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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

精霊たちの異類恋愛譚シリーズ

大きな大きな木のしたで

作者: 葵ふたば
掲載日:2025/01/31




この世界には精霊がいる。



自然から派生する精霊のなかでも植物に纏わるものは数が多く、人間の暮らしと密接に関わり生きるものも少なくない。


そして同一種の植物から派生したとしても、力の強さによって精霊の姿形は大きく異なる。


弱い精霊は派生元の植物にぼんやりと光を纏わせるくらいしか出来ず、

力が強くなるにつれて鳥や獣など生物のかたちを模すようになり、

最上位の精霊は人間とよく似た姿形で意思を持ち、言葉も操るのだという。



マロニエの産まれ育った小国は、代々『栗の木』を国の樹木と定めて奉っている。

初代女王陛下が、繁栄を象徴する栗の木の上位精霊と契約したことが理由なのだという。


精霊の恩恵にあやかる国であることを内外に示すために、子どもたちは貴賤に関係なく皆、十五歳を過ぎると必ず王都にある大聖堂で洗礼式を受け、国樹である栗の木に触れる。

そして両手でひと抱えするほどの大きな鉢を持って大聖堂の裏手にある森を一周回り、精霊からの守護を受け取るという儀式に挑まなければならない。



ある者はぼんやりと光るクローバーを鉢に入れて戻り、

ある者はラグランジアの低木を鉢に入れ小鳥型の精霊を肩に乗せて戻ってくる。


力の弱い精霊は派生元の植物から大きく離れることが出来ないため必ず鉢に入れて持ち帰る必要があり、守護を授かった子どもはその植物を生涯大切に守り慈しまなければならないという決まりだ。



時折、空っぽの鉢を持ち帰る者が居る。


ひとつは精霊の守護を授かれなかった者。

ひとつは鉢に入らないほどの大きな樹木から守護を受けた者。


前者は憐憫の視線を受け

後者は崇拝の対象となる。



鉢に入らない大きさの樹木から守護を受ける場合、その木に宿る精霊は力の強い上位精霊であることが多い。

上位精霊から守護を受けた者は出自に関わらず聖職者に指名され、国の保護下に置かれるのが常。

精霊の宿る樹木は大聖堂裏の森に留め置かれ、守護を受けた者が定期的に森を訪れては精霊と交流を図るのだ。



十五歳になったマロニエはそんな儀式に何の意味も見出せずにいた。

庶民にとって生まれた町から王都の大聖堂までの道のりは遠く、苦労を乗り越えようやく辿り着いたあとも身分によって全く異なる待遇をされる。

裕福な貴族や商家の子どもたちは大聖堂内の宿舎に泊まることが許され、儀式も優先的に受けることができるが、身なりの整っていない者は王都の端にある寂れた孤児院に回され、儀式の日も朝一番に呼び出されるにも関わらず、後回しにされ随分と長く待たされる。

そして儀式と登録が終われば、ありがたみのよくわからない草の入った大きな鉢を持たされ、さっさと帰れとばかりに大聖堂を追い出されるのだ。


同じ町から来た女の子ふたりは、前日の孤児院での質素な晩餐時には仲良く励まし合っていたというのに、儀式を終えた今……ひとりは小さな花の咲くカタバミの入った鉢を抱えて嬉しそうに頬を上気させている一方で、もうひとりの子は空っぽの鉢を抱えて涙を流していた。

何の役にも立たない安易な慰めの言葉と友情が壊れる音を聞きながら、マロニエは位の低い聖職者から雑に渡された重たい鉢を抱える。


そして大した期待もせずに大聖堂裏の森へ入り……空っぽの鉢を持ち帰った。


けれども帰還した彼女の隣には、身長140センチほどの栗色の髪を持つ少年風の精霊が立っていた。



大聖堂の聖職者たちは目を見開き、みずぼらしい身なりのマロニエと栗色の髪を持つ少年とを幾度も見比べた。

田舎者の小娘が分不相応な精霊を持ち帰ってきたぞ…などと囁く声も聞こえ、マロニエは唇をへの字に曲げる。



「おお……貴方様は上位の精霊さまであられますかな?」



大慌てで呼び出されて来た大聖堂の一番偉い司教さまに話しかけられても、少年はプイッとそっぽを向くばかり。


精霊が人間に好意的な存在ばかりでないと知る聖職者たちは気にした様子もなく、今度はマロニエに対して、精霊さまに話しかけなさいと高圧的に促してくる。

大人の言いなりになるのは我慢ならなかったが、この不愉快極まりない場所に留まり続けるほうがもっと嫌だった。



「ねえ、何の精霊か言ってくれないとここから帰れないんだけど」



マロニエの物言いに聖職者たちは大いに慌てた様子を見せたものの、栗色の髪の少年は相変わらずツンとしたままだ。


マロニエと少年の目線はちょうど同じくらい。暫く無言で睨み合ったものの、少年はフンっと鼻を鳴らすと、全世界を小馬鹿にしたような態度でようやく口を開いた。



「栗の木だっつってんだろ、ばーーーか。」



少年の言葉に、場が騒然としたのは言うまでもない。


精霊は善なるものばかりではないが、自身を偽ることはあまりしない。

つまり、少年が栗の木の精霊だと自己申告したのなら、それを疑うのは愚かでしかない。


栗の木の上位精霊から守護を受けるなど初代王女殿下以来の出来事らしい。

マロニエは慣例通り大聖堂で保護されたのち、聖女という地位を与えらえ、翌年には第三王子との婚約が決められた。







「マロニエ、きみはやはり偽物だった!」




ステンドグラスのはめ込まれた天窓から温かな陽射しの差し込む大聖堂の礼拝堂に、場違いな大声が響く。

不躾にもコチラを指さして宣告した第三王子のひとさし指をポキリと折ってやろうかと思ったマロニエは、彼の背後に淑やかな少女が立っていることに気付いて片眉を上げた。


貴族の娘らしい洗練された佇まいの少女は、どこか誇らしげな様子で、第三王子の護衛騎士らに囲まれて立っている。

彼女の隣には老紳士の姿があり、マロニエにはその執事風の老人が精霊であることがひと目でわかった。



明らかに礼儀の足りていない第三王子は、こちらを見下しながら何だかんだと言い募っていたが、結論としては「栗の木の守護を受ける新たな麗しの聖女が現れたため、マロニエとの婚約を破棄する!」との事だった。


