休日
ダビ酒を一息に飲み干し、大きく溜息をつく。ベッドのヘッドボードから煙草を取り出し、着火具で火をつける。大きく吸い込み細く吐き出す。薄青みがかった紫煙が立ち上る。
一日の仕事を終え、一息つくこの瞬間が好きだ。
ダビ酒は地球でいうビールの様なもので、ダビという穀物から作られる発泡酒である。日本のビールよりも苦味は少なく、ベルギービールの様なフルーティさがあり、初めて飲んだ時以来好物になった。
若いころから酒と煙草があれば、どこででも生きていけると豪語していたが、まさしくである。
人間、年をくっていたとしても、基本的には順応能力が高い生物なのである。元の世界と共通する酒と紙煙草があれば尚更だ。
(酒と煙草が友達なんざ、枯れてるとしか言いようがないけどね。)
ベッドに座り、壁に寄りかかりながら煙草をふかす。
明日は10日ぶりの休みだ。
庭のハーブの手入れをするか、少し気合を入れて掃除でもするか。
休みの日に一緒にどこか行ったりする相手はいないのか、と聞くことなかれ。
元々、人間関係に積極的な方ではないし、マルコ爺の御蔭で一応この世界の常識は知ってはいるが、男でも女でも、おそらく深く付き合う仲になったら間違いなくどこかでボロが出る。
自分が異世界から召喚された人間だということは、マルコ爺にだけしか言っていない。
言うつもりもない。
この年になれば、恥の一つや二つ(異世界から嫁として召喚されたのに、不細工だからと城を放り出されたなんて世間的には十分恥だろう)を晒したところで痛くも痒くもないが、なんせこの国の王族が関わっていることである。ヘタなことを言って面倒事に巻き込まれたらたまらない。
そりゃあ、10代20代の若いころだったら、違ったかもしれない。古馴染みの人間には、お前ほどアグレッシブな奴は見たことがない、と言われる程、色んな意味で活動的だったから、復讐がてらこの国を改革したらぁ!とノリとテンションだけで何かやらかしたかもしれない。
しかし、もう若くないのだ。38でこの世界に来て、なんだかんだで2年も経って。
もう40なのだ。アラフォーなのだよ。
何かし返してやろう、なんて気力も湧かなけりゃ、そんな体力もない。
毎日を平穏に静かに暮らせたらそれで十分な訳である。
人生の折り返し地点は過ぎてしまった。後はただただ穏やかに老いるのみである。
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カーテンの隙間から差し込む朝日で目が覚めた。
せっかくの休みなのに、普段通りの時間に起きてしまう。
若いころは二度寝、三度寝は平気でしていたのに、最近じゃ二度寝しようと思ってもできない。
(やれやれ、これが年をとるってことかね……)
朝っぱらから年齢を考えさせられ、ちょっぴり鬱な気持ちになりながらも起き上がる。
シーツを剥ぎ取り、他の洗濯物と一緒にする。
朝食をパンとタルシュという林檎の様な果物で簡単にすませ、家の裏にある井戸で洗濯をする。
市販の粉末状の石鹸に乾燥させたハーブを混ぜたオリジナルの石鹸をつけ、洗濯板に服やシーツを擦りつける。
ふわりと立ち上る、清々しいレモングラスの様な香りを楽しみながら、こちらに来るまで大好きだったブリティッシュバンドのナンバーを口ずさむ。
ノリノリでフルコーラス歌い終わるころには、すすぎも脱水も終わり、家の軒下に付けた金具と庭の木を繋ぐロープに洗濯物を干していく。
今日は雲ひとつない快晴だから、きっと昼過ぎには乾くだろう。
今夜、太陽のにおいがするシーツで眠れるかと思うと、すごく気分がよくなった。
延々、知っている歌を口ずさみながら掃除をし終える頃には、昼近くなっていた。
(せっかく天気も気分もいい感じだし、昼はどこか店で食べるか。ついでに買い物して帰ろう)
財布をワンピースのポケットに突っ込み、鍵を閉めて家を出る。
家から街の中心部までだいたい5キロ程あるが、基本的に歩くことは好きなので通勤も買い物も苦ではない。
たらたら歩きながら、途中に生えている草や畑の様子を眺めながら歩く。
大学生の頃は文化人類学を専攻していたからか、街の人がどんな暮らしをしているのかを観察することがちょっとした楽しみになっている。
異世界での生活も、異文化へのフィールドワークと考えれば、中々楽しめるものである。……そう思えるだけの余裕が、2年もいればできた。
約1時間ほどかけて飲食店が多い街中まで来た。
昼時だからか、食欲をそそるいい匂いをさせている店が多かった。
騎士団が常駐するチュルガの街は、言わば単身赴任の様なものである騎士たちや国境に面しているため旅人の往来も多く、そんな人たちを対象にした店舗が多く軒を連ねている。
安くて美味い店を探すのが、この街に来てからの楽しみの一つである。
人通りの多い街のメインストリートを歩く。今日は月に一度の市が立つ日であるので、普段以上に人が多い。
人とぶつからぬようにして歩くが、時折肩や荷物がぶつかったりした。
安くてうまそうな店を探しながら、途中、どこのものかは知らないが派手な仮面が売られている出店があり、興味を引かれてふらふら近寄ろうと人ごみを横切っていこうとした。
すると、ふと道の端の方で人が蹲っているのが見えた。
いくら騎士団が常駐していようと、出入りする人間が多ければ治安は悪くなる。特に路地裏などには、素人さんは近寄らないが吉である。
見たところ旅装の若い男のようだが、フードの下からかすかに見える顔色は真っ青だった。
普段の篤美ならそのままスル―してしまうが(面倒事に巻き込まれたりしたらたまらない)、今日の篤美は気分がよかった。
気まぐれに、というよりも完全にその場のノリで蹲る若い男に声をかけた。
「あの、大丈夫ですか?」
声をかけられた若い男はのろのろと青白い顔をあげた。
たれ目がちだが、全体的にそこそこ整った顔をしている。イケメンと普通を足して2で割ったような顔立ちだ。
浅黄色の様な水色の瞳が印象的である。
「す、いません。この、近くでや、すめる、ところ、は・・ない、ですか」
息も絶え絶えな様子に、篤美の眉間に軽くしわが寄る。
「ありゃー、大丈夫じゃなさそうね。休める所に連れて行ったげるから。ほら、立てるかい」
「すい、ま、せ……オロロロロr…」
……若い男の正面に立ち、手をとった瞬間に吐瀉物を吐き散らされた。