絵の具
それは、ごく平凡な油彩画だった。窓辺にたたずむ妙齢の女性が描かれている。色彩に見るところがあるわけでなし、構図が光るわけでなし、技巧に秀でるわけでもない。
「素敵な絵ですね」
それでも私がそう漏らしたのは、何かこの絵の中の女性が生き生きしていたような気がしたから。もっとも、女性はうつむき加減で表情に少し陰りがあり「生き生き」とはかけ離れていたのではあるけれども。「描かれる人物に血が通っている」というべきか。
「そういってもらえるとうれしいよ」
私をエスコートする男性はそう言ってほほ笑んだ。ここはこの男の自宅で、私は彼にコレクションを見せたいと招待された。立派な屋敷。私にも少しの下心があるので、念入りに着飾っている。
「まだあるよ」
次々、見せられた。かなりの数。被写体はすべて妙齢の女性だった。いずれも、上手いわけではないけど描かれた女性の存在感は際立っていた。作者が被写体に愛情を注いだ結果なのかもしれない。
「ははは」
男にそう言うと、笑った。
「もしそうだとしたらこの作者はずいぶんと好色家だな」
作品数の多さを指摘してそう言った。サインの横の製作年月日を見ると、時期が重なるものがある。二股をかけるどころの話ではない。四人、五人を同時に、同じだけ愛していたのか。
「実はこの作家ね」
にやにやしながら男は話しはじめた。
「生身の女性には興味がないらしいよ」
「つまり、描かれた女性たちに愛情を注いでいたわけではないということでしょうか」
男は頷く。
「じゃあ、この愛情が注がれたような、今にも動きだしそうな血の通った絵はどうやって描かれたのでしょうね」
のどから手が出そうなほどの興味を押し殺し、自然な会話を装い聞いた。
「私にわかるわけはないだろう」
嘘。
私は知っている。
これらの作品の作者が彼であることを。
「この作者の作品をこれだけコレクションしているあなたですもの。ご存知かと勘違いしてました」
とびっきり魅力的に微笑する。何とか聞き出さないと、私は私の師匠からお叱りを受けてしまう。
「もしかしたら、絵の具が違うのかも」
男も薄く笑みを浮かべる。
「絵の具?」
「そう。例えば、人物を描く前にその部分にある絵の具を最初に下地として塗り込んでおいて、わざと油絵の具の乗りを悪くしておくとか……」
「ある絵の具……」
「おっと、そこだ」
知らず身を乗り出していた私を、男がはぐらかした。
「その階段の手すりに手を掛けて。……そう。顔は物憂げに階下に流して……うん、いいよ。この時間帯は背後の窓の光も淡くて微妙で……おっと、もうちょっとそのまま。君はきれいだ。そうしていると午後のけだるさをまとった女神のようだ」
「ねえ、下地に使うある絵の具って……」
「もうちょっと。もうちっょとそのままで。……そう、心に焼き付いて来た。もう見なくても描ける。おっと、血が通った絵を描くため下地に使う絵の具だね。そのまま、そのまま。今、それが何か見せてあげるから」
そう言って目をぎらぎらさせた男は、懐からいかにも切れ味鋭そうな禍々しく光るパレットナイフを取り出した!
おしまい
ふらっと、瀨川です。
他サイトの同タイトル企画に出展した旧作品です。瀨川潮♭名義だったかなぁ。
割とストレート。
ひねることができませんでした。
ただまあ、油彩絵の具に異物混入させて質感出しました、みたいな話も聞いたことあるのでそれから転がして、な感じです。