40.ただ隣にいただけですから
『魔王を殺したのはイザヤだ。お前の黒魔法から逃れようとしていたところに、あいつがトドメを刺した』
それは、シャルルが弟の心を守るためについた嘘だった。
テオドールはその真実をルーカスに告げるつもりはないし、その行動をとったシャルルに対して頼もしさすら感じてしまう。
けれど、たった一つだけ引っかかることがあった。
「イザヤ様は魔法がお得意でないと伺っていましたが、かなりお強いんですね」
魔族でありながら、上級魔法が扱えないと言っていた彼。
だが、ここでその名前を挙げられるということは彼は相当な実力者なのだろう。
(もしかして、すごく特殊な魔法だけ使えるとか……!?)
イザヤからは”ちんちくりん”という極めて不本意なあだ名をつけられたこともあり、どことなく苦手意識があった。
でも、彼が特殊な魔法を扱えるとなると話は変わってくる。
魔法オタクな少年の瞳はまだ見ぬ魔法を想像し、きらきらと輝いていた。
そんなテオドールを見てなにを思ったのか、シャルルが苦笑をこぼす。
「あいつの母親は鬼一族の姫だからな。魔法の適性がなくても戦闘能力は高いんだ」
その言葉を聞いた途端、テオドールの顔に浮かんでいた期待が一瞬で萎む。
彼は魔法以外の強さにはなんの魅力も感じられない少年だった。
「まあ、オレには負けるがな」
なぜか誇らしげにアピールしてくるシャルルに、テオドールは愛想笑いを返そう……として、あることに気がつく。
(シャルル様こそ、魔法の天才なんじゃないか?)
魔王の支配魔法によって出た虚言だったとはいえ、少なくとも幻覚魔法というとても高度な魔法を当たり前のように扱える天才のはずである。
思わず尊敬の眼差しで彼を見つめていると、後方から聞き覚えのある低い声が飛んできた。
「それは聞き捨てならんな。私の方が強いと、まだ認めないつもりか」
驚いて振り返ると、そこには二人の魔族の姿があった。
不愉快そうに端正な顔を歪めているイザヤと、その隣で彼に呆れたような視線を向けているフリードリヒ。
久々に見る彼らの姿にびっくりしていると、ふと視界の端で穏やかに微笑んでいるシャルルの表情が目に入る。
まるで彼らの乱入を知っていたかのような落ち着きぶりだ。
(もしかして、最初からそのつもりで……)
赤い瞳に長兄としての優しさを滲ませる彼は、イザヤの方に視線をやって、挑発的な微笑みを浮かべる。
「華麗な魔法をすべて拳で粉砕するお前を最強と認めろと? 冗談はよせ」
「そんなか弱い魔法しか放てない貴様が悪いのだろう?」
「なんだと!?」
最初の余裕そうな態度はどこへやら、ギャーギャーと言い合いを始める二人。
幼い子ども同士の口喧嘩を彷彿とさせるそれに、ぽかんと呆気にとられてしまう。
「シャルル兄上とイザヤ兄上って、あんなに仲良しだったんだ」
笑いを堪えたようなルーカスの小声に戸惑いながらも頷き、同意するテオドール。
彼も知らなかったということは、魔王の支配魔法にかかる以前はこのような関係性だったのかもしれない。
なにより、醜い争いをする兄二人にうんざりしたような目を向けるフリードリヒからは慣れのようなものを感じた。
しかし、その赤い瞳にはほのかな喜びの色が滲んでいるように見える。
やがて小さく溜息をつき、テオドールたちのもとまで歩み寄ってくるフリードリヒ。
二人の目の前に立った彼は赤い瞳を和らげる。
「ルーカス、テオドール」
すっとフリードリヒの長い腕が伸びてきて、二人を優しく抱きしめる。
彼の肩に顔を埋めるような形になり、爽やかさと甘さが絶妙な比率で混ざったような香りに包みこまれた。
(すっごくいい匂いがする……。これがモテる男の香りなのか……?)