言いたいことを全部言い切ったのか満足げな第三王子の腕に指を添えながら、新たな聖女として認定されたという少女が、勝ち誇ったような顔で笑む。

その背後では、老紳士が胸に手をあてて深々と頭を下げていた。



………聖女は大聖堂で聖職に従事するものだって教えられて今日まで散々こき使われて来たけど、貴族のお嬢さんは大聖堂の宿舎に入らなくていいのね…。



聖職よりも王子妃としての仕事が優先されるとか、王子妃となる高貴な女性が宿舎に入るなどあり得ないとか色々と言ってくれているが、婚約者である筈のマロニエはずっと大聖堂の宿舎で暮らしているし、未来の王子妃として扱われた事など一度もない。

むしろ、婚姻した後も用がない時以外は王宮や離宮には入ってくるなとか、夫婦生活を期待するなとか、これまで通り大聖堂で地味に暮らし続けろとか散々酷いことを言われてきた。


それがどうだろう……新しい聖女なお嬢さんから寄り添われた第三王子のヤニ下がった顔。

自分に酔いしれているのか「残念だったな!お前がどれだけ取り縋ろうとも既に決定した事だ!」などと言っているが、マロニエはそんな無様を晒す気はまったくないし、その顔を見ているだけで不愉快だから早いところ立ち去って欲しいと思うばかりだ。



「婚約を撤回する書状も既に整えられている。おい、読んでやれ!」



威圧的な態度で進み出た大柄な護衛騎士が掲げたのは、王と大聖堂の司祭による記名の済んだ、婚約撤回に関する書状。


学の浅いお前は公文書を読むのも困難だろう!と、こんな時ばかり気遣いをくれる第三王子が促すままに、護衛騎士の野太い声がその内容を読み上げる。


書類には、大層な婉曲表現を多用して、マロニエは王族に嫁ぐに相応しくないやら、マロニエに添う精霊の振る舞いが目に余るやら、新しい聖女と彼女を守護する精霊の謙虚さやらが、盛大に誇張されつつ満遍なく記載されていた。



……精霊の振る舞いが目に余るって言われても、精霊って本来、唯々諾々と人間に付き従うようなものじゃないし、教会が配ってる経典にもそう書いてあるんだけどなぁ…。


上位精霊ともなれば尚のこと、人間が行動を制限できるようなものではない。

彼らからの守護はあくまで向こうからの善意で与えられるものであり、彼らの機嫌を損ねれば、守護を失うどころか呪いのような禍いを得ることもあるとされる。


上位精霊の振る舞いに苦言を呈すとか、それこそ不敬極まりないことなんじゃないの…?


そう思いはしたものの、大聖堂の責任者でもある司教の名が署名されている以上、その文面は大聖堂も容認した内容なのだろう。



「父上と司教の許諾(サイン)がある以上、この文書の内容に意を唱えることは許されない。お前はただそこに血判を押せばいいんだ!」



と、署名欄を示されてマロニエはいい加減、我慢の限界を感じた。

普通に記名で済む筈なのに、彼らは貴族の出身ではないマロニエが文字すら書けないと思い、馬鹿にしているらしい。


大聖堂に保護された当初は確かに無教養であったが、今では古語で書かれた経典も読めるし、礼拝に来た信者に配る護符への書き付けも問題なくおこなえる。

なにより、第三王子の婚約者に指名されてからというもの、王族に嫁ぐのだからと聖職者には本来必要ない宮廷作法まで短期間で詰め込まれたのだ。書類への署名くらい、片手で鼻をほじりながらでも出来る。



