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苦手な方はご注意ください。

ツリー・オブ・ライフ ~精霊たちの異類恋愛譚~

大きな大きな木のしたで

作者: 葵ふたば




この世界には精霊がいる



自然から派生する精霊たちのなかでも、植物に纏わるものたちは数が多く、人間の暮らしに密着するものも少なくない。


同一種類の植物から派生したとしても、力の強さによって精霊の姿形は大きく異なる。


弱い精霊は派生元の植物にぼんやりと光を纏わせるくらいしか出来ず、

力が強くなるにつれて鳥や獣など生物のかたちを模すようになり、

最上位の精霊は人間とよく似た姿形で意思を持ち、言葉も操るのだという。



マロニエの産まれ育った小国は、代々『栗の木』を国の樹木と定めて奉っている。

初代女王陛下が、繁栄を象徴する栗の木の上位精霊と契約したことが理由なのだという。


国の子どもたちは貴賤に関係なく、十五歳を過ぎると必ず王都にある大聖堂で洗礼式を受け、国樹である栗の木に触れる。


そして両手でひと抱えするほどの大きな鉢を持って大聖堂の裏手にある森を一周回り、精霊からの守護を受け取るのだ。



ある者はぼんやりと光るクローバーを鉢に入れて戻り、ある者はラグランジアの低木を鉢に入れ小鳥型の精霊を肩に乗せて戻ってくる。


力の弱い精霊は派生元の植物から大きく離れることが出来ないため、必ず鉢に入れて持ち帰らなければならず、守護を授かった子どもはその植物を生涯大切に守り慈しまなければならない決まりだ。



