フラット・チャーハン 〜ロボットの普及、料理人の苦悩〜 【短編小説】
その声が響いたとき、商店街の人通りも少なくなるほど、夜は更けていた。
一日の営業を終えて静かなはずの大衆中華料理店に、響く怒号。
「おまえ、俺に出てけって言ってんのか!」 調理帽がテーブルに叩きつけられる。
それはプラスチック製のコップに当たり、こぼれた水が向かいに座る男——東条創助を濡らした。
「……落ち着いてくれ、片桐」 冷静さを失わない声だった。片桐の反応を予想していた、と態度が語っている。
彼に掴みかかりたい衝動を、片桐和真は辛うじて制した。強く握った拳を緩め、倒した椅子を起こし、どすんと座った。
東条とは長い付き合いだ。二人でこの店を継ぐことを決めてから、もう何年も経つ。困ったときは腹を割って話し合い、いつも解決策を見つけてきた。だからこそ、彼の言葉に耳を疑った。
「調理ロボットを増やして、厨房を自動化する」 東条はもう一度言った。 「そういう時代なんだ。ロボットを導入すると国から補助金まで出るんだぞ。人件費よりずっと安い出費で、一流シェフ級の技術を持ったスタッフを配置できる。いまは全部、それが前提で動いてるんだよ。うちだけ意地を張れる状態じゃない。分かってくれ」
諭すように東条が語る現状については、もちろん片桐も分かっている。そんなことは承知の上でも、簡単に譲るわけにはいかなかった。
「だからってみんなクビにするって言うのかよ」
「全員というわけじゃない。片桐、お前には俺がやっているような事務を手伝ってもらいたい。ロボットを増やせば管理やらなんやらの手間が多少増えるからな」
「竹森と、大橋は」 片桐は毎日並んで厨房に立つ仲間の名前を口にした。
「……人件費の削減による値下げが、いまの外食産業の常識だ」
くそ、と片桐は毒づいた。
店の端に目をやった。そこには充電中の調理ロボット——厨太郎が立っている。数カ月前、ロボットの導入に浮かれた若い連中がつけた名前だ。そいつのせいで自分たちが職を失うことになるなんて、思ってもいなかっただろう。
片桐の視線を追った東条が言う。
「おまえも厨太郎を見て分かってるだろ。もう調理はロボットに任せる時代なんだ。おまえや竹森、大橋も、違う働き方を見つけないといけない時代になってるんだよ」
片桐は東条を睨んだが、彼は言葉を続けた。
「今ならまだ多少の余裕がある。急にクビにしなくてすむ余裕だ。二人には二ヶ月で仕事を見つけてもらうように伝える。俺も出来る限り協力する」
「……厨太郎は料理人じゃねえ」 片桐は低い声を出した。 「あいつは道具だよ。包丁とおんなじだ」
東条がため息をついた。
「そう言ってるのはおまえだけだよ。うちの若いやつも、世間も、調理ロボットが作る料理に満足してる。それに、人工知能の進歩はまだまだ止まりそうにない。仮におまえに不満があっても、それはすぐに解決されてしまうぞ。実際、追加するロボットは厨太郎と同じ値段で、より高性能らしい」
東条の言うように、厨太郎は優秀だ。包丁さばき、鍋の扱い、盛り付けに至るまで、片桐よりも技量がある。それは片桐も認めていた。一流シェフ並というのも嘘ではないと思う。しかし、それでも片桐は、厨太郎が料理人であるとは思えなかった。何かが致命的に足りないのだが、それが何かは片桐にも分からなかった。
片桐は深く息を吸い、東条を正面から見た。東条が唾を飲んだのが分かった。向けられた瞳の中には不安の色が見える。
東条は頭がいいし、気も回る。店員にぞんざいな態度を取るようなこともない。竹森や大橋のことは、彼にとっても苦しい決断なのだと理解できる。
片桐は苦々しく言った。
「それ以外に、選択肢はないんだな」
