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 トエッタ編 第二話



 一時間後……


「リョウマ、今晩の魔獣の事だが」


「あ~、カツオを食べて元気一杯やきね! けんど饅頭やったら、まだまだ食えるきね! まかしちょきや!」


「……」


 ゾイは目を伏せてしまい、元気がない。


「どういたがで?」


「私は、何も知らないリョウマを家に連れてきて、ろくに賃金も渡さず、畑の手伝いをさせ、さらに魔獣と戦わせようとしている……」


 ありゃ? テーブルに置かれちょった銭は、ユンデンさんの仕業かえ……


「はっ、畑を手伝うち、あんな楽な作業で賃金貰いよったら、他の農民に怒られるがよ。家に置いてくれて、メシを食わしてくれるだけで十分やきぃ」


「……」


「それにその饅頭っていうがに、オラは興味があるがよ」


 私の為に、強がってそう言っているのね……


「まさかゾイさん」


「なんだ?」


「一人で行くらぁて言うがやないがでね?」


「……」


「当たりかえ?」


 ゾイは俯いてしまう。


「言うちょくけんど、オラを置いて行くがやったら、置いて行きや。けんど、オラはオラの意思で、勝手に付いて行くきんねぇ」


 リョウマ……


「その饅頭いうがが、どればぁ強いか知らんけんど、オラも自信があるがよ。だからゾイさん」


「……はい」


「オラも一緒に連れて行ってや。……ねぇ」


「……うん」


 ゾイの返事を聞いた龍馬は、笑みを浮かべて小さく頷く。

 そんな龍馬を見て、次第に笑顔へと変わっていった。



 夕日が沈み、町の外灯に火が灯り始めると、門にゾイと刀を差した龍馬が現れる。


 ゾイ様、今日も何卒無事に、無事に戻って来て下さい。

 

 門番達は、心でそう願っていた。



「行くぞ、リョウマ」


「はいよ~」


 二人が門から町の外に行くと、直ぐに門が閉じる。


「門は、夜明けとともにまた開く」


「ほうかえ」


 しばらく歩いて行くと、ゾイが立ち止まる。


「リョウマ、私は町を背にして戦う。背後を任せても良いか?」


 ゾイさんの背後を……


「うん、オラにまかしちょきや!」


「剣で魔獣と戦う場合、一撃で倒すには眉間を狙え」


「うん、教えてもろうたことを覚えちゅうきねぇ」


「手に余るようなら、出来るだけ私の前の方に(おび)き寄せてくれ」


「前にかえ? 分かったき」


「町の方角に向かって魔法を放つと、罪人にされてしまう可能性があるのだ」


「そうながかえ?」


 そりゃまたなんでやろ?


「本来なら、どちらの方角に魔法を放とうとも、魔獣を相手にしているのなら罰せられる事はなかった。だが、私が町に戻って来てから、急にそのような話になったのでな」


 そりゃ完全にゾイさんを(おとしい)れる為やねぇ。

 まっことウォンカは、こすいが(卑怯な奴)やきぃ。


 町の外に出て数時間後、背中合わせに立っている二人は、ほぼ同時に何かを感じ始める。


 うん? 何でこりゃ、急に寒うなってきたような……

 

「来たぞリョウマ。あれが魔獣だ」


 後ろを向いた龍馬の目に、熊の様なものが数匹映る。


 ん? 饅頭ち、獣のことかえ?

 いや…… ありゃただの獣やないねぇ。暗いのに、目が真っ赤に光りゆし、身体もでかいし、肌にぴりぴりと妙なもんを感じるがよ……


「リョウマ、森の方からも別の魔獣が近付いてきている。気を付けろ」


 森から…… おったおった。


 森から青く光る目を持った魔獣が、一匹だけ近づいて来ていた。


「うわ~、こりゃたまるかぁ、土佐犬を大きく大きくしちょいて、毛をぼわぼわにした感じやにゃ!」 ※注6


 ゾイは呪文を唱え、風魔法を駆使して、己の前にいる魔獣に攻撃を仕掛ける。


「おぉぉー、宙に浮いたき!? ほんで落ちたき! けんど立ち上がったき! と思うたら、また倒れたき! 一度に3匹もやっつけたやか!? 凄いにゃ~」 


 魔法が…… いつもの様にスムーズに発動しない。やはり昨日の疲労がまだ……


 そう感じながらも、森から出て来た魔獣が、龍馬との距離を詰めているのを、ゾイは見逃していなかった。


「リョウマ! 気を付けろ! 距離があっても油断するな! その魔獣は動きが速い!」


 ゾイが忠告をする最中、龍馬は恐れることなく青い目をした魔獣に近付いてゆく。


「チーチチチ、チーチチチチチ」


 龍馬は魔獣に右手を差し出し、口を鳴らし始めた。


「なっ!? 何をしている!?」


「こりゃ懐かんがかえ? 青く光りゆ目の犬ち、珍しいがよ。チーチチチ、ほら、来てみいや。オラ龍馬いうがよ。全然悪さをせんきねぇ。腹さすっちゃおか? 気持ちええでぇ?」


「リョウマ! 馬鹿な事をせず、剣で倒すのだ!」


「チーチチチチ。けんど全然襲ってこんで。こりゃ懐きそうやき。チーチチチチ」

 

 その時、魔獣が牙をむき出しにして、龍馬目がけて飛び掛かって来た!

 龍馬は咄嗟に鞘に入れたままの刀を魔獣に打ち込み、身をかわす。


「おぉぉぉ! 突然怒ったちや! なんぞ気に障ることでも言うてしもうたがやろか!? おうおうおう、こいちゃーの仲間がいっぱい来たちや! チーチチ、チーチチチチ」


「もうよせ! 剣を構えろ!」


 くっ、援護したいが、よりによって今晩は、いつもよりさらに魔獣の数が多い!


 魔法を駆使し、魔獣と激しく戦いながらも、龍馬を気にするゾイの目に、動きが速いはずの魔獣の攻撃を、刀も抜かずいとも簡単にかわす龍馬が映る。


 リョウマ…… もしかして、余裕があるの……


「こりゃいかん! なんぼチーチチ言うても、全然懐かんきぃ! エサでも持って来たらよかったちや」


「そいつらのエサは龍馬、お前だ!」


「おぉ~、ゾイさんのその言葉で、身体がブルっと震えたきぃ。怖いこと言いなや~」


 けんど、そうながかえ……


 龍馬は、やっと刀を抜いた。


「オンシらに怨みはないけんど、人を襲うがやったらそりゃ仕方ないきんねぇ。まっことすまんにゃぁ。苦しまん様に急所を一突きにするき許してよ」


 龍馬目がけ、3匹の魔獣が一気に襲いかかる!


「ふぅ~、イヤッ!!」


 一瞬の早業で、3匹の魔獣の急所を見事に突き、あっというまに倒してしまう。


 な、何というスピードなの!? 足と持ち手が、この前と逆…… そう、リョウマ、あなた本当は……


 ゾイは、一瞬だけ微笑む。 


 それなら私は、自分の戦いに専念するね。


 安堵したゾイは、さらなる呪文を唱え、強烈な風魔法で魔獣を一掃する。



「おぉー、見たかあの奴隷! 一瞬で3匹も倒したぞ!」


「見た見た見た! 凄いじゃないかあいつ!」


 城壁の上から見ていた門番や町の者達は、龍馬の強さに驚きの声を上げていた。


 そして、別の場所からも龍馬を見ている者達が居た。


「あらあら、意外と使えるようですね、あの奴隷は……」


「……」


「ゾイの足を引っ張るのであれば、そのままで宜しかったのですが…… ねぇ?」


「……」



 距離を詰めて来る魔獣に、龍馬はまたしても話しかけている。


「オンシはどうで? チーチチチチ。懐いてくれんかえ?  もうやめちょきや。オラには敵わんきねぇ。うわ~、また急に!? エイ!」


 魔獣が現れ始めて数時間後……


 あ、明るくなってきた。


「リョウマ、もう直ぐ魔獣は居なくなる!」 


「おぉ、もう朝かえ。早いにゃ~」


 その時、そう答えた龍馬の右肩に、突然激痛が走る! 


「うっ!?」 


 続いて左足にも、激痛が走る!


「うぅっ!」


 声を上げた龍馬は、その場に前のめりで倒れてしまう。


 リョ!?


「リョウーマー!」

   

 ゾイの目に、リョウマに刺さっている二本の矢が映る。


 矢が、どうして!?


 城壁に素早く目を向けると、そこには、弓を持ったバルミンが立っていた。


「バッ! バルミーン! 貴様ぁぁ!!」


 一瞬にして怒りが頂点に達したゾイは、バルミン目がけて魔法を放とうとする。

 だが、その時! 龍馬の声が聞こえる。


「ゾイさん!」

 

 ……リョウマ!?


「ゾイさん、オラは大丈夫やきね!」


 良かった…… 急所は外れていたのね…… 


 龍馬に駆け寄ると、右肩と左足に矢が刺さっていた。

 

「リョウマ、少し我慢して。魔法で痛みを少しでも抑えてから、矢を抜くからね」   


 ゾイさんの話し方が…… また……


「いくよ」


「うっ! うぅ!」


「痛かった? ごめんね。矢は抜いたからね」


 陽が昇り始めると、魔獣はまるで煙が消える様に居なくなる。その後直ぐに正門が開くと、門番達がゾイと龍馬の元へ駆け寄ってくる。


「ゾイ様! リョウマとか言ったなお前!? 大丈夫か!?」


「ちくと痛いけんど、大丈夫やき」


「あんた本当に大丈夫か!? くそー、いったい誰が弓矢を!?」


 一人の者がそう口にしたが、ここに居るほぼ全員が、弓を射ったのは誰なのか分かっていた。


「いや~、お前の剣の鋭さといったら、見ていて驚いたぞ! それ、俺に捕まれ! 町の中に入ろう!」


 門番は龍馬を背負い、町の中に入ってゆく。


「なぁあんた。俺にあんたの技を教えてくれないか!? あんな剣技は見た事も無い! 素晴らしかったよ!」


「オラでよければ、全然かまんでぇ」


「本当か!?」


 その光景を、微笑を浮かべて見ていたゾイの表情が、突然一変する。


「うっ!? うぅぅ!」


 どういたがでこりゃ? 息が苦しゅうて、身体が、痺れるがよ…… いかん、気が…… 気が遠うなってゆく……

 近江屋(あの)時…… みたいに……


「リョウマ!?」


 龍馬は意識を失ってしまった。


「しっかりして! リョウーマァァーー」


 家に運んだ龍馬をベッドに寝かせ、ゾイは医療魔法をかけていた。


 おかしい!? どうして、どうして魔法の効果が表れないの!? 血は止まっているから、全く効果がない訳じゃないみたいだけど……


 ゾイは龍馬の額に手を乗せる。


 凄い高熱!? どうして、熱が引かないの?

