第10話『そうだ。杉原だ。杉原一真だ』
適当に雇ったゴロツキたちはそれなりにいい仕事をしたらしく、佐々木紗理奈の動きを適宜報告してくれた。
無論、アレはおとりで本命は別に用意しているが、本命からの報告もほぼ同じなのでそれなりにいい仕事をしたという事だろう。
ならばここで捨てるのは勿体ないだろうかと、少し考える。
このまま立花幸太郎を襲わせるという風にも使える可能性があるからだ。
しかし、俺は首を振ってその考えを捨てた。
どこから自分の情報が洩れるか分からない。
リスクはなるべく減らすべきだ。
俺は本命に連絡をして、ゴロツキたちには少し遠い場所に行ってもらった。
まぁ海外旅行に行きたいと言っていたしな。良い経験だ。世界を見てくれば良いさ。
楽しいばかりの旅行では無いだろうが、多少は人の役にでも立ってもらおう。
俺はそんな事を考えながら、地図に示された場所へ向けて電車で移動する事にした。
車での移動は記録が残りすぎる。電子マネーを使わず、現金で切符を買い、監視カメラから外れた場所を動き続ける事で俺の動きは徹底的に隠すことが出来る。
よほど時間と労力を割かなくては俺の移動を追う事は難しいだろう。
一般人には不可能だと言っても良い。
警察ならば話は別だが、まだ何の事件も起きていないのだから、警察が動く訳が無い。
全ては順調だ。
俺は窓の外に流れていく山々の景色を見ながら、朝陽の事を想った。
無論。朝陽の事を考えなかった日など無いが、それでもこういう田舎に向かっていく風景を見ると強く彼女の笑顔を思い出す。
ずっと俺の心を照らしてくれた太陽の様な、陽だまりの様な笑顔を。
そして、長い時間電車に揺られて、俺は一つの駅にたどり着いた。
田舎だ。
駅前だというのに何もない。
いや、一応はある。商店街の様な物とか、公園とか、喫茶店の様なものとか。
それなりにはあるが、やはり寂れている。
都会とは大違いだ。
こんな所に朝陽は住んでいるという。
こんな場所に朝陽は閉じ込められているのだ。
腹立たしい。
俺ならば、今すぐにでも好きな場所に住めるだけの金があるのに。
海外だって良い。欲しい服があるならすぐに取り寄せるし、アクセサリーだろうが、バッグだろうが、何でも買える。
紹介でしか買えない様な物だって、俺なら容易く手に入る。
朝陽の子供だというのなら、テレビに出してやる事も、野球界で働けるようにする事も、何なら政治家にする事だって出来る。
何だって出来るんだ。
朝陽の子供なら、愛することだって出来る。
俺が、俺だけが朝陽を幸せにしてやれるんだ。
俺は自らが持っている手札を思い浮かべながら、朝陽が住んでいる家の前に立ち、ポストに手紙を入れた。
昔と同じ様に。
そして、そのまま家を離れて近くに停車していた車に乗り込んだ。
ナンバーはしっかり付近のナンバーだし、何処にでもある車種だ。
目立つような事もない。
「出してくれ」
「はい」
短い挨拶だけで走り出した車は隣町まで走り、適当な場所に駐車する。
後はここで朝陽からの連絡が来るのを待つだけだ。
俺は携帯を腹の上に乗せながら、シートを倒して目を閉じた。
さて。連絡が来るのはいつになるだろうか。
明日か明後日か。
あまりにも遅くなる様なら、手紙以外の手段を考えないとな。
なんて考えていた俺は、腹の上で鳴り響く携帯に勢いよく体を起こした。
予想していたよりも遥かに早い。
これは、もしかすると、もしかするのか?
願いなんぞ、奇跡なんて使わなくても、朝陽は俺の事をずっと待っていた?
