第4話 絹柩メメント・ホロウ
胎動管を抜け地上へ戻ると、夜空には巨大な白繭が浮いていた。柔らかなシルエットは月光を反射し、外皮を流れる琥珀縞が脈動ごとに光を帯びる。《絹柩》——奪った可愛性値を結晶化し、昇華させる空中納棺システム。
繭を吊り下げる射出塔は瓦礫の海を突き、塔身のパイプから嬰児の微笑を刻んだ念珠が雨のように垂れていた。甘い乳臭と焼紙片の匂いが混ざり合い、胸に嘔を湧かせる。
「記録官が守ってる。時間を糸にして織る棺守よ」心愛が肩傷を庇いながら言う。蒼紫の血が羽根に染み、新たな痛みが空気を震わせた。
塔頂部の回廊を踏むたび、靴裏は絹糸を踏み潰すような軋みを奏でる。白鷺 珈平が慎重に走査虫を放ち、糸の結び目——時間の結節点——を可視化する。銀糸が網膜に網を描き、私は思わず瞬き。
目を開けば、回廊の先に全身を白布で巻いた人物。《記録官》。顔の代わりに開くのは時計仕掛けの瞳孔。《秒針》を思わせる光が私たちを測る。
「可愛いは歴史。《嗜虐》の刺繍。破くなら、あなた方の時間も裂ける」
静かな宣告とともに、絹柩から絲刃が投げ出される。空気に触れた瞬間、糸は時間の断面を帯び、触れたものを過去へ巻き戻す。心愛の肩傷が再び開き、血の匂いが甘藍の匂いを上書き。
私は短剣を秒針へ縒り直し、影身で糸の雨を抜ける。けれど身体の一部が過去へ引き戻され、視界が二重に——吐き気がする。
珈平は残響罐を逆相で鳴らし、糸の位相を乱数化。走査虫が編む銀糸が《現在》を縫い止め、私たちの半径三メートルだけが静止する小世界となる。
「この輪を保てるのは十秒——九、八…」珈平の声が檜の匂いとともに早鐘を打つ。私は頷き、秒針を記録官の胸へ突き立てた。布が裂け、紙屑のような体内からあふれ出すのは無数の日記頁。
紙片は古新聞のインク臭、とろける蝋、そして少女の汗——時の欠片が混ざりあった匂いを放つ。「歴史は喰われ続けてきた。なら——私が書き換える」
私は刃を押し込み、心愛が孔雀翼で起こした逆風が頁を吹き飛ばす。紙片は空中で燃え上がり、塔の影とともに夜空へ散った。
絹柩が悲鳴のような軋みを上げ、外皮が剥がれる。中から現れた結晶化した可愛性値は、薄紅の光を帯びながら降下を始める——まるで静かな雪。触れれば首輪の素材。《危険》だと直感した私たちは同時に声を上げる。
「砕け!」
孔雀翼が斜めに撫で、残響罐が逆相で共鳴。私は秒針を光糸へ解き、一閃。薄紅の雪は音もなく粉砕され、粉末となって風に溶けた。
塔の頂で訪れる一瞬の静寂。心愛が荒い息を吐き、翅の間から落ちた血珠が床に花を描く。私は彼女の肩に手を置き、鉄と焦げの匂いを肺に沈めた。
そのとき、遥か下層から警報の悲鳴が聞こえた。蝕声サーキットの最終防衛——《叫裂ノット》が稼働を始めた合図だ。
〈続ける?〉合唱隊が問い、私は即答する。「もちろん、ゼロから——∞へ」
珈平が無言で罐を掲げる。心愛が肩傷を庇いながらも羽根を振り、甘い沈丁花の匂いを振り撒く。私たちは崩れかける塔の縁から飛び、真紅に点滅する地獄の入口へ向かった。
朝焼けはまだ遠く、しかし胸骨の獣鈴が告げるリズムだけは確かだった——次の拍へ合わせろ、と。