 

「まさか…… 毒か……」


 くっ、バルミン、そこまで! 許さない! 絶対に許さないから! 

   

 そこに、話を聞きつけたユンデンが現れる。


「リョウマさん! ゾイ様!」


「ユンデンさん!」


「話を聞いて、駆けつけてきました! リョウマさんの具合は!?」


 ユンデンは、ゾイから説明を受けた。


「毒ですと!?」


「はい、私は直ぐに解毒剤を買ってきますので、ユンデンさんはリョウマを頼みます」


「待ってください! 私が居ても、何の役にも立ちません。ですが、解毒剤なら、この町にある全ての種類の解毒剤を用意します。ゾイ様は、リョウマさんに付いていてあげて下さい!」


「……はい、お願いします」


「では直ぐに戻ってまいりますから!」


 ユンデンは解毒剤を手に入れる為に、馬に乗って屋敷を後にした。



 城には領主のウォンカとその取り巻き、そしてバルミンが顔を揃えていた。


「弓の名手のバルミン様ともあろう御方が、2回も急所を外すとは、珍しい事もあるものですねぇ」


「……嫌味を言う必要は無い。シンプルに私のミスだと認める」


 ウォンカは、そのやり取りを黙って見ている。


「まぁ、こんな事もあろうかと思い、矢に毒を塗っておいて、本当に良かったですね」


 その言葉で、バルミンの身体がピクリと動く。


 毒を塗っていただと……


「貴様! 出過ぎた真似をしおってから!!」


 バルミンの気迫に、取り巻きの一人が悲鳴を上げる。


「ひっ、ひぃー」

  

 その時、声を荒げたバルミンを、ウォンカが制止する。


「バルミン」


「はい」


「……毒を塗る様に言ったのは」


「……」


「この私だ」


 ウォンカ様が……


「矢に塗ったこの毒は」


 右手に持っている小瓶を、悩ましく見つめるウォンカ。


「ある冒険者から手に入れた特別な毒でな」


「……特別な毒と申しますと」


「この国から遠く離れたキルバン国。その国の固有種で、非常に珍しく、尚且つ美しい毒蛇のものだ」


「……」


「つまり、この町どころか、この国に解毒剤は……」


「……」


「この私の手にしかないのだ」


 ウォンカは左手に持っている解毒剤の溶液が入った小瓶を、ペロリと舐めた。


 6名の取り巻きは、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべている。


「バルミン、貴様に命令だ」


「……はい」


「あの奴隷を助けたければ、私の元へ来いと、そうゾイに伝えろ」


「……」


「子供でもその意味が分かるようにな」


「……御意」



  

 リョウマ……

 

 ゾイは無駄だと分かっていても、医療魔法をかけ続けている。

 昨日は、実の収穫の為に魔法を使い、さらに夜通し魔獣と戦い、既に24時間以上眠っていないゾイの魔力と体力は、限界を迎えようとしていた。


 そんな中、何者かが訪ねてくる。だが、その者は荷物を持ってきただけに過ぎず、ユンデンだと思っていたゾイの期待は裏切られ、途方に暮れる。

 しかし直ぐ後に、待ち望んでいたユンデンが戻ってきた。


「ユンデンさん!」


「ゾイ様! 解毒剤です! これらを早く、龍馬さんに!」


 意識が混濁している龍馬に、ゾイは口移しで解毒剤を飲ませる。    


 ……お願い。お願いだから、助かって…… リョウマ……



 一時間後。


「ゾイ様…… リョウマさんの容体は……」


「ぐうぅぅ、ぐう」


 まだ苦しそう…… おかしい、もう効果が表れても良いはずなのに。なのに、全く改善が見られない……


 本来ならこの毒に侵された者は、長い時間もがき苦しみ、その後死に至る。ゾイの献身的な医療魔法のお陰で、龍馬はその苦しみが幾分か抑えられていたのだ。


「ブルブルルル」


 うん? あの鳴き声は、私の馬ではない。 


 外から別の馬の鳴き声が聞こえた気がしたユンデンは、席を立ち見に行く。


 今、確かに……


「……なっ!? ゾッ、ゾイ様!」

 

 ユンデンの声を聞き、龍馬の部屋を出たゾイの前に、バルミンが立っていた。


 キッ!?


「貴様ぁ!!」


 ゾイは剣を抜き、手加減など微塵もなく、殺す気で襲い掛かる!

 バルミンは、殺意のこもった本気の一撃を、剣で受け止めた。


 この一撃は…… そうか…… 


「落ち着けゾイ」


「ふざけるな!? 今直ぐ、今直ぐ殺してやる!!」

 

 お互いの腕を掴み、激しくもみ合う二人。


「ガララーン! カラーン」


 テーブルが倒れ、カツオの煮物が入っていた器が床を転がる。 

 揉み合いながらも、ゾイが呪文を唱えだすと、バルミンはわざとユンデンに近付き、魔法を封じる。


「毒だと思い、解毒剤を飲ませても、一向に改善していまい」


「貴様ぁ!!」


「ガラガラガラーン」


「落ち着けと言っている。リョウマの命を、救いたくないのか!?」


 その言葉を聞いたゾイは、力を抜いて掴んでいた腕を離す。


「どういう意味だ!?」


「簡単な話だ…… お前がウォンカ様に平伏せば、解毒剤を渡すとおっしゃっておられる」   


「……」


「バルミン様! それはあんまりです!」


「うるさい! 商人風情が、私に口出しするな!」 

   

 剣を向けられ、そう言われたユンデンは、口を閉じる。


「私はただ伝えに来ただけだ。お前が決めろ、ゾイ……」


 開いたドアから、ベッドで横になって苦しんでいる龍馬の姿が、バルミンの目に映る。


「……決心を、急いだほうがいい」


 そう言い残して、バルミンは去って行った。



「ぐふぅ、ぐぐふっ!」


 私は! 私は、自分が商人だということを、こんなに悔しいと思ったことは無い! 

 

「くそ! くそ! くそぉ!!」


「……」


「ガチャーン」


 力なく剣を床に落としたゾイは、ベッドに座り、苦しんでいる龍馬の頬を優しく撫でる。


 リョウマ…… あなたを、必ず助けるからね…… 


 何かを決心したゾイが、ゆっくりと立ち上がり、歩き始めたその時。


「待ちやぁ、ゾイ、さん」


 龍馬の声に驚いたゾイは、ピタリと歩みを止める。


「……リョウマ」


 ゾイは振り返らず、前を向いている。


「何処へ行くきながで?」


「……」


「話は、話は聞こえたきねぇ。馬鹿な事しなよ」


「……馬鹿な事って、何よ?」


「ウォンカのとこらぁに、行く事ないきぃ」


「……私が行かなきゃ、行かなきゃリョウマが死んじゃうんだよ!」


「……ゾイさん、それでもかまんがよ」


「いいわけ…… いいわけないもん! リョウマが死んで、いいわけないもん! だから、止めないで! 早くいかないと、リョウマは毒で……」


「聞いてや! ゾイさん、オラの話を、聞いてや」


「……」


「オラはね、ほんまに一度死んだがよ」


「……」


「脳みそが飛び出るぐらい頭を斬られてねぇ、死んだがよ」


「……」


「だから、もう一回ばぁ死んでも、なんちゃーかまんがよ」


 ゾイは涙を流しながら、振り返ること無く歩き始める。


「ゾイさん!」


 ゾイは、再び歩みを止めた。


「オラも…… オラも一緒ながよ」


「……何が、何が一緒なの!?」


「ゾイさんに…… 他の男のとこに、行って貰いたくないがよ」


「……」


「オラは死んでもかまんき。けんど、ゾイさんに、ウォンカの所に行って貰いたくないがよ」  


 その言葉で、ゾイの身体が大きく上下に揺れる。


「うっ、ううぅぅ、リョウマ……」


 振り向いたゾイは、龍馬の胸に飛び込む。 


「どこにも行かんで、オラのそばに、おってくれんかえ」


「うん、うんうん。リョウマァァ」


 龍馬とゾイは、唇を重ねた……


 抱き合う二人を、ユンデンは大粒の涙を流しながら見ていた。


「ゾイ様、リョウマさん……」


 ユンデンは外に走り、馬に乗って町を出ようとしていた。


 私の、私の全財産を投げ打っても構わない! 取引相手の門閥貴族様に全てを話して動いて貰う!

 待っていて下さい、ゾイ様、リョウマさん!


