第5話 囁導灯台
双月の残光が混濁した夜を裂き、朽ちた灯台が孤島の礁にそそり立つ。レンズに残る水銀は、奪われた声を光へ変換し遠方へ投射する仕組み――囁導輪と呼ばれる忌まわしき装置だ。
私たちが内部へ足を踏み入れると、壁面いっぱいに過去の映像が走った。首輪を巻かれた頃の心愛。声を奪われる寸前の私。名も知らぬ少女が泣きながら「かわいい」を差し出す場面。
灯台守を名乗る亡霊沙灯は、レンズから垂れた光の糸を指揮棒のように振り、取引を持ちかける。
『記憶を差し出せ。代わりに奪われた声を返そう』
甘藍と蝋垂れの様な匂いが混ざる空間で、心愛はかすかに震えた。
「過去は檻じゃない、航路だ」私は言い切り、喉痕を押さえる。汗で火膚が脈を打つが、拍は揺れない。
珈平の銀糸が沙灯の光線をへし折り、心愛の孔雀翼が灯台の窓へ虹を注ぐ。レンズは虹光に焦げ、声を詰め込んだ水銀は蒸気になって天井へ逃げた。
最後に残ったのは真珠ほどの小さな声核。沙灯の眼孔がそれに縋るように震えたが、私はそっと掌へ包む。
「涙は撒くものじゃない、灯すもの――」
心愛が虹を、珈平が銀糸を添え、私は声核を空中の残火へ落とした。
パチン、と砕けた瞬間、夜海に白い鱗粉が舞う。|マリンスノウ――海底へ沈んでいた歌声が淡雪となって降り、潮の匂いは沈丁花を帯びた様な甘さに変わった。
沙灯は泣かず、ただ微笑の形で輪郭を失い、灯台そのものが静かに崩れはじめる。
「進もう。灯りはもう、私たちの拍で点す」
私は短剣を鞘に収め、胸骨で小さく二拍。獣鈴がそれに応え、崩れゆく灯台を背に新たな航路を描き始めた。




