最終話
街中の一角にある小さな飲食店。
広くもない店内は、常連客で賑わっていた。そんな中、アーチャはテーブルの間を泳ぐように滑るようにスイスイと動き回っている。酔っぱらい達に愛想を振り撒きつつ、注文をとり、料理を運ぶ。
「アーチャ!ダビ酒もう一つ!」
「こっちも頼む!」
「はいよぉ!!」
「こっちは会計頼む」
「はーい!ありがとうございます」
閉店の時間まで、アーチャは忙しく動き回っていた。
ーーーーーー
騎士団の件が解決してもうすぐで一月が経とうとしていた。
その間、騎士団の人間には会わなかったが、報酬を抱えたシャリー・フォレットとは一度だけ会った。
その時、彼は青い宝石の嵌め込まれた黒い革の首輪を持参してきた。
引いた。
着けてくれと迫られた。
引いた。
「ご主人様の犬にしてくれっ!!」と叫ばれた。
ドン引きした。
もはや、シャリー・フォレットという存在自体にドン引きしながら、とりあえず報酬だけは受け取った。
報酬の入った袋の中を見てみると、暫く遊んで暮らせそうな位のお金が入っていた。
随分と気前のいいことだ、と思いながら簡易金庫の中にしまった。
アーチャがごそごそと報酬をしまいこんでいる間、シャリー・フォレットは狭いアーチャの城の観察に余念がなかった。
マーキングして回る犬みたいに、楽しそうにあちこち触ったり、弄ったりしていた。
どう見ても貴族出身の彼は、庶民的な質素な家が珍しいのだろう。
他の理由を考えたら気持ち悪いことを想像してしまいそうで、そう自分を納得させた。
人間、知らなくていいこともある。
「ご主人様」
「それやめてください」
台所を覗きこんでいたシャリー・フォレットが戻ってきた。
反射で出たアーチャの抗議をシカトして、とんでもないことを言い出した。
「家を用意する。引っ越すぞ」
「断る」
「何故だ。この家は二人で住むには狭すぎる」
「ずっと一人暮らしの予定だから問題ありません」
「私が住む」
「却下です」
即座に言い切ると、少しむくれたような顔をした。
「何故だ」
「何度も言ってますけど、貴方のご主人様とやらになる気が更々ないからですよ。ついでに言うと、私は嗜虐趣味はありませんので」
「あろうが、なかろうが、私をこんな身体にしたのはアーチャだろう?ヤリ逃げは感心しないぞ」
「ヤリ逃げって……」
アーチャは自分の顔が盛大にひきつるのを感じた。
一体どうすれば、この変態に諦めてもらえるのか。
アーチャは内心頭を抱えた。
その時は、ギリギリではあったが、のらりくらりと同居も行為もかわすことができた。
しかし、いつまで逃げられるか。
アーチャは次の面談の日が来ることが少々怖かった。割と気軽に、情報源にすりゃいいや、と考えた過去の自分を殴りたい
だって客と娼婦の関係だった時より、なんとなく被虐趣味が悪化しているというか、進行しているように思えるのだ。
アーチャが気持ち悪いものを見る目で見ても喜び、気の短いアーチャがついうっかり罵倒してしまったらとても喜ぶのだ。
手強すぎて泣きそうになった。
変態怖い。
罵られて喜ぶ精神が、アーチャには欠片も理解できなかった。
ーーーーーー
飲み屋で働き、帰りに少し遠回りして夜の散歩を楽しむ。
そんなアーチャのルーティン化した日常が、ごく一部を除いて概ね戻っていた。
その事にとても安堵していた。
面倒事など大嫌いだ。
アーチャは疲れた体で夜道を歩いていた。一時は後ろから護衛の足音が聞こえていたが、今はそれもない。
秋を思わせる少々肌寒い夜風に吹かれながら歩くアーチャの足音しか聞こえない、静かな夜だった。
一人で月を見上ながら、これからの平穏を祈った。
【第一部・完】