おもちさんと出会う
うっすらと前世の記憶を持つ貴女の立場だと、魔物が存在するこの星は本当に疑問だらけでしょうね。
武器と言えば剣に槍に鎚や弓だし、スキルとか魔法や魔道具で物理法則をシカトするし、ゲームみたいにレベルが存在するし、そのくせ文明水準はスタジオ某が好むスチームパンクだし。中途半端に整っているから法も治安維持も網の目が荒くて、冒険者なんて稼業が存在するせいか人の縁に対してとてもドライで、貴女の様に天涯孤独な町娘が早朝に居なくなったところで誰も気にしない。
そうした世界観は18年かけてこの世界で育った貴女にも多少は根付いていて、突然拐われて船倉らしき所に「大人しくしてりゃ命は取らねぇ。わかったな?」と放り込まれた事よりも、今のところ拘束もなく何もされていない事に安堵していたりする。
だけど。
「いやーーーーーー。さすがにコレは予想外かなー」
「初見で『コレ』呼ばわりとか随分なご挨拶ですわね。私、情操教育の敗北を痛感していますわ」
貴女の目の前にはスイカを入れたら丁度良さそうな化粧板の木箱があって、中から「暗いですわ。そこのあなた、とっとと開けて下さいまし」と可愛いわりに上からの物言いをする声に指図されて蓋を開けたら、紅くてクリックリのどんぐり眼がガン見していた。
箱いっぱいの頭だけの存在が。
周りにティッシュの様な柔らかく清潔な紙や綿がみっしり詰められているのは、優しさなのか事務的に緩衝材を入れただけなのか判断に迷うところかも。
貴女は蓋を横に置くと、そっと手を伸ばしてみる。
「まだ幼い、てかどうみても幼女じゃん。かわいそうに、体はどこに忘れてきたのかなー? 大丈夫? 痛くない?」
「気安く触んじゃねぇですわ。がぶー!」
「なんでーー!? 痛たたたたたた!!」
いきなり指に噛み付かれて慌てた貴女は、反対の手で幼女の頭を押さえて引っ張ってみたけれど、血が滲むほど食い込んだ犬歯のせいで外れない。仕方無く耐える事にしたら途端に「ぷはっ」との声がして解放されたあたり、嫌がらせを疑ってもいいのでは?と幼女にジト目を向ける。
「触るなて言われて止まったのに酷い」
「美味でしたわ」
「むう。……あ、さっきトイレ寄らせて貰えたけど手を洗うお水が無かったんだっけ」
「ふむ。このふんわり感じる風味の正体は聖なるお水ですのね」
幼女が可愛らしい舌をぺろりと1周させてそんな事を言う。
一瞬で貴女の顔が真っ赤になり、両手をバタバタと慌ただしく振った。
「ぎゃーーー!! うそうそうそ! ついてないから! てかちゃんと洗ってるもん!」
「冗談よ。んなもん分かるわけねぇですわ」
「え」
「お子ちゃまね」
「いーーーっ、だ!」
貴女は噛まれた仕返しにと嫌がりそうな事を言ってみたのだけれど、完全に子供扱いされて歯を剥くくらいしか出来なくて。きっと相手が悪かったのでしょうね。見た目は幼女だけど尖った耳を持っているからエルフだろうし、それなら実年齢は25前後じゃない?
「そんな事より。私に協力して下されば、囚われの立場から解放して差し上げますわ」
「…………へぇーー」
「いまの間はなんですの?」
「生首に何が出来るのかなぁ、て」
「ふっ」
あなたの率直な疑問に幼女は一旦目を閉じて鼻で笑い、カッと見開いた。
「こう見えて私おもちさんは、帝国にその人ありとうたわれる『賢者たっち』を師に仰ぐハイエルフの魔道具師ですの。貴女の窮地を救うくらい屁でもないですわ。大船に乗った気で任せなさいな」
どや顔とはこういうのでしょうねと言いたくなる表情で、おもちと名乗った幼女が目を剥いていて。あなたはポツリと呟く。
「木箱の蓋すら開けられなかったのに?」
「あんなもの鼻息で吹っ飛びますわ。でも乙女たるもの恥じらいを忘れる訳には――待って、ちょっと待って。その手にした蓋を床に戻しなさいな」
「えーーーーーーーー」
「意外に性格悪いですわね貴女。笑ってますわよ」
「むう。仕方ないなぁ」
鼻息で飛ぶところを見たかったのにと呟きながら蓋を床に置くあなたを見つめて、おもちが溜め息をつく。
「咄嗟に誓約の儀を刻んで正解でしたわね」
「え? 何か言った?」
「何でもないですわ」
貴女が聞き逃した誓約の儀とは、主に使用人の雇用契約に用いる魔術で、通常は針で皮膚を突いて出てきた血液を媒介にして掛けられ、主人に隷属させるというもの。自由意思を妨げない様に設計されていている代わりに正直過ぎるところがあって、言いたい事は言うしガンガン逆らいもするけれど決して裏切らないところから『ワガママ奴隷魔法』と呼ばれていて、それを、おもちは行使したの。
