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砂塵の王  作者: 秋山 和
奔流
114/220

24

「ご覧の通りよぉ、イフラム。鼠が悪さをしたの。こいつらが、このを奪いにきたのよ」


 月瞳の君は、困惑した様子の月輪の騎士に答えた。


「ほう……」


 イフラムと呼ばれた月輪の騎士は、目を細めるとラハトたちを見やる。


「スアーハの修行者は腕利きと聞いていましたが、皆、この二人にやられたのですか?」

「そう。この二人のほうが上手だったってことねぇ。あなた達が遅かったら、私、殺されるところだったわ」

「ははは、ご冗談を、月瞳の君。……しかし、この優男と小娘が四人のスアーハの修行者を倒したのか。人は見かけによらんな」


 イフラムは笑いながら小さく頭を振ると、鞘から剣を抜き放つ。紅い刃を見せ付けるようにして、その切っ先をラハトたちへと向けた。


「貴様ら、この場で縛につけ。大人しく我らに従うならば、良し。従わぬならば、命の保障はない」


 ラハトはそれに答えることなく彼らを見た。その左腕は血に塗れている。全身も傷だらけだ。その後ろに立つシェリウは、強張った表情でラハト、月輪の騎士、ユハと、落ち着きなく視線を行き来させている。


 ユハは胸の締め付けられる思いで成り行きを見守っていた。シェリウとラハトが、自分を助けに来てくれた。しかし、それによって今や自分たちを危機に追い込んでいる。視線を下に向ける。彼女の右腕は今だ月瞳の君に掴まれたままだ。


 顔を上げると、月瞳の君が笑顔でユハを見ている。


「もうちょっと我慢していてねぇ。騎士たちには船で迎えに来てもらったの。運河を通っていくから、大聖堂まですぐよ」

「お願いです、月瞳の君。私たちを……、帰してください」

「いい加減にしないと、怒るわよ」


 月瞳の君は、懇願するユハを睨んだ。その瞳に気圧されて、ユハは俯く。しかし、一方で、沸々と静かな怒りが湧き起こってくる。どうして、自分はこんな理不尽なことに巻き込まれなければいけないのか。修道院での穏やかな日々を壊され、望んでもいない力の欠片を押し付けられ、友人と引き離され、物として扱われ、あるいは会ったこともない偉大な聖女王と重ね合わせて扱われる。そこに、ユハ自身の意思が介在することは許されていない。


「私は……」


 ユハは顔を上げる。そして、月瞳の君を見据えた。


「私はもう、怒っています。……私は、ユハ。大聖堂になど、行きません」


 ユハの体から、静かだが強い、不可視の力が発せられた。それは、離れた所に立つ騎士や兵士たちにも感じられるものだ。魔術の素質がない兵士たちは、自分たちの感じた力が何なのか理解できずに、困惑と驚きの表情で自分の体を見下ろし、互いに顔を見合わせる。


「なるほど……、月瞳の君がわざわざ出迎えただけの事はある。これは……、本物だな」


 イフラムが感嘆の表情でユハを見た。


 月瞳の君は口を噤んでユハを見つめている。その縦長の瞳には、困惑と驚きの光が浮かんでいるように見えた。


「ユハ。必ず助けるから」 


 静かだが力強い口調でシェリウが言った。ユハは慌てて頭を振る。彼女を巻き添えには出来ない。


「駄目、シェリウ! 逃げて! 早く!」

「わざわざ、何のためにここに来たと思ってるのよ。あんたを置いて逃げられるわけないじゃない」


 笑みを浮かべたシェリウは、そう答えるとラハトの傍らに並んだ。彼を見上げ、頷いて見せる。ラハトは、そんなシェリウを見て、口を開いた。


「シェリウ。俺はここで、こいつらを出来るだけ殺す。お前は何とかユハを連れて逃げろ。ここから先、俺はお前たちを助けてやれない。逃げ延びられるのかは、お前たちの才覚次第だ」

「そんな……。ラハトさん、死ぬつもりですか?」


 ラハトの答えに、シェリウは顔を歪める。ラハトの体から感じる禍々しい気配が増した。口から漏れる吐息が、心なしか青色を帯びているように見える。シェリウの問いに、ラハトは小さく頷いた。


「誰の指図も受けずに、己の選んだ道を進む。どこで生きるのか、どこで死ぬのか。誰を生かすのか、殺すのか。全て己が決める。俺は、そのために命を懸けて、ここまで逃れた。そして俺は、自分の意志でお前たちを助けた。だから俺は、これからのお前たちの運命にも責任を負っている」

