34.イヴの思い
殺してほしいというわりには、死ぬことを恐れているようなイヴ。
そんな彼女からはどこか自暴自棄になっている印象を受ける。
ルーカスは予想外の要求に一瞬言葉を失っていた。
しかし、すぐにきっぱりとした口調で告げる。
「そんなこと、絶対にできません」
強い意志がこめられた、圧力のある声。
その顔はとても険しく、彼が本気であることを伝えている。
だが、イヴは追い詰められたような表情で彼に縋る。
「お願いよ。 他の誰にも頼めないことなの」
彼女の言葉を聞いた途端、抑えられないほどの憤りを覚える。
(ルーカスが魔族だからって、平気で人殺しができるとでも思ってるのか!?)
確かに世間一般的に魔族に良いイメージはない。
それは、彼らの中にむやみやたらに人間を襲うような者がいるからだ。
でも、人間に千差万別の性質があるように、魔族にも善良な性格の者は一定数存在する。
魔族=非道な行いができるという偏見は、今に始まったものではない。
実際そういう魔族の方が多いのだから、強く否定することはできない。
それでも、心の底からこみ上げてくる気持ちを無視することはしたくなかった。
「ふざけないでください! 貴女、自分がなにを言ってるか分かっているんですか!? 一体ルーカスのことをなんだと思って」
「テオドール」
怒りのままに彼女へ詰め寄ろうとするテオドールを止めたのは、ルーカスの落ち着いた声音だった。
彼は少年の肩に優しく手を置き、小さく首を振る。
僕は大丈夫だから。
今は彼女の話を聞こう。
そう伝えるような仕草に、ヒートアップしていた内側に少しずつ冷静さが戻ってくる。
ゆっくりと深呼吸をして、再びイヴの方へ視線をやる。
そこには、いまだ戸惑った様子の彼女がいた。
本来であれば、それこそが魔族に対する当然の認識だ。
だから、自分のなにが少年の気分を害してしまったのか分からないのだろう。
でも、ルーカスはそれを気にする素振りもなく、イヴに向かって問いかける。
「どうして、そこまで死にこだわるの?」
無感情なようで、どこか寂しさを纏った声色。
自身が抱えた黒魔法を封印するためには、実母の命を犠牲にする必要がある。
だが、そんな方法をとるくらいならいっそのこと死を選んだ方がいいかもしれない。
けれど、自分が死んでしまったら、大切な家族や友人を悲しませることになってしまう。
彼はずっとこの堂々巡りのなかで苦しんでいるのだ。
そのタイミングで彼女に出会い、殺してほしいと頼まれている。
これはどれほど彼の心をざわつかせているのだろう。
ほのかな微笑みを湛える彼を見て、イヴの瞳が悲しみの色に染まる。
「自分がなんのために生きているか、分からなくなって……」
そう言う彼女の声はか細く震えていて、いまにも壊れてしまいそうなほど脆いものだった。
しかし、やはりその理由には具体性がない。
ただアイデンティティを見失っているだけなのだろうか。
だが、この食事処を見る限り、彼女は社会的に成功しているように見える。
それなら、なにがここまで彼女を追い詰めているのか。
「私の息子――ウィリアムはね、一週間前に亡くなったの」
やがてぽつりと告げられた内容に、思考が止まる。
イヴの頬を一筋の涙が伝わり落ちていく。
その悲愴に満ちた表情から目が離せなかった。
「あの子は半年前から病気を患っていたみたいなの。でも、私や主人にはなにも言ってくれていなくて――――」
徐々にその声が小さくなり、終いには口をつぐんでしまうイヴ。
彼女の心にはまだ大きな穴が開いたままなのだろう。
その喪失感は、テオドールにも覚えがあった。
ある日突然倒れて、そのまま天国へと旅立ってしまった母親。
あれから半年ほど経つが、今でも偶にふと思い出しては胸の奥がズキズキと痛む。
大切な家族を失った時の心の傷はとても深く、どこまでも沈み込んでしまいそうになる。
それは、かつてのテオドールが身を持って体感している。
「たった一人きりの息子の異変にも気づけなかったなんて、私は母親失格だわ」
自責の念に駆られたような言葉に、ハッとして顔を上げる。
そして深い後悔が滲む表情を見て、否定するように首を振る。
