28.聖都と美姫
八日間にも及ぶ長い旅路を経て、ようやく二人はセイント=ティアに辿り着いた。
シンボルである巨大な白い門をくぐると、辺り一面には白い景色が広がっていた。
視界に入る教会や家屋の外壁の大部分は白く染め上げられ、天から降り注ぐ日の光を眩く反射している。
その光景はまさに圧巻の美しさで、どこか幻想的にも見える。
この都市が名称にセイント――つまり、”聖”の意味を冠する理由。
それは、聖魔法使いの多くがここの生まれだからだ。
聖魔法とはあらゆる負傷や病気を治すことのできる、大変重宝される魔法である。
そのため、どの権力者たちも彼らを専属として雇おうと躍起になるらしい。
しかし、なぜ魔力性質がそこまで偏ってしまうのか。
その原因はいまだ解明されていない。
そんな経緯も含めて、いつからか人々はここを”聖都”と呼ぶようになったのだ。
「――ご存じでしたか?」
目をきらきらを輝かせながら饒舌に話す少年に、黒いローブのフードを目深に被った青年は少し驚いたふうに口を開く。
「テオは、なんでそんなに詳しいの?」
「昔から魔法に関する書物は沢山読んでいましたからね。……あと、愛称で呼ぶのはやめてください」
ついでのように釘を刺すと、ルーカスは不満そうな表情をする。
「アイクはいいのに、僕はダメなの? なんで?」
(違和感がすごいからに決まってるだろ!)
そう叫びたい気持ちをぐっと抑えて、小さく溜息をつく。
この八日間、なぜかルーカスはテオドールを愛称で呼ぼうと試みているようだった。
だが、それを認める気は一切ない。
別に、ルーカスに意地悪をしているわけではない。
ただ、この半年間ずっと続けていた呼称を改める必要性が全く感じられないだけだ。
むしろ、どうして今更愛称で呼びたがっているのか。
昨日馬車の中でそれを尋ねたところ、彼はあからさまに話題を変えた。
しつこいわりに、その理由を話す気はないらしい。
「次にテオって呼んだら、俺もルーカスのことを天使って呼びますからね」
呆れたような視線を向けると、ルーカスは露骨に嫌そうな顔をする。
それほど、”天使”は彼の中で受け入れがたい愛称なのだろう。
愛称で呼ぶ権利と己のプライドを天秤にかけた結果、泣く泣く後者をとったルーカスは、暫くの間落胆するように黙り込んでいた。
そんな彼を見た瞬間、急にテオドールの胸の内で罪悪感が騒ぎ始める。
(俺も、ちょっと頑固すぎたかな?)
こっそりと反省し始めた時、突然ルーカスの顔がぱあっと華やぐ。
「テディならいいの!?」
「ダメだ、こいつ……」
思わず素で心の声を口にしてしまうテオドール。
それでもなお心外そうなルーカスには構わず、賑やかな雰囲気が漂う街の方へと歩き出すのだった。
白い建物に囲まれた街の中心部では、彩り豊かな市場が展開されていた。
見知った果実から初めて見る野菜まで、多種多様な自然の恵みが、食欲を刺激するような香りを振りまいている。
これらを売っているのは当然、セイント=ティアの市民たちだ。色素が薄く、儚い印象を受けそうな人々が声を張り上げて、客を呼び込もうとしている。
その明るくエネルギー溢れる声や、街中の至る所で笑顔の花が咲いている空間は、平和な都市のそれだった。
その一方で、テオドールたち――厳密にはルーカスをじろじろと不躾な視線を向けてくる人々の存在だけは非常に不愉快だった。
最初はルーカスの黒魔法がバレているのかとヒヤヒヤしたが、それにしては何もしてこない彼らに疑問は募るばかりだ。
生まれて初めて浴びる嘲笑が混じったような視線に、徐々に身体を蝕まれていくような心地がした。
不安な思いは膨らんでいくばかりで、無意識に傍にある黒いローブを掴む。
「ルーカス……っ!?」
「すみません」
隣を歩く彼の顔を見上げるのと同時に、反対側の肩を軽く叩かれ、身体が過剰に反応する。
驚いて後ろを振り返ると、そこには深緑色の兵士服に身をつつんだ男が立っていた。