時折、空っぽの鉢を持ち帰る者が居る。


ひとつは精霊の守護を授かれなかった者。

ひとつは鉢に入らないほどの大きな樹木から守護を受けた者。


前者は憐憫の視線を受け

後者は崇拝の対象となる。



鉢に入らない大きさの樹木から守護を受ける場合、大抵は力の強い上位精霊だ。

上位精霊から守護を受けた者は出自に関わらず聖職者に指名され、国の保護下に置かれるのが常。

精霊の宿る樹木は大聖堂の森に留め置かれ、守護を受けた者が定期的に大聖堂の森を訪れては精霊と交流を図るのだ。



マロニエは大した期待もせずに大聖堂裏の森へ入り、空っぽの鉢を持ち帰った。

けれども帰還した彼女の隣には、身長120センチほどの栗色の髪を持つ少年風の精霊が立っていた。


大聖堂の高位聖職者たちは目を見開き、みずぼらしい身なりのマロニエと、栗色の髪を持つ少年とを幾度も見比べた。

田舎者の小娘が分不相応な精霊を持ち帰ってきたぞ…と囁く声も聞こえ、マロニエは唇をへの字に曲げる。



「おお……貴方様は上位の精霊さまであられますかな?」



大慌てで呼び出されて来た大聖堂の一番偉い司教さまに話しかけられても、少年はプイッとそっぽを向くばかり。


けれども精霊が人間に好意的な存在ばかりでないと知る聖職者たちは気にした様子もなく、今度はマロニエに対して、精霊さまに話しかけなさいと促してくる。

大人の言いなりになるのは我慢ならなかったが、この不愉快極まりない場所に留まり続けるほうがもっと嫌だった。


「ねえ、何の精霊か言ってくれないとここから帰れないんだけど」


マロニエの物言いに聖職者たちは大いに慌てた様子を見せたものの、栗色の髪の少年は相変わらずツンとしたままだ。

マロニエと少年の目線はちょうど同じくらい。暫く無言で睨み合ったものの、少年はフンっと鼻を鳴らすと、全世界を小馬鹿にしたような態度でようやく口を開いた。



「栗の木だっつってんだろ、ばーーーか。」



場が騒然としたのは、言うまでもない。


精霊は善なるものばかりではないが、自身を偽ることはあまりしない。

つまり、少年が栗の木の精霊だと自己申告したのなら、それを疑うのは愚かでしかない。


栗の木の上位精霊から守護を受けたマロニエは慣例通り大聖堂で保護されたのち、たちまち聖女となり、翌年には第三王子との婚約が決まった。







「マロニエ、きみはやはり偽物だった!」




ステンドグラスのはめ込まれた天窓から温かな陽射しの差し込む大聖堂の礼拝堂にて、

不躾にもコチラを指さして宣告した第三王子のひとさし指をポキリと折ってやろうかと思ったマロニエは、彼の背後に淑やかな少女が立っていることに気付いて片眉を上げた。


貴族の娘らしい洗練された佇まいの少女は、どこか誇らしげに第三王子の護衛騎士らに囲まれて立っている。

彼女の隣には老紳士の姿があり、マロニエにはその執事風の老人が精霊であることがひと目でわかった。


明らかに礼儀の足りていない第三王子は、こちらを見下しながら(相変わらずこっちを指さしっ放しだし)何だかんだと言い募っていたが、結論としては「栗の木の守護を受ける新たな麗しの聖女が現れたため、マロニエとの婚約を破棄する」との事だった。


言いたいことを全部言い切ったのか、満足げな第三王子の腕に華奢な指を添えながら、新たな聖女として認定されたという少女が勝ち誇ったような顔で笑む。

その背後では、老紳士が胸に手をあてて深々と頭を下げていた。



高圧的な態度で一歩進み出た大柄な護衛騎士が掲げたのは、王と大聖堂の司祭による記名の済んだ婚約破棄に関する書状で。


学の浅いお前には読むのは困難だろう!と、こんな時ばかり有難い気遣いをくれる第三王子が促すままに、護衛騎士の野太い声がそれを読み上げる。


書類には、大層な婉曲表現を多用して、マロニエは王族に嫁ぐに相応しくないやらマロニエに添う精霊の振る舞いが目に余るやら、新しい聖女と彼女に付き従う精霊の謙虚さやらが盛大に誇張されつつ記載されていた。


というか精霊って本来、人間に付き従うものじゃないし、教会が配ってる経典にもそう書いてあるんだけどなぁ…と思いはしたものの、大聖堂の責任者でもある司祭の名が署名されている以上、その文面は大聖堂も容認した内容なのだろう。



「父上と司祭の許諾がある以上、お前はただその書類に血判を押せばいいんだ!」



と、記名欄を示されてマロニエはいい加減、我慢の限界を感じた。

普通に記名で済む筈なのに、こいつらは貴族の出自ではないマロニエが文字すら書けないと思い馬鹿にしているらしい。


大聖堂に保護された当初は確かに無教養であったが、今は古語で書かれた経典も読めるし礼拝に来た信者に配る護符への書き付けも問題なくおこなえる。

なにより、第三王子の婚約者に指名されてからというもの、王族に嫁ぐのだからと聖職者には本来必要ない筈の宮廷作法まで短期間で詰め込まれたのだ。書類への記名くらい、片手で鼻をほじりながらでも出来る。



こちらに血判を強要するのなら、報復として第三王子の指を喰い千切って血まみれにしてやると舌先で犬歯の尖り具合を確認したときだ。

マロニエの背後にある天窓が開いて、小柄な少年がひょいっと室内に入ってきた。

ちょっと散歩に行ってくると言ったきり朝から行方をくらませていた栗の木の精霊は、どうやら大聖堂の屋根の上でお昼寝をしていたらしい。



上位精霊の登場に、流石の第三王子一行も勢いを削がれたようだ。



短く切り揃えた栗色の艶やかな髪を揺らし、褐色の瞳を細めた少年の面立ちは、ふとした時にひどく老成して見える。

彼はマロニエの隣に立つと、今にもマロニエの腕を掴もうとしていた騎士に向けて、にこりと人好きのする顔で笑った。



「お前の顔を血塗れにして、その血で判を押せばいいんだな?」



少年が指をちょいと動かしただけで、屈強な騎士の鼻から勢い良く鼻血が噴き出す。

ほら、使えよ。と顎をしゃくって促されたため、他人の鼻血に触りたくないと顔を顰めて言えば、我儘過ぎんだろと呆れられる。


「他人が嫌なら婚約者殿の血にするか」と褐色の目と指先を向けられた第三王子は、大慌てで血判の必要はない!と訂正する羽目になった。



「ま、待て!文字が書けるのであれば署名で構わないのだ!」

「だってよ。せっかくだから血文字で書こうぜー」



大慌てで胸元からペンを差し出した第三王子の手から装飾華美なペンを取り上げると、栗の木の精霊は少年らしい無邪気さで、遠慮容赦なくそのペン先を騎士の鼻へと突っ込んだ。