 数時間後……

 

「ガチャーン!!」


 解毒剤の入った小瓶を床に投げつけて、怒りを(あらわ)にするウォンカの姿があった。


「ゾイは! ゾイは来ないではないか!!」


 声を荒げたウォンカに、取り巻き達はオロオロとするばかりで、何も答えない。


「貴様が、あの奴隷を餌にすれば、ゾイが言う事を聞くと、そう申したのだぞ!」


 一人の取り巻きに、怒鳴りつけるウォンカ。


「バルミン! 貴様ちゃんと伝えたのだろうな!?」


「はい…… 言われた通り、子供にでも分かる様に伝えました」


「おのれーー! ゾイめぇ!!」


 ウォンカは大声で叫んだ。


「何処までも私を拒みおってからに! いいだろう! もう次が最後だ! 奴隷ではなく、お前自身の命を賭けても、私を拒絶できるのか、試してやろう!!」


「バルミン!」


「はい……」


「領主たる私の特命である!」


「はい……」


「ゾイに今晩も引き続き、魔獣の駆除に当たらせろ!」


「……」


「貴様ぁ! 返事はどうした!?」


「……御意」



 

 龍馬とベッドを共にしていたゾイは、まぶたをゆっくりと開き、目を覚ます。


「……リョウマ」


 龍馬の名を呼ぶが、何も返事がない。 


「嘘…… 嘘…… だよね……」


 動かない龍馬を見つめるゾイ。


「う…… うぅ、うわぁぁぁぁん。ごめんなさーい、ごめんなさいぃぃリョウマーぁぁぁああああぁぁ」 


 ゾイは、龍馬に(すが)って泣いた……

 家族を失った時と同じように、心の底から悲しみ、涙を流した……



 胸の上で手を組ませ、そこに龍馬の大切な陸奥守吉行を握らせると、その上から身体全体が隠れる様に、薄く大きな布を被せる。


「……」


 椅子に座り呆然となっているゾイの元へ、再びバルミンが現れる。

 無反応なゾイを見て、全てを察したバルミンは、龍馬の遺体に目を向ける。


「……」


「……何の用なの」


 龍馬が亡くなった悲しみで、ゾイは怒りまでをも失っていた。


「ウォンカ様の特命を伝えに来た」


「……」


「今晩も、引き続き魔獣の駆除をしろという特命だ」


「……」


「……どうする?」


「何が……」


「断って、ウォンカ様に平伏す選択も……」


 バルミンは一度目を閉じて、ゆっくりと開ける。


「あるのだぞ。そうすれば…… そうすれば、命は助かる。それに、贅沢も……」


 その先は言う必要が無いと思い、バルミンは言葉を止めた。


「……」


 二人の間に、無言の時間が流れる。


「その選択肢は…… リョウマが死んだ、今の私にはない」


 ゾイは立ち上がり、準備をするためにその場を離れる。

 残されたバルミンは、龍馬の遺体の前で膝をつき、平伏した。


 

 陽が暮れ始めた時間、門に現れたゾイを見て、門番達がざわつき始める。


「どういうことだ!?」


「なぜまたゾイ様が?」


「連日など、余程急な時以外ありえない話だ!」


 しかもゾイ様お一人で…… リョウマは、まさかリョウマは…… 

 くぅ、ウォンカ様、いくらなんでもやり過ぎなのでは!?

 

 ゾイが正門から出て行って数時間後、辺りが暗闇に包まれると、昨晩の様に魔獣が現れ始める。



 リョウマ…… 魔獣を手懐けようとする人なんて、あなたしか知らないよ。


 ゾイは呪文を唱え、魔獣を攻撃する。

 門番達はその職務を終えても、誰も帰らず、心配する町人と共に城壁の上からゾイを見守っている。

 少し離れた所から、ウォンカとその取り巻き、そして、バルミンもゾイを見ていた。


「さぁ、泣き喚いて、私に助けを請え! 許しを請え!」


 ゾイの前に、青い目の魔獣が現れた。


 リョウマ…… あなたがまさかあんなにも強いだなんて、思ってなかった。

 この動きの速い魔獣が、あなたに触れる事すら出来なかったもんね。


 得意の風魔法を発動させると、青い目の魔獣は、ゾイに近付く事すら出来ない。


 ゾイ様…… 

 

 門番の一人は、まだ夜明けが来ないと分かっていても、東の方角に目を向ける。

 

 早く、早く陽が昇ってくれ! 頼む!



 リョウマ…… あなたのアイデアのお陰で、私もユンデンさんも助かったのよ。

 まさか枕を収穫に使うだなんて…… ほんと、リョウマらしいんだから。


「ウォンカ様。あの女笑っていますよ!」


「なに!? ええい、まだそんなに余裕があると言うのか!」

 

 リョウマ…… あなたと過ごしたこの数日間、私の夢が叶ったの。

 素敵な人と、共にトエッタを守りたいと願っていたの。子供の頃からの夢が……


 城壁には夜遅くだというのに、いつの間にか数百人もの民衆が登り、ゾイを見守っていた。


「あぁぁ!? 見ろ! よりによって、あの魔獣が!?」

  

 現れた魔獣は、連携して人を襲うのを得意とし、その波状攻撃で、世界中で幾千万の命を奪っていた。

 その魔獣に対し、ゾイは臆することなく呪文を唱える。

 だが……


 かっ、風が起こせない!? 魔力がもう……


 ゾイは剣を抜いた。


「ウォンカ様! ついに魔力が尽きたようです!」


 フッ、フフ、やっとか…… これでやっとゾイが私のものに…… うひひひひい。


 剣で…… 剣で時間を稼げれば、今日を乗り切るぐらいなら、魔力が回復するかもしれない……


 だが、波状攻撃を仕掛けて来る魔獣に、急所を狙う余裕もなく、身体を剣で斬りつけるが、魔獣に怯む様子はまるでない。


「ううっ!」


 ついに、魔獣の鋭い爪がゾイを襲った。


「よーし! ほーれほれほれぃ。命乞いをしろ~。この私に、命乞いをするのだゾーイ」


 だが、いくら魔獣の牙と爪に傷つけられ、ボロボロになっても、ゾイは命乞いをすることはない。


「ぐぁああああ、そこまで! そこまでこの領主たる私を拒絶するのか!?」



 家族も…… そして、リョウマもいない……


 背後から、魔獣の爪がゾイの足を(えぐ)る。


「ああぁぁ!」 



 リョウマ…… 私も、そっちに、行って良いかな……


 

 ゾッ、ゾイ様! くっ!

 もぅ! もう我慢できない!


「ウォンカ様! どうか、どうかゾイ様をお助け下さい!」


 龍馬をこの町に入れる事を許可した、門番のゼガラミがウォンカに懇願する。


「どうか! どうかお願いします!」


「このぉ! 直接ウォンカ様にお声をかけるなど、己の身分を考えろ!」


 取り巻きの一人が、ゼガラミを罵倒する。


「むっ、むむぅ」


 ゼガラミの目に、バルミンが映る。


「バルミン様! どうか、どうかゾイ様に加勢する事をお許し下さい!」


「……」


 バルミンは目を伏せて、何も答えない。


「私もお許しください!」


「私もだ!」


「俺も行くぞ!」


 城壁から見守っていた者達の中から、ゾイを助けようとする者達が現れ始める。

 最初はたった一粒の雨の様だったが、それは大きな川の流れへの様に変化する。


 これは危険だ……


 状況を読んだバルミンは、部下を走らせ、応援を呼びに行かせる。


「下がれ! ええーい! 下がれこの下々共が! 下がらぬか!」


「貴様らぁ! 領主様への反逆は、問答無用で死罪だと言う事を忘れたのか! 下がらぬかぁ!!」


「うるさいぞ腰巾着!」


 民衆の一言で、取り巻きが怒り狂う。


「今言ったのは誰だ! 前に出ろ! 首を撥ねてやる!」


「コン」


「うん?」


「コン、コン」


 後ろの方に居る民衆から、小石が投げられた。


「ウォンカ様、お下がりください」


 バルミンに促され、ウォンカは民衆から距離を取る。

 するとその直後、様々な物がウォンカを目掛け飛んできた。


「貴様ら! ウォンカ様に物を投げるとは!? これは反逆だぁ!!」


 取り巻きの言葉は、民衆の怒号で届いておらず、飛んでくる物は止まらない。

 それを下がりながら見ていたウォンカは、怒りに身を震わせていた。


 ギギギギィ! こやつら! この私にぃ向かってぇ!


「おい! 奴を呼んでくるんだ!」


 ウォンカのその言葉を聞いた取り巻きの一人は、何処かへと走って行く。 


 領主たるこの私に物を投げるとは…… 許さん! 絶対に許さんからなぁ!! この虫ケラどもが! 私を本気で怒らしおったなぁ……



「ゾイ様を助けたいと思う者は私についてこい!」


 ゼガラミが先頭に立ち、正門の横にある小さな脇門の前に人を集める。

 

「脇門から魔獣が入らない様に、一度に3人ずつで外に出るんだ!」


「分かった! 俺が最初に出る! お前とお前が俺に続け!」


「おう!」


「まかせろ!」 


 最初に3人の男達が脇門から素早く外に出ると、直ぐに魔獣が数匹現れる。だが、3人は身を挺してその魔獣の動きを止めた。


「いいぞ! 今のうちに次を出せ! ゾイ様の元に走れ!」


 その声で脇門が再び開き、続いて出てきた3人の男達は、ゾイに向かってまっしぐらに走ってゆく。


「行け行け行け! さっきの奴らも魔獣を止めているぞ! もっと出せ! 出すんだ! ゾイ様を助けるんだ!! 次も出せ!」


「おぉー!」


 総勢21名の者が、ゾイを助ける為に外に出て魔獣と戦っている。

 町中では、ウォンカ達に石を投げていた民衆の前に、バルミンが要請した応援の警備隊が馬に乗って現れる。

 

「警備隊が武装してるぞ!」


「上等だ!」


「そうだそうだ! もう我慢ならん! 警備隊だろが、誰だろうがやってやる!」


 民衆は棒や農具を武器にして、警備隊を待ち構える。


 警備隊の力で、再び正門近くまで戻ってきたウォンカは、城壁の上からゾイを助ける者達を、まるで邪悪な蛇の様な目で見ていた。

  

「正門を開けろ!」


「ウォンカ様! 今何と!?」


「ウォンカ様!?」


 驚いた取り巻きとバルミンが声を上げた。


「黙れバルミン! 私の命令を聞け! 警備隊よ、民衆など後でよい! それよりも、今直ぐ正門を開け放つのだ!!」


 警備隊は、近くに居る者と顔を見合わせた後、命令に従い正門を開け放つ。


「うきゃきゃきゃきゃぁ。ほらほらほら、正門は私が開けてやったぞ! お前達の望み通り、ゾイを助けに行け! どうした!? ほら行かないのか!? うきゃきゃきゃきゃきゃ」



 剣で魔獣の牙を受け止めていたゾイの腕に、限界が近付く。


 お父さん、お母さん、お兄ちゃん……

 リョウマ…… みんなに、もう直ぐ……


 ゾイの腕が限界を迎えたその時、魔獣に槍の一撃が突き刺さる!