「……そういうことだ」
片桐は目を閉じた。最も信頼する男が、はじめて、目の前で折れている。その事実を受け止めた。東条の絶望が片桐に伝わり、腹をくくるしかない、と彼に思わせた。
「二人には、俺から話す」
「……そうか。すまない。その方がいいだろう」
片桐は立ち上がった。もうこの場にいても、仕方がない。
「奥さんと凛ちゃんは、元気なのか?」 東条に訊いた。
彼はテーブルに目を落とし、ああ、と答えた。倒れたままのコップが転がっていた。
この店は先代から継いだものだ。商店街ができたときから続いている、シンボルのような店だ。そして片桐の生きたすべてが詰まった店であり、東条が家族を守るために必要な店だ。潰すことだけは、避けなければならなかった。
*
それから半年が経った平日の昼、片桐は街を歩いていた。
こんなことは彼が厨房に立つようになってから初めてのことだった。特別な日と言えなくもないが、空はどんよりと曇っていた。
——たまには休みを取って、外で飯でも食べてきたらどうだ。
昨日の夜、東条が出した提案を飲んだ。調理ロボットの導入はとうに完了している。片桐が急に休んだところで、大きな支障は出なくなっていた。
早朝と深夜以外は店にこもっていた片桐にとって、平日昼間の街中は知らない世界のようだった。特に今は昼時である。大学生風の若者やサラリーマン、老夫婦……老若男女があたりをうろついていた。
歩いていると、一際賑わう店を見つけた。遠目からでも分かる看板はチェーンのファミレスのものだ。店の外にも数人ほど並んでおり、その最後尾に、片桐は立ってみることにした。席数が多く回転も早いようなので、そう長く待たずに済みそうだ。そもそも、時間には余裕がある。休日にどこかに行くあてなんて、片桐にはなかった。
店内は人間の客と、ロボットの店員で埋め尽くされていた。見事に満席だ。動く筒のようなロボットに案内され、二人掛けの小さな席についた。
置かれていた端末でメニューを確認してみる。選びやすいようにジャンルや状況などで細かく分類されていたが、片桐はすべてに目を通すことにした。和食・中華・洋食・イタリアン……、なんでもありだ。そしてどれも安い。
厨房の自動化によって世間一般の外食費は大きく下がった。しかし、それを踏まえてもこのファミレスは安すぎる。片桐の店では真似できない値段設定だった。
結局、チャーハンを注文することにした。片桐の店では、人気メニューである。
案内されたときに出された水を飲みながら、店内を見た。本当に繁盛している。ゆっくりと首を回しながら、片桐はその光景に懐かしさを覚えていた。彼の店では、もうしばらく見ていない光景だった。
調理ロボットを増やし、厨房の自動化は完了した。いま、片桐の店で厨房に立つ人間はいない。料理人として生きることに心血を注いできた片桐としては、いまだに釈然としないものがあるが、これが時代だ、と何度も自分に言い聞かせた。厨房に立つ人間がいないのは片桐の店だけではない。これが新しい普通なのだ。
数ヶ月は順調だった。大幅な値下げということで、これまでの常連客だけでなく、新規の客もたくさん入った。味も評判が良く、一流の味を身近に楽しめる商店街の名店として地元の新聞にも取り上げられた。
しかし、ピークは長く続かなかった。ロボットの物珍しさに対する熱が引いていくごとに、客の数は減っていった。そしていまでは、閑古鳥が鳴いている。ご飯時の時間帯であっても二、三人くれば良いほうだ。ホールの賑わいを期待しなくなったのは、いつからだっただろう。
客足が遠のいた原因はいまだに分かっていない。原因が分からなければ、店として打てる対策は限られる。出費の削減——スタッフの解雇だ。あっという間に片桐と東条の二人だけになった。