緊張しながら俺は電話に出る。
「もし、もし?」
『もしもし? お電話こちらで間違いないでしょうか。朝陽は確かに私ですが』
「あぁ。間違いないよ……懐かしいな」
『懐かしい?』
「そうさ。いったい何年ぶりだと思ってるんだ。引っ越しで君の前から居なくなって以来だ」
『もしかして、杉原君、ですか?』
「そうだ。杉原だ。杉原一真だ」
『そうですか……杉原君。あ、いえ。杉原さんとお呼びした方が良かったですね』
「いや。杉原君で良いよ。朝陽。本当に、本当に、懐かしい」
『そうですね。でも、お手紙なんてどうしたんですか? 切手がありませんでしたし。直接投函されたんですよね? 直接呼んでいただければ良かったのに』
「いや、忘れてたらと思ったら怖かったんだよ。だからこんな回りくどい事をしてしまった」
『そうですか。杉原君は変わりませんね』
電話の向こうで朝陽が笑う気配がした。
昔と何も変わらない。どれだけ時が経っても、何も変わらないのだ。
「なぁ、朝陽。少し話さないか? 直接。君とまた話がしたい」
『それは……このまま電話という訳にはいきませんか?』
「何か理由があるのか」
『いえ。理由というほどではありませんが。私も結婚しておりますので、あまり男性と二人で会うのは良くないかなと』
「なら、駅前にあった喫茶店はどうだ? あそこなら人目もある。不貞を疑われる様な事も無いだろう? 何。ただ昔馴染みに会って少し話すだけさ。大したことじゃない」
『ですが……』
「少しだけだ。君が少しでも不快に感じたのならすぐに帰って貰っても構わない。だから少しで良い。俺に時間をくれ」
『……私は』
「朝陽。俺は待ってるからな。会えないというのなら、このまま無視してくれて構わない。どうせ、生きる希望何て、もう何も無いんだ」
『杉原君!?』
断られそうな空気を感じて、俺は一方的に言葉を叩きつけて電話を切った。
優しい朝陽の事だ。旧友がこんな事を言えば気になって店に来てくれるだろう。
電話では立花幸太郎が監視しているかもしれない。
しかし、人の目がある場所なら、問題はない。
俺はそう考え、急いで喫茶店へと車を向かわせた。
そして少し離れた場所に車を停車させ、窓際に座る。
運転手には合図と一緒に車を喫茶店の前に付けるように指示した。いざという時は強硬手段だ。
最悪の事態になっても願いの奇跡を起こす方法は掴んでいる。
今の俺は、天野へ、願いの奇跡を起こす天使に接触する事さえ可能なんだ。
俺は、逸る気持ちを抑えながら、ただコーヒーを飲み、朝陽を待った。
そして、やや時間が経ってから朝陽が店に入ってくる。
朝陽は昔からそれほど変わらない。いや、昔よりずっと綺麗になっていた。
「杉原君……ですか?」
「あぁ。そうだよ。俺だ」
「そうですか。もう。本当に強引な人ですね」
朝陽はそう言いながら俺の正面に座る。
そして店員に何かオススメを下さいと言って、俺の方に視線を向けた。
「それで。私を呼び出した目的はなんですか?」
「単刀直入に言う。俺と結婚してくれ」
「……電話でもお伝えしましたが、私はもう結婚しています。法律上も倫理的にも杉原君と結婚する事は出来ません」
「なら、別れれば良いだろう」
「理由がありません」
「俺は、全てを手に入れた! 地位も名誉も、金だって腐るほどある! どんな願いも叶えてやれる!」
「私の願いを叶えてくれるというのであれば、このままお一人でお帰り下さい。私は幸太郎さんと、子供たちと共に生きる事が一番の望みなんです」
「何故、どうしてだ」
「幸太郎さんと子供たちを愛しているからです」
「……朝陽。どうして、俺を待っていてくれなかった」
「待つ?」
「あの時、別れる時に言っただろう? 必ず迎えに行くと」
「……確かに、言っていましたね」
「君だって待っていると言っていた筈だ」
「……子供の時の話ですよ。もうあれから随分と時間が経ちました。それは互いに分かっているでしょう? 私には私の時間が、杉原さんには杉原さんの時間が。過ごしてきた日々があるハズです」
「違う。そうじゃない。そんな物は間違っている! 俺は、朝陽だけを想って生きてきたんだ!」
「っ」
俺は身を乗り出して、テーブルの上に出していた朝陽の手を掴んだ。
朝陽は少し体を震わせていたが、逃げるような気配はない。
「俺を選べ。朝陽」
「お断りします」
「絶対に後悔も苦労もさせない」
「私は既にここへ来た事に後悔していますが」
「それはお前が狭い世界に囚われているからだ。もっと自由に考えていいんだ。結婚の失敗なんていくらでもある。間違いは正せばいい。あの男はお前には勿体ない。そうは思わないか? くだらない男だ。お前と結ばれたという以外に何も秀でた物が無い。ろくでもない男だ」
「幸太郎さんの悪口を言わないでください。幸太郎さんは私には勿体ないくらいの素敵な人です」
「あの男がお前に何をしてやれた? どんな偉業を成した!? 何もしていない! 凡庸な男じゃないか」
