美食と美酒と共生と
「それって共食いならぬ共飲みじゃない?」
『竜酒』とラベルの貼ってある濁った瓶が置いてある席の向かいに、セイカは座った。固く青い鱗で覆われた顔の長い生き物は、彼女の声に猫のような金の目を向ける。
「ヒトが、哺乳類と呼ばれているものを食べるのは共食いか?」
細長い青い舌をひらめかせ、竜族用の細長い金属のグラスの中の酒を味わう男の名は、グルールグロシアーブ。彼ら流の略し方でグーグと呼ばれている。体長は2メートルと30センチ。これでも竜族の中では小さい方だ。背中に翼はない。東洋竜と西洋竜のハーフで、生まれた時に翼が片方しかなく手術で取り除いた。
「違うわね……牛肉好きだから素直に詫びるわ」
注文を取りに来たウェイターに「黒ビール、あと牛の生レバー」と短くセイカは答えた。彼女は、黒く波打つ長い髪を持つヒト族の娘だ。
「申し訳ありませんお客様。ヒト族に生レバーはお出し出来ません。最近法律が変わりまして」
しかし、そんな彼女の注文は法律という壁によって阻まれた。食べ物にまで法律がしゃしゃり出てくるなとセイカは思った。しかし、いいことを思いついた。
「それ、竜族なら注文出来るんでしょ?」
セイカは、こげ茶の目を向かいのグーグへと向けた。
「注文せんぞ」
「えー、いいじゃない。久しぶりに食べたいのよ」
「ヒト族が禁止された意味を理解出来ないのか?」
「食中毒が怖くてフグが食えるかってぇの」
「じゃあそのフグを注文してやるから、あきらめろ」
かなりの速さでやり取りされた会話の最後で、セイカは目をキラっと光らせた。「おごりよね?」とちょっと声をひそめて聞く。
「おごりだ」とグーグが答える。
「やった! じゃあ、フグ刺し! 黒ビールはやめて日本酒! ぬるめの燗で『魔王』ちょうだい」
上機嫌になってセイカは、ウェイターに注文の変更を告げる。「かしこまりました」と去っていくウェイターの背中に、彼女は軽薄な投げキッスを送る。無茶ブリな料理さえも出てくるのが、この「108屋」のいいところだ。
「グーグは何食べてるの?」
「竜肝の石揚げだ。歯ごたえがいいぞ」
「ああ、無理無理。私の歯の方が砕ける。飴玉みたいに舐めてる分にはおいしいんだけど、最後は捨てなきゃいけなくなるから勿体無い」
「一応、試してみたんだな」
「そりゃあ、一通りはね。何がおいしいかは、自分の口に入れてみなきゃ分からないから……竜酒ちょっとちょうだい」
軽い会話を交わしながら、セイカは彼のグラスへと手を伸ばす。
「魔王が来るまで待て」
「遠くの魔王より近くの竜王を倒したい」
「倒すな」
グラスの奪い合いは、圧倒的にグーグの運動性能の方が上だった。むぅっと顔を顰めたセイカは、ひょいっと竜酒の瓶の方を取り上げる。「こっちでいいや」、と。
「一応言っておく。アルコール度数は80%だ」
「80%が怖くて、スーパー泡盛が飲めるか!」
そしてグーグの言葉での抵抗は、やはりセイカには伝わることはなかった。そのままぐいっとラッパ飲み。グーグのキープボトルだというのに、そんなことは彼女には一切通用しない。
「んっかああああああ! 火ぃ! 火ぃ出るぅぅぅ!!」
ぼわっと瓶から口を引き剥がすや、天井に向かって彼女は大きく口を開ける。
「だから言ったろうが。これはそんな風に飲む酒じゃない」
「あつっ、あっつうううううう! 脱いでいい?」
セイカは既に上着を放り投げていた。更にその下のシャツに手をかけている。
「駄目だ。こないだそう言って全部脱ぎかけただろうが」
「タダで見られるんだからいいじゃない」
「卵生のオスが胎生のメスの身体を見て喜ぶと思うな」
「またまたーグーグちゃんったら、本当は見たいくせにー」
「お待たせしました、フグ刺しと魔王の燗になります」
馬鹿真っ盛りな会話を交わしているところへ、するりとウェイターが入り込む。
「待ってました!」とセイカはさっきまで暑がっていたことも忘れて、燗がつけられた枡酒へと口をつける。なみなみと注がれたそれに、「おっとっと」と言うべき言葉は忘れない。
フグ刺しの載せられている皿は美しい青磁。皿の青が透けて見える薄く透明な刺身を、箸で豪快にまとめて掴む。贅沢な一瞬だ。薬味は紅葉おろしとアサツキ。それをポン酢に沈めて透明な身を容赦なく汚す。
口の中に入れると広がる、恍惚の瞬間。
「くぅぅぅぅぅ、これよこれ! グーグも食べる?」
「俺にその毒は効かんぞ」
「それでいいわよ。グーグは、私がフグの毒で死ぬ時に看取る仕事があるんだから」
「ヒトでも、お前だけは死なない気がする……」
陽気なセイカに向かって、金目の混血竜は深いため息をつきながらそう呟いた。
その口に。
向かいの席から、箸で伸ばされたフグの身が差し出される。
「はい、グーグ……あーん!」
「給餌行為はやめろ……幼生の頃を思い出す」
「んふふ、こうして食べさせてあげたの、覚えてる?」
「こうして定期的に思い出させようとするメスがいるからな」
グーグとセイカの楽しい(?)会話がギリギリ聞こえる席で、男が二人冷や汗をかきながら彼らの方を見ていた。
「グーグ艦長が、『あーん』させられているとか、何の冗談だ」
「ここに寄港したら、セイカさんが毎回艦長にたかりに来るんだよ……俺は知ってるけど、やっぱり慣れるもんじゃないな」
親に捨てられた、片翼の竜を拾って育てた医者がいた。片翼を切り落とし、飛べない竜として生きる男がいた。医者には、娘が一人いた。飛べない竜と娘は一緒に育った。
二人とも、酒とうまいものには本当に目がなかった。
『終』