静かな店内で来ない客を待つ毎日。それでも、先代から店を任された二人だけは辞めるわけにはいかなかった。かつて自分の城のようにも思えた店は、いま、牢獄に変わり果てていた。
ふいに香ばしい匂いが鼻を突いた。
いつの間にかそこにいた配膳ロボットが、片桐の前に八角形の皿を置いていった。こんもりと、チャーハンが盛られている。
片桐は生唾を飲んだ。レンゲを差し込み、持ち上げると、ふわっと白い湯気が立ち昇る。口に含むと、米がぱらりと崩れ、胡椒の効いた香ばしい味が口いっぱいに広がった。
旨い。
紛れもなく、旨いチャーハンだった。そしてその旨さは、片桐の店が出すチャーハンと同じものだった。
「これがこの値段で出てくるのか……」 思わず言葉が洩れた。敵うはずがない。すぐにそう連想した。
いま、片桐の店に客が来なくなった理由が明らかになった。来る理由がないのだ。同じ旨さを格安で提供する店があるのに、わざわざ高い金を払いに来るはずがない。実にシンプルだった。シンプルなだけに、打開策が思い浮かばない。
まず、このチェーン店に価格競争で勝つのは絶対に無理だ、と片桐は思った。
店内を見るだけでも高度にシステム化されていることが窺える。全国展開していることを活かして食材の仕入や運送も整備済みだと、ニュースで聞いたこともある。
商店街の小さな店とは規模がまるで違うのだ。その違いから生まれる強みを押し付けられた結果が、いまである。一朝一夕で覆せるものでは到底ない。
では、料理屋らしく、味で勝負するのか。……それこそ勝ち目がない。
厨房は調理ロボットによって完全に自動化されている。味は調理ロボットの性能で決まる時代なのだ。片桐の店に導入できるようなロボットを、より莫大な資金を持つチェーン店が導入できないはずがない。
片桐は注文に使った端末を手に取り、もう一度メニューをすべて確認した。
やはり、様々な料理が並んでいる。片桐の知る限り、それは街中の料理屋を駆逐するのに充分な品揃えだった。
片桐は残りのチャーハンを平らげ、僅かな代金を支払い、ファミレスをあとにした。
*
気づけば暗くなっていた。適当に目についた居酒屋に入り、カウンター席に座った。
ここの料理も旨かった。やはりスタッフは人間ではない。
ファミレスを出た後、半日かけて街中を歩き回った。片桐の予想通りだった。繁盛している料理屋は、ファミレスを除けばこの街に一軒たりとも存在しなかった。
お猪口に注いだ日本酒をぐっとあおる。
旨い。この酒を作っているのは人間だろうか。
空になったお猪口を見つめながら、片桐は思案に沈んだ。
今日の一日を過ごすことで、ことは片桐の店に限った問題ではない、と確信することができた。外食産業そのものの問題だ。しかし、それが分かったところで解決しなければ意味がない。もし解決できなければ、片桐にも、東条にも、彼の家族にも未来はない。
ずしりと肩が重くなる思いがした。一人の料理人に過ぎない片桐が面するには、大きすぎる問題に思える。
発端は間違いなく調理ロボットの普及だ。普及によって、すべての店で一流の料理が出るようになった。その効果を最も享受したのがファミレスだったのだ。元々の特色であった価格の安さが市場の絶対的な強みに変貌し、誰も手が付けられない強者になった。
もう、店を続けられる時代じゃない——。
そう思ったとき、片桐の肩が誰かに軽く叩かれた。
振り向くと、見知った顔の男が立っている。店の常連客の一人、田中だった。正確に言えば、元常連客だが。
田中はお猪口と徳利を器用に片手で持ち、笑顔を見せた。
「よう、ギリちゃん。こんなところで珍しいね」
