01.魔法都市アロヴィンにて
それから数ヶ月後───
魔法都市アロヴィンの市場ではいつも通りの賑やかな光景が広がっていた。
香辛料の刺激的な香りと、果物の甘い匂いが入り交じり、大通りには多彩な露店が並ぶ。石畳の上を忙しなく行き交う人々の声は活気に満ち溢れていた。
その中で、真っ黒なローブのフードを目深に被った青年の姿もまた、風景の一部として溶け込んでいる。
「魔法使いの都アロヴィンに来られるなんて……。以前はあの魔法学校に通うのが夢だったんです!」
無邪気な笑顔を浮かべた少年が、遠目に見える立派な校舎を指さして振り返った。陽の光を反射する黒壁の校舎からは独特の威厳が漂い、魔法使いの少年の鼓動を高鳴らせていた。
しかし、彼より少し後ろを歩いていた青年は急に立ち止まり、何か言おうと口を開くが、すぐに閉じて薄い唇を真一文字に結ぶ。その様子はどこか遠くを眺めているようにも見えた。
それに気づいた途端、少年は不満そうな顔を作った。
「ルーカス。何かあるならはっきり言ってくださいよ」
「…………テオドールは魔法の才能があるし、今からでも魔法学校に通えるんじゃない?」
抑揚のない声で淡々と告げられた内容に、テオドールは大袈裟に溜息をついた。
「俺にそんなお金と余裕はありませんから」
あっけらかんと言って再び歩き出すテオドール。弱冠十二歳にして最上級魔法を操れる今のテオドールにとって、魔法学校は過去の夢となっていた。
ゆっくりとその後ろ姿を追いながら、ルーカスが小さい呟きをこぼす。
「僕のことなんか、放っておけばいいのに」
幾度となく耳にしてきた言葉だったが、敢えて聞き流した。
ルーカスはそんな彼を咎める様子もなく、ただ黙って視線を落とし、風に揺れるフードの端をつまんでいた。
暫く道なりに歩いていると、やがて一際大きな屋敷の前へと辿り着いた。
一度に見渡せないほどの広大な敷地、最早城という表現が似合いそうな白い建築。高い塀の向こうには手入れの行き届いた庭が広がっており、テオドールは思わず感嘆の声を漏らす。
「俺たち、ちゃんと中に入れてもらえますかね……?」
「大丈夫だよ」
ルーカスにしては珍しく、はっきりとした言い方だった。
(普段は自己肯定感が極端に低いのに、こういう時の自信はどこからくるんだろう……)
今日の訪問は、旅の資金を得るための大切な依頼だった。ツテがない二人のために、前回の依頼主が口聞きをしてくれたのだ。そうは言ってもここまでの豪邸にお邪魔するのは初めてで、門前払いされる可能性が脳裏をよぎる。
呼び鈴を鳴らすと、程なくして執事服に身を包んだ男が屋敷から出てきた。怪しい装いをしたルーカスに警戒した目を向けつつも、表向きは笑みを浮かべて要件を尋ねてくる。
「ラバイのソフィア様からのご紹介で参りました」
テオドールが愛想良く答えると、男は一瞬驚いた顔をして、それからすぐに門扉を開いた。
「カディオ様とテオドール様ですね。お待ちしておりました」
その対応に、テオドールは小さく息をついた。
二人が案内されたのは、広大な応接間だった。
カウチがふかふかすぎて思わずはしゃぎそうになるが、ルーカスの真面目な横顔が目に入り、なんとか堪える。
まるで丁重な扱いに慣れている王族のような態度だ。自分の出自を話さない彼だが、言動の端々から育ちの良さは伺えた。
(顔立ちからも気品が漂いまくってるしな……)
じいっと美しい横顔を眺めていると、ルーカスが僅かに首を傾げる。
「僕の顔に何かついてる?」
「……別に、なんでもありません」
「そう」
興味なさげにこちらから視線を外すルーカス。しかし彼の憂いを帯びた表情を見て思わず声をかけようと口を開きかける。
その時、控えめなノックの音が響いた。
扉の向こうから現れたのは、テオドールと同い年くらいの少女だった。華やかな金色の髪に、宝石のように澄んだ青色の瞳。人形のように可憐な顔立ちの少女は愛らしく微笑んだ。
「初めまして。ヴィンセント家が当主、マリーと申します」
「この度はご依頼をいただき、誠にありがとうございます。私はテオドールと申しまして、こっちはルーカス・カディオです」
できるだけ丁寧にお辞儀をして頭をあげると、マリーが柔らかく目を細めた。その微笑みには、年相応のあどけなさと、当主としての気品が垣間見える。少女は今まで出会った誰よりも整った顔立ちをしていた。
テオドールが思わず見惚れそうになっていると、彼女の視線は隣の男に移された。
「カディオ様は、勇者フェリクス・カディオ様のご親戚でいらっしゃいますか?」
何気ない問いかけだったのに、その場の空気が微かに軋むのを感じた。
勇者フェリクス・カディオは、"生きる伝説"と呼ばれるほどの英雄だ。
貴族以外は基本的にファーストネームしか持たない文化圏で、カディオというラストネームは一際目立つ。
しかしルーカスは勇者の話題を極端に嫌うため、その理由を聞くことはできなかったのだ。
おそるおそる彼の顔を伺うと、不気味なほど無表情の横顔があった。
「……それは、今回の依頼に関係があるの?」
全ての感情を失くしたかのような声を聞いて、背筋が凍る。
普段の平坦なトーンの方が幾分もマシに思われた。
「…………いいえ。余計なことを聞いてしまったようで、申し訳ありません。早速ですが、依頼の詳細をお話ししますね」
無意識にルーカスの地雷を踏んでしまったことを察したらしい彼女は、愛想笑いを浮かべつつ慌てて話題を変えた。
せっかく好意的に接してくれていたのに、この一瞬で妙な距離ができてしまった。
少し恨めしく思いながら横目でルーカスを睨むが、彼からは何の反応も返されない。
「簡単に申し上げると、…………私の魔力が暴走するのを止めていただきたいのです」
穏やかな表情で告げられた内容は、到底信じられるものではなかった。
魔法使いは意識的にしか魔力を操れないはずだ。それは凡人でも天才でも不変の理だと認識していたのだが。
テオドールの怪訝な顔に気がつき、マリーは少し困ったような笑みを浮かべた。
「魔法医曰く、何者かに呪いをかけられた可能性が高いそうです」
「……あの、ルーカスの力で魔法を無効化することはできますが、呪いを解くのは専門外です」
申し訳ない気持ちになっていると、意外にもマリーは小さく頷いた。
「それは承知しています。呪いを解除するのはリスクが大きいので、もう諦めているんです。でも、寝室の補強にも限度があって」
目を伏せて大人びた表情をするマリーだが、その透けるような金色の睫毛は微かに震えていた。
「寝室って……。就寝中に暴走するんですか?」
「ええ。日中に起きることもごく稀にありますが、殆どは寝ている時ですね。…………昨日は朝目覚めたら屋敷が全壊していました」
どうにか修復魔法で直しましたが、と溜息をつく彼女の姿からは日頃の苦労が見て取れた。




