第一話、男3人見知らぬ世界
夜の森に男が3人、まるで狐につままれたかのような心持ちで周囲を見渡すばかり。
それと言うのもこの3人、ビル街の路地裏を酔い覚ましとばかりに歩いていたところで合ったのだからそうもなろうというもの。
「俺の気が確かなら、先ほどまでは繁華街にいたはずなんだがな。公園の木を見て深い木立の中に迷い込んだと勘違いするほど深酒をした記憶はないんだが」
そう声を発したのは藍染の着物に袴姿の侍然とした男、殺陣師を目指すも叶わず、舞台の擬斗で生計を立てる男、小柄兵衛。辺りを見渡しながらも何事かと思案気な様子で他の2人に問いかける。
「うーん、確かに僕もそこまで飲んだ記憶はないねえ。まるで神隠しにでもあったか不思議な世界にでも迷い込んだか、そういう物語みたいな状況以外には思い当たらないねえ」
そう呑気に返すのは柳色の着物に同じく袴、その上にインバネスコートを羽織った胡散臭げな風体の男、売れない作家の朔月幻一郎。月や星の光も僅かにしか差し込まない深い森の木々を興味深そうにしげしげと眺めている。
「毒にも酒精にも耐性のある拙者が酒に酔うなど万に一つもないでござるよ。ゆえにこれは人ならざるものの仕業としか思えないでござる!きっと天狗の仕業でござる!」
そう主張するのは蘇芳の着流し姿に金髪長身の男、伊賀の末裔を自称するハットリこと服部蔵人。低い位置には枝のない高木を器用にするすると登り周囲を見渡しながら答える。
「神隠しだの天狗だのいくらなんでもそんな荒唐無稽な、と言いたいところだがこの状況ではな」
反論しようにも状況が異常すぎて、夢でも見ているのかと思いながらも木や土の感触を確かめては、その現実的な肌触りに首をひねるばかり。
そんな兵衛の様子を眺めながら、
「まあさ、これが夢か現かは後にして一旦この森を抜けない事には場所も確認しようがないんじゃない?」
そう幻一郎が促す。
「そうでござるなぁ。幸いにも北極星らしき星はうっすら見えるでござるから、それを目印に進むでござるよ」
そういって方角に目星をつけたハットリが木から飛び降り、先頭に立って森の中を進み始める。
「しかしずいぶんこの森は深いね、そこら辺の林ならとうに抜け出して人気のあるあるところに出てるはずなんだけど、舗装道はおろか鉄塔も見えないし人の気配がなさすぎるねえ」
「でござるなあ。鉄塔の灯火も見えないほど拙者の目は悪くないのでござるが」
時折木に登っては空を確認するハットリが幻一郎にそう返す。
「なあ、ところでハットリ。あれだけ高い木に登っては飛び降りてを繰り返して疲れひとつ見えないんだが、いつの間にそんなに鍛えたんだ?」
「そりゃ拙者はニンジャでござるから。これくらいは朝飯前でござるよ」
感心したようなどこかあきれたような兵衛の声に自信満々に返すハットリに
「さすがにニンジャだけって理由じゃ無理がない?」
とこちらはあきれた様子の幻一郎。
「とはいえ確かにそれほど体力がある訳じゃない僕が体感で30分は歩いたって言うのに息ひとつ上がらないっていうのはおかしな話だねえ」
周囲を眺めることに意識を割いていた幻一郎も比較対象としては不明な自称ニンジャは別として、自分基準でも疲労を感じていない事に疑念を抱き始める。
「それは俺もだな。先ほどからだいぶ歩いているはずなんだがどうにも疲労感がなくてな。かと言って夢の中のような浮遊感もなくて困惑しているんだが」
「二人もでござるか。実を言うと拙者も普段より体のキレが良くて少々驚いているでござるよ」
「いや、ハットリのは違いがわかんない」
すかさず返す幻一郎に頷き一つで同意を示す兵衛。
とは言え、確かに3人とも普段よりも疲れにくく、体の動きが良くなっているのは事実の様子である。
ところでさ、と急に真剣な表情で幻一郎が切り出す。
「理由は分からないんだけど、こんな暗い森の中なのになんか足元がはっきり見えるんだよね。僕は夜目が効くタイプじゃないんだけど。それになんていうのかな、なんか森の空気というか雰囲気というか、そういうものがざわざわしてるように感じるんだ」
きっと中高生の頃にこんなことを言ったら心配されるか生暖かい目で見られるんだろうなあと思いながらも、自身の不思議な感覚を吐露する。
「確かにな。俺もこう気配に敏感になったような気がしてな、先ほどからなんというか落ち着かんのだ」
「拙者は二人に比べると夜でも遠くは見えるでござるが、それにしても昼間と変わらずというのは不思議でござるなあ。いくら静かな夜の森とは言え獣の足音まで聞こえるのはさすがに不思議でござるなあ」
「獣というにはいささか殺気が強すぎやせんか?」
呑気な調子のハットリに対し、いささか剣呑な様子で兵衛が問えば
