38 自転車通学5日目で
水曜から始まった昼休みの勉強会。彼、吉田鷹広を先生として数学の問題を教えてもらっています。
ああ、違った。私、高槻由真は、彼が解説する問題を聞いていることが出来ていません。
昨日の木曜の昼休みは片倉花南と委員長の田中に英語のことを聞かれて、後ろの方で教えていたのよね。
今日は永井と小梁まで加わって……じゃなくて、委員長は他のクラスメイトに理科のことを聞かれて離れたところで教えていたので、私は花南と永井と小梁に教えていました。
蕪木路香は早乙女琴音と会田結花と共に、沢渡に国語を教えています。……いや、いましたです。
なんとなくこのまましばらくは昼休みに勉強することが定着しそうです。
というのも、9月の3週目の土曜日に体育祭が行われるので、放課後にその練習が入ってきたからなの。
うちの学校は各学年8クラスある。だから、全学年全員参加と、学年全員参加と、男子全員と女子全員が参加するもの以外は、クラスから数名ずつ選ばれて競技に出ることになっていた。特に最後に行われる色別対抗リレーは、各チームとも力がとても入っている。各学年男女共に2名ずつ。計12名によるリレーは最高潮に盛りあがるのだ。
だから放課後の練習は欠かせないのである。
リレーには沢渡と永井が選ばれている。私と彼もリレーに補欠としてエントリーされている。
新学期早々の体育で彼の足の速さが注目されたのだ。けど、沢渡と永井に一歩及ばなかった。
私も陸上部の土井さんと軟式テニス部の赤田さんに及ばなかった。
でも「運動部に入ってないのに何で足が速いのよ!」と言われるのはちょっと困る。
放課後の応援合戦の練習を終えて着替えた私たち3年生は、靴に履き替えて昇降口を出たところでみんなと分かれて、私と彼は自転車のところに行った。
ヘルメットを被りながら、私は彼に確認するように言った。
「今日は別行動だって言ったのを覚えてる」
「もちろんだよ」
「じゃあ、ここで」
軽く手を挙げて彼にあいさつをして、私は自転車を押して駐輪場から出た。
「そのことなんだけど、僕もついて行っちゃ駄目かな」
自転車に跨りペダルに足を置いたところで私は動きを止めた。彼のことを見ると、伺うように私のことを見ていた。
「ついてきても楽しいことはないよ」
「楽しさを求めてはいないよ」
「そう? まあ、いいけど」
私はそう言うとペダルに置いた右足に力をいれて、漕ぎ出した。そのまま彼の前を走って校門を出る。いつもと同じ左に出て、学校沿いに左に曲がった。そのまま、学校に沿って進み、また角のところで左に曲がる。
この道は学校前の道路に比べて、車通りは少ない。それに信号もないから、どんどん進んで行ける。たまに止まれの標識があるけど、それも2か所だけだから、表通りに比べて止まる回数は少ないと思う。
そうして裏道を使って辿り着いたのは、今どき珍しい板塀に囲まれたところ。
「ここが?」
自転車を止めて鍵を取り出そうとしている私に、彼の戸惑った声が聞こえてきて、私は苦笑を浮かべた。
「そうだよ」
私は通用口の扉を開けながら答えた。自転車を押して中へと入る。彼も同じように自転車を押して入ってきた。
「本当に?」
「そうよ」
入ったところで止めて自転車に鍵を掛ける。それから先ほど取り出したキーホルダーから家の鍵を選んで握りしめた。
「高槻さんって……」
後をついてくる彼が何かを言いかけて言葉を止めた。玄関の鍵を差し込もうとした私は振り向いた。
「何? 言いたいことがあれば言えば」
「えーと、高槻さんってお嬢様なの?」
私はその言葉を聞いて玄関へと向き直り、鍵を開けながら言った。
「別にお嬢様じゃないよ。この家だってただの古い家だから」
「ただの家って、この広さだよ。敷地に入ってからかなり歩いたし」
「歩いたっていっても一分くらいじゃない」
「いや、さっき入ったところが通用口って何? 入口がいくつもあるのって、普通じゃないでしょ」
彼の言葉に返事をせずに玄関に入る。靴を脱ごうとしてどうしようと思った。さすがに約三か月放置していたからね。ほこりがうっすらと見えている。しばらく考えて週末で洗うために持って帰ってきた上靴を取り出した。それに履き替えて、すたすたと家の中へと入って行く。
直ぐに足音が追ってきたから、彼もおいて行かれたくないと思ったのだろう。
薄暗い中をまずは一階の部屋を見て回る。私は行儀が悪いことを知りながら畳の上を上靴のままで歩いた。縁側に行ってそこから窓の外をチラリと見て、すぐに隣の部屋へと向かう。
彼も少し遅れてついてくる。チラリと振り返って伺うと、純日本家屋という風情が珍しいのか、キョロキョロとあちこちを見回していた。
床の間の部屋には入らずにふすまのところで立ち止まって部屋の中を見た。何もない部屋に寂しさを感じながらも、私はすぐに踵を返した。
次に階段を上って二階へと行った。でも、上がったところで立ち止まった。これから先へは進まないことを父に約束しているから。
私はしばらく奥の自分の部屋の扉を見つめていたのだった。