動揺しすぎて、思わずそんなことを考えてしまうテオドール。
そして突然の出来事に困惑したのは、ルーカスも同じようだった。
「あ、兄上!?」
その表情が見えなくても、戸惑いと羞恥心が表れている声音。
いくらブラコンの気がある兄でも、ここまでのスキンシップをされるのは珍しいのかもしれない。
フリードリヒは混乱する二人に小さい笑みをこぼしながら、彼らを抱きしめる腕に力をいれた。
「――――今までよく頑張ったな。これからは自由に生きろよ」
とても温かい響きの、ちょっと早めの労いの言葉。
それが心の奥深くまで届き、一瞬で言葉を失ってしまう。
そっと身体を離したフリードリヒが、ニッと効果音がつきそうなほどの笑みを浮かべ、二人の頭を少し乱暴に撫でる。
「またなにか困ったことがあったら、すぐに僕たちを頼ること。いいな?」
「……っ、ありがとう」
感極まったような顔で感謝の言葉を告げるルーカス。
弟の言葉に満足そうに頷いたフリードリヒは、赤い瞳をこちらに向ける。
「テオドールもちゃんと返事しろ」
「ありがとう、ございます」
――――俺にまで、そんなに優しい言葉をかけてくださって。
身体の内側からこみあげてくる感情を抑えながら、お礼の言葉を口にする。
少年の言葉をそのまま受け取った彼は嬉しそうに微笑み、名残惜しそうにしながらも二人に背中を向けた。
そして、いまだ言い争っている兄たちに声をかける。
「おい、兄貴ども。見苦しい喧嘩はやめてさっさと帰るぞ。色々とやらなきゃならないことが溜まってるんだから」
その言葉を耳にして、イザヤの切れ長の瞳が見開かれる。
「ま、待て。私はまだ天使と話していな」
彼の言葉が最後まで紡がれるのを待つことなく、フリードリヒがパチンと指を鳴らす。
すると三人の姿が瞬く間に消え、屋根裏部屋に静寂が戻ってきた。
しんと静まり返った空気に、思わず安堵の溜息がこぼれる。
三人の魔族を前にして、無意識に緊張してしまっていたようだ。
しかし、気を抜くことができたのも一瞬のことで――――
「ふふ、彼らは相変わらず仲が良いのね」
そう言ってゆったりとした足取りで現れたのは、水色のワンピースを纏ったマディだった。
テオドールは柔らかく目を細める彼女の姿にわずかに目を見開き、咄嗟にルーカスの方を見る。
彼の表情はどこか強張り、その黒い瞳はなにかに怯えているようだった。
そっと彼女から視線を外す青年の姿は大きな葛藤を抱えているように見える。
「テオドールくん」
慈愛に満ちた声色で自身の名を呼ばれたことに驚き、少年の視線はルーカスからマディへ移る。
そこには、母親の顔をして微笑むマディの姿があった。
「アーデルハイドから、貴方のことを聞いたわ。……ずっと、息子の傍にいてくれてありがとう」
心から感謝していることが分かる表情と声音。
だが、そこにはほんのちょっとの気恥ずかしさが漂っている。
”アーデルハイド”や”息子”という単語を発する時、彼女の黒い瞳はルーカスを伺うような動きをしていた。
それは急に母性が芽生えたというには、躊躇が見られるものだ。
こっそりとルーカスを見上げると、彼はわずかに俯いているものの、その口角はほのかな喜びを表すように上がっている。
それを見て、テオドールは思わず目を瞠る。
(アーデルハイドっていう名前で呼ばれるのは嫌がると思ってたけど……)
その様子を見る限り、おそらく彼自身がマディに頼んだのだろう。
自分を息子として扱ってほしい。
そして、アーデルハイドと呼んでほしいと。
彼は過去の名前になにかしらの意味を見出すことができたのかもしれない。
きっと沢山のことを考えて、自力でそこに辿り着いたに違いない。
「……いえ、俺はただ隣にいただけですから」
そう言って、無邪気に見える笑顔を浮かべる。
それを向けられたマディは胸を打たれたような顔をした。
その一方で隣に立つ青年からなにか言いたげな視線を向けられたが、それには気づかないふりをした。