「ゾイ様ぁ! 助けに来ました!」


 ゼ、ゼガラミさん……


「ゾイ様を守れぇ!!」


「おぉーー!!」


 みんな……


 魔獣とゾイの間に、勇敢に立ち塞がる男達。

 だが、魔獣はその男達ではなく、正門目がけ猛然と走ってゆく。

  

 なんだ!? どういう事だ!? なぜ魔獣は正門の方へ!?


 外でゾイを助ける為に魔獣と戦っていた者達が、大きな声で喚く。


「ウォンカ様が正門を開けて魔獣がぁ町にぃぃ!」


「何だと!? お前達は正門へ迎え! ゾイ様は私が!」


「おぉー」


「走れ! 町に戻れぇ!」


 ウォンカァ!! あの野郎!


 正門から魔獣が次々と雪崩れ込み、門を開けている警備にも襲い掛かる! 


「ぐぁぁぁ! 助けてくれぇ!」


「怯むなぁ! 隊列を組め!」


「うきゃきゃきゃ、見ろ! 警備隊の者達が襲われているぞ。さっさと下がらないからだ! うきゃきゃきゃきゃ」


 ウォンカは狂った様に笑っていた。


 町中に入って来た魔獣は、女子供関係なく、目に映る全ての者を襲う。


「ぎゃあぁぁぁ! 助けてくれぇー」


「きゃああああ」


「うわあああああ」 


 既に限界を迎えていたゾイだが、立ち上がって町へ向かい歩き出す。


「ゾイ様!?」

 

 魔力が、魔力が少しだけど、回復している。

 町の人達を助けないと…… 


「ゾイ様は隠れていて下さい!」


「いいえ、私も行きます。肩を、肩を貸して下さい!」


 ゼガラミに支えられ、正門まで戻って来たゾイは、魔法を発動させる。

 魔獣の鋭い牙によって、命を失いかけていた母子(おやこ)は、ゾイの魔法により、寸前の所で助かる。


「チッ! 良い所を邪魔しおってからに! ゾイはまだ生きていたのか!」


 ウォンカがそう呟いた時、隣にいたバルミンの背筋が突然凍る。


 なっ!? なんだこの気配は!?


 後ろを振り向くと、そこには不気味な男が既に間合いの中に立っていた。


「ウォンカ様! お逃げ下さい!」


 素早く剣を抜いて、有無を言わさず鋭く斬りかかるが、不気味な男はバルミンの一撃を軽々と素手で受け止める。


 なっ!? なんだと!? これは、何の魔法だ!?


 剣を素手で受け止めた不気味な男の背後には、その配下と思われる3人の男が立っていた。


「剣を収めて下がれバルミン!」


 ウォンカ様……


「はい」


 バルミンは言われた通り、剣を収めて下がる。


「来たかザンバ。使えない部下が粗相した」


「いいえ、ウォンカ様。大した事ではありませんので、お気になされずに」


 ザンバだと? 確か、悪名高い冒険者の…… そうか、こいつが毒を用意した者か。かなりの強者と噂には聞いていたが、まさか私の本気の一撃を、素手で防ぐとは……


「これはこれはお楽しみの最中でございましたか?」


「そなたも私の隣へ来て眺めてみるか? うぉ!? ババァが生きたまま足を魔獣に食われているぞ! 見てみろあそこを! うきゃきゃきゃきゃ。私に逆らったらどうなるか、これで身に染みたであろう!」


 バルミンはその光景を見る事が出来ず、目を逸らしている。


 その時、老婆を襲っていた数匹の魔獣が突然宙に浮かび、地面に叩きつけられる。


 その様子を、ザンバが見ていた。


 ほう…… あれが王都デ・パリーオの、フォスティーヤ魔法学校で首席だったゾイ・トゥリーナか……

 既にボロボロの癖に、実に繊細で見事な風魔法だ。

 どうやら、首席の名は、伊達ではないようだな…… 


「ウォンカ様」


「どうした?」


「見物するには、少々暗くございませんか?」


「うん?」


 何かに気付いたウォンカは、不気味な笑みを浮かべる。


「うんうん、確かに少々薄暗いな。うきゃきゃきゃきゃ」 

  

 ザンバはニヤリと笑みを浮かべた。


 魔獣を追い、町の奥深くまで来ていたゾイとゼガラミの目に、トエッタの木が映っている。  


「ゾイ様、あそこに魔獣が!」

 

 目を向けると、ゾイの畑の前で男が魔獣に襲われていた。

 即座に風魔法を発動させ、男から魔獣を引き離す。


「お見事ですゾイ様!」


 魔獣を風で宙に浮かせたその時!


「我が命に従い、闇の中から炎よ降りそそげ」  


 ザンバの魔法により、空から無数の炎が降り注ぐ。

 

 なっ!?


 驚きと疲労から魔法の操作をミスしてしまい、ゾイの起こした風で炎が荒れ狂い飛び火する。


「あぁぁぁぁ、火事だぁ! みんな火を消せ! 火事だぁ!」


「俺の家があ!? 母ちゃん逃げろ! 家に火がついたぞ!」


 燃え盛る炎のせいで、町は更なる混乱に包まれる。



「イヒヒヒヒ、ゾイとやら! 今のお前の風魔法では、私の炎を増幅させても、消す事は出来まい!? イヒヒヒヒ」


 その炎は、トエッタの木にも降りかかる。


「トッ、トエッタが!?」


「うきゃきゃきゃきゃ、燃えろ燃えろ! 私の物にならないのであれば、燃えてしまえ!

 ゾイ、門閥貴族様にどう説明するつもりだ! 魔獣を見つけやすい様に、わざわざ明かりを提供してやったのに、己の風魔法でトエッタに火をつけるとは! うきゃきゃ、これは愉快愉快! 見事だぞ、ザンバ!」


「お褒めに預かり光栄でございます」


「バルミンよ、貴様はザンバを見習え」


「……」


「うきゃきゃきゃきゃ、もっと燃えるのだぁ! ゾイ、お前は死に、トエッタの木は燃えて無くなる。この町は、ウォンカという、私の名になるのだぁ!」


 トエッタの木が燃えているのを見て、町人達が慌てて集まって来る。


「あぁぁ、トエッタの木が!? 町の木がぁ!」


「水を持ってこい! 家の火は後だ! 先にトエッタの火を消すのだ!」


「バルミン、あの馬鹿共を止めろ! 絶対に火を消させるな!」


「……御意」


 バルミンが警備隊に命令を下そうとしたその時!


 トエッタの火を消そうとしていた者達が、魔獣に襲われる。


「ぎゃあぁぁぁ! 助けてくれぇ!」


「あっちいけ! このぉ! あっちへ行け! うわぁあああああ」


「待てバルミン! これは見物だ! しばらく待て!」


「……」


 ゼガラミが町民を助ける為に、槍を構え猛然と魔獣に突き進む!


「おりゃあぁぁ!」


 だが、そのゼガラミの背後から魔獣が牙を剥く。


「ぐあぁぁあああ」


 一人で立ち上がる事も出来ないゾイは、地面に横たわったまま魔法を発動させようとするが、助ける者達の背後には、燃え盛るトエッタの木がある。

 だがゾイは、躊躇することなく魔力を振り搾り、風魔法を発動させる。見事に町民とゼガラミから魔獣を引き剥す事に成功するが、そのせいでトエッタの炎はさらに激しさを増す。


「ゴォオオオオオ、バチバチパチパチ」


「あぁぁ、トエッタがぁ。この町の象徴がぁ!」


「グウゥゥ、バルミン様ー、どうか町民を、ゾイ様をお守りください! トエッタの火を消して下さい! 警備隊の方々、どうか、どうか!」


 ゼガラミの叫びで、動揺する警備隊の者達が増え始める。


「どうするおい……」


「辛いが、俺達は命令が無いと、動く訳には……」


「私達は、民衆を守るのも役目では無かったのか?」


「俺は…… もう我慢ならない、俺は助けるぞ!」


 勇気ある警備隊の一人が、命令を無視して魔獣に立ち向かう!


「せいやぁ!」


 すると、その警備の鎧の隙間という隙間から、突然激しい炎が噴き出す!


「ぎゃあああああああああ」


 その者は、一瞬で絶命してしまった。


「うきゃきゃきゃきゃ、良くやったザンバ! 領主たる私の命に逆らうとは! 家族をも同じ目に遭わせてやる!」


 その言葉を聞いた警備隊の者達は、誰も命令に逆らわなくなってしまう。


 魔獣と戦っているゼガラミは、倒した魔獣の下敷きになってしまい、動けなくなる。


 グウゥ、ここまでか…… 無念だ……


「ウォンカ様、魔獣が増えてまいりました。お下がりください」


「チッ、ここが特等席なのに、仕方あるまい」


 激しく燃え盛るトエッタの木の元で、ゾイは再び死を覚悟する。

 

 もぅ、動けない……


 ゾイはトエッタの木に目を向けた。


 これで…… これで良かったのかもしれない。 

 ウォンカに利用されるぐらいなら、トエッタも私と一緒に……


「グルルッルルルゥ」


「ウォワルルルル」


 二匹の獰猛な魔獣が、ゾイに狙いを定め、よだれを激しく垂らしながらゆっくりと近付いてくる。


「……」


 ごめんなさい、トゥリーナ家と、トエッタを、守る事が出来なくて…… 町の人も、守る事が出来なくて、ごめんなさい。


「グルアァァァァルゥ!」


 魔獣がゾイ目掛け飛び掛かってきたその時!



