天国へ行ったカンダタと迷惑を被った天国の住人 蜘蛛の糸(続編)
[はじめに]
蜘蛛の糸は、芥川龍之介が書いたあと、あのカンダタはどうなったのか、疑問だった。
芥川龍之介の書きかけの原稿メモが、古本屋から手に入れた本の中から見つかったので、それを芥川に代わって発表しよう。
[これまでの話]
悪事を働いていたカンダタは、当然のように地獄へ行き、地獄で、責め苦を味わった。そんなカンダタも一つぐらいは、よいことをした。クモを助けた。そこで、ほとけ様は、カンダタを助けてやろうと思った。ほとけ様は、地獄にいたカンダタたちに、くもの糸をたらした。が、地獄から、カンダタの後に、つづいてきた者たちの重みのせいで、クモの糸は途中で切れてしまった。カンダタたちは、地獄へもどった。
[カンダタの反省]
カンダタは、クモの糸をひとりじめにしたのがいけないということを作者はいいたかったかどうかは、定かではないが、カンダタが、怒鳴った、そのすぐあとに、クモの糸が切れたのが象徴的だ。
そこで、カンダタは考えた。
・糸を切る。
自分の登り終わった後の糸を冷静に切れば良かったといえば、そのとおりだろう。これが、一番、合理的な選択だろうな。
・仲間を連れていく。
ほとけ様が、もっと丈夫なクモの糸をよこせばよいのだ。ひとりで、見知らぬ天国などへ行くのも実は不安だ。悪事をなすにも、仲間がいるように、見知らぬ土地へ行くのにも、利用できる仲間がいるのだ。
[ほとけ様の思い]
・カンダタをこのまま見捨てる
ほとけ様は、カンダタをはじめとする、愚かなる人類を見捨てることはできないので、助けるしかない。
・クモの糸をもう一度、地獄へおろす。
切れてしまわないように、丈夫なものにする。
[結果]
ほとけ様は、丈夫なくもの糸を使い、カンダタとその仲間たちは、天国へたどりついた。
[天国?地獄よりひどいじゃないか]
天国へたどりついたので、カンダタ達は、大いに喜んだ。しかし、喜びは長くは続かない。
天国は、富士山の山頂と同じで、赤い土と、溶岩ばかりで、なにもない。
金もなけりゃ、食い物もない。エッチをしようにも女はいない。
[天国は天国なのだが]
実は、ほとけ様の教えを書いた書物は、あちらこちらに、無造作に、山のように、置いてあるのだ。
好きなだけ、読み放題なのだ。そして、ほとけ様はじめ立派な方々がおられるわけだ。
これが、天国の天国たるゆえんである。
天国の住人達は、幸せなわけだ。
[カンダタ達がつまらない理由]
酒もなければ、煙草もない。女遊びもできない。
カンダタは、だまされたと思い、仏さまに文句をいった。
「いいところだというので、来てやったんだが、何もないじゃないか。この嘘つき野郎。おれたちをだましたな。」
[天国の住人達]
ほとけ様は、静かに笑っている。
ほとけ様のまわりには、観音菩薩(かんのんさま、なんでも願いをかなえてくれる)や、普賢菩薩(ふげんぼさつ、頭がいい)、文殊菩薩(もんじゅ、もっとも頭がいい、3人よればもんじゅの知恵の文殊)、薬師如来(やくしにょらい、病気をなおしてくれる)など盗んだ仏像で、見覚えのある菩薩や如来たちの顔があった。
[カンダタ達のヒートアップ]
「やい、笑ってないでなんとかしろよ。この落とし前をどうつけてくれるんだ。おい、そこの文殊、貴様は、智恵の神か、仏かは知らんが、たいそう頭がいいってことは知ってんだぞ。」
「そうだ。何とかしろ。でないと、ほとけ様は、嘘つきで、文殊は、ばかだとふれまわってやるからな。」
「訴えてやる。損害賠償を要求するぞ。」
「気に入らないから、ぶん殴ってやる。」
「おれたちは、被害者なんだぞ。天国で、のうのうと生きているお前たちに、おれたちの苦しみがわかるかってんだ、こら。」
[文殊菩薩の思い]
文殊にしてみれば、勝手に、地獄から、天国へ忍びこんどいて、なんたる言い草か。
気の毒な文殊は、どうやらカンダタたちに殴られたようでした。
カンダタ達にとって、一番頭がいいなんて、気に食わないしなあ。
文殊をはじめ天国の住人達は、彼らに来てほしかったわけではありません。
でも、ほとけ様は、あまりにも地獄の責め苦にあえぐ者たちが気の毒で見捨てることはできなかったのでした。文殊は、こうなることはわかっておりましたから、なんども反対をしました。
しかし、文殊の知恵をもっても、ほとけ様の意思を変えることはできませんでした。
[文殊菩薩の知恵-書物を金にかえる]
文殊菩薩は、知恵をしぼりました。知恵の菩薩だけあって、さすがに目のつけどころが違いました。
文殊は、ほとけ様の書物を全部、金の延べ棒に変えました。
[カンダタ達の豹変]
カンダタ達の目の色も変わりました。もうみんな必死です。
ほとけ様や文殊への文句なんて後回しです。
とにかく、金の延べ棒を集めることが先決です。
途中で、殴り合いが始まりました。服をうばって、袋のかわりにしようとする奴。
うまいこといって、詐欺をしようとたくらむもの。
天国ではおぞましい光景ですが、地獄ではいつものことです。
でも、地獄には、これほどの金の延べ棒は落ちていないのです。
[天国と地獄の違い]
