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喜色満面で、突然両腕を振り上げ叫んだ篤美に室内の時が止まった。
引き攣った顔で静かに此方に向けられた視線を無視して、篤美はやりきった感満載で肩で息をしていた。昨日からこっち、浮き沈みが激しすぎて、散々笑い転げた挙句に腹から叫んだ後、急激に訪れた疲労感に息が中々整わない。
しかし、篤美はこの世界に来て嘗てないほどテンションが高まるのを感じていた。
上がり続けるテンションに、身体は苦痛を訴えても一切気にならない。呆然と固まる若い騎士達を解凍するために、パンッと大きく一度だけ手を叩いた。
その瞬間、ビクッとなる若い騎士達。ケディもとい熊二号は動じずニヤニヤしていた。
未だに引き攣った顔をしているヒューににっこりと営業スマイルを向ける。
「悪いね。予想外の面白すぎる状況につい笑いが押さえきれなくって」
「……え、え~と……あの……」
「あぁ、もちろんアンタらには笑える状況じゃないってのは分かってるから。本当、クソの役にも立たんようなボンクラ変態が国家最高権力者予備軍だなんて、心の底から同情するわ。強く生きて頂戴……ぷぷっ」
「え、え、えぇぇぇ……」
「しっかし、呼びだしたアホもアホだけど、呼びだされた方も大概ねぇ……いや、同じ拉致られ仲間だし?向こうは10代の子供だし?さらには変態に付き纏われてるんだから大いに同情はするけど?同情はするけど、なんだかなぁ……若さ?若さなのかしら?それとも単に頭が残念なのかしら?話を聞いてる限りじゃ、何か色々楽しんでるみたいに聞こえたんだけど。歳か?歳のせいで耳が聞こえにくくなってのか?それとも、本当に楽しんじゃってるわけ?この糞ったれな世界で。やっぱり若さ?若さ故の馬鹿?ていうか、その子状況見えてないんじゃね?自分の周りが見えてたら、そんなアホな真似を堂々とするわけないし。……ってあぁ、だから子供なのね。納得したわ」
「は、はぁ……」
捲し立てる様にノンブレスで言いきると、気の抜けた返事しか返ってこない。
口を開けて間抜け面した顔は、とても騎士団長にもやんごとなき身分の人間には見えない。平然として、むしろ面白そうにニヤニヤしているのはケディくらいだ。
「ま、大体事情は分かったわ。大方、愛しの姫君が夢中になっているヒューが疎ましくて、いっそ消してしまいたいんでしょ??ボンクラ殿下様は」
「そんなとこだな。俺らがここに来たのは大体、一年くらい前だ。国の守護を司る騎士団や国家魔術師ってやつは完全実力主義でな、騎士団総長って地位についてる実力は伊達じゃねぇ。今んとこ、国で一番の実力を持っていて、ついでに騎士団の奴らにも好かれている。それぞれ特質の異なる三つの騎士団をまとめることができたのはヒューくらいのもんだ。本当のところ、向こうさんは暗殺するか適当な罪状を被せてさっさと殺しちまいたかったんだろうが、現国王陛下が在位の間はとても手が出せない。陛下はヒューに目をかけているし、ヒューが国の守護の要の一つだとしっかり分かっているからな」
「しっかし、自分の意中の女が惚れたからって普通殺そうとまで思うかね?」
「俺には理解できんがね……だが、ヒューを擁護していた陛下がつい先日お倒れになった。床から出ることもできなくなり、本格的な譲位の準備が始まった途端、ヒューに刺客が来るようになった」
「……目の上のたんこぶがなくなった途端、動き出したか……いよいよとち狂っているとしか言いようがないね」
「あぁ。ヒューだけじゃない。俺みたいな引退までそう長い時間がない人間ならともかく、次代の王の御世で中心となって王と共に国を治めていくだろうと見込まれていた優秀な若い奴らが何人も、あの小娘に好かれたからという下らん理由で左遷や降格され、国の中枢から離された。このまま譲位が成され、アレが王になったら本当にこの国はヤバい」
「ヒュー以外で命が狙われそうな男はいるのかい?」
「……いや、思いつかん。見る目がある奴らは早々にあの小娘と接点を持たない様に動いていたし、已むに已まれず関わってしまった奴らもヒュー程好かれていないからな。逆に言うと、ヒューへと偏り過ぎてて、まだそれ以外に目を向ける余裕がないってだけかもしれん」