ボタボタと血を滴らせるペンを差し出されて、マロニエは渋面でそれを手にする。


ところどころ鼻血の飛んでしまっている書類に手早く記名し、マロニエはわざとペン先の血がつくような持たせ方で、第三王子の手にペンを戻した。借りたペンの返却方法に関するマナーなんて学んでいないし、無教養な田舎娘なのだから仕方がない。

顔を青くしている聖女な少女には、ざまーみろという気持ちをぎゅっと凝縮した笑みを向ける。



「精霊とはこのように気紛れなものです…貴女もどうぞお気をつけになって」



先輩聖女から新人聖女への有難いお言葉だ。


少女は怯えた目で自身の背後に立つ精霊に目を向けたが、そこには皺だらけの老人が物静かに佇むばかり。ホッとしたように息を吐き、気を取り直して「貴女を守護する精霊は、なんて野蛮なのでしょう」と苦言を呈した。

途端、少年姿の精霊に見据えられ、びくりとその身を硬直させる。



「言葉遣いに気をつけろ。お前も、この男みたいに鼻血を垂らしたいのか?」



そこには両手で鼻下を覆いながらも、まだボタボタと血を流し続ける屈強な騎士の姿がある。

恐怖に引き攣った顔でイヤイヤと首を振った少女は、第三王子を連れて大慌てで大聖堂から出て行った。

血塗れの騎士は見た目は大惨事だが、鼻血が出ているだけなので、出血箇所を押さえたまま他の騎士と共に大聖堂を出ていく。

最後に老執事風の精霊が深々と頭を下げて退出し、ようやく室内に静寂が戻る。



誰も居なくなった礼拝堂で、マロニエは床に落ちた血の染みを見つめた。

これは自分で掃除しなければならないのだろうか…それとも、下働きの子にお小遣いを握らせて清掃をお願いしてもいいのだろうか。


栗色の髪の少年は白けた目で入り口を見遣ったあと、居並ぶ木製の長椅子にどかりと腰を下ろした。マロニエもその隣によいしょと腰を下ろす。



「婚約破棄か…めでたいことだな」



鼻で笑いながら告げられた言葉に、マロニエはじっとりとした視線を隣に向けた。

足を組んだ少年の見た目は確かに十代始めの若々しいものであるのに、皮肉った表情のせいか全く可愛げがない。



「偽物って何なのよ。あたしは正真正銘本物だっつーの」

「敗因はお前の色気のなさだ。胸の肉感が物足りなかったんだろ」



気品もないしなと付け加えられ、マロニエは下町の酒場で小汚いオッサンが口にするようなスラングを礼拝堂に響かせた。



聖女として傅かれる立場にあるマロニエは、洗礼の儀式を受けた頃とは打って変わって、随分と清潔な見た目になった。


肩で切り揃えた甘茶色の髪には毎朝毎晩櫛を通しているし、時々ハーフアップにしてみたりサイドに小さな三つ編みを作ってみたりと、過分にならない程度にお洒落を楽しんだりもしている。

教会から支給される女性聖職者用の制服は白地のワンピースで、胸元に大聖堂の印章が大きく刺繍されたダサいものだが、清潔感だけはピカイチだ。

膝下までの編み上げのブーツを履き、礼拝や儀式に参加する時には栗の刺繍の入ったストラを首から下げる。これは栗の木の守護を受けたマロニエにしか使えないものだ。



そもそも栗の木の上位精霊から守護を受けたのは初代女王陛下以来だと言われ、その希少さからマロニエは聖女として祀られ、王子の婚約者にまで成り上がったのだ。


マロニエ以外に、栗の木の精霊から守護を受ける聖女(それも貴族籍の少女)が現れたとなれば、ド田舎の一般家庭で生まれたマロニエの価値は大きく下がるのは言うまでもない。