天国では、金の延べ棒は、なんの価値もありませんが、地獄では、「地獄の沙汰も金次第」というように、金がある程度ものをいいます。
だから、地獄の住人達は、もう死んだというのに、一生懸命金集めに精力を注ぎます。
鬼たちに、賄賂を贈る。
鬼たちは、金をだせば、労働は免除させてくれるし、パンやスープなどごちそうもふるまってくれます。
女や男もあっせんしてくれて、エッチなことも楽しめるわけです。
もう死んだのですから、胃腸はないわけですから、腹は減らないはずですし、子どもを造る必要もないので、エッチなことも必要がないはずですが、こういうことは巨人軍と同じで永久に不滅なのですね。
[カンダタ達の争い]
カンダタの仲間で、一番、力の強いものが、勝ちました。
一番力の強いものが、金をひとりじめしようとして、仲間の集めた金を奪っていったのですが、まだまだ、金は山のようにありましたので、残りの者たちは、また、金を集めます。
また、争いがおきます。山のようにあるのだから、争うことはないと思うのですが、欲望は尽きることがないのですね。
[カンダタの後悔]
カンダタは、後悔しました。
もっと利用できると思ったのに。
自分以上に、陰険で、狡猾で、ずるい奴はいないと思っていたのですが、なんのなんの。
上には上がいるわけです。
争いで、カンダタは、足をやられ、身動きがとれなくなってしまいました。
金が集められない。動けない。
[文殊の作戦]
ここから、文殊の出番です。
文殊は、法力を使って、天国にあった、金の延べ棒を地獄へ放り投げました。
金の延べ棒につられて、仲間たちも、地獄へ戻って行きました。
地獄の方が、金は使い勝手もいいわけだし。
カンダタは、足をやられているので、動けないのです。
[カンダタのあがき]
「畜生、畜生。」なんておれは運が悪いんだ。
「おい、薬師如来、おれの足をなおせ。なおすのが、おまえのしごとだろうが。おれたちのお布施で、養われている身の上だろうが、なんとかしろ。」
[薬師如来のあわれみ]
衆生は度し難し。
薬師如来には、病を治すことができる。
なんと、薬師如来は、カンダタの足を治すだけでなく、頭のなかみまで、治してしまった。
[カンダタは生まれ変わった]
さて、悪人どもは天国から去り、カンダタは残りました。足もすっかり治りました。
天国は平穏な世界へと戻りました。
カンダタは、頭のなかみまで、変わってしまったので、知恵が浮かんでは消え、消えては浮かぶ、まるで、文殊菩薩のようです。
[天国の世界]
カンダタははじめてわかりました。
天国はやっぱり天国なのだ。
[食欲は満たされる]
おなかが、減ったと思ったのは、幻想で、腹が減ることもない。
食欲をみたすだけであれば、想像すればよいのだ。おいしいものを想像すれば、それが食べたと同じ感覚となって感じられるのだ。味覚なんてものは電気信号にすぎないわけだ。
[ほとけ様と過ごす時間]
たしかに金の延べ棒は、なんの価値もない。
ほとけ様の教えこそが、金以上の価値を持つものなのだ。
そのほとけ様とともに、時間をすごせることこそが、最高の至福なのだと。
[エッチなこと]
女がほしければ、これは内緒だが、観音が女に変身してくれる。
観音は、立派だ。こちらが想像する、望む女になってくれる。
そして、してほしいこともしてくれる。観音が、みんなに愛されるのはこういうわけだ。
[薬師如来の種明かし]
薬師如来は、病を治すことができるといったが、嘘だ。
病を交換することができるのだ。
ということは、、、
[文殊の苦闘]
文殊がどうなったかって。カンダタの頭と交換されてしまったので、天国が天国には見えないが、地獄はやっぱりいやなので、天国にそのままいる。というよりも足もわるいので、動けそうにない。
別に、幸福そうでも、不幸そうでもない。
ほとけの修業は、しなくてはいけないと思っているようだ。
[普賢菩薩の天下]
文殊がぱっとしなくなったので、知恵といえば、普賢ということになるわけだ。
「3人寄れば、普賢の知恵」とことわざが変わったので、満足そうだった。
[地獄の仲間たち]
金をめぐって争いをくりかえし、酒を呑み、ごちそうをほおばり、鬼たちをだましたり、仕事をさぼったり、エッチなことにふけったり。相変わらずだ。
[ほとけ様の憂鬱]
めでたし、めでたしというところだが、いつも心配性なのが、ほとけ様だ。
地獄へもどっていったものたちのことが気になるらしく、また、地獄ばかりを覗いている。
天国は、愚か者が行っても天国には見えません。しかし、智恵のある者には、やっぱり天国なのです。自分の思い、すなわち思考にあった場所にしか、たとえ霊魂になっても存在することはできないのです。薬師如来がやったように、強引に脳味噌を変えてしまえば、ものの見方がかわって、地獄が天国にみえることがあることでしょう。
読者から、文殊菩薩がフルボッコで、気の毒との指摘を受けました。なんで?
人は、ねえ、自分の守護仏がいてね。作者の守護仏は、普賢菩薩なんだよね。
だから、普賢は、棚ぼたの勝利なんだねと。文殊菩薩の守護仏の方、ごめんなさいね。