オータム 死す
燦々と照りつける日の光から、暴力的な熱を与えられダラダラと汗をかく中、僕は一匹の巨狼と対峙していた。
武器は右手にぶら下げられた傷だらけの長い直剣。
盾は持っていたけれど、先の攻撃で既にお釈迦になっている。
「くそっ…」
状況の悪さに悪態を吐くが、状況に変化があるわけでもない。無駄に喉を乾かしただけだった。
いつもならばこれくらいの雑魚はすぐに瞬殺できたはずなのだが、今日は違う。否、今日からは違う。
ここはもともとこんな殺伐とした空間ではなかった。暑さもなく、汗の流れる鬱陶しさもなく、怪我の痛みなどなかったのだ。
なぜならこの世界は、VRという技術を生かした最新鋭のゲームだったのだから。
グルルルと、狼が唸る。
それにはVRなどはるかに超える現実感があり、喰われるかもしれないという恐怖にガクガクと足が震え、構える剣の先が揺れる。
隙だらけだ。今襲われたら確実に負ける。
ゲームのシステムであるレベルやヒットポイントの恩恵がこの世界でも適用されていなければ、僕はとっくに倒されてこいつの腹の中に収まっていただろう。
そう、力はある。ゲームで培った技もある。
ゲームと同じなら僕にも攻撃力はあるはずだ。
しかし、当たらない。狼のスピードは恐ろしく早い。
どれだけ強い力を持とうと、素人が振り回しているだけだから当たるはずもない。
ゲーム時代に雑魚だったと言っても動きのパターンが決まっていたから分かってしまえば単調な作業だったのだ。
10撃ほど食らわせれば倒れていたから、ゲームと同様であったならあと7発もダメージを与えなければならない。
盾も失って瀕死だってのに…厳しい条件だ。
しかも、それが合っているかどうかも確証はない。
無理ゲーだ。
いや、ゲームですらない。
きっと…いや、間違いなく倒されたら死ぬ。
この世界は『現実』なのだから。
片手剣を両手で絞り直し、手に力を込める。
それを見た巨狼は低い姿勢から、左右へ跳ねながら、飛び込んでくる。その姿は徐々に大きくなり、口を大きく開く。
逃げれない。確信する。
世界のスピードが遅くなり僕の脳はフル回転した。生まれた時からの記憶を遡り、小、中、高の記憶の中で生きるために役に立つ記憶を探した。
「力こそパワーだぜ。」
どこかで聞いたことのある台詞を得意げに、キメ顔で言っていた親友の顔を思い出す。
僕の走馬灯はそこに答えがあると、指し示す。
つまり、何も考えず思い切り振れってことだ。
体は言うことを聞いた。
両手で持っていたことで、まるで野球のバッターのように構え、渾身の力で剣を振り抜く。
ズバッと音が聞こえた。
何かが切れた音だ。
目の前にいたはずの巨狼はいない。しかし周囲にはおびただしい量の血が噴出している。
やったか……
僕は恐る恐る後ろを見た。
そこには、巨狼がいた。
ただ、変だった。おかしかった。
巨狼の死体ではない…どころか巨狼は健在である。口周りに大量の血が付いているだけで、戦意はまるで削がれていないようだった。
再度剣を構えようとして……あれ?
目の前に来るはずの剣の先がない。折れたのだろうか。視線を下に下げる。剣どころか握っている筈の手もない。腕は前にある感覚があるのに、視界にはそれがない。
僕の腕どこだ。
視線は何気なく巨狼へ向かう。
よく見ると血に濡れた狼の口元には見覚えのある剣があった。それを、強く握りしめた手もそこにあった。服の袖も歯の隙間からちらりと見えた。
つまりはそういうことだった。
呆然としている間に、今度はフェイントを掛けることなく狼の巨体は真っ直ぐに僕の方に飛びかかりーー
意識はそのまま消失した。
プレイヤーネーム 『オータム』。
本名 工藤 秋。
この物語において主人公とされる男の人生はここで呆気なく幕を閉じたのだった。
ーーー
「うぇ…食われちゃったよ。怖〜」
そんな顛末を、やや離れた丘の上で青い顔をして見ている男がいた。
彼の名は工藤 秋。プレイヤーネーム『オータム』としてゲームを遊んでいた、先ほど死んだ男である。
そんな男の見つめる先では、腕と頭部をなくした人間が転がっており、どこかに隠れていたらしい数匹の子どもの(普通サイズだが)狼が死んだ人間の肉に噛り付いている。
「…あれは、無傷じゃあ勝てないかな。」
鞘に入れた小太刀と大太刀を揺らしながら、男は立ち上がる。
先ほどのオータムが着ていたものより遥かに上等の服、更に他の装備品も不思議なオーラが目で見える程に強力なものである。
それらを幾つか点検し、オータムは駆け出した。
足音はない。しかし、恐るべきスピードで彼は走る。
目的地は正面の遥か遠くに見える街。
この世界がVRゲームから現実世界へと変わった始まりの街。
ゲーム世界の制作者が初めて作り、プレイヤーが初めて出現する街。
始まりの街『ビギン』
ここが全ての物語の始まりである。
書いた理由は食欲の秋だからです。