「母親失格かどうかは、イヴさんが決めることじゃありませんよ」
これは、イヴに対する形式的な慰めなどではなく、紛れもない本心だ。
テオドールの母親は村一番の働き者だった。
女手一つで息子を育てるために、来る日も来る日も働いていた。
だから、物心がついてから日中にまともに遊んでもらった記憶は殆どない。
『いいお母さんになれなくてごめんね』
へとへとになって帰宅してくる母親はいつもそう言っていた。
でも、テオドールはそんな彼女を心から尊敬していたし、とても誇らしかった。
だから、彼女が過労で命を落としてしまった時も、”自分を置いていくひどい母親”だとは思えなかった。
ただ、どうしようもなく寂しくて、悲しかっただけ。
母親失格かどうかは、子どもが判断することだと思う。
それに、子どもが秘密にしておこうと決めたことに対して母親が責任を感じるのは、なんだか違う気がした。
テオドールの言葉に驚いたように、目を瞠るイヴ。
しかし、その顔から不安の色は消えていない。
「これは憶測だけど」
どこか緊張したようなルーカスの声音が静かに響く。
「きっと、親に心配や迷惑をかけたくなかっただけだと思う。死と隣り合わせな病にかかっていたのなら、尚更のこと」
僕もそうだから。
丁寧に紡がれた言葉には、そんな心の声が滲んでいるようだった。
なにより、一見無表情な彼の顔は、苦しそうにも見えた。
だが、しばらく俯いていたイヴはゆっくりと首を振る。
「……私は、せめて心配だけでもさせてほしかったわ。だって、死んでしまったら、なにもしてあげられないじゃない」
そう言うイヴの榛色の瞳から涙が溢れる。
「私がお腹を痛めて産んだ子だもの。風邪だろうが病気だろうが、心配するのは当たり前でしょう。それに、迷惑だなんて絶対に思わないわ。私はウィリアムの母親なんだもの」
胸の内にある思いを吐露するイヴは、涙に濡れた顔で慈愛に満ちた表情を浮かべる。
それだけで、彼女がいかに愛情深い母親であるのかが分かる。
だからこそ、突然訪れた愛息子との別れは、彼女にとって非常に耐えがたいものだったのだろう。
でも、残された家族がその後を追うのは、きっと間違っている。
ウィリアムもそんな結末は望んでいないはずだ。
(ここで、イヴさんの自暴自棄を止めないと……!)
その方法には、一つだけ心あたりがある。
今の彼女は亡くなった息子のことしか考えられなくなっている。
なにをするにしても、視野が狭いのはあまりよろしくない。
だから、ちょっとでもそれを広げられれば――――
「ご主人は、どうなんですか? イヴさんがいなくなったら、ご主人は一人になっちゃいますよ?」
あくまで刺激しないように、優しいトーンで問いかける。
怒ったり責めたりするのではなく、ただ尋ねるだけ。
おそらく、第一段階はそれくらいでいい。
当のイヴは、唐突な話題に少し戸惑ったような顔をする。
まるで予想外のことを聞かれたと言わんばかりの反応だ。
「イヴさんがウィリアムさんをなくされてひどく心を痛められているように、イヴさんがいなくなると涙を流される方がいらっしゃるんじゃないですか?」
イヴの家族は、ウィリアムだけではない。
息子をなくす悲しみを知った彼女は、最愛の伴侶をなくす悲しみも分かるはず。
そんな淡い期待をこめた、彼女の暴走を諫めるための言葉。
これが、テオドールにできる最善だ。
情で動くタイプには、情で訴えるのが一番効果的である。
それは死にたがり魔族と接する上で学んだことだった。
テオドールの言葉を聞いたイヴの表情が、徐々に変化していく。
なにかに気づいたような表情になり、生きる希望を見失っていた瞳に小さな光が宿る。
「マクシム……」
ぽつりと呟かれたのは、イヴの夫の名前だろうか。
その声音には隠しきれないほどの愛情が滲んでいる。
やがて彼女は全身の力が抜けたように、その場にへたりこむ。
「私ったら、なんて馬鹿げたことを考えていたのかしら」
頭に手をやって、思わずといったふうに呟くイヴ。
その顔は、ひどく思いつめたようなものではない。
そんな彼女を見て、テオドールは密かに安堵の溜息をこぼすのだった。




