16.封魔の書
「なんの御用ですか?」
警戒しながら尋ねると、フリードリヒは少し困ったような顔をした。
「そんな顔するなよ。僕はお前を迎えにきただけだ」
「魔王の命令ですか?」
「あぁ、父上はお前を一番可愛がっていらしたからな。アーデルハイドがいなくなってからはずっと寂しそうにしておられるよ」
よくもそんなにペラペラと嘘がつけるものだ。
ルーカスは心の中で感心していた。
「お前がいなくなったことで、後継者争いは苛烈になり、先日はセオドアがシャルル派の者に殺された」
「え……?」
兄たちは陰で足の引っ張り合いをすることはあっても、直接手を出すことは一度もなかったはずだ。
予想外の言葉に唖然としていると、察したフリードリヒが複雑そうな表情を見せた。
「アーデルハイドの黒髪黒眼には誰も歯向かうことがなかったけど、僕とイザヤ以外は黒髪に赤い瞳だから」
魔族はアホじゃないのか。
外の世界を見たからこそ、髪や瞳の色でその者の価値を決める慣習の異常さがわかる。
小さく溜め息をつくと、フリードリヒが不思議そうな表情をした。
「一つ、とても大事なことをお話します」
「なに?」
「アーデルハイドは死にました」
「は……?」
「魔王にお伝えください。このルーカス・カディオが魔界をぶっ潰しにいくから待っていろ、と」
最も愛らしく見える笑みを浮かべて、フリードリヒに言い放つ。
「………………つまり、魔界に帰るつもりはないんだな」
しばらく呆気にとられていたフリードリヒが小さく呟いた。
それなら無理やり連れていく、と言い出したら思いっきり叫ぼうと大きく息を吸った時、
「良かった……。自分の居場所を見つけたんだな、アーデルハイドは」
赤い瞳から涙を流すフリードリヒの姿が、かつての優しい兄の記憶と重なった。
困惑したルーカスを見て、彼はおかしそうに笑う。
「あの腐った世界で笑わなくなっていくお前を見て、ずっと心配していたんだ」
「……腐った世界?」
「僕とイザヤは後継者争いに紛れて魔界を出るつもりだ。その前にアーデルハイドの様子を見たくて、使者に志願した」
「魔界を、出る?」
「今度はイザヤも一緒に会いに来るよ」
「イザヤ兄上も?」
「あいつは嫉妬深いから。最近はずっとアイザックを目の敵にしてるんだ」
「はぁ……」
急展開についていけず、適当な返事をすることしかできない。
「父上には一言一句違えずにお伝えしておく。またね、愛しいアーデルハイド」
そう言って弟の頬にキスすると、フリードリヒは姿を消した。
すっかり夢を見ていたような心地になっていると、手元の硬い感触に気がついた。
いつの間にかそこには黒い本が置かれていて、小さなメモが添えられている。
[お前の助けになれば嬉しい。 イザヤ]
本の表紙には金色の文字で【封魔の書】と記されていた。
「ありがとう、兄上」
小さな声で呟くと、目元を拭って前を向いた。
♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢
突如部屋のドアがノックされ、反射的にそちらへ目をやった。
「アイザックです」
その声に封魔の書を枕元へ置いて、ベッドから飛び降りる。
急いで扉を開けると、そこには覇気がないアイザックがいた。
「どうしたの、まだ調子が悪い?」
様子を伺うように見上げると、突然アイザックが頭を下げた。
「この度はルカ様をお守りできず、誠に申し訳ありませんでした」
その時になってようやくアイザックが涙声なことに気がついた。
とりあえず近くを通った使用人に温かいミルクを二つ頼み、アイザックを部屋の中に招き入れる。
普段はうるさいほど喋るのに、今は口を固く閉じていた。
急かすのはよくないだろうと思い、ミルクをちびちび飲んでいると。
「俺はルカ様をお守りするために、フェリクス様に破格の待遇で雇われました。それなのに、今回のような失態をおかしてしまい、どのように責任をとればいいか」
「ごめん、ちょっと待って」
ミルクを全て飲み干し、アイザックの青い瞳を真っ直ぐに見つめた。
「まず、僕はアイクを只の護衛として見てないよ」
「……それは、どういう意味ですか?」
「兄弟兼親友だと思ってる」
ぽかんとしたアイザックを見て、ルーカスは小さく笑った。
「だから、アイクは僕の傍にいてくれるだけで十分なんだ」
「……『お前なんかクビだ!』が口癖なのに?」
「それはアイクの趣味が僕をからかうことなのと、お前の顔が無駄にかっこいいのが悪い」
「そこはいい加減慣れましょうよ」
アイザックがへらっと笑ったのを見て、こっそり胸を撫で下ろした。
彼にしおらしくされるとこちらの調子が狂ってしまいそうだったからだ。
「それにしても、いつの間にか俺はルカ様の兄になっていたんですね」
上機嫌に言うアイザックに思わず苦笑を漏らす。
「そのせいで魔族に決闘を申し込まれたらごめんね。先に謝っておくよ」
「どういうことですか?」
怪訝な顔をするアイザックは敢えて無視して、ルーカスは身を乗り出した。
「フェリクスから封魔の力について聞いた?」
「はい、とても信じがたいお話で……。ルカ様にとっては喜ばしいことかもしれませんが、正直俺は心配しています」
珍しく真面目な表情のアイザックに、首を傾げる。
「心配?」
「大きな力にはそれ相応の代償がつきものですから」
その言葉に、はっとさせられた。
確かに魔法を無効化するなんて力をノーリスクで扱えるわけがない。
そう思い至ったところで、封魔の書が目に入る。
「あれに何か書いてあるかも」
ベッドに駆けより、少し緊張しながら本を開く。
そこには走り書きがされていた。
[黒の瞳をもつ者のみ、主たる資格を得られたり]
「主たる資格……?」
疑問に思いながらページをめくると、その次は白紙だった。
しかし次の瞬間ぽわっと黒い文字が浮かび上がり、現れた文章に思わず全身が震えた。
[黒の瞳を宿したる第七王子アーデルハイドを、本書の主として認める]