「兵衛さん、殺気ってどういうことだい?このざわつきの正体がその殺気なのかい?」
と幻一郎が続く。
「ああ、気配は6つ。それほど大きなものではないがどうにも殺気のようなものを感じてならん」
「でござるなあ。これは猿の類でござろうか?こちらに向かってきているでござるなあ」
どうやら気配を感じる方向が同じだったか3人そろって茂みに目を凝らす。
ガサガサっという音が聞こえるが早いか、一同揃って素早く後ろへと跳びすさる。
「あれは!まことでござるか!?」
茂みから飛び出してきた何者かに警戒しつつも、思わずハットリが声を上げる。
「これが夢や幻の類じゃなければそうだろうねえ」
緑色の肌に餓鬼のように突き出た腹、そして成人男性には満たない小さな体躯、その様は100人に聞けばおそらく100人が揃ってゴブリンという名で呼ぶに相応しい外見をした存在に、驚きや感心といった反応を見せる。
「何を呑気な!向こうはやる気だぞ!」
そう2人に声をかけるや否や手近に落ちていた木の棒を拾い上げて構えを取る兵衛。
「そうは言ってもねえ、僕は荒事とか向いてないし何より素手でどうしろって話だよ」
「それなら拙者に任せるでござる」
矢のような勢いで踏み込むと懐からクナイを取り出し即座にゴブリンの脳天にそれを突き刺す、さらに続けて懐から取り出した手裏剣を一番後ろの個体に投げつけこれもまた脳天に一撃。
「ハットリ、どこからそんなものを!?」
「懐からでござるが?」
「そうじゃなくてなんでそんな物騒なものを持ち歩いてるのかを聞きたいんだけど!?」
「ニンジャの嗜みでござるが?」
「そんなハンカチ取り出して紳士の嗜みって言うみたいな調子で言わないで欲しいんだけど」
ドヤ顔の金髪ニンジャとそれに呆れた様子の胡散臭い男を尻目に兵衛も木の棒を刀代わりに前へと踏み込む。
「そんな呑気に話をしている場合か、話が通じるような相手ではなさそうだぞ」
2人に声を投げかけつつも2歩3歩と駆け、勢いよく横なぎに木の棒を振るい、最前の一体をまるでバットでボールを打ったがごとき勢いで跳ね飛ばす。
「妙だな。この連中見た目の割にずいぶん軽い。手ごたえ自体はあったのだが」
いくら剣の覚えがある成人男性とは言え130センチはあろうかという体格の相手を跳ね飛ばすなど本来なら到底不可能。張りぼての類ならばまだしも兵衛の手には相手を打ち据えたという確かな感触が残っている。
数メートル跳ね飛ばされ、木にその身を打ち付けられてようやく止まるほどの勢いであったにも関わらずだ。
「うーん、確かに兵衛さんがその大きさの動物を跳ね飛ばせるほどの怪力だった覚えはないねえ」
襲い掛かってくるゴブリンをひらりとかわし、手ごろな木の枝でゴブリンを幻一郎も打ち据えるが、兵衛ほどの勢いはなく、首筋を打たれたゴブリンが膝をついて倒れ込むに留まる。
「手ごたえという意味では確かにしっかりしてるねえ。兵衛さんみたいにいかないのは力かな?同じサイズの棒じゃないからかな?」
手ごたえを確認するように手を開いたり閉じたりした後、兵衛の持つものと同じようなサイズの棒を拾い上げてもう一体を打ち据えてみる。
「やっぱり僕だと兵衛さんみたいにならないみたいだね」
しっかりと腰を入れて振りかぶってみるも、幻一郎の打撃を受けたゴブリンは1メートルと跳ぶこともなく、くの字に折れ曲がってそのまま倒れ伏す。
「剣の腕やら腕力やらでそこまで差が出るとも思えんがな」
そういいながらも残る1体を唐竹割りの要領で打ち据え地面へと沈める兵衛。
僅かな時間で6体のゴブリンと思しき化け物を始末した3人は、それでも油断なく周囲に意識を配る。
「どうにもこれで終わりというわけではなさそうだな」
「で、ござるなあ。先ほどより足音が多いでござるよ」
「これ、本当に大丈夫なやつ?」
「わからん、しかしここままでは埒が明かんぞ」
少々落ち着かない様子の兵衛と幻一郎を尻目にハットリが暗闇の奥に目を凝らす。
「こっちに獣道らしいものがあるでござる!森さえ出ればなんとかなるのではござらんか?」
「なんとかなるかは別としても、森の中よりはまだマシかもしれないね」
「ならばそれに賭けるか」
ハットリの先導で獣道を駆ける一同。ゴブリンはさほど足が速いわけでもないのか、兵衛に感じられる気配は徐々に遠のいていく。
「前方からも気配がするぞ、迂回するか?」
「さっきの感じなら無理やり突破した方が速いんじゃないかな、数が多く無ければだけど」
「感じる気配は4か5かといったところか」
「なら一気に突破するでござる!」
いうが早いか一段速度を上げたハットリが前方の茂みに礫を投げ込むと、ぎゃあっという叫びととも茂みから1体のゴブリンが転がり出てくるが、後続の4体はそれに気を払う様子もなく茂みから飛び出し兵衛たち目掛けて飛びかかる。
