを見る。


「知り合いでもいるような口振りだな」

「ええ、まあ……」

「何だよ、あんた、やっぱり良家のお嬢さんなんじゃねえのか?」


 面白がるような、しかしどこか探るようなカドラヒの言葉に、ユハは曖昧な表情で頭を振った。



   

 そこは大きな建物だった。


 とはいえ、豪邸といった風ではない。背の高い塀に囲まれ、装飾もなく簡素なその建物は、倉庫とよんでも違和感はなかった。 


 リドゥワのはずれにあたるこの周辺は、空き地や畑が広がる閑散とした区域だ。この建物のように倉庫として使われているらしい大きな建物や、崩れかけた廃屋なども点在しているが、人通りはあまりない。


「あ、兄貴。ダリュワさん」


 門の前に立っている男たちがカドラヒたちの姿を認めて一礼した。


「おう、ご苦労さん」


 カドラヒは右手を上げると門へ近付く。


「そちらの方々は?」

「客人だ。大事な話があってな。ここに連れてきた」


 ユハたちに鋭い視線を向けた男たちに、カドラヒは笑顔で答える。彼の答えに男たちは少し戸惑った様子だったが、無言で頷き、ユハたちにも丁寧に一礼した。


「こっちだ、来てくれ」


 一行は促されて門をくぐる。


「爺さん! ハーリオド爺さん! いるか!?」

「何だ、うるせえな! そんな大声出さんでも聞こえとるわい」


 カドラヒの大きな呼び声に応じて、老人が姿を見せた。痩せたカザラ人の老人は、不機嫌そうな表情で一行を見やる。


「ここは連れ込み宿じゃねえんだぞ。こんな所に女を連れ込むんじゃない」

「そんなんじゃねえよ。大事な客人だ」

「客人? 客人をどうしてこんな所に連れてきたんだ」


 怪訝な表情の老人に答えることなく、カドラヒはユハたちに向き直った。


「俺たちは学がねえからよ! 俺が口先担当。ダリュワが腕っ節担当。そして、このハーリオド爺さんが頭脳担当ってわけだ」


 カドラヒは自らを、次いでダリュワを指差し、そしてハーリオドの肩を軽く叩いた。


「うちはこの相談役がいねえと何も進まねえ。うちの商会で一番偉い御仁さ」

「カドラヒ。いったいどういうわけだ。俺にも説明せんかい」


 ハーリオドは苛立たしげにカドラヒを睨んだ。カドラヒは大きく両手を広げると、芝居がかった口調で言う。


「このお嬢さんたちは、マムドゥマの疫病を追い払ってくれる救いの主だ」


 ハーリオドは、ユハをじっと見つめた後、大きな溜息をついた。


「カドラヒ……、お前、こんな子供を巻き込んで何を考えとるんだ」

「あの……私は子供じゃありません」


 ユハは小さく抗議の声を上げた。私はそんなに子供っぽく見えるのだろうか。初対面の老人にまで子供よばわりされて、少し落ち込む。そんなユハに鋭い視線を向けると、ハーリオドは言う。

  

「お嬢ちゃんや、何があって見込まれたのかしらんが、こいつにおだてられたのか? こいつは人を乗せるのが上手いからな。そうやって騙された娘っこは数知れん」

「おい爺さん! 人聞きの悪いこと言うなよ!」


 カドラヒは眉根を寄せた。ハーリオドは彼を一瞥すると、再びユハに顔を向ける。


「悪いことは言わん。さっさとここから帰るべきだ。こいつらはろくでもない奴らだし、ここはお嬢ちゃんが遊びで来るような所じゃないぞ」

「ハーリオドさん、私は、おだてられたり、騙されたわけじゃありません。浮ついた気持ちでここに来たわけじゃないんです」


 ユハは表情を引き締めると、頭を振った。ハーリオドは、微かに眉根を寄せるとユハを見つめた。


「私は、カドラヒさんの助けが要ります。そして、その対価を払わないといけません。その為に、私は持てる力を尽くします。これは、互いに納得した公平な取引なんです」

「ハーリオド爺さん。あんたが昔、言ってただろ。敵にしろ、味方にしろ、覚悟を決めて生きてる奴は信用できるってよ。ユハたちは、覚悟を決めて生きてる奴らだ」


 カドラヒが腕組みすると、ハーリオドを睨み付けるようにして言う。ハーリオドが口を開くが、それを遮るように言葉を続けた。


「そりゃあ、長く生きてるあんたから見たら、ただのガキが戯言を言ってるだけのように聞こえるかもしれねえ。……だけどな、ユハには覚悟がある。俺からすれば、信用できる頼もしい取引相手さ」