婚約破棄されたのは当然といえば当然の流れなのだろうが、だからといってあのような横柄な振る舞いは腹が立つばかりだ。



「一方的に婚約者に仕立てておいて、一方的に破棄するなんて!恥を知れ王族共め!」

「てかあいつら、あの老いぼれと比較して俺のことも貶めてたよな?ムカつくから盛大に呪ってやろうぜ」

「呪うのはいいけど、もうちょっとスカっとするような復讐がしたい!」

「……お前、やっぱ聖女って柄じゃないよな」

「聖女がなんぼのもんじゃい!!」



マロニエの心からの叫びに、栗色の髪を持つ少年は「ははっ」と愉しげに笑う。

朗らかな笑顔はどう見ても見目麗しい天使に違いない。けれどもマロニエは知っている、この少年じみた精霊の中身がどこまでも暴君であるということを。




数日後には、およそ三ヶ月後に第三王子と新聖女との結婚式が大々的に催されると公示され、王宮敷地内には二人が住むための離宮が超特急で建造され始めた。



第三王子の婚約者でなくなったとはいえ、マロニエは歴とした聖女であり、栗の木の精霊の守護を受ける希少な存在であることは変わりない。


偽聖女だとかマロニエの実は煮ても焼いても食えないだとか、旨味もなければ色気も可愛げもない、などという悪口を受けながら、

ひそひそと後ろ指さされる生活を続けること七十五日後。



ようやく、マロニエに復讐の機会が訪れた。



草花や樹木由来の精霊への信仰が深いこの国では、王族は結婚して新居を得る際に、『大きな大きな木の下で』という呪文で芽吹かせた木を庭先に植えるしきたりがある。

国家が栗の木の庇護下で安寧を得るように、精霊の守護のある木の側で夫婦仲良く暮らしましょうと誓う神聖な儀式なのだ。


当然ながら、芽吹きをもたらすほどの力ある精霊が人間に守護を与えることは稀で、大抵は夫婦どちらかの精霊の宿る草木を庭先に植えて儀式とするのだが、

今回は新婦となる聖女が栗の木の精霊に庇護されていることから、しきたり通りの芽吹きの儀式が行われる運びとなった。



大聖堂が主体となって執り行う儀式である以上、聖女であるマロニエもその儀式の見届け人となる。

むしろ司祭からは、万が一にも夫婦の祈りによる『芽吹き』が失敗した場合は、同じ栗の木の守護を受ける者として内々に補佐するように、との素敵なご指示まで頂いたほどだ。

絶対に助力なんてしてやりたくない。



お金と手間のかかった豪奢な衣装に身を包んで幸せそうに微笑む新郎新婦は、街道に集まった観衆たちに手を振りながら大聖堂から離宮までを馬車でゆっくりと進んできた。

そして新居となる離宮の中庭に集まる貴族の面々に自信満々な笑みを向けると、仰々しく飾り立てられた儀式の場へと進み出た。


木を芽吹かせるのは離宮の建物に程近い場所で、夫婦の部屋からよく見える陽当たりの良い所なのだという。



ちなみに第三王子に守護を与えている精霊はヒメシバと呼ばれる、この国では雑草に分類される草から派生した精霊だ。

マロニエは王子の婚約者時代に、ヒメシバは繁殖力が強い草だ何だとフォローされているのを耳にしたことがあるが、これっぽっちも羨ましくなかった。



仲睦まじく手と手を取り合った新郎新婦の背後に、老いた精霊が幽鬼のようにひっそりと立っている。

新郎の精霊の姿は見えないが、胸元に刺している飾り葉が淡く光っていることから恐らくそこに居るのだろう。



土に突き刺したよくわからない棒状の聖具の上に互いの手を重ね、見つめ合い頷きあった新郎新婦は声を揃えて祈りの呪文を唱えた。



「「おおきな、おおきな、木の下で」」



…………ぽこん。



おお!という歓声のあとに続いたのは、奇妙なほどの沈黙。


いや、動揺の波がじわじわと波及しているというべきか。


ぽこん、と芽吹いたのはどう見ても栗の木の新芽ではなく、ヒメシバの若芽。

驚愕に満ちた顔でそれを視認した新郎こと第三王子は、自身の胸元、隣の新婦、そして新婦の後ろに静かに佇む老人へと順に視線を送り……恐る恐るという風に、中庭に集まった来賓を見遣った。