「だったら、生きましょう! 私たち三人で逃げ延びるんですよ!!」


 縋るような表情のシェリウに、ラハトは頭を振った。


「シェリウ……、落ち着いて考えろ。ここから皆逃れることは不可能だ。だとしたら、選別をしないといけない。助けるべき命と、諦めるしかない命だ。それを決めておかなければ、助かる命も助からなくなる」


 私はこんな光景を見た。静かに立つラハトの姿。古い記憶が蘇り、心を揺さぶる。その衝撃に、ユハは呆然と立ち尽くした。私は昔、誰かに救われ、その人を見捨てた。どんなに手を広げ、どんなに叫んでも、全てを救うことはできない。必ず、その指から零れ落ちる命がある。悲しみと自責の念が心を突き刺す。


「野良犬の矜持か」


 イフラムは小さく溜息をつく。


「偉大なる御方に仕える身としては、寄る辺のない者の哀れな考えだと思うが……、命を惜しまぬその意気や良し。その覚悟に敬意を表し、月輪の騎士として、礼をもって応じよう」


 そう言って、左手を上げた。傍らの騎士たちは、頷くと次々に剣を抜き放つ。


「皆、侮るな。奴らは腕利きだ。隙を見せれば、喰い殺されるぞ」


 イフラムの言葉に、騎士たちは鋭い声で応じた。

 

 また私は、大切な人たちを見捨ててしまう。ユハの中で、様々な記憶が沸き起こり、入り混じり、感情をかき回す。恐怖が、怒りが、悲しみが、断ち切ることのできない鎖となってその体を縛った。声を上げることも、手を上げることもできない。


「ここに入ってはならん! 立ち去れ!」


 一歩、二歩と騎士たちが進み出た時、その背後で兵士の大きな声が発せられた。


「どうした?」


 イフラムが、ラハトから目を離さないまま問う。兵の一人が答えた。


「は、怪しい風体の者がここに入ろうとしていますので、止めております」

「お前たちの仲間……、ではなさそうだな」


 イフラムはラハトたちの表情を見て言った。


「入るなと言っているだろうが。入る……」


 兵士の声が唐突に途切れた。


 床に、鈍い音とともに跳ね飛んで来た何かが転がる。それは、何かを言おうと口を開いたままの兵士の頭だった。


 兵士たちが、驚愕と、恐慌と、怒りの入り混じった叫びを上げた。


 まるで熱風が流れ込んでくるように、凄まじい気配が室内を侵食する。その怖ろしい力は、ユハの肌を粟立たせた。傍らの月瞳の君の表情が険しくなり、喉の奥で小さく威嚇の唸り声をもらす。


 その突然の乱入者に、騎士たちも注意を向けざるを得ない。


 外套をきた長身の人影は、抜き身の剣を下げたまま、ゆっくりと室内に踏み込んだ。その異様な気配に、取り囲む兵士たちも後退りする。


「貴様……、何者だ」


 緊張の色が滲むイフラムの問いかけに答えることなく、左手で頭巾フードをおろす。長い白銀の髪が波打つ。そこには、一つの頭に、瓜二つの顔が左右に並んでいた。その顔は、性別も定かではない中性的なもので、美しく整っている。作り物の仮面ではない証拠に、銀色の瞳孔と本来白目の部分が黒く染まった異様な色彩の双眸が二組、ゆっくりと動いて周囲を睥睨していた。


 それを見た者たちは、異様な風貌に驚きの声をあげ、あるいは息を呑む。

 

 双顔の持ち主はすぐに視線を止めた。四つの銀の瞳が一点を見つめる。ユハは、双顔と目が合ったことで身を強張らせた。 


「災厄のあるじとそのらよ。汝らがこれ以上罪を重ねぬために、これより贖罪の機会を与えよう」


 双顔の持ち主の口は結ばれ、沈黙を保ったままだ。しかし、この場にいた者は皆その言葉を理解した。声ではない声が、頭の中に響いたのだ。その声は硬質で、何ら感情を帯びていないものだった。


 双顔は外套の裾を勢いよく左右に翻した。それは、はためく先から羽毛に変じていき、そして、巨大な銀色の鳥の翼となって大きく広がる。翼の内側には、見たことのない意匠の装飾が施された鎧姿。そして、それぞれ自由に動く四本の腕がある。その手に戦鎚、短槍、円盾、剣を握り、翼と同じように大きく広げた。


