中編 鏡城カノン・アヴァランシェ
祭壇が陥ちた。錆鎖が弾け、真紅の火花が竜鱗を照らす。封龍──黒耀と蒼硝子を混ぜた巨大な影──が、地下の闇から咆えを返した瞬間、空気は硫黄の苦い煙で満ちた。
私は跳び退き、転がる足場片を踏み蹴って宙へ逃じる。耳鳴りが止まらない。金属と骨がぶつかる雑音を鼓膜が拾い切れず、代わりに合唱隊が囁く。
〈かわいい? まだ歌える?〉
「歌わせてやるさ、地獄でね」私は首のリボンを締め直す。布の擦れる音が刃渡りの感触で私を覚醒させる。
視線を走らせる。桜井 心愛は孔雀の羽に変形したリボンを風に泳がせ、石柱を支点に優雅に旋回していた。
「遅れるなよ、鎮罪歌姫」
声が苺の微糖。けれど瞳は鏡刃の冷光。
足下で封龍が暴れるたび、蓄音盤だった祭壇は瓦礫へ分解され、鉄骨が空へ咲く。照明結界が砕けたせいで夜空がむき出し、双月が断面図のように重なって見えた。
鎧兵が三列、傾いた通路を駆け上がる。黒紋衛──帝都が誇る可愛性値収集部隊。漆鎧の継ぎ目から魔光が蒼く漏れるたび、皮膚が霜焼けする。
私は短剣を逆手に握り、踏音を二拍。竜角の破片を踏み台に、敵陣へ射さる。
斬りつける。鉄羽が散る。鎧の中で少女面が悲鳴を上げる。──この帝国は兵士の可愛さすら消費物。
「顔は隠しても欲は隠せない」
皮肉を吐くと同時、背後を影が裂く。私は首を竜鱗で擦る距離で反転し、短剣を投げる。
刃が槍兵の面頬を貫き、火花。
その瞬間、頭上で轟音。心愛が放ったリボン羽が弧月刃となり、兵の列を薙ぎ払った。
「三拍子目で跳べ!」
彼女の合図に合わせ、私は崩れた舞台を利用して高く躍る。
眼下で鎧兵が血煙を上げ、封龍の翼骨が抜刀のような音で広がる。獄炎が私の足裏を焼いた。
宰相の黄金面――あの冷笑――が視界に映る。ゴンドラはすでに宙吊り。だが彼女は落ちない。可愛性値を奪った少女の命を霧化し、推進力に変えている。
私は息継ぎ無くリボンを解き、投索のごとく放つ。布が宙で鎖へ変質し、ゴンドラの車輪を拘束。
「可愛さの錬金、そろそろ利息を払え」
宰相は嗤う。黄金面に蜘蛛の巣状に裂ける亀裂。中から皺一つない少女の肌が覗く。
「永遠は剥奪の先にあるの、愚か者」
緋鱗杖を掲げた。杖頭の宝珠が脈光する。魔力の奔流がビームとなり、宙に光瞬く。
「心愛──!」
私が叫ぶより先に、彼女はリボン羽を盾に滑空する。蒼い閃光が羽を通り抜け、彼女の肩甲に焦痕を刻む。焼肉の様な匂いが立ち上る。
私は胸が空洞になるのを感じ、即座に魔力を逆流させ、短剣を血槍へ変形。
踏み込む。宰相の杖が再度唸り、斜めから魔弾が降る。熱砂のような衝撃で皮膚が削れる。
合唱隊が方向を示す。〈左零拍〉
私は旋身で弾を躱し、血槍を突き出す。
刃が杖へ衝突し、宝珠に亀裂が走る。蒼黒の火泡が噴き、宰相の肩を噛む。少女が悲鳴──否、老吠する。剥ぎ取った若さが崩れ皺を露にする。
「かわいくないね?」
私の嗤いを合図に、心愛が再唱したコーラスが空間を満たす。
♪かわいい かわいい/壊して 壊して
音波刃が生成。巨大な三日月がゴンドラを真横から両断する。
黄金面が砕け散り、宰相は墜落。絹の悲鳴が残る。
だが終わらない。砦のような魔核が露わになり、封龍がそれを嚥み込みかける。胸郭の奥で新たな脈動が胎動する。
私は心愛と視線を交差させる。傷だらけの彼女が頷き、血珠を吐き捨て笑う。
「最終楽章、用意はいい?」
「勿論」
双月が高く、蒼い焔と混ざり合う。