こちらに血判を強要するのなら、報復として第三王子の指を喰い千切って血まみれにしてやる…と舌先で犬歯の尖り具合を確認したときだ。

マロニエの背後にある天窓が開いて、小柄な少年がひょいっと室内に入ってきた。

ちょっと散歩に行ってくると言ったきり朝から行方をくらませていた栗の木の精霊は、どうやら大聖堂の屋根の上でお昼寝をしていたらしい。



上位精霊の不意の登場に、流石の王子一行も勢いを削がれたようだ。



短く切り揃えた栗色の艶やかな髪を揺らし、褐色の目を細めた少年の面立ちは、ふとした時にひどく老成して見える。

彼はマロニエの隣に立つと、マロニエの腕を強引に掴もうとしていた護衛騎士に向けて、にこりと人好きのする顔で笑った。



「お前の顔を血塗れにして、その血で判を押せばいいんだな?」



天使のような美しい顔をした少年が指をちょいと動かしただけで、屈強な騎士の鼻から勢い良く鼻血が噴き出す。

慌てて顔を押さえた騎士の手甲の隙間からボタボタと血が溢れ、床に小さな血溜まりが出来ていく。


「ほら、好きなだけ使えよ。」と顎をしゃくって促されたため、「他人の鼻血になんて触りたくないわよ」と顔を顰めて言えば、我儘過ぎんだろ…と呆れられる。


「他人の血が嫌なら、婚約者殿の血にするか」


と褐色の目と指先を向けられた第三王子は、大慌てで「血判である必要はない!」と訂正する羽目になった。


「ま、待て!文字が書けるのであれば署名で構わないのだ!」


「だってよ。せっかくだから血文字で書こうぜぇ」


大慌てで胸元からペンを差し出した第三王子の手から装飾華美なペンを取り上げると、

栗の木の精霊は少年らしい無邪気さで、遠慮容赦なくそのペン先を王子の隣に立つ別の騎士の鼻へと突っ込んだ。

苦鳴と共に騎士の鼻から血が溢れ、王子と新聖女が悲鳴をあげる。


少し粘り気のある血の付いたペンを差し出されて、マロニエは渋面でそれを手に取った。


「やり過ぎでしょ…結局鼻血だし」


「血判なんて言うくらいだから血に飢えてるのかと思ってさァ。善意だろ善意」


「どこがよ…ていうか…書きにくいし…」


婚約撤回の書状に手早く署名し、マロニエはわざとペン先の血がつくような持たせ方で第三王子の手にペンを戻した。

これまでに受けたイジメのような王子妃教育のなかでは、借りたペンの返却に関するマナーなんて学んでいないし、もともと無教養な田舎娘なのだから仕方がない。


顔色を悪くしている新聖女な少女には、ざまーみろという気持ちをぎゅっと凝縮した笑みを向ける。


「精霊の振る舞いはこのように気紛れなものです…貴女もどうぞお気をつけになって」


先輩聖女から新人聖女へのありがたーいお言葉だ。


少女は怯えた目で自分の背後に立つ精霊へ目を向けたが、そこには皺だらけの老人が物静かに佇むばかり。

ホッとしたように息を吐き、気を取り直して姿勢を正すと「貴女を守護する精霊は、なんて野蛮なのでしょう。皆が迷惑を被っています」と苦言を呈した。

途端、少年姿の上位精霊に見据えられ、びくりとその身を硬直させる。



「あ?言葉に気をつけろ。お前もコイツらみたいに鼻血を垂らしたいのか?」



少年の指差した先には、両手で鼻を覆いながらもまだボタボタと血を流し続ける屈強な騎士の姿がある。

王子の隣に立つ騎士も、ペン先を差し込まれた鼻を押さえ苦悶の表情を浮かべている。


恐怖に引き攣った顔でイヤイヤと首を振った少女は、「野蛮な…!」という捨て台詞を残して大慌てで大聖堂から出て行った。

第三王子もそれに続き、血塗れの騎士は見た目は大惨事だが鼻血が出ているだけなので、他の騎士と共にドタドタと大聖堂を出ていく。

最後に老執事風の精霊が深々と頭を下げて退出し、ようやく室内に静寂が戻った。



誰も居なくなった礼拝堂で、マロニエは床に広がった血溜まりを憂鬱な気持ちで見つめた。


これは自分で掃除しなければならないのかしら…それとも、下働きの子にお小遣いを握らせて清掃をお願いしてもいいのかしら…。



栗色の髪の少年は白けた目で入り口を見遣ったあと、居並ぶ木製の長椅子にどかりと腰を下ろした。マロニエもその隣に腰を下ろす。



「婚約破棄か…実にめでたいことだな」


鼻で笑いながら告げられた言葉に、マロニエはじっとりとした視線を向けた。

足を組んだ少年の見た目は確かに十代始めの若々しいもので、人間離れした整った風貌であるというのに、皮肉った表情のせいか全く可愛げがない。

これで性格が良ければまさに天使のようであったろうに…と惜しく思うことはあるものの、出会った当初からこのような振る舞いなのだから、彼の性格であり個性なのだと諦めている。


マロニエはそんな事よりも、第三王子からの言葉に対して今更ながらに憤慨した。



「偽物って何なのよ。あたしは正真正銘本物だっつーの!」


「敗因は恐らくお前の色気のなさだ。胸の肉感が物足りなかったんだろ」



気品もないしなと付け加えられ、マロニエは下町の酒場でオッサンが口にするような小汚いスラングを礼拝堂に響かせた。

王子の隣に居た少女は確かにマロニエよりも胸が大きく見えたが、あんなものは寄せて上げて居るに過ぎない。貴族の女は背中の肉まで前面に持って来ては死ぬ気で胸を盛るのだと聞いたことがある。



聖女として傅かれる立場にあるマロニエは、洗礼の儀式を受けた頃とは打って変わって随分と清潔な見た目になった。


肩で切り揃えた甘茶色の髪には毎朝毎晩櫛を通しているし、時々ハーフアップにしてみたりサイドに小さな三つ編みを作ってみたりと、過分にならない程度にお洒落を楽しんだりもしている。


教会から支給される女性聖職者用の制服は白地のワンピースで、胸元に大聖堂の印章が大きく刺繍されたダサいものだが、清潔感だけはピカイチだ。

膝下までの編み上げのブーツを履き、礼拝や儀式に参加する時には栗の刺繍の入ったストラを首から下げる。これは栗の木の守護を受けたマロニエにしか使えないものだ。


……とはいえ、今後はあの子も使うようになるんでしょうけど。



栗の木の上位精霊から守護を受けたのは初代女王陛下以来だと言われ、その希少さからマロニエは聖女として祀られ、王子の婚約者にまで成り上がった。

だが、マロニエ以外に栗の木の精霊から守護を受ける聖女(それも貴族籍の少女)が現れたとなれば、田舎の一般家庭で生まれたマロニエの価値が大きく下がるのは言うまでもない。

婚約を撤回されたのは当然といえば当然の流れなのだろうが、だからといってあのような横柄な振る舞いは腹が立つばかりだ。



「一方的に婚約者に仕立てておいて、一方的に撤回するなんて!恥を知れ王族共め!」


「てかあいつら、あの老いぼれ精霊と比較して俺のことも貶めてたよな?ムカつくから盛大に呪ってやろうぜ」


「呪うのはいいけど、もうちょっとスカっとするような復讐がしたい!具体的に言えば、アイツらの幸せな新生活をぶち壊してやりたい!」


「お前、やっぱ聖女って柄じゃないよな」


「聖女がなんぼのもんじゃい!!」



マロニエの心からの叫びに、栗色の髪を持つ少年は「ははっ」と愉しげに笑う。


朗らかな笑顔はどう見ても見目麗しい天使に違いない。

けれどもマロニエは嫌というほど知っている、この少年じみた精霊の中身がどこまでも暴君であるということを。






マロニエと第三王子との婚約が白紙撤回された数日後。

王都は祝福モードに包まれていた。


まずは『成熟した姿の栗の木の精霊』から守護を賜った少女が、新しく聖女として認定されたこと。

そして三ヶ月後にその新聖女と第三王子との結婚式が大々的に催されることが大々的に公示され、王宮敷地内には二人が住むための離宮(愛の巣)が超特急で建造され始めた。




第三王子の婚約者でなくなったとはいえ、マロニエは歴とした聖女であり、栗の木の精霊の守護を受ける希少な存在であることは変わりない。


偽聖女だとか、栗と違ってマロニエの実は煮ても焼いても食えないだとか、旨味もなければ色気も可愛げもない…などという悪口を受けながら、

ひそひそと後ろ指さされる生活を続けること七十五日後。



ようやく、マロニエに復讐の機会が訪れた。



草花や樹木由来の精霊への信仰が深いこの国では、王族は結婚して新居を得る際に『大きな大きな木の下で』という呪文で芽吹かせた木を庭先に植えるしきたりがある。


国家が栗の木の庇護下で安寧を得たように、精霊の守護のある木の側で夫婦仲良く暮らしましょう…と誓う神聖かつ重大な儀式なのだ。


当然ながら、王族とはいえ力ある精霊から守護を受けることは稀で、大抵は夫婦どちらかの精霊の宿る草木を庭先に植えて儀式完了とするのだが、

今回は新婦が栗の木の精霊に庇護されていることから、しきたり通りの芽吹きの儀式が行われる運びとなった。



大聖堂が主体となって執り行う儀式である以上、聖女であるマロニエもその儀式の見届け人となる。

むしろ司教からは、万が一にも夫婦の祈りによる『芽吹き』が失敗した場合は、同じ栗の木の守護を受ける者として内々に新婦を補佐するように…という素敵なご指示まで頂いたほどだ。