 兵士たちが、恐怖と動揺の声をあげた。


 精霊だ。それも、とても力を持った上位の精霊。ユハは隠すことなく溢れてくる力を感じ取って、確信した。


「槍で囲め! 囲むだけだぞ! 勝手に動いてはならん!」  


 イフラムが兵士たちに命令する。それに応じて、兵士たちは双顔の精霊を包囲した。しかし、明らかに腰が引けており、精彩に欠けた動きだ。


 次の瞬間、精霊が動いた。


 取り囲む槍のけら首を切り飛ばし、盾で跳ね除け、兵士に迫る。兵士たちは動揺して後ろに退いた。包囲の輪が崩れそうになる。それを見た月輪の騎士たちが、気合の声を発しながら精霊へと向かった。


 その混乱の中で、ラハトとシェリウが月瞳の君とユハの元に駆け寄った。


「ユハ!!」

「シェリウ! ラハトさん!」


 二人に駆け寄ろうとするが、月瞳の君が腕を掴んだまま許さない。月瞳の君は、睨み付けたユハを省みることなく、二人に視線を向けた。


「ユハを離せ」


 ラハトが金色の瞳で月瞳の君を見据える。


「駄目。私たちはここから逃げないといけないから」


 月瞳の君は頭を振った。ユハは叫ぶ。


「私はシェリウと行きます!!」

「ここでぐずぐずしている暇はないわよ。あいつの標的はあなたなんだから」

「私?」


 思いもしない言葉に、ユハは問い返す。


「そう。あいつは、災厄の主って言ったでしょう? かつて、巨人王が聖王のことをそう呼んでいたのよ。高貴なる人々に連なる力。それが、あいつにとっては災厄の主の力ってことなのよ」

「それは……、あの精霊もユハに宿った力の欠片を知っているということですか?」

「そういうことになるわねぇ」


 シェリウの問いに、月瞳の君は頷いた。身を乗り出したシェリウは、問いを重ねる。


「月瞳の君も精霊ですよね。立ち向かうことはできないんですか?」

「あんなのに勝てるわけないじゃない。私は、姉さんと違って戦うのは好きじゃないのよ」


 肩をすくめた月瞳の君は、騎士と兵士たちを相手に暴れ回る精霊を見た。その動きはまるで嵐のようで、九人もいる彼らが明らかに翻弄されている。しかも、兵士の槍は精霊に傷を負わすことができないようだ。 


「あいつは肉を具えた精霊じゃないから、ずっと現世うつしよにいることはできない。だから、あいつが去るまで待つのも手ねぇ。だけど、このままここで突っ立っていたら、首が胴体と離れることになるのは確実だと思うけど」

「だからユハを連れて逃げ回るということか」

「そういうこと。あいつが現世うつしよに居られなくなるまで、逃げ回ってやるのよ。私は、逃げるのは得意なのよねぇ。あなたたちも、このが欲しいのなら、付いてきたらいいわ。あいつが現世うつしよから去るまで、追いかけっこをするのよ。この娘のことは、その後で片をつければいい」


 月瞳の君は、挑発するように首を傾げた。


「どうするの、色男。あんたもここであいつと戦って死ぬ気なの? 責任だなんだって偉そうなこと言っておいて、この子達を見捨てるつもり?」

「いいだろう……。お前を後ろから追い回してやる」 

「ふふふ、置き去りにされないように頑張りなさい」


 頷いたラハトを見て、月瞳の君は笑みを浮かべる。


 悲鳴が上がる。見れば、同時に二人の兵士が倒れていた。一人は剣で斬られ、一人は短槍で足を貫かれている。さらに、動きの止まらない双顔の精霊は、踏み込みながらイフラムに戦鎚を振るった。イフラムはその一撃を剣で受け止めるが、凄まじい力によって吹き飛ばされるようにして転がった。 


「イフラム」


 月瞳の君は、足下に転がってきたイフラムに呼びかける。イフラムは彼女を見上げた。 


「月瞳の君、これは失礼を。なにしろ、このような状況なので非礼はお許し願いたい」


 イフラムの謝罪に頷くと、月瞳の君はユハを指した。


「あいつの狙いはこの娘なの。私たちはここから逃げるから、何とか時間を稼いでちょうだい。まともに戦わないで、死なない程度に頑張ってね」

「使徒様は難題を仰るものだ」


 立ち上がりながら、イフラムは溜息をつく。


「無理だと思ったら、いつでも退いてもらって構わないわ。変な意地は張らないでねぇ。言っておくけど、精霊殺しの名を得ようなんて考えないこと。死ぬわよ」

「肝に銘じておきます」


 イフラムは頷くと、ユハを一瞥した。


「それでは、月瞳の君と、分かたれし子よ。無事を祈っております」

「あなたもね」


 月瞳の君は頷くと、ユハを見て、ラハトとシェリウに顔を向けた。


「さあ、逃げるわよ」


 背後で、怒号と剣戟の音が鳴り響く。その音を振り切って、四人は駆け出した。

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