対する新婦な聖女は、愕然とした面持ちのまま、背後の執事風な老人を勢い良く振り返って「どうして…!?」と嘆いている。



あーらら。と思いながら観察していると、隣に立つ司祭に脇を肘で突つかれた。

補佐をしに行けという事なんだろうが、真っ平御免だ。


一向に動かないマロニエに焦れ始めた司祭へ、「成熟した栗の木の守護を受ける本物の聖女サマに出来なかったことが、未熟な偽物聖女だと流布されている自分に出来るとは思えませんもの…」と謙遜してみせる。

当然そんなことで誤魔化されてくれる司祭ではないが、ちょうどこちらを見た悲壮な面持ちの第三王子と目が合ったため、素晴らしい芽吹きだと力強く頷きかけた。


その雑草の根元に這いつくばって、夫婦仲良く寄り添って暮らせばいいんじゃないかな。




マロニエはこの儀式を利用して、胸がすくような復讐を遂げてやろうと画策していた。

けれどもそれは、何の芽吹きもなかった場合にしようと思っていたし、

今その復讐を成せば、いくらこれまでに高慢ちきで散々不愉快な態度を取られたとはいえ、晴れの舞台で羞恥に身を染め、涙ながらに「見ないで…」と呟いている新婦らに追い討ちをかけることとなる。

人間の倫理観では、決して許されぬ仕打ちだろう。



だが、何故だか新郎新婦ばかりか、聖職者たちや王侯貴族らの視線までもがマロニエに注がれている。



おそらくは、もうひとりの聖女であるマロニエにも栗の木を芽吹かせることが出来ない事を、この場で示して見せろと圧をかけてきているのだろう。それが証明されれば、栗の木の精霊の守護を得ていようと国樹たる栗の木を芽吹かせるのは困難であると主張することができる。そうすれば、少なくとも新婦である貴族の娘の体面は保たれるだろう。