「田中さん……。びっくりしましたよ。ちょっと今日は休みで」
「悪い悪い。あっちで飲んでたんだけども、ギリちゃんにそっくりな人が見えたもんだからよ」 田中が示した方には知らない男が二人いて、片桐に軽く手を挙げた。
「この店はよく来るのかい?」 田中が訊いた。
「いえ。今日はたまたま入っただけです」
「おお、それならこれ呑んでいきな」 徳利を持った手を少し挙げた。 「隣、ちょっといいか?」
片桐が頷くと、田中は隣に座って徳利の口をこちらに向けた。恐縮しながら空いたお猪口で受ける。少しとろみのある酒が惜しげもなく注がれた。
軽く乾杯して口に含むと、その瞬間、爽やかな香りが鼻を抜けた。それと共にぱっと頭に光景が浮かぶ。美しく光を反射するガラス工芸品の上を、不純物を一切含まない清流が静かに流れてくる。そして清らかな水は、芳醇な甘みを意識の隅々に振りまいた。いつまでも堪能していたくなる深い味わい。しかし飲み込んだ途端に綺麗さっぱり消え去った。口元が軽くなったような爽快感だけが残った。
「……凄い……。旨いですね、これ」 片桐はお猪口を眺めて言葉をこぼした。
「そうだろう? この店でもたまにしか頼めない一級品だよ。今日はいいタイミングでギリちゃんに会えたってわけだ」
片桐は恐縮したが、田中はそれを笑い飛ばした。
「ところでギリちゃん、この店の料理の方はどうだった?」
「料理も凄く旨かったです。ここはいいお店なんですね」
田中はちびりとやって、数秒黙った。酒を堪能しているように見えた。
「……そうかい。ギリちゃんも旨いと思うんだな」 落ち着いたような、寂しいような声色だった。
「田中さんは違うんですか?」
田中は首を横に振った。
「いや、この店はいいぜ。自信を持ってオススメできる。酒はもちろん、料理も旨い」
そこで田中は言葉を切り、少し座り直してから、でもな、と続けた。
「料理の方は、旨いだけだ。アジがねえ」
「そうですか? 味付けもしっかりしてたと思いますけど」
「そういうことじゃねえんだなあ、ギリちゃん。例えば、そうだなあ……」 田中は顎をこすり、こすったその手で片桐の前にある小鉢を指差した。最後に届いた料理で、まだ残りがある。
「ギリちゃん、そのブリ大根、ちょっと一口食ってみてくれ」
片桐は言われるまま、一切れのブリを箸で掴み、口に入れた。身がほろりと解け、よく染みた濃い醤油ベースの煮汁が広がった。半ば無意識にお猪口へ手を伸ばし、一口なめた。
「……旨いです」 田中の真意を掴めないまま、片桐は感想を述べた。
「そうだろう。その味だがな、いまじゃどこでも食える」
田中は手に持ったままのお猪口に口をつけ、ぐいと飲み干した。
「俺がこの店に来るのはよ、ロボットが作る料理のためなんかじゃねえ。この酒を呑むためだ。……この酒がなかなか手に入らねえって話は、したっけか?」
「ええ、さっき、聞きました」 片桐は答えた。田中の話に聞き入っていた。
「そうか。……この酒はな、全部、人間の手作業で作ってるそうだ。だから数が少ない。そして高い。でもな、この酒じゃないと酔えないアジがある」
「手作業って、昔ながらってことですよね。それは……凄いと思いますけど、今の時代、それで酒蔵はやっていけるんでしょうか」
「まあ厳しいだろうな。でも段々と評判は広まってるらしいぜ」
調理ロボット以外にも、様々なロボットが社会で活用されている。この時代に自動化をせず、価格を下げずにやっていける商売があるなんて、片桐には信じられなかった。しかし、田中の言葉は片桐の胸に響いた。
「正直に言っちまえばよ、俺は居酒屋を料理の旨さで選んじゃいねえ。酒の旨さだ。呑みに来てるわけだから、まあ当たり前だよな。もちろん、つまみが旨いならそれに越したことはねえけどよ、別の店と同じ味がしても特に不満は感じねえ。だがな——」
