第3話 骨奏ワルツ・ブレイカー
胎動管の最深部へ至る回廊は、直径十数メートルの空洞となっていた。薄紅の粘膜が管壁に脈動し、遠心ポンプのように可愛性値を押し出すたび、空気は胎脂の甘臭いにおいで飽和する。私は呼気へ鉄砂を感じながら、唇の裏を噛んだ。血の味が、恐怖と高揚の境目をぼやかす。
中心には純白の舞台。《骨奏壇》と呼ぶに相応しいその台座は、捧げられた少女の骨格をねじり編んだレース細工だ。そこで指揮棒を振るうのが死色指揮者——背丈は少年のまま、頭部から颯爽と生えるのは脊椎で作られた大弓。骨が擦れ、神経の残滓が青白く発光するたび、私の鼓膜は針で突かれる感覚に襲われた。
〈かわいい?〉合唱隊の疑問符が脳髄を撫でる。私は短く「違う」と答え、黒曜のリボン痕へ指を添えた。そこにはもう首輪は無い——けれど“支配される側”の記憶が、焼き鏝の文字のように浮き上がっている。
指揮者が第一拍を振る。骨弓が張る弦は少女の声管、その震動は可愛性値を変換した蒼紅の音血となり空へ霧散。甘藍と腐肉の様な混合臭が鼻腔を刺す。「汚いワルツね」桜井 心愛が肩傷を押さえつつ、孔雀翼を半展開。蒼紫の羽弁が哭音盾へ変形し、低周波の衝撃を受け止める。
私は舞台へ踏み込む。白鷺 珈平の走査虫が放つ銀糸が、床に迷走電流のような座標を描く——跳躍の導線。
一拍目——短剣を逆手に握り、銀糸の導きで骨壇へ跳ぶ。着地と同時、刃を扇状に開き骨弦をたわめる。弦が裂け、蒼紅の液が噴き、鼻孔へ硫黄と乳の匂い。
二拍目——心愛の孔雀刃が半月を描いて迫る骨兵の一列を掃く。割れた肋骨が鈴の音を出し、粉末となって頬を擽る。
指揮者は嗤う。「可愛いは骨髄の奥で醗酵する。剥いでも、滲む」
第三拍。大弓が唸り、骨壇全体から弦影が射出された。闇より濃く、しかも光のように速い——避けられない。私は腹で衝撃を受け、臓腑が奥へ叩きつけられる感覚を覚えた。
〈左零拍〉合唱隊が指示を囁く。私は光糸を腹から伸ばし、衝撃の余波を相殺。肺に残った空気が雑音を混ぜて抜け、視界が白む。だが立つ。
第四拍——珈平が残響罐を逆相で破裂させる。耳が一瞬、虚無を聞き取り、次の瞬間に骨壇の中央で反転音波が炸裂。指揮者の骨弓が軋み、四散。
私は残心で刃を振り抜き、指揮者の胸へ垂直に突き立てる。骨、軋み、悲鳴、それから甘い焦げた匂い。
……しかし終わらない。砕けた指揮棒の余韻が空間を巻き戻し、骨兵は自身の影へ溶けて再構築。管壁全体が弦影となって私たちを取り囲む。
心臓が変拍子を刻む中、私は首の痕を強く押し、舌の裏で血を撫でた。痛みと鉄味が一拍遅れで脳へ届く。——自分のビートを失わない。
「ゼロ——∞ッ!」
叫びと同時、心愛が孔雀翼を拡げ、珈平が銀糸を増幅。私は光糸を束ね雷様のごとく振り下ろす。三重のリズムが共鳴し、影絃の結び目を引き裂いた。
骨壇は崩れ、骨弦は砂のように解体。死色指揮者の最後の瞳に浮いたのは、憤怒でも恐怖でもなく——空白。私たちは一拍遅れて息を吐き、胎動管の奥で燃える液体の匂いに気づいた。可愛性値が焦げる甘苦しい煙が、次の地獄を示している。