絶対に助力なんかしてやるつもりはない。



お金と手間のかかった豪奢な衣装に身を包み、幸せそうな空気をばら撒く第三王子と新婦な聖女は、大聖堂で誓いの儀式を終えたあと、街道に集まった観衆たちに手を振りながら大聖堂から王宮までの道のりを幌なしの馬車でゆっくりと進んできた。


新居となる離宮の中庭には、久しぶりにおこなわれる伝統的な芽吹きの儀式を見ようと大勢の貴族が集まっていた。

マロニエは聖職者として、儀式をおこなう庭の一角にひっそりと立つ。

隣には少年姿の栗の木の精霊が並び立っており、普段は滅多に人前に出てこない上位精霊の姿に、貴族たちの好奇の目がチラチラと向けられる。


すぐ近くにはマロニエたちを監視するように高位聖職者たちが居並んでいる。

だが彼らも、普段は傍若無人な振る舞いをしているうえに人間に好意的でない少年姿の栗の木の精霊が、まさか儀式に立ち合うとは思わなかったのだろう。

どこか緊張した面持ちのまま、幾度もマロニエに「大丈夫なんだろうな」と聞いてくるが、知ったことではない。

儀式の責任者である司教は、貴賓席に居る国王夫妻のそばに立ち、時折不安げな視線をこちらに向けている。



あの婚約破棄の騒ぎのあと、第三王子殿下の護衛に怪我を負わせたとしてマロニエは司教の執務室へと呼び出された。

説教に加えて理不尽な罰則を受けるんだろうなぁと覚悟して執務室へ入ったマロニエの目に飛び込んだのは、顔色を悪くした司教とソファにふんぞり返る少年姿の栗の木の精霊で。


「……何してんの?」


「いや?この人間やこの国の王は、俺の振る舞いが気に入らないようだから、その真意を聞いていたんだ。ついでに、滅びたいのなら手を貸してやろうと思ってな」


「ふぅん……司教様、第三王子殿下の護衛騎士に怪我を負わせたのは彼ですので、説教や罰則は私ではなく彼に与えてください」


「おい、俺が説教なんか聞くわけねーだろ、馬鹿」


「でも、罰でご飯抜きにされるなんて嫌よ」


「ただでさえ飯の量少ないもんな。教会の簡素な飯ばっか食ってるから胸が育たないんだ。可哀想に、見栄のために背中から寄せてくる肉もないときた」


「黙っててくんない!?」


マロニエの乱暴な物言いにギョッとした司教は慌てて少年姿の精霊の様子を伺ったが、彼は不愉快だと気分を害した様子もなく「真実だろ」と鼻で笑うばかり。

だが、マロニエとの軽口の応酬を終えた少年は、静かな眼差しを司教へ向けた。

焦茶色の瞳に見据えられ、司教の顔色は一層に悪くなる。



「お前たちがあの老いた栗の木の精霊を優遇するという意思は理解した。婚約の撤回についてもだ。だが、大聖堂内に於けるマロニエの待遇を落とすことは許さない……これ以上こいつの名誉を傷つけるというのなら、俺も然るべき対応をするからそのつもりで居ろ」


言いたいことだけを言って姿を消した少年に、司教は深々と息を吐いた。


「マロニエ……彼の宿る木を教えなさい。派生した木を失えばいくら上位精霊とて無事では済まない。この国では栗の木を伐採することは禁じられているが……王も、理解してくださるだろう」


「……彼の守護を失った私は処分されるのですか?でしたら絶対に教えたくありません」


「まあ、そう言うだろうとは思ったが……最終通告だ。これ以上暴挙を重ねるようであれば、私と王は精霊の力を以て彼を制圧する」



精霊同士を争わせることは御法度であり重大な罪となる。ましてや栗の木の精霊を排除するなど、建国の際に栗の木の精霊が助力したという歴史を持つこの国に於いては決して許されない事だ。

だがその禁を犯してでも、排除することもやむなしと考えたのだろう。


司教も国王も老婆姿の上位精霊から守護を受けている。

どちらも栗の木ではないものの、樹齢数十年の古い木から派生した精霊だ。


新聖女となった少女が守護を受けたのも樹齢二十年になる栗の木の精霊らしく、今、国内で人型の精霊から守護を受けているのはマロニエを含め、この四人だけ。

少年姿の精霊を御するには、彼らが動くしかない。



「………司教は常々、精霊は我々よりも高位の存在であり、その力を徒に利用することは許されないと仰っていました。経典には、精霊の行動を御することは出来ず、強要することもできないのだと書かれています。

司教に寄り添ってくださっている精霊は、果たして貴方からの命令を素直に聞くでしょうか」


「知った風な口を聞くな。お前たちとは違い、私と彼女は深く理解し合い、心で繋がっている……私に守護を与えてくれた彼女は思慮深く繊細な存在だ。そしてこの国を慈しんでいる。ゆえに、国を乱すあの若い精霊を許しはしないだろう」


「若い精霊ねぇ……………見た目だけですよ」


「なに……?」


不審そうに眉を顰めた司教に対して一礼し、部屋を出る。


どうやらマロニエの意図しないところで、第三王子どころか司教と国王まで敵に回す羽目になってしまったようだ。


自室に戻ってみると少年姿の精霊が呑気にベッドに寝転がっていた。

マロニエに気付くと、おかえりと雑に手を振ってくる。


先ほど執務室で受けた最終通告の内容を説明しつつも、どこまでも興味なさそうな少年の様子に、司教と国王から敵視されてしまったことはもう諦めることにした。

それよりもマロニエにとって大事なのは、第三王子の新生活をどうぶち壊すかの方だ。




離宮の中庭に到着した新郎新婦は、集まった貴族の面々に謝意を述べた。

そして自信満々な笑みを浮かべ、仰々しく飾り立てられた儀式の場へと進み出る。


木を芽吹かせるのは、夫婦の部屋からもよく見える陽当たりの良い所だという。

過去の儀式の形式が尊重され、中庭には仰々しい飾りのついた棒状の聖具が突き立てられ、儀式の開始を今か今かと待ち侘びている。


ちなみに第三王子に守護を与えている精霊はヒメシバと呼ばれる、この国では雑草に分類される草から派生した精霊だ。

マロニエは婚約者時代に、王子の取り巻きたちがヒメシバは繁殖力が強い草だ何だと必死にフォローしているのを耳にしたことがあるが、これっぽっちも羨ましいとは思わなかった。