ミルクティー色の髪をした彼は、同色の瞳を和らげて微笑む。
「失礼ですが、そちらの方のお顔を拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」
そう言って、ルーカスの方へ少し訝しげな視線を向ける兵士。
彼を敵視しているようにも見えるその対応に、思わず目を見張る。
「ど、どうしてですか?」
自然に尋ねようとしたのに、実際に口から出た声は緊張で裏返ってしまう。
どう見ても不審な態度のテオドールだったが、なぜか兵士は再び柔らかい笑みを浮かべた。
「ここセイント=ティアでは、魔族の侵入を防ぐために髪や目の色を確認できない方にはお声掛けさせて頂くことになっているのです。安全の為に、ご協力をお願いいたします」
そう告げる彼の表情からは、純粋な善意しか感じられなかった。
人類にとって、魔族は最恐の天敵だ。
以前から分かっていたはずなのに、兵士の言葉にガツンと頭を殴られたような衝撃を受ける。
(…………逃げよう)
あまり動かない頭でようやく出した結論は、それだった。
皺ができるほど強く握ったローブをそっと引いて、ルーカスを見上げる。
しかし、なぜか彼は口元に笑みを含ませ、ゆっくりと首を横に振る。
「先に断っておきますが、僕は悪い魔族じゃありませんよ」
その言葉を受けた兵士が険しい顔に変わるのと、ルーカスがフードに手を掛けるのは殆ど同時だった。
フードの下から顕わになる艶やかな黒髪と、諦めの色が滲んだ黒い瞳。
周囲にいた人々がギョッと驚いたように仰け反り、どこからか恐怖心を掻き立てる悲鳴が聞こえる。
魔王一族の始祖を彷彿とさせる容姿に、誰もが息を呑んだようだった。
「おっ、お前、やっぱり魔族だったのか!」
しばらく言葉を失っていた兵士が我に返り、ルーカスに向かって掌を向ける。
今にも攻撃魔法を放ちそうな彼の態勢に、慌てて止めに入ろうと口を開く。
「「お待ちください!」」
美しく澄んだ女性の声が、テオドールのものと重なる。
突然のことにびっくりしていると、徐々に目の前に広がっていた人の波が割れた。
その先に佇んでいたのは、腰のあたりまである《《黒髪》》を惜しげもなく晒した、とても綺麗な女性だった。きらきらと輝く紫色の瞳がこちらを真っ直ぐ見つめて、愛嬌のある微笑みが向けられる。
(すっごいかわいい!!……じゃなくて、黒髪だし、多分魔族だよな?)
人波が自然に割れたように見えたが、皆彼女の存在に気付いた瞬間距離をとったのだと遅れて理解した。
だが、これだけ反魔族思想が強い場所で堂々としている彼女は何者なのだろう。
テオドールが考え込んでいるうちに、彼女はこちらまで静かに歩み寄ってきて、兵士に話しかける。ちょっと困ったように笑う表情には、不思議な訴求力があった。
「そちらは、マディ様のお客様ですわ。私がお招きいたしましたの」
ほのかな微笑を崩さない彼女だが、兵士は依然としてルーカスへ厳しい目を向ける。
「そんな情報は聞いておりませんが」
「ええ。私としたことが、うっかり忘れておりましたのよ。ごめんあそばせ」
いまだ頑なな態度を絆すように、彼女はわざとらしいほどの至近距離で彼の顔を見上げる。
そのあざとい上目遣いが効いたのか、若干紅潮した顔を誤魔化すように大きな溜息をつく兵士。美女から目を逸らしつつも、その鼻の下は伸びていた。
「マディ殿の客人であれば、仕方ありませんね」
「ありがとう存じます。今後も彼を見かけた場合は拘束しないよう、他の方々にもご周知くださいましね」
「はい、承知いたしました」
その言葉に満足したように頷くと、彼女はルーカスの方を優雅な所作で振り返る。
だが、彼を見る紫水晶の瞳に先ほどまでの色はなく、氷のような冷たさすら感じられた。
それだけではなく、彼女の可愛らしい微笑みもいつの間にか失われている。
(味方、じゃないのか……?)
安心したのも束の間、テオドールのなかではまた不安が渦を巻き始めていた。