そしてマロニエには、役立たず聖女のレッテルが貼りつけられるのだ。


どこまでもマロニエを貶め利用しようとする悪意に心底うんざりする。

先ほどまでは哀れなほど悲嘆に暮れていた新婦な聖女も、今では、動こうとしないマロニエへ憎悪にも似た表情を向けている。



同情するまでもないのかな……でもこの復讐を果たしたら、少なくとも私はこの国には居られなくなるよね……。



「……お前のしたいようにすればいいんじゃね?」

「……カスティ」



つまらなさそうな顔で隣に立っていた栗色の髪の少年の愛称を口にすれば、褐色の瞳がマロニエを捉える。



「でも……本当に、いいの…?」

「ああ。俺が許してやるよ。それに言ったろ、俺の力があれば容易いもんだって。お前が望むなら、俺はその望みに応えてやる」



数秒ジッと見つめ合い、マロニエが決意するように深く頷いたのをキッカケに、少年は先んじて一歩を踏み出した。

マロニエもそれに続き、地面に突き立てられた謎の儀式用の棒を引っこ抜くと、生えたばかりのヒメシバの若芽から離れた位置に刺し直す。


マロニエが棒を立てたのは離宮のすぐ側。多少陽当たりに問題はあるかもしれないが、夫婦の共同作業で生まれたヒメシバの若芽こそが陽当たりの良い場所で繁殖すべきなのだ。

モサモサと生い茂り、庭を雑草でいっぱいにするといい。なにせ大聖堂主導の儀式で芽生えた聖なる草なのだから、庭師もそう簡単に引っこ抜くことが出来ない仕様だ。



マロニエは深呼吸をすると、謎の棒の上部に両手を乗せて目を閉じた。

斜め後ろに立つ少年が、ふ…、と笑う気配がして、マロニエにだけ聞こえる声で「いいぜ」と甘く囁きかける。


そうだ。これはひとりでやる儀式じゃない。精霊とふたり、息を合わせてやるべき儀式。


マロニエは大きく息を吸い込んで、祈りの呪文を唱えた。




「大きな大きな、木の下で!!」




ぽこ………

…ググ……メキッ……ボゴン!バキゴキボキゴキ!と物凄い音を立てながら、

芽吹いた新芽は瞬く間に幼木となり成木と化し、建造したての離宮を破壊するほどの巨木へと育った。


マロニエは、新居である離宮を突き破って生えた巨木を、唖然としたまま見上げる新郎新婦へ向けてにっこり笑った。



「仲良く野宿でもしてなさい!」



ざまーみろ!!と盛大な報復が成功したことに満足して胸を張る。


大きな大きな栗の木は、離宮の壁を破壊し天井を突き抜け、広く伸ばした枝に青々とした葉をびっしり茂らせている。

落葉の時期になれば、かろうじて残ってる建物の床は葉ですっかり覆われることだろう。



ひとを偽物呼ばわりするからだこの馬鹿夫婦共!と満足気な様子のマロニエに対し、

ようやく我に返ったのか、「ふ、ふざけるな!!離宮を元に戻せ!!今すぐにこの木を切り倒せ!!」と怒声を発した第三王子は、しかしながらすぐにその威勢を削がれることとなった。



「聖樹を切ること、罷りならん。」



離宮を突き抜けて聳え立つ栗の木の枝に、栗色の髪を持つ少年が不遜ともいえる態度で腰掛けている。


少年は褐色の瞳で中庭にいる者たちを睥睨すると、そのうちの一人を指差して厳かな口調で命じた。


「こうべを垂れよ。枯死寸前のお前が、俺よりも上位に立つなど、人間共の勘違いでも許されることではない」


少年の言葉を受けて、花嫁の後ろに静かに立っていた老人は大地に膝をつき、深くこうべを垂れた。



「お前は力弱くとも、実りを糧とする栗の木の精霊である。然らば、俺を軽んじたこの国の人間共に、これ以上の恩恵を与えることは許さん」


「……心得まして御座います、栗の木の王よ。もとより国の守護など、枯れた私には過ぎたる役目……お許し頂けるのであれば、このまま永き眠りに就きたく存じます」


「では眠れ。潔く土に還り、次代の糧となるがいい」


こうべを垂れたままもう一段階頭を深く下げた老いた精霊は、そのまま、まるで土に還るかのようにもろもろと崩れながら姿を消した。



新郎新婦はもちろん、老人姿の精霊こそが上位の精霊であると信じていた国の上層部の者たちは皆、驚愕の表情を浮かべてその顛末を見つめることしかできない。



やがて、どこからか漏れ聞こえてきた「栗の木の王…」という囁きに、少年は「やっと思い知ったか」と満足気に口角を上げ、けれども愚かな人間共の姿に冷たい視線を返すばかり。



「マロニエの実は確かに栗ではないが、こいつは正真正銘、俺が選んだ女だ。まあ、見た目や出自ばかりが大事なこの国の人間共には、こいつに価値は見出せなかったようだが」


ひょい、と木から飛び降りた少年は、マロニエの肩をポンと叩いた。

その言葉に、王と司祭が一層顔色を悪くする。



「なによりも、俺自身を軽んじる言葉は聞き捨てならない……栗の大精霊さまに向かってチビだのガキだの散々言いやがって」


儀式に列席している聖職者たちが軒並み青褪める。

貴族のなかにも顔色を失っている者が少なからず居るということは、広い範囲で悪口が浸透していたのだろう。


至極優しく微笑んだ栗の木の精霊が、芝居がかった仕草で両手を掲げると、離宮を突き抜けて生い茂った巨木の葉がザワザワと揺れ、緑色の若葉たちが茶褐色の枯葉へと変貌していく。