「チーチチチチ、チーチチチ」



 どこからともなく聞こえて来た口を鳴らす音で、全ての魔獣がピタリと動きを止める。


「チーチチ、チーチチチ。やっぱり懐いてくれたかえ~。そんな気が、しよったがよ~」


 この声は…… まさか……

 

 ゾイの瞳に、着物に革靴を履き、腰に陸奥守吉行を差し、懐手をして歩いてくる龍馬の姿が映る。

 

 リョッ……


「リョーマァァァァ」


 龍馬は笑みを浮かべてゾイに近付くと、上半身を抱きかかえて優しく起こす。


「ゾイさん、オラが来たきね。もう、なんちゃー心配することらぁないき」


 ゾイの瞳に、涙が溢れる。


「リョウマァ、リョウマ」


「ゾイさん……」


 抱き合う二人を、ウォンカが歯ぎしりをして見ている。


「ギリギリギリ! 何故あの奴隷が生きているんだ! ザンバ!」


「……はい」


「お前の持って来た毒は偽物か!?」


「いえ、そんなはずはございません」


「なら何故あの忌々しい奴隷が生きているんだ!?」


 ……あの毒を少量でも食らって、解毒剤を使わずに生きていた者など聞いた事もない。いったいどういう事なのだ……

 それに!? いや、それよりも、何故魔獣は奴らを襲わない!? 何故大人しく犬の様に座っているのだ!?


「チーチチチチ。オンシらぁ、町から出て行きやぁ」


 町に入ってきていた全ての魔獣は、脇目も振らず正門から出て行き始める。


「なっ!? なにぃ!?」


 人間に懐く事など絶対にありえない魔獣が、奴の言う事を聞いているというのか!?


 ウォンカをはじめ警備隊や町人、全ての者達がその様子をただ茫然と見守っている。



「バチバチバチバチ、ゴォォォォ」

 

 トエッタの木が、燃えてしもうたかえ……


 龍馬は、激しく燃える二本のトエッタを見上げる。

 

「お…… 重い。助けてぇ……」


「ん? ありゃ、門番の人やか? こりゃまっことすまん。気がつかんかったちや」


 魔獣の死骸をどけて、ゼガラミを助ける。


「ありがとう。助かった」


「いやいや、オンシこそ、ゾイさんを助けてくれたき、ここにおるがやろ? すまんけど、もうちくっとゾイさんのそばにおってくれんかえ?」


「分かった、まかせておけ」


「すまんにゃ~」


 さてと……

 

 龍馬は隊列を組んでいる警備隊に向かって口を開く。


「オンシら見た所、騎士というがやろ? 町民を助けんと、いったい何をしゆがで? オンシらの仕事はなんで? 言うてみいや」


「……」


 警備隊の者達は、黙って龍馬の話を聞いている。


「オラのおった所にはにゃ、江戸っていう大きな大きな町があったがよ。その江戸におった旗本、つまり門閥貴族様の勝海舟いうお人はにゃ、家来から意見されたら怒るどころか、よく自分の間違いを正してくれた、オンシの意見は面白い、そう言うて褒めてくれるがで」


「……」


間違(まちご)うた事を言うががおったら、それが例え王族だろうが、正す為に自分の意見をハッキリと言うがよ。まっこと見事なお人やと思わんかえ? 勝海舟先生こそが、人の上に立つ貴族の鏡のようなお人よえ」


「……」


「それに比べて、オンシらはなんで? 何でも言う事を聞くがが、主君の為になると思うちゅうがか? それが正しい家臣の姿やと思うちゅうがかえ!?」


 バルミンは龍馬の話を、瞬き一つもせずに聞いている。


「オラの友達はねぇ、皆が女子(おなご)や子供に優しかったき。どういてか分かるかえ?」


「……」


「それはにゃ、武士、つまり騎士とは、侍とは、そういうもんながよ。

 女子や子供、年寄りに優しゅうて、無理をしてでも酒を強うみせて、心から国を、主君を思うて、仲間を守る為なら、命も惜しまん。それが武士であり、侍であり、男というもんながよ! オンシらは、騎士とは違うき」


「……」


「ほんで、男でもないがよ!」


 人々は水を打ったように静まり返り、トエッタが燃える音だけが響いていた。

 

「こればぁ言うても分からんがやったら、仕方がないきね。オラが懲らしめちゃるき、かかってきいや!」


 龍馬は、陸奥守吉行を抜いた。


 おぉー、なんと美しい剣だ! 私の、私の物にしてやる!


「お前達、何を呆けているんだ! 殺せ、奴を殺せ! ただし、あの剣には傷をつけるな! 行けぇ!!」


「はい、ウォンカ様!」


「お前達、行くぞ!」


 ウォンカの命令に動いたのは、6名の取り巻きだけであった。


「うん? 何をしている警備隊! 直ぐに奴を仕留めろ! 行け! 動かんか!」


 だが、バルミンを始め警備隊の者は、誰一人として動かない。


 ギギギギギ! バルミン! 貴様は、私の命令に逆らう気か!?


「ザンバ!」


「はい」


「報酬を倍にしてやる! まずはバルミンをやれ! ただし直ぐに殺すな! 生かしておいて、目の前で部下の警備隊共を一人残らず殺せ!」


「ウォンカ様」


「なんだ!?」


「報酬は3倍でいかがでしょう?」


「こんな時にがめつい奴だ! ええい、分かった! 好きなだけくれてやるから、今直ぐやれ!」


 ウォンカの声が合図となり、バルミンは魔法を使わせまいと自分から仕掛け、間合いを一気に詰めザンバ目がけて剣を振るう!

 だが、その剣は、またしても素手で受け止められてしまう。    


 また素手で! いや、構うな! このまま防御魔法に徹しさせ、攻撃魔法を放つ機会を与えるな!


 加勢しようと動き出す警備に向かって、バルミンは声を上げる。


「お前達は動くな!」 


 たっ、隊長……


 バルミンの波状攻撃に、ザンバは防戦一方になっている。

 そして龍馬には、ウォンカの取り巻きが襲い掛かる!


「キエー!」

「死ねぇ! 私の美しい剣技で、死ぬのだ!」

「おりゃおりゃおりゃ!」


 リョウマ…… 援護したいけど、ま、魔力が……

 

 ゾイはただ、見守るしかなかった。


 奇声を上げながら、前後から一度に襲って来た3人を、龍馬はいとも簡単に斬り裂く!


 何!? 後ろの一人と前の二人が、ほぼ同時に斬られただと!? 

 

 ウォンカは目を見開き、龍馬の技に驚愕する。

 

「北辰一刀流、飛燕返し…… やき」


 リョウマ、強いんだね……


 ゾイは自分の傷口に目を向ける。


 血が…… 傷口から血が止まっている。

 リョウマは……



 何と、何と見事な早業!? 素晴らしい!


 門番のゼガラミも、龍馬の技に驚愕していた。



「ザンバ様!?」


 バルミンと激しい攻防を繰り広げているザンバに、部下が声をかける。


「お前達はあのリョウマとか言う奴をやれ! 行け!」


「はい!」


 三人の冒険者は、龍馬に向かって行く。


 離れるな、攻撃魔法を発動させる余裕を与えるな! 攻めあるのみだ!


 距離を空けようと下がるザンバを追うバルミン。

 常に密着状態に持ち込み、攻撃魔法を封じていたのだが、魔法で剣を受け止めるほど強化されたザンバの拳が、バルミンを襲う!


「ウグッ!」


 いとも簡単に鎧を貫ぬいた拳が、バルミンに致命傷を与えた。


「たっ、隊長!!」


「隊長!」


「もう見てられない! 行くぞ!」


「おう!」


 うぐぐ…… や、やめろ、やめるんだお前達……

 

「にっ、にげ……」


 バルミンには、声を出す力さえ残っていなかった。


 カルミナ…… すまな…… い。ゾイを、守ると、約束したのに……



 一方龍馬は、残りの取り巻きの二人を瞬殺していた。そして、残る一人がウォンカの元に逃げると同時に現れたザンバの部下と既に戦っていた。 


 ……こいちゃーら、あの重そうな武器を、桂さん並みの速さで振ってくるちや。

 どうやりゆーか知らんけんど、人の力の域を超えちゅうき……


 対峙する3人の冒険者は、構えている龍馬を見てある事に気付く。


「うん? 見ろよこいつを!」


「あぁ、俺も気付いている」 

 

「何の話だ? わいにも教えろよ」


「ぶっひひひ、震えてやがるぞ!」


「そうなんだよ。俺達三人相手に中々やると思って、敬意を持ち始めていたのに、こいつビビってやがる」 


「本当だ、震えている」


 龍馬の持つ陸奥守吉行の剣先は、三人の言う通り小刻みに震えている。



 剣先を鶺鴒(セキレイ)の尾の如く…… これが北辰一刀流の流れやき。オンシらに説明しても、分からんろうにゃぁ。

 

「どえー!!」


 肉体強化魔法を発動させ、パワーに物を言わせて大剣や大斧を振り回す三人は、剣先を震わせている龍馬を見て、自信を持って襲い掛かってくる。


 こりゃこしゃんち速いき! 二人の攻撃はかわせても、三人目は……

 

 二人の攻撃を避けた龍馬であったが、三人目の攻撃は、刀で受けざるを得なかった。


「キャリーン!」


 巨大な斧の攻撃を受けた陸奥守吉行は、根本より一尺ほどの所で折れてしまう。


 しもうた! 乙女姉さんから貰った、大切な刀が…… 


「馬鹿者が! 剣を無傷で手に入れろと言っただろう!!」

   

 刀が折れたのを見た三人の冒険者は、チャンスとばかりに、深い踏み込みで龍馬に止めを刺しに来る。


「あー、剣が!?」


 ゼガラミが加勢に向かおうとしたその時。


「おっ、お願い……」


「ゾイ様?」


 お願い、少しだけ、少しだけ回復していて、私の魔力……


 赤い血で染まったゾイの金髪が、まるで風に吹かれた様になびき始める。


「リョーマー、受け取ってぇ!」


 三人の攻撃をかわす為、高く飛んだ龍馬の手に、ゾイから投げられた物がしっかりと握られる。


 こ、これは!? 薙刀やき…… ゾイさん。オラの為に、薙刀まで用意してくれちょったがかえ……


 その薙刀は、槍の先を取り外し、代わりに短い剣を付けただけの粗末な物であったが、龍馬がゾイに説明した通りに作られていた。


 着地を狙って来た三人の攻撃を、受け取った薙刀でいとも簡単に捌くと、その華麗な動きに驚いた三人は、動きを止める。


「槍?」

 

「こいつは本当は槍使いか? 見事な動きだ」  


 ゾイさん…… ほんまに助かるちや。


 威風堂々と薙刀を構えた龍馬は、三人に向けて口を開く。


「ちくと自慢してええかえ?」


「ん?」


「江戸の三大流派の一つ、北辰一刀流長刀兵法目録を、たった三年(みとせ)(もろ)うた日本人坂本龍馬が…… 参るきね!」


「何を訳の分からない事を!」


 そう言って襲い掛かってきた一人を、龍馬はいとも簡単に斬り裂く!