「私たち家族をずっと支え続けてくれました。自分の時間も全て、私たちの為に使ってくれて、子供たちも皆、健康に今日まで過ごせています。それはどんな偉業を成した事よりも私にとっては大切な事です」
ハッキリと、そう言い放った朝陽の目に嘘は無かった。
心底そう思っている。
どんな栄光より、どんな社会的に認められた人間よりも、ただ横に居てくれただけの男が良いと。
俺よりも、立花幸太郎の方が良いと、そう言っていた。
俺はその目を見て、力を失って椅子に座り込んだ。
今ここにあるのは絶望だ。
「そうか。それが君の答えか」
「えぇ、ご理解いただけましたか?」
「あぁ、よく分かったよ」
俺は窓の外に合図を送り、溜息を一つ吐いた。
そして強硬手段を取らなくてはいけないという事実をよく理解した。
「では私はこれで帰ります」
「あぁ。そうだな。帰ろうか。俺たちの家に」
「え?」
座席から立ち上がり、入り口に向けて歩き始めた朝陽に俺は呟く様にそう言った。
驚いた様にこちらを見た朝陽の腕を掴み、俺は店の入り口に止まった車に向けて歩く。
後部座席は電動で開くため、既に開かれており、俺は入り口を勢いよく開きながら暴れる朝陽を連れて車に向かった。
こんな小さな町だ。監視カメラも何もない。追跡だって振り切れる。
もう二度と外に出さなければ、事件はそのまま消えていく。
俺はそう考え、車に向かって抵抗する朝陽を引きずって進んでいくが、車に手を掛けた瞬間、激しい衝撃を受け、車に向かって吹き飛ばされた。
頭を強く打ち付けたせいで、ドロリと何かが頭から流れる感触がする。
それが片目を塞ぎ、状況が理解できないが、先ほどまで右手に掴んでいた朝陽の感触が消えている事に焦り、喫茶店の方を見て、俺は全身を震わせた。
そこには一匹の猛獣が立っていた。
驚いた様に目を見開いている朝陽を横抱きにし、怒りに震えた瞳で俺を真っすぐに射抜いている。
「こ、光佑さん?」
「呼ばれて。嫌な予感がしてここに来たけど。どうやら正解だったみたいだ」
「お、お前は」
「確か前に陽菜と一緒に配信した方ですよね? 母とはどういう関係か知らないですが、どう見ても母は嫌がっている様に見えました。それは当然あなた方がどうなっても構わないという事ですよね?」
言葉遣いは丁寧だ。
しかし、その身に纏う気配が言っている。ここで殺すと。
俺は本能が感じた危機を信じて車に飛び込んだ。
そしてすぐに出す様に指示し、あの猛獣から遠くへと行くように叫んだ。
まともじゃない。
人間がどうこう出来る相手じゃない。
俺は遠く離れていく朝陽と猛獣を見つつ、未だに落ち着かない心臓の鼓動を感じながら荒く呼吸を繰り返した。
朝陽がいる町から遠く離れて、俺は山の中を車で走らせていた。
そしてノートPCを開きながら、願いを使う為の準備を進めていく。
交渉は失敗した。
強硬手段も失敗した。
しかし、この世界には奇跡という名の理不尽が存在する。
例えどの様な状況になろうとも、俺は最後に勝つ。
「これで、朝陽は俺の……」
「す、杉原さん! 前に!」
「なんだ! な、なんだ……お前は」
俺の目には異常な光景が広がっていた。
時速五十キロ近くで山道で走っている車のボンネットの上に平然と一人の男が立っていたのだ。
いや、ソレは本当に男だろうか。
男どころか人間にすら見えない。
そして、ソイツは右手を振り上げると、車のボンネットに突き刺す。
瞬間、車はまともに運転する事が出来なくなり、前方から炎が吹き上がった。
そしてそのままカーブを曲がり切る事が出来ず、ガードレールを突き破って空へと舞う。
すぐ横で運転手が悲鳴を上げている声が聞こえたが、もう手遅れだ。
どうにも出来ない。
俺はここで死ぬのか。
諦観と絶望と、どうしようもない世界の理不尽に震えながら車は地面にぶつかり爆発した。
炎に焼かれながら、逃げようという気持ちにもなれず、そのまま朝陽との思い出に浸りながら俺は目を閉じるのだった。
いつかの冬の日。
雪が降り積もる中で俺は朝陽と話をしていた。
『なぁ』
『なにかな? 杉原君』
『朝陽は夢とか無いのか?』
『夢? 特には無いかなぁ。そういう杉原君は何かあるの?』
『そりゃあるさ。こんな貧乏くさい田舎町は出てよ。誰よりも有名になって大金持ちになってやる』
『アハハ。杉原君らしいね。うん。良い夢だと思うよ』
『……だからさ。朝陽も一緒に行こう』
『いやいや。世の中出来る事と出来ない事があるから』
『朝陽!!』
『杉原君? 無茶ばっかり言ってると、またお父さんに怒られちゃうよ?』
『今すぐって意味じゃない! いつか俺が大人になって、成功したら必ず迎えに来る』
『いつか、ね。うん。じゃあ楽しみにしてようかな。でも、私ってば忘れっぽい性格だから、あんまり期待はしないでね?』
『忘れさせるもんか! 手紙だって書く』
『……そっか。じゃあ待ってるよ』
『あぁ。だから、約束だ』
『えぇ。約束』
『いつか、必ず朝陽を世界一高いビルに連れてってやるからな。そこに住めるようにもしてやる!』
『それは、まぁ、嬉しいけど。私が一番欲しいのは……』