 ハーリオドは小さく唸り声を上げると、カドラヒを見て、ユハを見た。


「お前が俺の雇い主だ。そこまで言うならもう何も言わんよ」

「ありがたいね。そういうわけだから、これからユハたちを助けてやってくれよ」

「……仕方あるまい」


 納得はしていないようだが、ハーリオドが頷いた。


「さてと……、爺さんに紹介は済んだしな。これからこいつらを“物置”につれていくよ」

「なっ! なんだと! いくらなんでもそれは……」


 表情を険しくしたハーリオドを、カドラヒは見据えた。


「ハーリオド。俺はこいつらを信用したんだ。悪いが、俺のやり方を通させてもらうぜ」

「勝手にしろ!」


 舌打ちしたハーリオドは、家屋に入っていった。


「すまんな。あの爺さん、愛想がなくてよ」


 カドラヒは苦笑するとユハたちに顔を向ける。


「いいえ。お年寄りの頭が固くて頑固なのは、よく知っています。田舎の村でもあんな人がいましたから」


 シェリウが澄ました顔で答える。


「あの……、良かったんでしょうか?」


 自分はシェリウほど割り切ることができない。ユハは、カドラヒとハーリオドの仲違いの原因になったのではないかと心配になった。カドラヒは右手を軽く振ってみせる。


「ハーリオド爺さんはいつもあんな感じさ。ぶつぶつ文句を言いながらも仕事はきっちり済ませる。聞き流しとけばいいんだ」


 そうして、彼らに促されて歩き出す。


 家屋の離れにある小さな倉庫へと案内された。


「ここが“物置”だ」

「“物置”……。何が置いてあるんですか?」


 木造のその倉庫は、まさしく“物置”だ。商品などを大量に備蓄することができるほどの大きさではない。日常使う道具の類を置いておくことがせいぜいだろう。


「必需品だよ。軍人も、商人も、農民も、僧侶も。大金持ちも、貧乏人も、物乞いも。どんな人間でも、こいつを口にしなけりゃあ生きていけない」

「……塩か?」

「お、察しがいいな」


 ラハトの答えに、カドラヒは笑みを浮かべた。そして、倉庫の扉を開く。中には、箒や桶、鍬や鋤といった道具が乱雑に置かれていた。


 ダリュワが足を踏み入れると、床に置かれた道具を脇に寄せる。屈みこみ、床板の一部に指を入れた。


 小さく声を発すると同時に、床板を持ち上げる。その下には、地下へと続く階段があった。


「明かりがないと暗いからな。ちょっと待ってな」


 カドラヒが言うと同時に、ダリュワが階段を下っていった。しばらくして、何かを抱えて上がってくる。それは、大きな麻袋だった。


「こいつが俺たちの商品だ」


 袋の口を開くと、中には塩が詰まっている。


「塩は国の専売のはずですよ……」


 シェリウが、強張った表情でカドラヒを見た。カドラヒは肩をすくめると答える。


「生活必需品を、お求めやすい値で。市場の塩は高すぎると思わねえか? そこで、善良な商いを信条としている我らが商会の出番ってわけだ」

「塩の密売は大罪です」

「ああ、その通り」


 カドラヒは口元を歪めるとシェリウを見つめる。


「だが、それがどうした、って話だ。捕まるまでは、罪じゃねえ」

「これが、……弱み、ですか」

「そうだ、ユハ。俺はあんたたちを信用してこいつを見せた。だが、あんたたちが役所に駆け込めば俺たちはお仕舞いだ。巻き込まれるのが嫌なら、今すぐここから出て行くこともできる。役所に俺たちのことを告げ口すれば、報奨金が出るかも知れねえ。ラハトとシアがいるからな、俺たちもあんた達を止めることはできねえ。……さあ、どうするよ」


 自分を見つめるカドラヒの挑むような目。ユハは息を呑み、そして頷いた。


「ここまでの旅で、正しいことを言っている人が正しいとは限らないと知りました。それに、その人が信じている正しさが、別の人にとっては正しいとは限らないって事も……」


 修道院にいた頃は、世界は単純だった。そこで学んだ聖なる教えは、ただ一本の柱として世界を貫き、支えていると信じていた。しかし、アタミラで様々な人々に出会い、様々な苦難に面した今、それは無知から来る愚かさだったと気付いた。聖なる教えは、観る人によって違う花や葉をもった、多くの枝葉をもった大木だったのだ。それは、ある人にとっては美しい花であっても、違う人にとっては禍々しい毒花に見えている。瑞々しい緑生い茂る枝の先に腰掛けている人もいれば、枯れ細った枝の先にしがみついている人もいる。無数の信徒が縋り付くこの大木をどこから眺めるのか。ユハはそれを自分に問いかけるようになっていた。


「きっと、何が正しいのか、それは最後には自分で決めるしかないのだと思います。だから、私は自分が正しいと思ったことを信じます。そして、今、カドラヒさんたちを信じます」

「ああ、いいね。そいつはいい。ユハ、あんたは本当に面白い奴だ」


 カドラヒは満面の笑みを浮かべると、ユハの肩に手を置く。


「『皆は同じ船にのった船乗りとして旅をする』。これであんたたちも大罪人の仲間入りだ」


 皆を見回し、カドラヒは大声で笑った。

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