(どうしてかしらね。放っておけない気がしたのですわ)
ちょっとした事情で生首状態となっているおもちは、実のところを言えば魔力を使っての移動くらい出来る。だから首を起こして噛み付くことも出来たのだし。
箱を開ける様に言ったのは魔力の作用を封じる仕掛けがあると知っていたからで、開きさえすればどうという事はないし、お礼に脱出の手伝いくらいはするつもりでいたけれど、この少女を見た瞬間、強引にでも連れて行かないと寝覚めが悪い結果を迎えそうな気がしてしまった。
「貴女――まだお名前を聞いていませんでしたわ」
「ちひろ。名字は無いよー」
「良いお名前ですわね。ちーちゃん」
「ちーちゃん? え、いやまあ、いいけど――」
親しげな愛称で呼ばれただけで動揺するのね。前世も今世も他人との縁が薄かった貴女にとって、すっと懐に入ってくる相手は初めてだから仕方ないけれど。
「――あなたのことは……おもちさんて呼べばいい?」
「お好きにどうぞですわ」
「はーい」
今から脱出するにしては暢気過ぎる、なんとも緊張感の無い出会いの2人だった。
貴女達が出会っていたころ。その地から星を四分の一ばかり東に移動した所にある自然豊かな島国、ミラグラス王国ではお昼を回ったところ。
前世で貴女が過ごした日本の倍くらいのこの島は四季の主張が少しばかり強めで派手なので、侵略され難いという強みから戦力のほとんどを魔物に向けられるので、居住可能地域の安全性は世界一と言われている。
さすがに郊外ともなれば魔物と出会いやすいけれど、街の喧騒が嫌だからと魔物避けの魔道具を設置してまで家を建てる物好きがそこそこいて、森があれば小さな集落もあるのが当たり前だったりする。
そんなお国柄の首都郊外にある森の中。「お薬あります。薬局『なの』」との立て看板がある小ぢんまりした家を、細身に上品なローブを纏った男性が訪れた。
「なのさん、こんにちは。お世話になります」
「いらっしゃい、たっち。……あら、もちちは?」
なのが笑顔で挨拶したこの男性こそがおもちの言っていた「賢者たっち」で、ほぼ毎日来て雑談のついでにお互いの納品や受注を交わす間柄になっている。
そして「なの」はおもちが魔法を学んだ際の先輩で、今も「ぱいせん」と呼んで慕っていて、いつもなら賢者たっちに同行しているのだけれど、今日は遠く西の地で貴女と共にいて、当然、なのはそんなことまで知らない。
「今日はその事でメイスの魔女様にお伝えしたいことがあります」
「バイオレンスな2つ名やめてくれる?」
なのはそう突っ込んだけれど、魔女として冒険者活動する際はいつも華奢な体に似合わないメイスを担いでいることから、ちょっとした有名人でもあるの。賢者たっちが付けた2つ名は、きっと誰もが頷くでしょうね。
「これは失礼しました。メイスの痴女様」
「いま貴方が入ってきた扉は出口でもあるけれど。どうする?」
「薄い本を貸せば値引率が上がる、とうちの弟子が言っていました」
「くっ、もちち~。覚えておくからね」
「はい。そのおもちさんですが、これを見てください」
たっちは、右手をふわりと空間に舞わせてから差し出した。手のひらには小さな化粧板の木箱が載っている。
なのが受け取り、たっちに視線で確認してから蓋を開け、綿に包まれたそれに気付いて眉をひそめる。
「足の……親指と人指し指? あら、端は切り口かと思ったら皮膚に覆われてるのね…………え?――」
なのが視線をたっちに向けた。
「――これ、もちちの魔力を感じるんだけど。胃薬を買いに来たの?」
「食べてません。魔力は正常ですし、ちゃんと生きていますよ。似たような木箱に入った状態で分散したと思われます」
「ふーーん。あの子は携行型の転移魔道具を研究してたんだっけ。あ、そかそか。あたしがもちちの事を訊いたからその仮説になったのね。てことはもしかして。あたしを脅かすつもりで棺桶に入ってここに転移しようとした? サーチ魔法で中身を見破られない様に魔力が作用しない細工をして」
なのが考察を述べると、たっちは頷いて、
「さすがおもちさんの唯一の理解者ですね、説明不要で助かります」
「理解したわ。捜索は? もう手配した?」
「実験は私立ち会いの下で行われたので。すぐに捜索を開始しました」
「海外は?」
「それは何故ですか」
普通であればたっちの認識で問題無いけれど、なのは一呼吸してからたっちの目を見据えて、
「だって。もちちよ?」
おもちを知る者になら、この上ない説得力が発揮される言葉を溢した。