仲睦まじく寄り添う新郎新婦の背後に、老いた精霊が幽鬼のようにひっそりと立っている。

新郎の精霊の姿は見えないが、胸元に刺している飾り葉が淡く光っていることから恐らくそこに居るのだろう。



国王が儀式の開始を宣誓し、司教が祝詞を唱える。

そして聖具の上に互いの手を重ね、見つめ合い頷きあった新郎新婦は、声を揃えて祈りの呪文を唱えた。



「「おおきな、おおきな、木の下で」」




…………ぽこん。




おお!という歓声のあとに続いたのは、奇妙なほどの沈黙。


いや、動揺の波がじわじわと波及しているというべきか。



ぽこん、と芽吹いたのはどう見ても栗の木の新芽ではなく、ヒメシバの若芽。


驚愕に満ちた顔でそれを見つめた新郎こと第三王子は、自身の胸元(ヒメシバ)、隣の新婦、そして新婦の後ろに静かに佇む老人へと順に視線を送り……恐る恐るという風に、中庭に集まった来賓を見遣った。

一方、新婦な聖女は、愕然とした面持ちのまま勢い良く背後の老人を振り返り、「どうして…!?」と顔を歪めている。

守護を与えた人間から詰め寄られても、老人姿の精霊は表情なく静かに佇むばかり。



修羅場だわ…と思いながら成り行きを見守っていると、隣に立つ司祭に肘で突つかれた。

急いで補佐をしに行けという事なんだろうが、真っ平御免だ。



「司教様から補佐を命じられているだろう!?早く行け!」


「いえ、ですが……成熟した栗の木の守護を受ける本物の聖女さまの補佐など…未熟な偽物聖女だと流布されている自分に出来るとは思えませんので…」


嫌味ったらしく謙遜したマロニエの言葉に、隣の少年姿の精霊が喉で笑う。

当然そんなことで誤魔化されてくれる司祭ではないが、ちょうどこちらを見た悲壮な面持ちの第三王子や新婦と目が合ったため、素晴らしい芽吹きだと頷きかけておく。



これまでの芽吹きの儀式では、芽が出ることさえ滅多に無かったという。

その点、望んでいた栗の木ではなかったものの、ちゃんと芽吹いてくれたのだから大成功といえよう。

さすが繁殖力に長けた草。

その雑草の根元に這いつくばって、夫婦仲良く寄り添って暮らせばいいんじゃないかな。




マロニエはこの儀式を利用して、胸がすくような復讐を遂げてやろうと画策していた。


けれどもそれは、何の芽吹きもなかった場合にやってやろうと思っていた事だし、

いくらこれまでに散々不愉快な態度を取られたとはいえ、晴れの舞台で羞恥に身を染め涙を浮かべる新婦らに追い討ちをかけるべきではないだろう。


一応芽吹きは成功しているのだし、儀式が終わるまで粛々とやり過ごそう……と思っていたのに、何故か中庭に居る人たちは皆、マロニエの方を注視している。


新郎新婦ばかりか王侯貴族らの視線までもがマロニエに注がれ、その居心地の悪さに遠くを見つめてため息を吐く。



おそらく彼らは、もうひとりの聖女であるマロニエにも、栗の木を芽吹かせることは不可能なのだとこの場で立証させたいのだ。


栗の木の精霊の守護を得ていようと国樹たる栗を芽吹かせるのは困難であると主張することができれば、少なくとも新婦である貴族の娘の体面は保たれる。


そしてマロニエには、役立たずな偽物聖女のレッテルが大々的に貼りつけられるのだ。



どこまでも平民であるマロニエを貶め利用しようとする悪意に心底うんざりする。


先ほどまでは涙を浮かべ悲嘆に暮れていた新婦な聖女も、今では、全く動こうとしないマロニエへ憎悪にも似た歪な表情を向けている。

隣の少年な精霊が「あの顔、相当不細工だな」と呟くものだから、笑いを抑えるのに必死だ。本当にやめて。今笑うのは本当に宜しくない。


周囲の聖職者たちから「早く行け」と小突かれるのが地味に痛い。

痺れを切らした司祭がマロニエの肩を強く押そうとしたが、その手は栗色の髪を持つ少年によって素早く捻り上げられた。

骨が折れる音がして、絶叫のような悲鳴が響く。


「ちょっと、今騒ぎを起こしたら……」


「俺は自分がしたいようにするから、お前もしたいようにすればいいんじゃね?」


「……カスティ」



栗色の髪の少年の愛称を口にすれば、褐色の瞳がマロニエを捉える。

上位精霊の中でも、名前を持っている存在は稀有だ。

少なくとも司教も国王も新婦な聖女も、寄り添う精霊を名前で呼ぶことはない。

つまりマロニエの隣に居る精霊は、この場のどの精霊よりも上位に位置するという事に他ならない。



「……本当にいいの?」


「ああ。全部俺が許してやるよ。それに、お前が望むなら、俺は必ず応えてやると決めてるからな」



骨が折れたと喚き騒ぐ司祭を無視して、数秒ジッと見つめ合う。


大聖堂の裏手の森で少年と出会ったとき、マロニエはただ厄介なだけだと思っていた。

けれども、ワケもわからぬまま大聖堂で保護されたとき、マロニエの味方は少年しか居なかった。

聖職者や下働きの者からタチの悪い意地悪をされたとき、傍若無人で制御不能な精霊という汚名を被ることも厭わず、その全てに報復してくれたのは他ならぬ少年だった。


彼がマロニエの望みに応えようと決心してくれているように、

マロニエもまた、彼を裏切らないと決めている。


決して裏切らず、離れず……どこまでも共に在ると決めている。



「ねえ…あの日、司教に言った言葉は本気なの…?」


「ああ。コイツらは今まさに、お前の名誉を傷つけようとしている。許すつもりはない」