田中の顔が、はっきりと片桐に向けられた。
「飯屋は違う。俺らは料理で飯屋を選ぶ。確かに、いまの世の中どこ行っても出てくる料理は旨いよ。俺も一番安くすむファミレスに通うようになっちまった。だけどよ、いくら旨くてもよ、俺らってやつは飽きちまうみてえなんだ。贅沢な悩みだとはつくづく思うが、なんか毎日物足りねえんだよなあ」
田中の言葉に片桐の頭はぐるぐる回り、思考を上手くまとめられなくなっていた。
「……どうして、そんな話を俺に?」 茫然としながら訊いた。
「なんでだろな。たまたま見かけたらよ、またギリちゃんのチャーハンが食いたくなったからかな」
田中は立ち上がった。
「すまねえ。話し込んじまった。旨い酒のいけねえところは、話が長くなることだな。んじゃ、あいつらもこの酒を待ってるし、ここらで戻るわ」
田中は片桐の肩をぽんぽんと二回叩くと、にっと笑って去っていった。田中が向かった先で、わっと声が上がった。
片桐はお猪口に残った美しい一杯を見つめ、一気に飲み干した。名も知らない杜氏の覚悟を確かに味わった。
*
夜はすっかり更けていたが、だからこそ店の窓ガラスから漏れる明かりを見流さなかった。裏手に向かうのを止め、正面の引き戸に手をかける。がらがらと大きな音を立てて開いた。鍵も閉めていなかったらしい。
店に入ると、驚いた顔でこちらを見る東条と目が合った。
「よう」 片桐は片手を挙げた。ここに来るまでにすっかり酔いは冷めていた。酔っている場合でもなかった。
東条は薄暗い店内の一席に座っていた。テーブルには書類が散らばっている。髪がぼさぼさに乱れていた。
「……どうした。今日はそのまま帰るのかと思ってたんだが」 東条はそそくさと書類を集めながら言った。
「いや、ちょっとやりたいことができてな。厨房はまだ開いてるか?」
「片付けはロボットが済ませてるはずだが……」
「電源はまだ落としてないんだな?」
東条は頷いた。それを見て、片桐は店の奥に歩いた。手近な椅子に鞄を置き、また別の椅子に脱いだ上着をかけた。後ろから東条がついて来る気配がした。
「ちょっとロッカー行ってくるからよ、調理ロボットを一台、料理できる状態に準備しといてくれ」
「それは構わないが……何をする気なんだ?」
片桐は立ち止まって一拍考え、 「アジ付け、かな」 と答えた。
エプロンを締めて調理帽を被り、厨房に入った。この格好をするのは随分と久々のはずだが、驚くほどしっくりと馴染んだ。
東条が調理ロボットと共に立っていた。竹森と大橋の二人と引換えに数台導入した、うちの最新式だ。片桐は早速、包丁の使用許可を出して食材の下準備を指示した。
「おい。そんな格好までして、なにをするのかぐらい教えてくれてもいいだろう」 東条の声には僅かに苛立ちがこもっているようだった。一日遊んできた酔っ払いが、悩む自分をよそに職場でも遊びだした、そう思っているのかもしれない。
「ちょっとチャーハンを作るだけだ。どのぐらい時間がかかるか分からないんだが……、できれば、おまえには待っていてほしい」
片桐と東条は真正面から睨み合った。数秒して、東条が息を吐いた。
「分かった。ただし、あとでちゃんと説明させるからな」
「ああ」
そうしてる間にも、調理ロボットは具材を切り終え、ボウルにまとめていた。片桐は一回り小さいボウルを複数取り出し、すべての具材を半分だけ取った。
半分が残ったボウルを調理ロボットに渡し、チャーハンを炒めるように指示を出した。片桐は別のコンロに中華鍋を置き、小さいボウルたちを近くに並べ、火を点けた。
