30.12歳の大人
穏やかな微笑みを残し、リアのもとを立ち去るルーカス。
彼の足取りには一切の迷いもない。
元々、自己犠牲精神の塊のような男だ。
自分より誰かの命をとることにはなんの躊躇いもないのだろう。
――だが、テオドールは違う。
たとえ誰かの命を奪うことになっても、彼には生きてほしい。
その誰かが、かつてルーカスを捨てた母親ならば尚更のこと。
少なくとも、マディはセイント=ティアの住民のためには寿命を削っているのだから。
ルーカスには、それくらいの権利があるはずだ。
裏通りのはずれに差し掛かった時、テオドールはおもむろに歩みを止める。
それに気づいて、ルーカスも立ち止まる。
不思議そうな黒い瞳を真っ直ぐに見つめて、おずおずと口を開く。
「ルーカス、今からでも引き返してリア様にもう一度お願いしましょうよ」
案の定、かすかに震える声。
彼の母親の命を代償にして、彼の呪いを解いてもらおう。
いかに残酷なことを言っているかは、自覚している。
優しいルーカスは、こんな自分をどう思うだろう。
”人の心がない”と軽蔑されるだろうか。
それとも、同意して、生きる道を選んでくれるだろうか。
そんな思いを見透かしたように、ルーカスがちょっと困ったように笑う。
「テオドールも聞いたでしょ? ……僕は、誰かの命を奪ってまで生きたいわけじゃないよ」
彼の答えに、思わず唇を噛みしめる。
「でも、じゃあ、ルーカスは――」
生きるのを諦めるというんですか。
そう尋ねたら、おそらく彼は否定してくれない。
彼が以前ほど死ぬことに前向きでなくなったのは、紛れもない事実だ。
でも、いまだ彼の人生の選択肢として、死は当たり前のように存在している。
それが、どうしようもなくもどかしい。
黙って俯くテオドール。
ルーカスはそんな彼になにも言わない。
少年が言わんとすることを、なんとなく察しているはずなのに。
静かに向かい合う二人の間を、優しい風が通り抜ける。
その風に誘われたように、テオドールの瞳に熱いものがこみ上げる。
「……ごめん」
哀愁の色を纏った声。
それは、なんに対する謝罪の言葉なのか。
テオドールを提案を却下したこと?
テオドールを悲しませたこと?
テオドールをまた一人にしてしまうこと?
謝らなくていい。
生きていてくれれば、それでいい。
(――俺は、もう大切な存在を失いたくない)
ぼろぼろと大粒の涙を流すテオドールに、ルーカスがそっと手を伸ばす。
おそるおそる頭の上に置かれた手は、細かく震えている。
弾かれたように顔を上げると、少し泣きそうな顔でこちらを見下ろす彼の姿があった。
自分も本意ではない。
そう伝えるような表情に、僅かに目を瞠る。
その時、すぐ近くから能天気な声が聞こえた。
「あれ。懐かしい黒髪だと思ったら、ルーカス・カディオじゃないか」
厚かましく二人の間に割って入ったのは、妙にガタイの良い青年だった。
陽の光を受けてきらきらと輝くハニーブロンドと、透き通った琥珀色の瞳。
それらに彩られた顔立ちには甘い微笑みが湛えられ、その背丈はルーカスよりもいくらか高い。
いかにもモテそうな雰囲気を纏った男だ。
(ルーカスの知り合いか……?)
