第1話 潮騒ハミング・プロローグ
黎明でも暁でもない窓際の時刻。瓦礫に埋もれた帝都アズル=ローは、かつて首輪で測られた“かわいい”を洗い流すように、銀砂の霧を海へ送り出していた。
私は崩塔の縁に立ち、砕け散った双月の欠片が水平線へ沈むのを見届ける。香坂 美流久――首の火膚に残る黒曜の痕跡を指先でなぞるたび、そこに響く拍は確かに“私自身”のものだと確認できる。
背後で桜井 心愛が孔雀翼を畳み、浅い呼吸を整えた。肩傷を庇う仕草には痛みが滲むが、瞳の奥はまだ鏡刃のように鋭い。苺と沈丁花の様な甘香が潮風と混ざり、胸骨をくすぐった。
「海が呼んでるわ。奪われた可愛性値が声になり切れず漂ってる。放っておけば、また誰かが首輪を鍛える下地になる」
彼女の言葉は淡々としていたが、その奥では焦げた硫黄の痛みが脈を打つ。
白鷺 珈平は喉を押え、声を失った代わりに檜と油の匂いで意思を示す。走査虫を仕込んだ残響罐を肩に掛け、銀糸の一端を私へ手渡した。
〈ビートは続く?〉頭蓋に棲む合唱隊が囁く。私は踵で二拍、金属を鳴らし、霧散する甘藍の様な匂いを肺いっぱいに吸い込む。
「ゼロから∞へ。終わりじゃなく序奏だ」
霧の向こうで虚聲海が潮騒を鳴らした。その波音はいつしかハミングへ転じ、私たち三人の胸骨を叩くドラムへ重なっていく。
塔の影が夜光で長さを伸ばし、海へと続く瓦礫の坂道を指し示した。私は短剣の柄を握り、ノド痕の鼓動を唱歌に変えて跳躍。瓦礫が楽器となって跳音を刻み、霧の彼方で始まる“海篇”の拍子を高らかに告げた。