「仲間が倒れてもお構いなしとはな」
とは言え気をつかう必要もなし、飛びかかってくるとなれば遠慮なく棒を振りかぶっては跳ね飛ばす。
「真正面の敵だけ叩いて突破でいいのかな?」
「でござるな!駆け抜けるでござるよ」
走りながらも茂みから飛び出すゴブリンを打ち倒し進む一同、少しは開けた場所が見えたかと思うもつかの間、目の前には20は下らぬ数のゴブリンが円になり何者かを取り囲んでいる様子。しかも後ろからは兵衛たちの後を追うゴブリンの一団がじわじわと迫ってくる。
「進退窮まったでござるな、ここはやるしかないでござるな」
「まて、あの集団の中に他とは違う気配が混じっていないか?」
「でござるな、どうも人の声がするでござるよ」
「ハットリ!幻一郎!」
「承知でござる!」
まだ幾分か距離はあるものの、前方の一団の中に人らしき気配を感じとる兵衛とハットリ、短い言葉で意を伝えると、その意を汲んだハットリが兵衛と共に僅かの迷いも見せずにそのゴブリンの輪の中に飛びかかる。一歩遅れつつも、2人の意図に気付いた幻一郎もそれに続く。
「一応聞くけどどうするつもり?」
「知れたこと、人の気配がする以上捨ておけん!」
「袖すり合うも多少はエンジョイでござる!」
「仕方ない、全部叩くのが難しかったら無理矢理にでも突破にかえるからね!」
迷いのない勢いに押され、2人の作った輪の綻びに飛び込むと、囲まれていた人物のもとへ真っ先に幻一郎が向かう。
「2人はそいつらをお願い、まず僕はこっちをどうにかするから」
「おうさ!」
「任されたでござる!」
「大丈夫ですか?」
囲いの中に居たのは農民のような風体の男と老婆の2人。老婆の方はどうやら腰を抜かして立ち上げれないらしい。
「ああ、あんたは!?」
「通りがかりの者です、おそらくあなた方と同じような事情でアレに追い回されていましてね。どうにか走って切り抜けようとしていたところにおふたりを見かけたのでこうして声を掛けた次第です」
「そいつぁすまねえなあ。見ての通りこっちの産婆さんが腰を抜かしちまってよ、背負って走ろうにも手がふさがっちゃあ囲いを抜け出せねえもんだからどうしたもんかと困ってたところよ」
「それならそちらのご婦人はお任せしても?囲いはこちらでどうにかしますので」
「そりゃありがてえ、どこのどなたかは存じねえが大助かりだ」
「それじゃ行きましょうか」
幻一郎が声を掛けると、男がよいしょっと掛け声を上げて老婆を背負いすっと立ち上がる。普段から畑仕事で鍛えられているのか、まるで空の背負子でも背負うかのような調子で立ち上がる。
「兵衛さん、ハットリ!囲いを突破するから無理矢理にでも道をこじ開けて!」
「それは出来ない相談でござるな」
得意げな声のハットリとその傍らに立つ兵衛の足元には何体ものゴブリンが倒れ伏している。
「どうやらなんとかなったようだ、これで終わりとも限らんがな」
「という訳なんですけどどうしましょうね」
困惑顔で産婆を背負った男に声をかけると
「そしたらすまねえついでに村まだ産婆さんを送り届けるまでついてきちゃあもらえねえか、ごぶりんの連中がまた出ねえとも限らねえ」
「そういう事ならご一緒させていただきます、私たちはこのあたりに不案内なのでどうしたもんかと困っていたところでしたから」
渡りに船とばかりに男の提案に応じる幻一郎。兵衛とハットリにも異存はないようで、幻一郎のあとに続く。
「そいつはありがてえ。うちのかかぁが急に産気づいちまってな、悪いが急ぎでいかせてもらうぜ。本当ならそこらに散らばってる妖玉を拾っていかにゃあいけねえんだけどな」
足早に先を進みながら男が少々困ったような顔で先ほどのごぶりんが倒れていた方を見やる。
「妖玉?」
聞きなれない言葉に3人が口をそろえて聞き返す。
「庄屋さんとこのご隠居さんが言うにはな、その妖玉ってやつを放っておくとまたさっきのごぶりんみてえな妖が湧いてきちまうってんだ。あとそいつを持って帰って鎮守様に供えると村の畑が豊作になるんだって話よ」
「周囲に先ほどのような気配はないが急ぎとなるとな、かと言って放っておくわけにもいかんか」
「だったら足に自信のある拙者が拾って追いかけるでござるよ。さすがに全部とは言えんでござるが、夜目にもそれなりに自信があるでござるし」
そういって一人すっと折り返すハットリに慌てて幻一郎が声を掛ける。
「ハットリ!この人の行く村の場所わかんないでしょ!」
「大丈夫でござる、今の拙者なら1キロ先の2人の足音も追えるでござるよ!」
あまりにも自信満々な返答に2人は確かにハットリならばできるかもしれないという妙な納得感に駆られ、その場を任せ男と共に先を行くことを受け入れたのであった。