突然のことにびっくりしすぎて、いつの間にか涙は引っ込んでいた。
無意識に目を瞬かせるテオドールとは対照的に、ルーカスは心底嫌そうな顔をする。
「……クリス」
嫌悪感を顕わにした声音。
その黒い瞳は不機嫌そうに細められている。
不愛想なところは何度も目にしたことがあるが、こんな彼は初めてだった。
彼らの関係性を怪訝に思っていると、不意に蜂蜜色の瞳がこちらへ向けられる。
「きみ、無事だったんだね」
そう言って、どこか作り物めいた笑みを浮かべるクリス。
その言葉にいち早く反応したのは、ルーカスだ。
「テオドール、こいつと会ったことあるの?」
「いいえ。失礼ですが、クリス様の勘違いでは?」
驚いたような様子の彼に、慌てて首を振って否定する。
これでもテオドールは人の顔と名前を覚えるのは得意な方だ。
だが、クリスに関しては何も知らない。
これが初対面のはずである。
不思議に思っていると、クリスがくつくつと笑う。
「まあ、あの時きみは黒魔法に侵されて意識を失っていたからね」
予想外の答えに、思わず目を瞠る。
どうして、この男はテオドールが黒魔法に侵されていたことを知っているのか。
ルーカスにもバレないように必死で隠していたはずだ。
(!? そうだ、ルーカスには内緒にしてたのに!)
気づいた時には、すでに手遅れだった。
「テオドールが黒魔法に侵された……? まさか、そんなことは」
真相を探るようにこちらを見るルーカス。
その表情は、不安と心配の色がないまぜになっている。
無情にも、クリスはそんな彼らに構わず言葉を続けた。
「間違いないよ。銀髪赤眼の怪力魔族に無理やり異空間へ連れていかれて、今すぐきみを治療しなければ殺すって脅されたんだから」
銀髪赤眼の魔族とは、十中八九イザヤのことだろう。
シストラで黒魔法に身体を蝕まれた時、フリードリヒが助けてくれたものだと勝手に思い込んでいたが。
テオドールが意識を失ったあと、このクリスが浄化魔法をかけてくれたというのか。
にわかには信じがたい話だ。
だが、仮にそうだとすると、彼がテオドールのことを知っていたことにも納得できた。
ちらりとクリスの顔を見上げると、上品な微笑みが向けられる。
「つまり、ぼくはきみの命の恩人というわけだ。心の底から感謝してくれていいよ」
その表情に似合わない、恩着せがましい言葉。
よくよく観察すると、その微笑みにも含みがあるように見える。
でもテオドールにとって、彼が命の恩人であることは変わらない。
ちょっと戸惑いつつも、できるだけ丁寧に頭を下げる。
「あ、ありがとうございました」
「ふふ、気にしなくていいよ。《《次期勇者》》として、当然のことをしただけだから」
なぜか、次期勇者の部分を妙に強調するクリス。
その顔からは大きな自信と高いプライドが滲み出ている。
(こんな勇者、やだな……)
この前会ったとてもかっこいい勇者の姿を思い出して、こっそりと呆れてしまう。
しかし、相手は黒魔法を浄化できるほどの実力者であり、命の恩人だ。
大人の対応で曖昧に微笑むテオドール少年。
その一方で、ルーカスは一刻も早く彼から離れたいようだった。
「悪いけど、僕たちこれから予定があるから」
愛想の欠片もない態度で足早に立ち去ろうとするルーカス。
だが、クリスは気にした素振りもなく、その背中に声をかける。
「リア嬢に会いに行くとか?」
明らかにからかいの色がのった声。
真面目に取り合う必要もないのに、ルーカスは足を止め、ゆっくりと振り返る。
その顔には呆れとほんの少しの情が浮かんでいた。
「リアにはもう会ったよ。……というか、そっちはなんでセイント=ティアにいるの?」
「ここはぼくの地元なんだ。まあ、リア嬢を追ってというのも否定はしないけどね」
「クソが」
(クソが……!!?)
ルーカスらしからぬ暴言に、思わず目を白黒させる。
しかし、当の本人はどこかすっきりしたような面持ちで歩き始める。
そんな彼を楽しそうに見つめるクリスに、咄嗟に頭を下げて謝罪する。
気持ちは完全に幼稚な子どもの保護者だ。
「も、申し訳ありません! いつもはあんなこと言わないんですけど」
「あはは、大丈夫だよ。相変わらず虐めがいがあって面白いし」
そう言って、黒い笑みを浮かべるクリス。
そこに先程までの嘘くささは感じられず、紛うことなき本心のようだった。
(く、クソだ……)
内心ではそう思いながらも愛想笑いを貼り付けるテオドールは、その場の誰よりも大人であった。