二皿のチャーハンが完成した。茶碗を四つ取り出してそれぞれ盛り、二つを東条に差し出した。
「おまえも一緒に食べてみてくれ」
東条は頷き、レンゲを手に取った。まず調理ロボットが炒めた方から口に運ぶ。表情に変化はなかった。予想通りの、いつも通りの味だっただろう。
次に片桐が炒めたチャーハンを口にしたとき、東条の目が大きく開いた。
「……懐かしい……」 ぽつりとそう言った。 「これは……そうだ、店長の味だ。俺がこの店に惚れ込んで、おまえが継いだ……」 目が潤んでいるようにさえ思えた。
「これを復活させる」
東条の瞳が一瞬きらめいて見えたのは、潤いのせいだけではないだろう。
「問題は、これを俺が作ってたんじゃダメだってことだ。それじゃロボットを導入する前に戻っちまう」
「調理ロボットに作らせるってことだな?」 東条の言葉は力強く聞こえた。
しかし、片桐は唸った。
不思議そうな顔をして、東条が訊く。
「違うのか? これからお前がロボットに教えればいいんだろ?」
「まあ、そうだと思うんだが……」
片桐は自分が作ったチャーハンを口に入れた。そう、この味だ。この店のチャーハンはこうだった、と思い出せた。しかし、何かが引っかかる。先代の店長だったら、このチャーハンで店を任せてはくれない気がした。
考えていても仕方がない。とにかくやってみることにした。
調理ロボットにもう一度下準備させ、まず片桐が炒めてみせた。そっくり真似するように伝え、調理ロボットに鍋を振らせた。
「……違うな」
味見してすぐに東条が言った。片桐も頷いた。
「片桐、俺の舌がおかしいのか? さっきのと何も変わってない気がするんだが」
「俺も同感だ。これは、さっき調理ロボットに作らせたものとおんなじだ」
片桐は調理ロボットを見た。沈黙したまま直立不動で佇んでいる。なぜ事前に見せた動作を真似しないのか尋ねると、こう答えた。
「はい。見せていただいた動作は確かな技術に裏打ちされたものであり、これによって美味しいチャーハンを作ることが可能だと思います。そこで鍋を振る周波数を三パーセント増加し、振幅を五パーセント減少して調理動作に反映しました。また、調味料の量は一般的な客層が好む組み合わせとしました」
二人は数秒の間沈黙した。先に口を開いたのは東条だった。
「なあ、こいつが言ったこと、おまえは理解できたか?」
片桐は頷いた。
「俺の手本なんか無視して、こいつが思うように好き勝手やった、そう言ったように聞こえたな」
それから何度も繰り返したが、調理ロボットが作るチャーハンは変わらなかった。なぜ動作を変更しないのか問いただすと、
「調理結果を改善できずに申し訳ありませんでした。確かに、私の調理プロセスは提示された動作を完全に模倣したものとはなっていませんでした。再度お手本の動作を分析し、パラメータを修正しました」
という返事と共に、全く変わらないチャーハンが提供された。
片桐と東条は頭を抱えた。なんだかんだと言い訳を並べ立て、結局のところ聞く耳を持たない調理ロボットに強い苛立ちを覚えていた。
「こいつがこんなに分からず屋だとは知らなかったよ」 東条がロボットを睨んだ。それでもロボットは平然としている。そんな当たり前にも少し腹がたった。
片桐は目を軽く閉じ、呼吸を整えた。
——調理ロボットは道具だ。
これは自分の言葉だった。道具に怒ったところで仕方がない。上手くいかないときは、道具の使い方が悪いか、道具の選択が悪いか……。
はっと目を開いて顔を上げた。向かいにいた東条がびくっと身体を強張らせた。
「厨太郎だ。厨太郎で試してみよう」 片桐は早口で言った。 「おい東条。厨太郎を起動してくれ」