「大樹のもとに、呪われろ」



軽口ついでに告げたかのような口調であったが、強い力を持つ精霊の言葉は、足元を沈み込ませ背骨を軋ませるかのように、重く深く人間たちにのし掛かった。


司祭は喘ぐように「お待ちください…」と声を発したものの、栗の木の王を名乗る上位精霊から悪意に満ちた眼差しを向けられ、絶望の表情のまま硬直してしまう。



「繁栄を祝福とする栗の木からの呪いだ。お前たち……いや、この国の人間共は、衰退と没落に沈む」



トドメの言葉に、真っ先に崩れ落ちたのは誰だろう。絶望に嘆いたのは誰だろう。



マロニエは、自分にも向けられている絶望と悲嘆、懇願と憎悪の視線をまっすぐに受け止め、堂々と背筋を伸ばす。


そんなマロニエの姿に、栗色の髪の少年は満足そうに笑むと、「行こうぜ!」とその手を取って駆け出した。



「ちょっと!?」

「姿見えなくしたから大丈夫だって。俺たちなにも悪いことしてないし、堂々と中庭突っ切ってやろうぜ」

「それは別にいいけど、行くってどこ行くのよ!?」



混乱と絶望に満ちる中庭を横切り、向かった先は大聖堂の中庭で。


聖木として堂々と聳え立つ、国樹たる栗の木。



マロニエは教会で保護されたその日に、「これが俺の木」と国樹を指差しながら告げられたため、カスティーネという名を持つ少年姿の精霊がとんでもない大精霊だということは知っていた。

「面倒だから他のやつには教えるなよ」と言われていたから口を噤んでいただけだ。


聖樹のウロに遠慮容赦なく手を入れた少年は、ウロの中から栗の実を数個取り出して上着のポケットに仕舞うと再びマロニエの手を取って歩き出した。

どうやらこのまま大聖堂裏の森から、精霊だけが使える秘密の道を通って、遠い国外へと出るつもりらしい。



「といっても、本体がここにある以上あんまり長いこと離れらんねぇし、暫くしたら戻って来るけどな。今は離れといたほうがいい」

「どうして?カスティの呪いが発動してるから?」

「いんや。中庭にコンカーナ…マロニエのババアが紛れ込んでた。地獄耳だからきっと、マロニエの悪口言ってんの聞きつけて来たんだろうよ。今からあのババアによる陰湿かつ凄惨な報復がおこなわれるはずだから、飛び火喰らう前に逃げとこうぜ」