「ぐあぁぁぁ」


「この野郎!」


 なるほど、槍の様に突くのではなく、斬る武器か!? 見切ったなり!


「もう止めちょきや。いくら桂さんばぁ(はよ)うても、その短い武器やと、オラには敵わんきぃ」 


「ぎゃああああ」


「見切っうわぁああああ」


 薙刀を持った龍馬の動きは、水を得た魚の様に鋭く、一瞬で勝負をつけてしまった。


 リョウマ……


「おおおおぉぉ!」


 わっ、私も、この槍の先をあの様に改造しよう! 

 ゼガラミは龍馬の強さに感動して、一瞬でそう決めたのであった。



 さてと、残るがは…… 



 龍馬が向けた視線の先には、バルミンと向かって来た警備隊を倒したザンバが、十分な距離を空けて龍馬を見ていた。


「……」


「強そうながで残っちゅうがは、オンシが最後みたいやねぇ」


「しっ、失礼な! 私もここにいるぞ!」


 一人逃げ帰った取り巻きは、龍馬が一瞥すると、怯えてウォンカの後ろに隠れる。

 

「ヒィー」


 ウォンカはその取り巻きに視線を向ける。


 情けない。直ぐにでも首を撥ねてやりたいが、今はそれよりも……


「ザンバ! よもやお前まで負けはしないだろうな!?」


「ウォンカ様、ご安心を。この距離では、いくら負けたくても、負けようがありません」


 ……あの三人を一人で倒すとは、見事である。

 だが、この距離で私の魔法を回避する術は…… ない!


 ザンバは呪文を唱え始める。


「リョウマ逃げて…… お願い、逃げてぇ」


「さっきも言うたろうゾイさん」


「……」


「オラが来たきもう心配ないきって、そう言うたろう」 


 リョウマ……



 オラは、この世界に来て、近目が治ったがよ。

 ほんで寺田屋で斬られて、動かしにくかった指も、知らん間に治っちゅうし。

 けんど、それだけやないがよ。ゾイさんが死んだ思うちょったのに、自分でもどうやったか知らんけんど、毒を消して、矢で射られた肩も足も治っちゅうし、ほんまに不思議な事ばっかりながよ。

 

「……」


 呪文を唱え終わったザンバは、龍馬に向けて、己の最強火炎魔法を放つ。


「死ねぇ!」


 まるで大木の様な青い炎の塊が、鈍い音を立てながら龍馬を襲う。


「ゴゴゴゴゴゴゴォォォ」


「……」


 見えるき…… あの火の中に、なんか丸いものが見えるがよ。


「そこやきぃ!」


 青い炎に向かって薙刀を振るうと、炎は龍馬を避けるかのように二つに分かれて行く。


「なっ!? なにぃ!?」


 魔法で造り上げた炎を、斬っただと!? そんな馬鹿な!


「馬鹿な事があるかぁ!!」


 左足で地面を蹴った龍馬の身体は、軽々と宙を舞う。


「ほらよぅ!」


 ザンバとの距離を一瞬で詰めるその姿は、まるで空を駆けるユニコーンの様であった。


 ばっ、かな…… 


「うがあああぁ」


 防御魔法ごと、切り裂くとは……


「ドサン」


 斬られたザンバは、その場に崩れ落ちた。



「ひぃ! ひいぃぃー、まっ、負けやがった! おい、逃げるぞ! 馬に乗れ!」


「は、はい! ウォンカ様!」


 倒れたザンバを見たウォンカは、恐怖のあまり馬に乗って正門から外へと逃げ去る。


「うっ…… うおぉぉぉぉ! ザンバに、ザンバに勝ったぞぉ!」


「うわあああああ、よく勝ってくれたぁ!」


 龍馬は、ゆっくりとゾイの元へとやってくる。


「ゾイさん」


「リョウマ……」


 町民が歓喜する中、燃え盛るトエッタの元で、龍馬は優しくゾイを抱き上げる。

 その後二人は、どうする事も出来ないほど、激しく燃え盛る二本のトエッタを見ていた……



 この数時間後、門閥貴族とその警備隊と共に、トエッタを目指していたユンデンの目に、魔獣に襲われ絶命しているウォンカとその取り巻きの姿が映る。

 太陽が昇り明るくなると、門閥貴族の警備隊が見聞を始める。


「これらの足跡に傷跡…… どうやら、間違いなく魔獣にやられているようです」


「そうか…… それなら、これは事故だ」


 ウォンカの死は、門閥貴族のその一言で決着した。



 3日後…… 


「おー、ゼガラミさんやかぁ」


「お邪魔します。まだベッドでお休みの所を申し訳ありません」


 ゾイの傷はまだ癒えておらず、龍馬が付きっきりで看病していた。


 訪ねてきたゼガラミの話によると、ウォンカは魔獣に襲われ死亡した事が確定し、先代領主の弟、ウォンカの叔父が新しい領主になると知らされた。

 その新しい領主から、今回の事はウォンカの死で全てが決着したと布令が先ほど出され、町民やゾイと龍馬、そして命令に逆らった警備隊には、何のお咎めも無く、さらに怪我をした者や、亡くなった者達の家族に対し、手厚い保護が約束された。


「ほうかえ。新しい領主様は、出来た人みたいやね」


「ええ、温厚で大変りっぱな方です」


 龍馬はベッドで横になっているゾイを一瞥すると、少し間を開けて口を開く。


「ゼガラミさん」


「はい」


「その~、バルミンは、どうなったがで?」


「バルミン様は……」


 ゾイと龍馬は、ゼガラミを見つめる。


「昨日、お亡くなりになりました」


 その言葉を聞いたゾイは、無言で顔を逸らした。


「そうかえ……」


「……」


「あの男は、オラを弓で射ったけんど、たぶんわざと肩と脚を狙ったがやないかと思うがよ」


 ゼガラミが、龍馬の意見に同意する。


「……ええ、私もそう思います」


「今となっては分からんけど、たぶん毒の事は知らんかったがやないろうか」


「……」


「そんな気がするがよ。あいちゃーは、あいちゃーなりに、ゾイさんをずっと守りよったがよ」


「……」


 しばらくの間、無言の時間が流れ、ゼガラミが何かを思い出したかのように口を開く。


「あ、ゾイ様」


「……はい」


「後で正式な使者が訪ねて来ると思いますが、税は以前と同じに戻るそうです」


「そうですか……」 


「今までウォンカに課税されていた分も、返して貰えるらしいです」


「……」


 そう聞かされても、ゾイに笑顔は無い。


 

 その日の夜。


「ゾイさん、食欲はあるかえ?」


「……少しなら」


「そりゃ良かった。あそこの女将にカツオの煮物を作って(もろ)うたきんねぇ。ちょっと起きとうせ」


 龍馬はゆっくりとゾイの上半身を起こす。


「大丈夫かえ?」


「うん」


「まだ熱いきね、フーフーしてから食べよ」


 そう言って、スプーンですくったカツオの身とスープをゾイの口元に持ってゆく。


「……リョウマがふうふうしてくれる?」


「うん、全然するきねぇ。フーフー。どうで、熱うないかえ?」


「うん、大丈夫」


「フゥーフゥーフゥー」


 龍馬が冷ましたカツオの煮物を、ゾイはゆっくりと口に入れる。


「美味しいかえ?」


「うん、美味しい」


 ゾイはもぐもぐと口を動かし、ゆっくりと飲み込む。


「まだ食べれるかえ?」


「うん、あと一口だけ」


「フー、フー。はい」


「……ありがとう」


 食事も終わり、後片付けをしていた龍馬を、ゾイが呼ぶ。


「リョウマ……」


「どういたでゾイさん?」


「そこに座って」


「はいよ」


 ベッドのすぐ横に座った龍馬の瞳を、ゾイは見詰める。


「ねぇ」


「なんで?」


「リョウマの世界の話を聞かせてくれる?」


「おー、そんな事かえ? 全然聞かせるきねぇ。どんな事を聞きたいがで?」


「ニホンのトサって所に、リョウマは住んでいたのよね」


「覚えちょってくれたがかえ? おーの、嬉しいちや!」


「ふふ」


「ええと、何処まで話したがやったっけ? ハゲをごまかす為に考えたチョンマゲっていう髪型をした武士いうががおる言うた話も覚えちゅうかえ?」


「うふ、その話、忘れられない。うふふ」


「それやったら、オラの故郷の話をしようかね?」


「うん」


「土佐の(もん)はね、気が短こうて、喧嘩ぱようて、口が悪うて、おしゃべりと遊びが好きで、いっつも酒ばっかり飲んでねぇ……」


 そう話していた龍馬の口が、突然閉じてしまった。


「どうしたの?」


「こりゃいかん! ええところが一つも無いみたいに聞こえるやか!?」


「うふ、ふふふ」


「いや~、説明が難しいけんどねぇ、そんなが(・・・・)ばっかりやけんど、心は綺麗ながよ」


「うふふ、大丈夫。リョウマを見ていたら分かるよ」


「ほうかえ、そりゃ一安心やき」


「リョウマに兄弟はいたの?」


「オラにはね、権平と千鶴っていうて、年がいっぱい離れた兄上と姉上とね、栄姉さんに乙女姉さんがおったがよ」


「リョウマは末っ子?」


「そうながよ。3つ上の乙女姉さんが、そりゃたまるかいうばぁ身体が大きくて、オラいっつも怒らよったがよ。けんど普段は優しゅうてね、母上が早くに亡くなったき、オラの母親代わりをしてくれたがね」


