第8話 蜑女の涙・マリンスノウ
無声円環が砕けた翌夜、海霧の向こうに灯が揺れた。粗末な漁燈を掲げる小舟を漕ぐのは蜑女の望海。潮紺の髪先から滴る海水は、月光を粒子の声に変えていた。
「首輪を海へ捨てた民さえ、静寂が深すぎると魚が寄り付かないの」
望海は笑ったが、その瞳には凍えた塩が張り付くような無音の悲しみがあった。
彼女の抱く真珠胎――少女の声を封じた乳白の球体――を差し出される。開けば村を護る代償として声は泡沫に還る。
私は火膚の痕を撫で、内側から湧く痛みと対話する。合唱隊が〈贖罪?〉と問い、私は頭を振った。
「声は消し去るものじゃない。灯して航路にする」
灯台の残火から拾った残り火を心愛が孔雀翼で運び、珈平が銀糸で真珠胎を吊るす。望海の手が震え、波が嗚咽に似たさざめきを立てた。
真珠胎が割れる音は、遠い鯨鳴のように低く長く響く。そこから噴き上がる光は雪片となり、夜空と海面の境目を曖昧に染める。マリンスノウ――凍えた声の粉が舞うたび、潮の匂いは甘藍と沈丁花の様な淡香に変わった。
望海は泣かなかった。ただ掌に残った真珠の破片を握りしめ、小さく息を吸った。その吐息は波と調和し、遥か沖で魚群が跳ねる気配を連れてくる。
私は胸骨で二拍を刻んだ。獣鈴がそれを拾い、合唱隊が細波の輪唱を始める。
「立ち止まらないで。海はまだ黙ったまま。だけど拍を注げば、歌い返す」
望海が頷き、漁燈を高く掲げた。月光が灯芯を貫き、白い雪へ七色の骨格を与える。マリンスノウはゆるゆると沈み、海底へ敷き詰められていった。