「ヒューがまだ生きているから、他に狙われる人間が辛うじて出ていないってわけ」
「そういうこった。今回の襲撃は森に魔獣の調査に行ったときだ。それまでは砦やらに来てたんだが、バルトに来てもらってからはそれがなくなった。こいつは結界と守護、治癒の魔術に関してはかなりの実力者だからな。そん代わり攻撃系はからきし駄目だ。しばらく砦から出なけりゃ向こうさんもそのうち飽きるだろうと割と暢気に構えてたんだが、森の入口周辺で魔獣の目撃情報がきちまったんだよ。はぐれ魔獣の可能性も捨てきれんし、高位の魔獣だったら若い奴らだけじゃ手に負えねぇ。仕方なくこの面子で調査に繰り出したらこの様だ」
「相手は魔術師三人に剣士が五人」
「それに暗器使いもいましたよ。ヒューと離された後、剣士も何処に隠れていたのやら八人も出てきやがったんですよ」
「あ、俺、そいつら知らない」
「そりゃそうでしょ。ヒューったらすぐ魔術師追いかけて行っちゃったし、僕らの制止を無視して」
「いつも一人で突っ走んな、って言ってんのに、誘われてほいほいついていきやがって」
「……す、すいません……」
ジロッと四人から責められるように見られ、縮こまりながらヒューが小さく謝った。全員がそろって溜息を吐いている様子を見る限り、ヒューが単独行動で無茶するのは日常茶飯事なことのようである。
「俺らがヒューを見つけた時にはこの姿で倒れていた。何があった?」
「魔術師の死体は二体しかありませんでしたよ」
「うん。三人のうちの二人は割と速攻で殺ったんだけど、残りの一人が面倒な奴で……」
「知ってる奴か?」
「皆名前くらいは聞いたことがあると思うよ。シャリー・フォレット、自称・喜劇の魔術師」
「……あの愉快犯か……」
「うん。他の二人は俺を殺す気満々だったのに、彼だけはなんか違った。命令は俺を殺すことのはずだけど、何を思ったかは知らないけど俺をこの姿に変えた途端に引きあげていったよ」
「……一体、何を考えているんでしょうね……」
「さぁね。ただ、彼がどう動くのであれ、僕が生きていることは知っているのだから多分間違いなく刺客はまた来ると思う」
「……面倒だな、おい……」
「本当にね」
「全力で行きたくないですけど、戴冠式には出席しなければいけませんから、それまでには彼を捕まえて元の姿に戻らないとマズイですよ」
「……だよねぇ」
はぁぁぁぁ、と篤美を除く全員が疲れたように溜息を吐いた。ふと、窓の外に目をやると茜色の空が見えた。随分と長い時間話し込んでいたようだ。
時間の経過を意識すると、途端に空腹を感じた。
「アンタらの事情はよく分かったよ。アンタらには悪いが、私にゃかなり面白い状況だからね。喜んで協力させてもらうわ」
疲れた顔をする彼らをニヤニヤ眺めながら言うとケディが嫌そうな顔をした。
「……楽しそうだな、おい」
「楽しいね、色んな意味で」
ケディの顔を見ながら厭らしく笑みを深くすると、大きく舌打ちされた。
実際楽しくて仕方がない。王族も、この国も、ぼんくらモブ王子も憎くてたまらないが、復讐なんてしようとは思っていない。そんな体力・気力があるほど若くはないからだ。
……が、今のこの国の現状は愉快でたまらない。まさに沈みゆく船の状態だ。賢い鼠ならば逃げ出し始める頃合いだろう。
篤美が何をしなくても、この国は傾いていく。
彼らにほんの少し協力するだけで、その様を身近で眺めていられるのだ。こんなに愉しいことはない。
これで元に戻ったヒューが王太子妃を寝盗ってくれたりしたら最高だ。あのクソ王子に少しでも多くの絶望を味あわせてやりたい。
そのためには、まずこの姿のヒューを守り、魔術師を探す必要がある。魔術師は目の前の彼らが探すだろうから、篤美はヒューを匿うだけでいい。
ただそれだけでこの国の中心の奴らに泡食わせてやれるのかと思うと、年甲斐もなく胸が高鳴った。
「私にどんな思惑があろうと、アンタらには協力が必要だろう?そして私は是非ともヒューに元の姿に戻ってもらいたい。その方がより面白くなるからね。お互い目的は一致しているんだ、よろしくやろうぜ」
にやりと笑うと、ケディが面白そうな顔をした。