「うふ。会ってみたいな…… リョウマのお姉さんに」


「オラもゾイさんに会わせたいがよ。けんどそれやったら、乙女姉さんが死なんと会う事が出来んがよねぇ。うーん、複雑な心境やねぇ」


 リョウマ…… リョウマは本当に違う世界から……


「それでね、ある時オラが寝小便をしてね、布団をびしゃびしゃにしてしもうてね」


「うふふふ、それで?」


「ほいたら、たまるかいうばぁ、怖い顔で乙女姉さんが来たき、オラは寝小便したままの着物で飛び逃げてねぇ」


「うふ、うふふふふ」


「追いかけられたき逃げよったら、それで家中に小便をまき散らしてしもうて、権平兄さんもオラを追いかけてきてね」


「うふふふ、お腹痛いー」


「ほいたらねぇ……」


 ゾイは龍馬の話を聞きながら、ずっと微笑んでいた。



 その日からさらに三日後……


 ゾイは散歩が出来るほど回復していた。


「リョウマ」


「どいたで?」


「行きたい所があるの。連れて行ってくれる?」


「うん、ゾイさんの行きたい所へ行こうかねぇ」


 二人が、向かった先は……


「ここかえ?」


「うん」 


 そこは貴族専用の墓地で、バルミンの眠る場所であった。


「ゾイさん」


「……どうしたの?」


「オラは遠慮しちょくき、二人きりで会ってきいや」


「……うん」

 

 ゾイは一人で、バルミンの元へ歩いて行った。 


 バルミン…… オンシがザンバとかいうがと、戦って時間を稼いでくれたお陰で、オラはゾイさんを守る事が出来たがよ。

 オンシみたいな生き方をするがは、オラの世界にもいっぱいおってにゃ、忠義と本心との狭間で、こしゃんち苦しんだがやろ……

 オラは誰もがそんな思いをせんでもえいように、古い体制を壊して、みんなが好きなように選択出来る世の中を作ろうと、奔走しよったがやけんど、その前に夢半ばで死んでしもうたがよ。

 オンシもオラみたいに、別の世界で生まれ変わっちょったら、今度は自分の心のまま、好きなように生きていきや。にゃ……

 


 帰り道に、ゾイが呟く。 


「私はね、バルミンの事を、もう一人の兄だと思っていたの」


「ほうかえ……」


「カルミナ兄さんと、同じぐらい優しくて、同じぐらい好きだった……」


「……」


「だけど、お互い、先祖から受け継がれたものを守る事が足枷となり、自分の思うまま素直に生きる事が出来なくなってしまった。私本当は、何もかも捨てて、昔にみたいに戻りたかった……」


「バルミンも、同じ気持ちやったと思うき」


「……うん。私も結局、捨てる事は出来なかった。それをしてしまうと、父や母、そして兄までも否定する事になりそうな気がして…… だから、これからも……」


「うん…… そうかえ」


 二人が畑に寄り道すると、燃えて真っ黒な炭になったトエッタの木が、倒れることなく立っていた。そんなトエッタを、ゾイは無言で見詰めている。


「……」


 ごめんなさい。私の魔法で燃えてしまって、本当にごめんなさい。


「畑に入ってみるかえゾイさん」


「……うん」


 真下からトエッタを見上げているゾイと違い、龍馬は足元の根を見ていた。


「うーん……」


「どうしたの、リョウマ?」


「うーん、上手く説明できんけんど、オラこの木は死んだとは思えんがよ」


「……え? けど、次の日までずっと燃えてて、自然に鎮火するまで、誰も手が出せなかったって……」


「うーん、確かに真っ黒で葉も実も全部焼けてしもうたがやけど、どういてそんな感じがするがやろう? 自分でも不思議ながよ~」


 そう口にする龍馬を、ゾイは見詰めている。


「……リョウマ」


「ん?」


「リョウマは、自分が魔法を使えることに気付いているの?」


「オラが魔法?」


「うん」


「いやいやいや、全然そんなことないき。見よりよ」


 そう言った龍馬は手を伸ばし、ゾイの真似をして風を起こそうとする。 


「ほらぁ、全然風が吹かんろう?」


 その言葉で、ゾイは笑みを浮かべる。


「魔法はね、人によって使える魔法が決まってたりするの」


「ふーん、じゃあオラの魔法ち、なんながやろ?」


「たぶんリョウマは、魔獣を操れる」


「饅頭を……」


 長次郎みたいになってしもうたにゃ。


「それと、怪我を治せる」


「怪我を、治せる?」


「そう。あの日、龍馬が現れて、私を抱きしめてくれた後、傷口の出血が止まって、身体が楽になっていったの……」


「……」


「そのお陰で魔力が少し回復して、アイテムBOXを開くことが出来たの」


「あいてえむぼっくすんを……」


「そう。たぶんリョウマも、頑張れば使えるはずだよ」


「オラが? あいていむぼっくすんを?」


「うん。私が今日から教えてあげる」


 私は…… あの時リョウマが死んでいると思っていた。だけど本当は、生命維持を最小限にして、他の全ての力を治癒に回していたのね……


 笑顔をリョウマに向けた後、ゾイは再び真っ黒なトエッタに目を向けた。


 税が戻ってきたら、しばらくはお金に困らないけど、それが尽きたらどうしよう。

 私の魔法で、出来る商売を考えておかないと……

 けど、リョウマがそばに居てくれるなら、お金なんてどうでもいい。あの家にリョウマさえ、いてくれれば……


  

 次の日、ゾイが返却される税金の事で、迎えに来た馬車に乗って領主の元へ訪ねている時、ユンデンが留守番をしている龍馬の元を訪れる。  


「ユンデンさん!」


「リョウマさん! よくご無事で! 会いたかったです!」


「ゾイさんは、新しい領主様の迎えが来て出かけておらんけんど、どうぞ、どうぞ入ってやぁ」


「失礼します」


 ユンデンにハーブティを淹れた龍馬が、リビングに戻ってきた。


「ユンデンさん」


「はい……」


「門番のゼガラミさんから聞いたがよ」


「……」


「オラとゾイさんの為に、門閥貴族様いうがを動かしてくれて」


「……」


「そのせいで、ユンデンさんの財産がほとんど無くなったち…… ほんまかえ?」


「……い、いいえ、それはいささか大げさな話でありまして」


 龍馬は、ユンデンの表情から嘘を見抜いていた。


「ユンデンさん」


「はい!?」


「ほんまの事を教えてくれんかえ?」


 俯いたユンデンは、重い口を開く。


「実は…… その話は本当でして……」


「やっぱりかえ……」


「今日までここにこれなかったのは、その…… 門閥貴族様にお約束した通り、私の財産をお渡しする為に、色々と処分しておりましたので……」


「うーん……」


「あの……」


「うん?」


「ゾイ様はこのことを……」


「うん、もう知っちゅう」


「そうですか…… 責任を感じられると思い、知られたくなかったのですが……」


「うーん……」


「トエッタが燃えてしまった事で、門閥貴族様との縁も切れてしまいますが、裸一貫から商売をしたいと思っております。逆に身軽になって好きな事をして生きて行きますよ! ですので、ゾイ様が責任を感じる事がない様、リョウマさんから上手くお伝えしていただけないでしょうか?」


「会わんと帰るつもりかえ?」


「ええ…… 知られているのなら、お優しいゾイ様のお気持ちを考えると……」


「うーん……」


 無言の時間が、しばらくの間続いた後、龍馬が口を開く。


「ユンデンさん」


「はい」


「ちょっと散歩にいかんかえ?」


「散歩に…… ですか?」


 乗り気でないユンデンを、半場強引に龍馬が連れて向かった先は…… ゾイの畑であった。

 真っ黒になっても倒れることなく、同じ場所に立っている二本のトエッタを見たユンデンは、ガッカリと肩を落とす。


「あー、さっき通りかかった時は、見る事が出来ずに目を背けていましたが、あの美しかったトエッタの木が、こんなに、こんなになってしまうなんて…… 頭が、頭がおかしくなりそうです」


「うーん……」


 龍馬は畑に入ると、焼け残った野菜を一本抜いて、肩を落とすユンデンの元へ戻って来た。


「ユンデンさん」


「……なんでしょう?」


「これを見てくれんかえ?」


 顔を上げたユンデンの目に、龍馬の持っている人参が映る。


「……サン人参ですな」


「これをオンシのところでは、いくらで仕入れていくらで卸ゆがで?」


「そうですね…… その人参はほぼ扱っていないのですが、だいたい…… 一箱あたり、1000ケキで仕入れて、卸は1010から、良くても1030ケキってとこでしょうかね。何処でも育つので、稼ぎは出ませんよ」


「ほう~、一箱1000ケキねぇ。ほいたらこれは、ん~、そうやにゃ~。3倍…… いや、5倍の5000ケキでどうやろかにゃ?」


「……はぁ?」


「いや、やきこの人参を、一箱あたり5000ケキで仕入れてくれんかえ? 勿論ユンデンさんにしか売らんきね。と、いうことは、オンシの独占になるがよ!」


「……はぁ?」


「5000ケキで、仕入れて、あとはユンデンさんの好きな値段で売ってかまんきね」


 ……いったいどうしたというのだリョウマさんは!?

 噂では、この人はあの日一度死んでいたと聞いていたが、そんな馬鹿な話は無いと思っていたけど、どうやら死んだというのは、頭がおかしくなった事の比喩だったのか?


「ちょっとこっちへ来てみいや」


 わっ、私に、なっ、何をするつもりだ!?


