39 取り壊し前の家で
二階の窓の外、西日に照らされた木が目の前にある。もうすぐ秋なんだと、その色を見て思った。今は9月の一週目の金曜だけど、あと二十日もすれば秋分の日で、昼間より夜の時間が長くなる。
諦めにも似た気持ちで静かに息を吐きだすと、階段を下りた。階段の下で待っていた彼、吉田鷹広に、私、高槻由真は聞いた。
「上に行ってみる?」
「いいの?」
「うん。だけど、上がった先には進まないでね」
「危ないからだよね」
「そう」
脇に避けた私の横を、入れ替わるように彼は階段を上っていった。待つほどもなくすぐに彼は降りてきた。
「なんともなさそうなのに」
「私もそう思うけど、柱が歪んでいると言われたからね。危ないことはしないに限るよ」
私は苦笑いを浮かべてそう言うと、台所へと足を向けた。そこを覗いてからお風呂とトイレも見てから玄関に戻った。
「もういいのかい」
「うん。もうすぐ暗くなるでしょ。いまはこの家の電球はすべて外してあるから、灯りはつかないから」
靴に履き替えて家の外に出ると、私は玄関の鍵をかけた。
それから庭へと回った。
「う~ん」
「どうかしたの」
庭から家を見ていたら、彼が悩んでいるような声を出した。
「えーと……」
「何か気になるの?」
彼は言いにくいのか、視線をさ迷わせている。
「その、言っていいのかな?」
「だから、逆に気になるから、はっきり言って欲しいかな」
「じゃあ言わせてもらうけど……確か、始めて会った時に、家が半壊したって言ってなかったかな。でも今見た限り、そこまでひどくないよね」
「ああ、そうね」
私はそう答えると、庭の奥へと歩いて行く。
「嘘ではないのよ。これを見ればわかると思うな」
「うわー」
彼は私が指さす方を見て、声をあげた。そこはブルーシートがかけられているけど、壁があるべき場所に穴が開いていることは想像できるものだった。風が吹いてシートがへこんだから。
それに不自然にそのそばに土が顕わになっている場所もあった。
「えーと、もしかしてここに建物が在った、とか?」
「うん。もともとは祖父の兄弟……妹だったかな? 夫を亡くして戻ってきた時に、離れを建てたんだったと思う。数年居たそうだけど、縁あって再婚をしてこの家を離れたそうなの。その後は、祖母の趣味部屋と化していたのよ」
「趣味部屋って?」
「祖母はお茶やお花の師範の資格を持っていて、ここで教えていたのよ」
「ああ、だから高槻さんは着物を着ることが出来るのか」
彼がそう言ったことに少し驚いた。普通の中学生はお茶やお花の時に、着物を着て行くことを知らない人が多いと思っていたから。
私の訝しそうな表情を見た彼は、頬を指で掻く仕草をした。
「そのさ、うちの母も前はお茶を習っていたんだ。たまにお茶会に行く時に着物を着て出かけていたからね」
「そうだったんだ。祖母が生きていたら、話が合ったかもしれないね」
離れは六畳の部屋と小さな炊事場があるだけだった。トイレやお風呂は母屋のものを使っていたそうだ。私や花南たちもここで着付けを教えてもらった。
だから……あの時は本当にびっくりした。先生に言われて急いで家に戻った私は、トラックに突っ込まれて倒壊した離れと、その倒壊した離れが母屋に圧し掛かるようになっているのを見たのだ。
私が茫然と見つめていることしか出来ない間に、連絡を受けた父が帰ってきた。
父も現場を見て絶句していたけど、すぐに我に返ると被害状況を消防の人に聞きに行った。
この日は午後も遅くなってから家の中に入る許可が出た。でも、二階、それも西側の部屋に入ることは難色を示されたけど、そこが私の部屋で勉強道具などが置いてあることから、様子を見ながら必要な物だけを下へと運び出した。
翌日から離れの解体と、傾いた母屋の柱の補強に空いた大穴(床の間の部屋の押し入れの部分がそう)の保全をして貰ったけど、家屋調査士……だったかな?
地震などの後に家屋の診断をする人に見て貰ったら、居住するのには適さないとなった。なので、急遽入れる部屋を探して引越すことになって……。
一応夏休みに入ったら引っ越すことになっていたから、冬服などは梱包して一階の空き部屋に置いていたし、週末には使わない部屋のものを片づけたりしていたのよね。
たまたま床の間の部屋のものを、早いけどもう片付けてしまおうと言って、その前の日曜に掛け軸などを外して押し入れの中の物も、いる物といらない物に分けたところだった。押し入れから出して部屋の中央に置いていたから、駄目になったものはなかったのだけど……。
そんなことを思い出していたら、彼の呟きが聞こえた。
「やっぱり高槻さんはお嬢様じゃん」
私はそれを聞かなかったことにして、もう一度何もなくなった場所を見た。そこにどこからか飛んできたのだろう草の芽を見つけて、雑草って雑草という通りにどこにでも生えるんだと、変な感想を抱いてから振り切るように彼のほうへ勢いよく振り向いた。
「お日様が完全に沈む前に帰ろう」
「もういいの」
「うん。行こう」
(家にいたのは30分くらいかな。時計が無いから分からないけど)
私は先に立って歩き出し、自転車を引いて通用口から外へと出て鍵を掛けた。彼に学校前への道の方向を教えてから言った。
「じゃあ、帰ろう」
「うん」
彼は頷いて、先にペダルをこぎ出した。
私はもう一度振り返ると……もう一度取り壊し前の家を目に焼き付けるようにしてから、勢いよくペダルをこぎ出したのだった。