思いがけない事実に、マロニエは目を瞠る。

この国の人々は、聖女であるマロニエを貶めるべく流布した悪口のせいで、奇しくも同じ名を持つ樹木の精霊の機嫌を損ねてしまったらしい。



「……もしどこかで会ったらお礼言おうかな」

「おいやめろ。俺との相性最悪だぞあのババア。いつも陰湿に逆恨みしやがって!」



心底嫌そうに呻く少年の横顔を見ながら、マロニエはこの国の行く末を思った。


国の守護として崇めていた栗の木ばかりか、マロニエの精霊にまで嫌われたこの国は、呪いの通り、衰退と没落に沈むのだろう。


そもそもこの国は精霊信仰の国だ。


『精霊の力は人間が制御できるようなものではない。ゆえに、どのような姿形の精霊であれ慈しみ尊ばなければならない』


そう教え説いていた大聖堂の聖職者たちは今頃、その教義について身を以て思い知っているに違いない。


初代女王陛下の頃はさておき、近年は特に、力ある精霊が現れることが殆どなかったせいで、彼らはどこかで精霊の力を軽んじてしまったのだろう。



栗の木がいうには、大聖堂の裏手の森はもう、森としての機能を失いつつあるそうだ。

枯死した樹木らは、はじめの頃こそ生態系の形成に役立っていたが、手入れも移植もされないまま多くが放置され続け、空虚な内側は今や厄介な虫と病の温床となっている。

新しい苗木の植え付けもないため、新たに精霊が派生するとしても草花由来の低位精霊がせいぜい。


「命が巡らず風通しの悪い森は繁栄せず死にゆくばかり。あの森を散歩するたび、そこかしこから悲痛な訴えが寄せられていた…」


「だからあんなに怒っていたの?新居である離宮をぶっ壊してやりたいって言ったのは私だけど、貴方はもともと、国ごと呪う気なんて無かったんじゃないの?」


「いや?少なくとも為政者を替えようとは思っていた。あいつらのやり方に不満を持つ精霊は多かった……薔薇の低木の話なんて有名だろ?」



それは王宮の庭園に植えられた薔薇の木だった。

薔薇の木から派生した美しい女性姿の精霊は、可愛らしい容貌の人間の王女を気に入り、彼女に守護を与えたいと申し出た。


けれども守護を受けるのは、洗礼式の日に大聖堂の裏の森でと決まっている。


報告を受けた為政者と聖職者たちは、ならばとその薔薇を庭園から森へと移植した。

これで王女は美しい薔薇の精霊から守護を受けられると喜んだのも束の間、森の環境が合わなかった薔薇の木は、王女の洗礼式の前に無惨にも枯れ果ててしまったのだ。




「今のこの国の人間共は精霊を敬うという行為を履き違えている。

あの芽吹きの儀式にしてもそうだ。新たな若芽を芽吹かせることは精霊にとって大きな負担になる。あの老木はもう、それを成すだけの力は持ち合わせていなかった……おそらく何度か忠言はしたんだろうが、聞き入れなかったんだろうよ」

「そうだったの……」

「そもそも枯死寸前だったしな。森の現状を訴えるために姿を現したんだろうが…」



言葉を切った栗の木の精霊はおもむろに足を止め、生気の乏しい森を一瞥すると「じゃあな」と小さく呟き、マロニエと手を繋いだまま精霊の道へ入った。


草木のあいだで弱々しく光る精霊たちが哀れで、マロニエは後ろ髪引かれる思いで森を振り返る。やがて精霊の道の入り口が閉ざされたのか、見慣れた筈の森はすっかり見えなくなってしまった。同様に、マロニエが生まれ育った国も遠ざかってしまったようだ。



「ねえ、貴方の本体は大丈夫なの?逆恨みした人たちに攻撃されたりしない?」



マロニエは離宮の中庭を出てからずっと心配だった。

人間はきっと、自分たちを呪った精霊を許しはしないだろう。


この国で大精霊の依代になりうる栗の木は、大聖堂に祀られている聖樹くらいしかない。


切られたり燃やされたりしたら…と懸念するマロニエに、少年姿の精霊は「ばぁか」と笑った。


「何の対策もしてないわけないだろ。指一本触れられるかよ。むしろ人間共より、森に蔓延してる枯死病の方がやべぇわ」

「え!?大丈夫なの!?」

「大丈夫だろ……おそらく、あの人間共は、感情のままにあの森を燃やすだろうから」



感情の消えた静かな言葉はマロニエの胸に刺さるようだった。

だから彼は、森を出るときに別れの言葉を告げたのだろう。



「あの国は俺にかけられた衰退の呪いで滅びるんじゃない。燃やされた森に住む、数多くの下位精霊たちの怨みによって滅びるんだ」

「……。」


マロニエは込み上げる悲しみや無念さをぐっと飲み込んで顔をあげた。

大聖堂裏の森で初めてこの少年と出会い、儀式で守護者として正式に認定されたときからもう、腹を括って、どこまでも一緒に歩くと決めているのだ。

今はしっかり手を繋いでくれているとはいえ、いつ気紛れで手を放されるかわからない以上、前を向き並んで進むしかない。



「避難するにしても国外に知り合いなんていないし、これからどうするの?」

「そういえば竜王が嫁取りしたって話を聞いたな。海を渡る必要もないし、精霊の道なら数日で着く距離だし、遊びに行ってみようぜ」

「はぁ!?竜王さまって、物凄く長生きのすごい方なんじゃないの!?」

「怒らせなきゃ大丈夫だって。………多分」

「やば……」


この傍若無人な栗の木の王がそっと視線を逸らすくらいの存在って、一体どんなのよ。

やめましょうよと言う前に横抱きで抱え上げられ、問答無用で連行され始めてしまう。



竜王の森にはお菓子作りのうまい魔女が住んでいるという。

その魔女に栗のお菓子を作ってもらおうぜ!と朗らかに笑う少年姿の精霊を見ながら、マロニエは仕方がないなぁとその肩に腕を回した。






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