「一応聞くが、アンタの思惑ってのは何だ?」
「別にたいしたことじゃないよ。ただヒューがぼんくら殿下の愛しの姫君を寝盗ってくれたら楽しいなぁ、とか、諸々引っかき回してくれりゃ退屈しなくていいなぁ、とか、いっそ王位を簒奪してくれりゃ愉快だなぁ、とかその程度だよ」
「……最初の二つはともかく、最後のはその程度じゃすまねぇだろ」
「別に私が何かするわけじゃないし、単なる願望よ。願うのはタダじゃない。私みたいな中年のオバサンが国を相手に何かしようとしたところで何もできないのがオチでしょ。そういうのは若人に頑張ってもらうもんよ」
「他力本願もいいとこだな」
「若者たちがあくせく働いてるとこを高見の見物させてもらうわよ、ニヤニヤしながらね」
「……アンタ、本っ当イイ性格してるな……」
「あら、ありがとう。褒めても何にも出ないけど」
「褒めてねぇよ」
「まぁ、冗談はともかく……」
「……どこまでが冗談だ」
「さぁ?」
「……おい」
「もう夕方だし、そろそろお腹すいてきたでしょ?現状確認はできたわけだし、匿うにあたっての細かいことはご飯を食べながらしましょ」
ベッドからのそりと下りる。言われてみれば、という顔をしている騎士達。ケディが溜息を吐きつつ、頭をガシガシ掻いた。
「この人数分の飯を用意するのはシンドイだろ?何か適当に買ってくる。ヴォルフ、手伝え」
「あら、助かるわ。じゃあ、私は簡単なスープでも作るかな」
「僕も手伝いますよ」
「手伝ってもらえるのは有り難いけど、ウィルって料理できんの?」
「野営料理なら僕が一番美味いものを作りますよ」
「そいつは頼もしい。よろしく頼むわ」
肩を竦めて、にしゃ、と笑うウィルと並んで台所に向かう。そこにケディから声がかかった。
「なぁ、この家に転移門を設置してもいいか?」
「転移門?」
「簡単に言うと離れた場所から転移移動するためのもんだ。こいつを設置しておいたら、例え魔力がジリ貧でも移動できる」
「へぇ、便利だね。別に構わないよ。正面の玄関はさすがにマズイけどね。人通りがほとんどないとはいえ一応道に面してるから、もし見られたら面倒だ。風呂場に裏口があるからそこならいいよ」
「……何で風呂場に裏口があるんだ?」
「ウチは家の裏に井戸があるんだよ。で、風呂は水さえ張れば魔石でお湯にできるけど、その水は人力で井戸から運ばなきゃいけないわけ。だからよ」
「成程な。じゃあ、風呂を使うときだけ鍵をかけるようにしてくれ。鍵がかかっているときは門が使えない様にする。で、普段はいつでも使えるように鍵を開けておいてくれ。登録した人間以外は、鍵が開いていても扉が開かない様にしておくから。……バルト、できるだろ?」
「勿論」
「じゃあ、そういうことで。頼んだぞ」
「了解」
「分かりました。買い出しの間にやっておきますね。ついでに足りない食器とか椅子も持ってきます」
「あ、それは助かる。よろしくお願いね」
「はい。では早速取りかかってきます」
「食い物以外でいるものはあるか?」
「ダビ酒と煙草お願い。銘柄はこれ」
玄関脇の棚に置きっぱなしにしていた煙草の空き箱をケディに軽く投げる。苦笑して受け取った煙草の箱を持つ手を後ろ手にヒラヒラ振りながら、ヴォルフを連れて玄関を出ていった。
騎獣を使えば、おそらく一時間もしないうちに戻ってくるだろう。それまでに作れる簡単な、かつ栄養価が高くて食べやすいスープのレシピを思い浮かべる。
先に台所に入っていたウィルと合流しようとすると、スカートをツンツンと引かれた。振り返るとヒューが見上げていた。
「俺は何をしたらいいですか?」
「別にすることないし、ご飯まで大人しく寝てな。顔色、まだ悪いよ」
「……俺だけ寝てるのはなんか心苦しいんですけど……」
「そういうのは、まともな顔色になってから言いな。ほれ、ベッドに入って大人しくしとき」
「……えー……」
台所の入口で問答していると、ウィルがひょいっと顔を出した。
「アーチャさんの言うとおりですよ。さっさと寝て下さい。ご飯になったら起こしてあげますから」
「……分かった」
ヒューがもそもそとベッドに潜り込むのを確認すると、ウィルと目を合わせてお互い肩を竦めた。