第6話:セバスの秘密
「……ふぅ。お腹が空きすぎて、ついに幻覚が見え始めましたわ。セバスが、あんなに優しそうな顔をするなんて」
深夜。私はあまりの空腹に目が冴えてしまい、夜食を求めてセバスの控え室の前を通りかかった。 そこで、私は見てしまったのだ。
月明かりの下、一本の黒い傘を、絹の布で丁寧に、丁寧に磨き上げているセバスの姿を。
「……あぁ。あの日も、今日のように空が晴れていましたね。……お腹を空かせて、困ったように笑う、貴女の姿が……」
あの毒舌なセバスが、見たこともないような慈愛に満ちた表情で呟いている。
「(……えっ、何あれ。セバスにあんな情緒があったの!? ていうか、あの傘……なんか見覚えがあるような。アイゼン家の家宝にしてはボロいけど、妙に威厳があるっていうか……)」
私は息を潜めて見守っていた。 しかし、その時。私の胃袋が、この感動的な静寂をぶち壊す「グゥゥゥゥ!!」という爆音を奏でてしまった。
「……お嬢様。覗き見とは、男爵令嬢としてはいささか品性に欠ける振る舞いですね」
「ひっ! バレた! ……い、いいじゃない、あんたがあまりに気持ち悪い顔で傘を撫で回してるから・・・ついよ!」
セバスは瞬時にいつもの鉄面皮に戻り、傘をサッと背後に隠した。
「これはただの清掃です。私は主人を守る『傘』のような執事ですから。道具を整えるのは当然のこと。……それよりお嬢様、こんな時間に徘徊している暇があるなら、明日の『学園創立記念パーティー』の警備計画を頭に入れてください」
「パーティー!? パーティーって、あの『伝説の十段重ね極上ショートケーキ』が出るっていう、あのパーティー!? 警備なんてどうでもいいわ、あたしは食べることに全力を出すわよ!」
「……やれやれ。その強欲さ、少しはあの傘の『元の主』に見習って……いえ、なんでもありません」
翌日。学園創立記念パーティー会場。 そこには、私の生存本能を刺激する「十段重ねショートケーキ」が、会場の中央で鎮座していた。
だが、そこに招かれざる客が現れる。 「聖女を捕らえられぬなら、この学園ごと焼き払え!」 先日吹き飛ばした特務部隊の本隊が、魔導重戦車を伴って会場に突入してきたのだ。
「ひゃあああ! 私のケーキが! ケーキの生クリームが排気ガスで汚れるぅぅ!!」
「リナ君、下がれ! ここは私が……ぐはぁっ!?」
守ろうとしたアレックス会長が、戦車の主砲(物理)であっさり弾き飛ばされる。 そして、無慈悲な砲口が、あの十段重ねケーキに向けられた。
「ターゲット、ケーキもろとも粉砕せよ! 撃てぇ!!」
「やめてええええええ!!」
私の怒りと空腹が臨界点を超え、光が溢れ出す。 ……しかし。変身の衝撃が起きる直前、私の前に「一本の傘」がスッと差し出された。
「お嬢様。デザートを汚す塵は……この私が、お掃除いたしましょう」
セバスだった。 彼はただ手にしたあの古い傘を「パッ」と開いた。
ドォォォォォォン!!
戦車の主砲から放たれた極大熱線が、その傘の布一枚に触れた瞬間、跡形もなく跳ね返った。 反射した熱線はそのまま敵の戦車隊を一瞬で蒸発させ、後方の大地を数キロメートルにわたって消し飛ばした。
「え……? セバス、あんた今、何したの……?」
「ただの『日除け』ですよ、お嬢様」
セバスは事もなげに傘を閉じると、そのまま私をひょいと抱え上げ、ケーキの目の前まで移動させた。
「さあ、今のうちに。敵の増援が来る前に、その『十段重ね』を堪能してください」
「……っ!! あんた、今日だけは最高にかっこいいわよ!! いただきまーーーっ!!」
私は聖女の力を、全身全霊をかけて「吸引」に注ぎ込んだ。 ……が。 変身の予兆で体が光り輝き、胸がバインバインと膨らみ始めたその瞬間。 私のあまりの高熱(魔力)が、ケーキの土台となっていた「保冷用の魔導具」と干渉してしまった。
ピキピキピキ……ドガァァァン!!
「……あ。……あぁぁ…………」
保冷魔導具が暴走し、十段重ねのショートケーキは、一瞬にしてカチコチの「ショートケーキ味の巨大な氷塊」へと変貌してしまった。
「………………」
シュルシュルと魔法が解け、元の貧相な姿に戻る私。 目の前には、スプーンも通らない、ダイヤモンドより硬いケーキの氷像。
「あ~~~ん!! ひもじいよぉぉぉ!! 食べたいのに、硬くて歯が立たないよぉぉぉ!! 石じゃないのよ、ケーキなのよぉぉぉぉ!!」
私は氷の山に抱きつき、冷たさに震えながら号泣した。
「……お嬢様。その氷、削って持ち帰れば『ケーキ風味のかき氷』として楽しめますよ。三日ほどは持ちそうです」
「三日もかき氷だけで過ごせるかぁぁぁ!! まともなもの食べさせろぉぉ!!」
夕闇の中、冷え切った会場にリナの悲鳴が響く。 セバスは傍らで、月明かりを反射する傘を愛おしそうに見つめながら、静かに微笑んでいた。
「……やはり、貴女の末裔ですね。……騒がしいところだけは」