東条は片桐の勢いに押されるようにして厨房の隅に向かった。そこには厨太郎がひっそりと充電されていた。他よりも必要な充電時間が長い厨太郎は、こうして片付けの前から充電を開始している。
東条が操作すると、すぐに厨太郎が目を覚まして歩み寄ってきた。
片桐はまず、調理ロボットのときと同様に、下準備をやらせた。ただし、厨太郎には食材の切り方にも細かい指示を出した。
揃った食材を並べ、片桐が鍋を振る。厨太郎はまばたききもせずにその動作を観察していた。
次に厨太郎にやらせる。最新式の調理ロボットに比べると、どことなくぎこちない。だが、厨太郎は懸命に鍋を振っていた。
やがて片桐と東条の前に、一皿のチャーハンが完成した。
もう茶碗に分けることなんてせず、手に持ったレンゲを直接差し込む。立ち昇る湯気を息で飛ばし、口に放り込んだ。瞬間、二人は目を合わせた。
「おい! 片桐!」 口にチャーハンを入れたまま東条が声を上げた。
「落ち着けよ」
東条は飲み込み、 「なにカッコつけてるんだ! これじゃないのか!」 と騒いだ。
片桐は二口目を口に運び、注意深く咀嚼した。
まだ少しだけ火の当て具合が異なるが、紛れもなくこの店のチャーハンだった。あと何回か片桐の手本を見せてやれば、完璧になると期待できた。
「ああ。これだ」 片桐は断言した。
東条は両手の拳を握り、よしっ、と吠えると、中華鍋を持ったまま佇む厨太郎に駆け寄って肩を叩いた。
「おいおい。うちの切り札に乱暴は止めてくれよ」
片桐が言うと、目に涙を滲ませた東条は笑った。
「確かにな。頼むぞ、厨太郎!」
東条が離れると、厨太郎は鍋を片付け始めた。充分冷めたのだろう。
いつの間にか追加のチャーハンを頬張った東条が訊いた。
「なんで厨太郎はできて、こいつはダメだったんだ?」 目が最新式の調理ロボットを指した。
「さあな。俺は専門家じゃない。……ただ、そうだな。きっと俺みたいなちっぽけな店の料理人の意見より、世界中の一流シェフから集めたデータの方が信用できると思った、とかそんなところじゃないか?」
へえ、と言いながら東条はさらにチャーハンを口に運んだ。一晩中試作と味見に付き合っていたというのに、ペースが早い。
「おい、全部食うなよ。……それより東条、頼みがある」
東条はレンゲを置いて口を拭き、水を一口飲んでから片桐を見た。
「なんでも言ってくれ。宣伝か?」
「それも必要だな。だが違う。竹森と大橋、それに他のみんなにも、帰ってきてくれないか交渉してきてほしい」
東条はすぐに頷いた。
「みんなの事情が最優先だということを大前提として、もちろん引き受けよう。これにも何か考えがあるのか?」
「ああ。俺はこのチャーハンと同じようにして、この店の味を全て復活させる。それで昔の常連が帰ってきてくれるかもしれないし、新しくこの店の味を気に入ってくれる客も増えるかもしれない。だがそれで満足してはダメだ」
「……ダメなのか? この店の味は最高だぞ」
「それは俺も否定しないが、それだと飽きられちまうかもしれない。だからあいつらには、この店の新しいアジを作ってもらおうと思う。この店らしく、でも新しいアジだ。これは店をよく知っていて、それでいて若いあいつらにしか務まらない仕事だ」
東条は腕を組んで黙ったが、しばらくすると、笑顔で口を開いた。
「なんだか研究者みたいだな。よし分かった。それも踏まえて交渉に行ってくる」
「頼んだぞ、店長」
片桐と東条は互いの拳を突き合わせた。
*
それから一年が経った頃。商店街に、行列の絶えない大衆中華料理店がある。その店は営業時間を終えても騒がしい。厨房を覗けば、まばたきせずに凝視するロボットに向かって新作料理をプレゼンする若者がいる。そこから少し離れた席で、男はチャーハンを頬張った。