「わかった…じゃあ、一緒に来て」



決意を込めて深く頷けば、少年は口角を上げてマロニエの手を取り、先んじて一歩を踏み出した。


睨むようにこちらを注視していた国王と司教の隣には、いつのまにか老婆姿の精霊がひっそりと立っている。その表情は暗く、憂いと悲しみに満ちている。


……深く理解し合い心で繋がっていると言っていたけれど、ならばどうして、精霊の嘆きを聞いてあげないのかしら…


それとも彼女たちの嘆きの声はマロニエにしか聞こえないのだろうか。



「栗の木の精霊の守護を受けし聖女として、今一度、芽吹きの儀式を執り行います」



司教の前に立ち宣言する。

「余計なことをすれば、わかっているな…?」と小声で釘を刺してきた司教に無言で頷き返し、新郎新婦の元へ行く。

鬼のような形相でこちらを睨みつけてくる新婦の前から儀式用の聖具を引っこ抜き、生えたばかりのヒメシバの若芽から離れた位置……離宮のすぐ側に刺し直す。



マロニエは深呼吸をすると、聖具に両手を乗せて目を閉じた。

隣に立っていた少年が、一歩離れる。

そして小さく微笑む気配がして、マロニエにだけ聞こえる声で「いいぜ」と甘く囁きかけた。



マロニエはこれまでの思いを込めるように大きく息を吸い込んで、祈りの呪文を唱えた。




「大きな大きな、木の下で!!」




ぽこ………



…ググ……メキッ……ボゴン!バキゴキボキゴキ!



と物凄い音を立てながら、芽吹いた新芽は瞬く間に幼木となり、成木と化し、建造したての離宮を破壊するほどの巨木へと育つ。


新居である離宮を突き破って生えた巨木を、唖然としたまま見上げる新郎新婦に向けてマロニエはにっこりと微笑んだ。



「この木の下で、仲良く野宿でもしてなさい!」



聳え立った大きな栗の木は、離宮の壁を破壊し天井を突き抜け、樹冠に青々とした葉をびっしり茂らせている。

落葉の時期になれば、離宮の床は枯れ葉ですっかり覆われることだろう。



ざまーみろ!!と盛大な報復が成功したことに満足して胸を張るマロニエに対し、

第三王子はようやく我に返ったのか、「ふ、ふざけるな!!離宮を元に戻せ!!今すぐにこの木を切り倒せ!!」と怒号を発する。

司教と国王も憤然としており、それぞれの精霊に対して「国を乱す者共を排除しろ!」と命じたが、薄暗い表情を浮かべたままの老婆姿の精霊が動くことはなかった。



そして一陣の風のあと、重い言葉が中庭に響いた。




「大樹を切ること、罷りならん。」




その声は静かに、けれども葉擦れの音にも人々のざわめきにも掻き消されることなく、その場に居る全員の耳に届いた。


聳え立つ栗の木の枝に、栗色の髪を持つ少年が不遜ともいえる態度で腰掛けている。


少年は褐色の瞳で中庭にいる者たちを睥睨すると、そのうちの一人を指差して厳かな口調で命じた。



「こうべを垂れよ。枯死寸前のお前が、俺よりも上位に立つなど、人間共の勘違いであっても許されることではない」



少年の言葉を受けて、花嫁の後ろに静かに立っていた老人は大地に膝をつき、深くこうべを垂れた。

力関係が明確に示されるその姿に、誰も彼もが息を呑む。



「お前は力弱くとも実りを糧とする栗の木の精霊である。然らば、俺を軽んじたこの国の人間共に、これ以上の恩恵を与えることは許さん」


「……心得まして御座います、栗の木の王よ。もとより土地の守護など、枯れた私には過ぎたる役目……お許し頂けるのであれば、このまま永き眠りに就きたく存じます」


「では眠れ。潔く土に還り、次代の糧となるがいい」



こうべを垂れたままもう一段階頭を深く下げた老いた精霊は、そのまま、まるで土に還るかのようにもろもろと崩れながら姿を消した。


新郎新婦はもちろん、老人姿の精霊こそが少年よりも上位であると信じていた者たちは皆、驚愕の表情を浮かべてその顛末を見つめることしかできない。



「さて……余計なことをすれば、精霊同士をぶつけて俺を排除するって話だったか」



司教は自身の発言を振り返り、喘ぐように「お待ちください…」と声を発したものの、冷たい眼差しを向けられ絶望のまま硬直してしまう。

少年からの視線を受け止めた老婆姿の精霊ふたりは、先ほどの老いた栗の木と同様に深々と頭を下げた


「弱い者いじめをするつもりはないけどな……俺にも守りたいもんのがある。挑んで来るのであれば容赦はしない」


「お戯れを……わたくし共がまだ小さく力無き頃から見守ってくださった貴方様に、どうして反抗いたしましょうか」


「もう長くは保たぬ身…せめて最期は穏やかに眠りたく御座います」


「許そう。森へ戻り、思うまま最期を過ごすといい」



一礼して姿を消した精霊たちと、まるで玉座に座すかのように枝に腰掛ける少年とを、誰しもが何度も見比べる。

やがてどこからか漏れ聞こえてきた「栗の木の王…」という囁きには、隠しようもない畏怖が混じっていた。


「まさか彼は、国樹の栗の木の精霊では……」


少年は「やっと理解したか」と満足気に口角を上げ、けれども愚かな人間共を睥睨しては冷やかな視線を返すばかり。



「マロニエの実は確かに栗ではないが、マロニエの名を持つ彼女は正真正銘、俺が選んだ女だ。まあ、見た目や出自ばかりが大事なこの国の人間共には、こいつの価値は見出せなかったようだが…」


