迷宮に揺れる心、幻影卿との邂逅
薄曇りの空の下、二人は“ノクスの森”へと足を踏み入れた。
その森は、地図には存在しない。人族が滅びて以来、記録ごと消された土地だという。
「ここだ。……次の四天王、“幻影卿メフィルド”の根城」
エファトの声に、リアンは深くうなずいた。
「腐牙姫の残した言葉、“見たくないものに殺される”って、あれは……」
「ああ、ここのことだろうな。メフィルドの幻術は、心の奥に眠る恐怖や罪悪感を“現実”にしてくる」
森に入った瞬間、空気が変わった。
冷たい風が吹いたかと思えば、次の瞬間には熱気に包まれる。
木々の形が歪み、道が消える。そして、いつのまにか――エファトの姿が見えなくなっていた。
「……エファトさん? ……エファトさ――っ!?」
視界に、ありえないものが映った。
それは、滅んだ騎士団の本拠地。燃え落ちる本城と、崩れゆく塔。そして、倒れている一人の人物。
「……団長?」
リアンの足が止まる。
倒れていたのは、かつての誇り高き団長リュセル・グレンハルトだった。全身を血に染め、《セイグランス》が地に落ちている。
「リアン……」
動くはずのない口が、リアンの名を呼んだ。
「お前が、生き残ったせいで……皆、死んだ……」
「……違う……そんなはずない……!」
視界が揺れる。手が震える。足が前に進まない。
「お前が、逃げたから……!」
叫びが刺さるように胸に突き刺さる。
リアンの視界がぼやけたその時――
「その剣、握り直せ」
鋭い声が飛ぶ。
そこに立っていたのは、エファト。だが、その姿もまた、揺らいでいる。
「偽りに負けるな。お前は、“あの日”のままじゃない。お前はもう、戦える剣士だ」
「……僕は、剣士……団長の剣を継いだ、“継承者”だ!!」
リアンが叫ぶ。
その言葉が、幻を断ち割った。
景色が崩れ、燃える城が霧散し、音も匂いもすべて消える。
「……見破ったか。面白い」
低く、乾いた声が木々の間から響いた。
一歩、また一歩。
黒く、滑らかな衣を纏った男が現れる。中性的な顔立ちに、金の仮面をつけていた。
「私は“幻影卿”メフィルド。心を弄ぶのが趣味でね。まさか、あんな幻に耐えるとは……いい目をしている」
「幻にすがるほど、俺の心は弱くない」
リアンは剣を構え、エファトもまた隣に並ぶ。
「お前が騎士団を罠にかけた張本人か」
「ふふ。ああ、あれは見事だった。仲間を装って近づき、人質を使って、誇りを踏みつける。人間というものの“醜さ”が、あれほど美しく見えたことはなかった」
「……その醜さを、お前は愚弄した。なら俺が、“誇り”の名で斬る!」
リアンが斬り込む。
幻術が襲いかかる。幾重にも重なる偽の景色と偽の敵。
だが、リアンの剣は惑わない。彼の目は、常に“真実”を見ていた。
一閃。
仮面が割れ、メフィルドの頬から血が流れる。
「く……くは……ははは! 本当に、“希望”がいたとは……!」
メフィルドが巨大な幻影獣を召喚する。
そのとき、エファトが剣を抜いた。
「――断時一閃」
風も、音も、時も断たれる。
その一撃で幻影獣は消え、メフィルドの術式が崩壊する。
「見事だ。だが……最後に一つ、“本物”を見せてやろう」
メフィルドが自らの心臓を貫き、世界に“絶望の幻”を放とうとした瞬間――
リアンが、迷わず剣を突き立てた。
「俺の剣に、“偽り”はいらない」
静かに、幻影卿は崩れ落ちた。
森の霧が晴れ、太陽が差し込む。
「……やるな、リアン。あの幻を破れる奴は、そういない」
「……おかげで、自分が何を守るために剣を持ってるのか、はっきりしました」
二人はまた歩き出す。
残るはあと二人。そして、その先にいる魔族王へ――