ひょい、と木から飛び降りた少年は、マロニエの肩をポンと叩いた。

その言葉に、貴賓席に居る王族たちが一層顔色を悪くする。

もしも当初の予定通りマロニエを王子妃にしていたならば、国樹の精霊からの恩恵を得ることが出来たかもしれないと知り後悔しても、もう遅い。



「なによりも俺自身を軽んじる言葉は聞き捨てならない……大精霊さまに向かってチビだのガキだの散々言いやがって」


儀式に列席している聖職者たちが軒並み青褪める。

貴族のなかにも顔色を失っている者が少なからず居るということは、広い範囲で少年姿の精霊に対する悪口が浸透していたのだろう。



至極優しく微笑んだ少年が、芝居がかった仕草で両手を掲げると、生い茂った巨木の葉がザワザワと揺れ、緑色の若葉たちがたちまち茶褐色の枯葉へと変貌していく。



「大樹のもとに、呪われろ」



軽口ついでに告げたかのような口調であったが、強い力を持つ精霊の言葉は、

足元を沈み込ませ背骨を軋ませるかのように、重く深く人間たちにのし掛かった。



「繁栄を祝福とする栗の木からの呪いだ。お前たち……いや、この国の人間共は、衰退と没落に沈む」



その言葉に、真っ先に崩れ落ちたのは誰だろう。絶望に嘆いたのは誰だろう。



マロニエは、自分にも向けられている絶望と悲嘆、懇願と憎悪の視線をまっすぐに受け止め、真っ直ぐに背筋を伸ばす。


そんなマロニエの姿に栗の木の少年は満足そうに笑むと、「行こうぜ!」とその手を取って駆け出した。

ぐんと引っ張られ、真っ暗なトンネルのような空間へ引き摺り込まれる。



「ちょっと!?」


「これなら姿見えないし、俺にはちゃんと周りが見えてるから大丈夫だって。このまま堂々と庭先突っ切って行ってやろうぜ」


「行くってどこ行くのよ!?」



混乱と絶望に満ちているであろう中庭を横切り、真っ暗な空間から出た先は大聖堂の中庭だった。


目の前には、聖樹として堂々と聳え立つ、国樹たる栗の木。



カスティことカスティーネは、樹齢千年を越す栗の木の精霊だ。

建国時に、女王陛下に土地を使う許しを与えたのも、彼に他ならない。



「栗の木を中心に据えて国を興していいかって聞かれたから、丁寧に祀るならいいぜって答えただけで、契約なんぞ交わした覚えはない。俺が守護を与えんのは、お前が最初で最後だよ。……多分な」



小さな笑みと共に告げられた言葉に、マロニエの胸に温かなものが灯る。


この精霊は愛らしい少年風の見た目に反して、人間と友好的ではなく傍若無人な振る舞いをするものの、マロニエにだけは心を許している節がある。


「ひと目見た時からなんか気になったし、気に入った」と言っていたけれど、カスティのような本当に力ある精霊は滅多なことでは人間の前に姿を現さないというのが通説だ。


マロニエは教会で保護されたその日に、「これが俺の木」と国樹を指差しながら告げられ、カスティーネという名を預けられた。

「色々と面倒だから他のやつには教えるなよ」と言われていたから口を噤んでいただけで、真実を告げていたなら、今頃マロニエは王宮で手厚い軟禁生活を送っていたことだろう。

結婚についても、第三王子どころか国王(六十歳)か次期王である第一王子(三十二歳歳)の側妃として据え置かれていたかもしれない。

権力や財を求める性格であればそれでも良かっただろうが、出来るだけ普通の生活を送りたいと思うマロニエにとって、カスティーネからの守護を公示することは悪手でしかなかった。


先ほど大勢の前で明言してしまった以上、表立って生きていくのは難しいだろう。

それに、カスティーネは中庭に集まっていた王侯貴族らに恐ろしい呪いをかけたようだし、マロニエは胸のモヤモヤをぶち撒けるように盛大に復讐を成就させた。


……これから、どうするのかしら。


まさか教会に立て籠もるわけでもないだろう。

先の見通しが立たず所帯なさげに佇むマロニエをよそに、カスティーネは聖樹のウロに遠慮容赦なく手を入れるなり、山盛りの栗の実を取り出してどこかへと仕舞った。

そして再びマロニエの手を取って歩き出す。


どうやら大聖堂裏の森から、精霊だけが使える秘密の道を通って遠い国外へ出るつもりらしい。



「といっても、本体がここにある以上あんまり長いこと離れらんねぇし、暫くしたら戻って来るけどな。今は離れといたほうがいい」


「カスティの呪いが発動してるから?」


「それもあるけど、中庭にコンカーナ……マロニエの木のババアが紛れ込んでた。

あの婆さんは地獄耳だから、きっと、この国の人間が『マロニエ』の悪口言ってんの聞きつけて来たんだろうよ。

コンカーナは自分が派生した木と同じ『マロニエ』の名前を持つお前のことを気にしてたみたいだし、悪様に言われて腹を立ててたみたいだからな。

今からこの国内で、あのババアによる陰湿かつ凄惨な憂さ晴らしがおこなわれるはずだから、飛び火喰らう前に逃げとこうってワケ」



思いがけない事実に、マロニエは目を瞠る。

この国の人々は、聖女であるマロニエを貶めるべく流布した悪口のせいで、奇しくも同じ名を持つ樹木精霊の機嫌を損ねてしまったらしい。

中庭に来ているマロニエの木の精霊はカスティーネよりも長生きで、樹齢は千五百年を超えるそうだ。

栗の木と比較されることやマロニエの実を偽物呼ばわりされることを嫌い、ゆえにこの国の聖職者や貴族たちが『マロニエ』のことを偽聖女と貶していたのが腹に据えかねたようだ。


「一度も会ったことがないのに、我が身の如く怒ってくれるなんて……もしどこかで会えたらお礼を言いたいな」


「おいやめろ。俺との相性最悪だぞあのババア。自分の実が硬くて不味いことを棚に上げて、陰湿に逆恨みしてはネチネチと文句言いやがって!」



心底嫌そうに呻く少年の横顔を見ながら、マロニエはこの国の行く末を思った。


国の守護として崇めていた栗の木ばかりか、マロニエの木の精霊にまで嫌われたこの国は、呪いの通り、衰退と没落に沈むのだろう。



『精霊の力は人間が制御できるようなものではない。ゆえに、どのような姿形の精霊であれ慈しみ尊ばなければならない』


そう教え説いていた大聖堂の聖職者たちは今頃、その教義について身を以て思い知っているに違いない。


初代女王陛下の頃はさておき、近年は特に、力ある精霊が現れることが殆どなかったせいで、彼らはどこかで精霊の力を軽んじてしまったのだろう。



カスティーネがいうには、大聖堂の裏手の森はもう、森としての機能を失いつつあるそうだ。

枯死した樹木らは、はじめの頃こそ生態系の形成に役立っていたが、手入れも移植もされないまま多くが放置され続け、枯死した木々の空虚な内側は、今や厄介な虫と病の温床となっている。

新しい苗木の植え付けもないため、新たに精霊が派生するとしても草花由来の低位精霊がせいぜい。

国王や司教のもとに老人姿で現れた精霊たちも、森の改善を訴えるために最後の気力を振り絞って現れたのだという。



「命が巡らず風通しの悪い森は繁栄せず死にゆくばかり。あの森を散歩するたび、そこかしこから悲痛な訴えが寄せられていた…」


「だからあんなに怒っていたの?新居である離宮をぶっ壊してやりたいって言ったのは私だけど、貴方はもともと、国ごと呪う気なんて無かったんじゃない?」


「いや?少なくとも国の上層部は全て替えようと思っていたさ。あいつらのやり方に不満を持つ精霊は多かった……薔薇の低木の話なんて有名だろ?」



それは王宮の庭園に植えられた薔薇の木だった。

薔薇の木から派生した美しい女性姿の精霊は、可愛らしい容貌の人間の王女を気に入り、彼女に守護を与えたいと申し出た。


けれども守護を受けるのは、洗礼式の日に大聖堂の裏の森でと決まっている。


報告を受けた為政者と聖職者たちは、ならばとその薔薇を庭園から森へと移植した。

これで王女は美しい薔薇の精霊から守護を受けられると喜んだのも束の間、森の環境が合わなかった薔薇の木は、王女の洗礼式の前に無惨にも枯れ果ててしまったのだ。



「今のこの国の人間共は、精霊を敬うという行為を履き違えている。

あの芽吹きの儀式にしてもそうだ。新たな若芽を芽吹かせることは精霊にとって大きな負担になる。あの老木はもう、それを成すだけの力は持ち合わせていなかった……おそらく何度か忠言はしたんだろうが、聞き入れなかったんだろうよ」


「そうだったの……ずっと悲しそうな顔をしていたもんね」


「ああ…そもそも枯死寸前だったしな。栗の木の精霊は本来、この国では王にも勝る特等の存在とされる。にも関わらずガキの姿だからと俺が軽んじられているのを知って、ならば老翁である自分ならば何か変えられるかもしれないと思ったようだが……」



言葉を切った栗の木の精霊はおもむろに足を止め、生気の乏しい森を一瞥した。

ぽわぽわと淡く光る力の弱い精霊たちが、縋るようにこちらを見ている気がしてマロニエは胸が苦しくなった。

細いアオキとヤツデの木の横に、先ほどまで国王と司教の隣に立っていた老婆たちが静かに佇んでいた。

終わりを覚悟した眼差しは儚くも、瞳の奥に小さくとも強烈な瞬きが宿る。

「じゃあな」と小さく呟いたカスティーネは、マロニエと手を繋いだまま精霊の道へ入った。


マロニエは真っ暗なトンネルの中、後ろ髪引かれる思いで振り返ったものの、既に入り口が閉ざされており見慣れた筈の森はもう見えない。生まれ育った国とも切り離されてしまった。


心の中で、さようならと言う。

カスティーネの呪いやマロニエの木の精霊の怒りが、どこまで国を蹂躙するのかは知らないが……もう二度と、これまで通りの故郷に戻れはしない。


家族との別れは大聖堂に保護される時に済ませてある。

司教直筆の手紙を送られたところで、文字の読み書きもできないマロニエの家族たちは近所の小さな教会に住む司祭から事情を聞かされたという。そしてマロニエも、家族からの言葉を人伝いに聞いただけだ。

いくらかのお金が手渡されたと聞くし、それで終わりとしたのだろう。家族の誰も、聖女となったマロニエに会うために王都の大聖堂へ足を運んでくれるようなことはなかった。


大聖堂で儀式をしてから今日まで、側に居て心を向けてくれたのはカスティーネだけだ。



「ねえ、貴方の本体は大丈夫なの?逆恨みした人たちに攻撃されたりしない?」



マロニエは中庭を出てからずっと心配だった。

人間はきっと、自分たちを呪った精霊を許しはしないだろう。


聖樹である栗の木が大聖堂に祀られていることは誰もが知っている。

切られたり燃やされたりしたら…と懸念するマロニエに、カスティーネは「ばぁか」と鼻で笑った。


「何の対策もしてないわけないだろ。今は指一本触れるどころか、近づくことも出来ないようにしてある。

まあ、俺に手出しできないと知れば、おそらくあの人間共は感情のままに森を燃やすだろうけどな…」



感情の消えた静かな言葉は胸に刺さるようだった。

だから彼は、大聖堂裏の森を出るときに別れの言葉を告げたのだろう。



「あの国は俺にかけられた衰退の呪いで滅びるんじゃない。森に住む、数多くの下位精霊たちの怨みによって滅びるんだ」



マロニエは込み上げる悲しみや無念さをぐっと飲み込んで顔をあげた。

顔馴染みの聖職者たちよりも、森の喪失を惜しむ気持ちのほうが強い…そんな自分の人でなし具合に小さく自嘲をこぼす。

きっとこの先、何度もこんな思いを抱くのだろう。

マロニエがカスティーネの隣に居ることを選び続ける限り、ずっと。



「避難するにしても、これからどうするの?」


「千年も生きてりゃ国外に顔見知りくらいは居るし、気儘な小旅行だとでも思えばいい。

そういえば、竜王が嫁取りしたって話を聞いたな…精霊の道なら数日で着く距離だから遊びに行ってみようぜ」


「はぁ!?竜王って、伝説になってるようなすごい人なんじゃないの!?突然行って大丈夫なの?」


「怒らせなきゃ大丈夫だって。………多分」


「やば……」


この傍若無人な栗の木の王がそっと視線を逸らすくらいの存在って、一体どんなのよ。

やめましょうよと言う前に横抱きで抱え上げられ、問答無用で連行され始めてしまう。



「あっちの騒動が済んだら、俺の木の近くに家建ててやるよ。それこそ、大きな大きな栗の木の下で仲睦まじく暮らせるようにな」


「…………それってもしかしてプロポーズ?」


「さあな。なんにせよお前はずっと、俺の側に居ればいい」



竜王の森にはお菓子作りのうまい魔女が住んでいるという。

その魔女に栗のお菓子を作ってもらおうぜ!と朗らかに笑う少年姿の精霊を見ながら、マロニエは仕方がないなぁと、落とされないようその肩に腕を回した。







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