 強張った顔のユンデンを連れて、畑の中に再び入って行く龍馬。


「ほら、足元を見てみいや」


 ……どうして、足元を見ないといけないのだ? 私の視線を操作して何を……


 ユンデンは警戒して、何も目に入っていない。


「ほら、今度は見上げてみいや」


「……え?」


 ユンデンは頭がおかしくなったと思っている龍馬が怖くて、形だけでもと、言われた通りトエッタの木を見上げる。


「真っ黒になったトエッタから、(すす)が畑に落ちゆーろ?」


「……はい」


「ほんで足元には、焼け落ちて真っ黒になったトエッタの枝や根があるろう?」


「……はぁ」


「つまりこの人参は、こしゃんち珍しい、このトエッタの炭を肥料として採れた人参ながよ」


「……あっ!?」


 どうやら、分かったみたいやね……


「つまり、そんじょそこらの人参とは訳がちがうがよ。オンシの客の中には、他とは違う物を欲しがる金持ちがおる言うてなかったかえ?」


「ええ、確かに言ってました! いや、居るとかでなく、そういうお客様ばかりです!」


 こっ、これは、確かに売れる! だけど、この小さい畑では、いくら30日で収穫出来るとはいえ、数に限りが……


「それにねぇ、ユンデンさん」


「なっ、なんでしょう!?」


 龍馬はユンデンの耳元で囁く。


「他で採れた野菜をここに持ってきて、一日だけでもかまんき植えるがよ」


「えっ?」


「ほいたらその野菜も、1日でもトエッタを肥料として育った野菜になるがやないかえ?」


「……あぁー!?」


「まぁ、それはちょっとだけにしちょきよ」


 そう言うと、龍馬は肘でツンツンとユンデンの脇腹を小突く。

 ユンデンは、遠くを見る様な目をして、ワナワナと震えている。


「ゾッ、ゾイ様! 今すぐ私と契約して下さーい! あなたの畑で取れる野菜は、私が全て5倍、いや10倍、いいえ、言い値で買い取りますから!!」


 大声でそう喚きながら、ゾイの家の方角に駆けて行った。


「いやいや、まだゾイさんが帰って来てるか分からんのに、気が早いきぃ」

 

 ふっ、けんど良かったちや。これで、ゾイさんもユンデンさんも、金に困ることはないろう……

 この町もそうよ。このトエッタの煤が、風に吹かれて町中に振りゆーとなったら、野菜だけやなくて、色々な物がええ値で売れるろう。


 龍馬は、燃えて真っ黒になっている二本のトエッタに目を向けた。

 

 オンシはにゃ、そんなになっても、これからもずうっとゾイさんを、この町を、守っていけるきにゃ。安心しいや……


 龍馬は、二本のトエッタを感慨深げに見上げていた。



 その後、一人で家に戻っている途中、龍馬は見た事がある男とすれ違う。その男は、龍馬と目が合うと、微笑んで頷いた。


 ……ありゃ? どっかで見た事あるがよ、誰やったかにゃ?


 家に着くと、ゾイは既に戻って来ており、ユンデンが先ほどの話を興奮しながら語っていた。

 だが、その話を聞くゾイに笑顔はなく、逆に悲しげな表情に、龍馬は見えていたのだった。




 その日の夜。


「コンコン」


「リョウマ……」


「あ、ゾイさん」


「ユンデンさんの件、助かりました。本当にありがとう……」


「いやいやいや、あれはユンデンさんとトエッタを見よったら、二人で思いついたがよ」


「そうなの……」 


 龍馬はそう言っているが、ユンデンから龍馬のアイデアだと聞かされており、ゾイは知っていた。


「まぁ、兎に角、これでゾイさんもユンデンさんも、お金に困ることは無いろう。だからユンデンさんの事は気にせんでえいきね。一からまた商売ができるって、逆に喜んじょったきねぇ」


 その言葉を聞いても、ゾイは悲しそうな顔をして俯き、明らかに様子がおかしい。


「……どいたがで、ゾイさん?」


「私には…… 結果が見えているの」


「……なんので?」


 ゾイは突然、大粒の涙を流し始める。


「ゾ、ゾイさん?」


「リョウマがどうするのか、結果が見えているの。だけど…… だけど私は…… 出会った時からずっと自分を偽っていた。リョウマに対して、偉そうな言葉使いで話しかけて、そんな自分が嫌で嫌で、だからもうこれ以上、リョウマに嘘をつきたくないの」


「どっ、ほんまに…… どういたがで?」


 泣きながら背を向けて何処かに消えたゾイは、手に何かを持って戻って来た。


「そっ、それは!?」


 ゾイの手には、二本の刀が握られている。


「そ、その刀!?」


 龍馬は駆け寄り、ゾイの持っている刀を手に取る。


 こ、これは!? 間違いないき! アギ(武市半平太)の、アギの刀やき!!


「ゾ、ゾイさん! どういたがでこれ!?」


「……領主様の所から私が戻ってきた時、門番のジュラが家の前で待っていて、もしかしたら、リョウマに関係のある持ち物ではないのかって」


 門番…… あっ!? あのすれ(ちご)うた男は、最初この町に来た時、オラの刀をずっと見よった門番やき!

 どっかで見た事あると思うたはずよ……


「話では、かなり前に浜辺で拾って、ずっと持っていたみたい」


 浜辺で…… 


「ジュラさんがいうには、その刀を拾ったしばらく後、変な服を着て、リョウマが言っていたチョンマゲの様な髪型をした者が、船に拾われてそのままラバネン王国に渡ったと。そんな噂を聞いたって……」


 アギ…… オンシも!? オンシもこの世界に来ちょったがかえ……


「うぅぅ、うわぁぁぁぁん」


 ゾイは大声で泣いて、その場に膝をつく。


 ゾイさん…… 教えてくれて、ほんまに、ありがとう……




 20日後……


「ザザザァー、ザザァ、ザザザァー」


「おぉ~、海や! 海ちや!」


 潮風が心地よく吹く中、美しい金髪をなびかせているゾイと、龍馬は並んで海を眺めている。


「……リョウマの世界にも、同じ様な海があるのよね」


「うんうん、あるがよ。この海は、土佐の海と同じぐらい綺麗な海やき」


「そう……」


 返事をしたゾイは、アイテムBOXから何かを取り出した。


「ん? なんでそりゃ?」


「町が龍馬の為に発行してくれたの。トエッタの町人である証明書よ」


「証明書……」


「これがあれば、どこの国に行っても身分が保証される。私が生まれ育った町と、同じ町の人だと……」


「おお、たまるかそりゃ!」


「リョウマの名前は、リョウマ・トエッタ・サカモト」


 トエッタ…… ゾイさんと、ゾイさんと同じ……


 ゾイは証明書を龍馬に手渡す。 


「……ゾイさん、こんな事までしてもろうて、オラ…… ほんまに嬉しいちや」


 だが、証明書を渡したゾイに笑顔はない。

 ゾイのその表情を見た龍馬も、思わず笑みが消え去る。

 しんみりとした二人が、言葉も交わさず歩くこと数分。

 小高い丘を登りきると桟橋が見える。


「……リョウマ、船が見えて来たよ」


「えっ!? ほっ、ほんまちや!」


 船を見た途端、桟橋に駆け寄る龍馬。


「うーわー! たまるかこりゃ!? 帆船かえ!? いろは丸と同じばぁでかいにゃー!」


 まるで子供の様にはしゃぐ龍馬を見ながら、その視界に帆船が一緒に映ると、別れを強く感じたゾイは、淋しそうな表情を浮かべる。


「オンシは船員かえ!? オラ、龍馬・トエッタ・坂本いうがよ! よろしゅうににゃ! 困った事があったら、何でもオラに言うてよ! ここだけの話やけどにゃ、オラ船が扱えるがよ。船長やれ言うがやったら、いつでもやっちゃおきね。うひょ」


 誰にでも気軽に話しかける龍馬を見て、初めて出会った時を思い出したゾイは、悲し気な表情の中にも、薄っすらと笑みを浮かべる。

 それに気づいた龍馬がゾイに近付く。


「ゾイさん……」


「なに……」


 龍馬は、アイテムBOXから折れてしまった陸奥守吉行を取り出す。


「これを、もうろうてくれんかえ?」


「でも…… これは出会った時に、大切な刀だと、言っていたじゃない……」


「うん、そう言いよったし、折れてしもたけんど、今もその気持ちは変わらんで」


「……」


「だからこそ、ゾイさんにもろうて欲しいがよ」


 ……リョウマ


 ゾイは、陸奥守吉行を受け取り、しっかりと胸に抱く。


 それを見た龍馬は、ゾイに右手を差し出す。

 その差し出された手を、ゾイは不思議そうに見つめている。


「ゾイさんも、オラと同じ様に右手を出してくれるかえ」


 そう言われ、ゆっくりと右手を差し出すと、その手を龍馬が強く握りしめる。


「こりゃね、シェイクハンドって言うがよ!」


「シェイク、ハンド……」


「そう。初めておうた者同士が仲良くなるためのあいさつやきね。それとね、離れ離れになる者同士が、また会える為のおまじないも兼ねちゅうがよ」


「また…… 会える……」


「うん、そうながよ」


 俯いて、龍馬の手と重なった自分の手を見ていたゾイは、顔を上げて潤んだ瞳を龍馬の瞳と合わせたその時。


「就航の時間でーす。直ぐに小舟にお乗りくださーい」 


「……ほんならね、ゾイさん。こしゃんち、世話になったねぇ」


 真っ直ぐな龍馬の瞳を見つめていたゾイは、淋しさのあまり、何も言葉が出てこない。


 繋いでいた手を放し、小舟に乗り込む龍馬。


 少し沖に停泊している帆船に乗り込み、甲板から身を乗り出してゾイを見つめる。

 ゾイもまた、そんな龍馬を桟橋から見つめていた。


「錨を上げて帆を降ろせぇ!」

 

 船長の掛け声の後、風を捉えた帆船がゆっくり動き始めると、ゾイの足は、自然と船を追って桟橋を歩き始める。

 龍馬もまた、動き始めた船の甲板を、少しでもゾイに近づこうと歩く。


「……リョウマ!」

「ゾイさん!」


「シェイクハンドしたから、きっとまた会えるよね?」


「うん、また会えるきね!」


「待ってるから! リョウマが戻ってくる日を、私はずっと待っているから」


「アギを見つけたら、必ずゾイさんの所へ戻ってくるきね! それまで、それまで元気でねぇ!」


「リョウマ!」

「ゾイさーん!」


 二人の声が波と風の音にかき消され届かなくなっても、互いの姿が小さく小さくなって見えなくなっても、二人はしばらくの間見つめあっていた。


 ゾイさん、必ず、必ず戻ってくるきね……


 甲板を歩いて船首に移動した龍馬に、大きな波が船に当たり砕けたしぶきが降りそそぐ。


 アギ、待ちよりよ。今からオンシに会いに行くきにゃ!

 オラ、アギにおうたら、謝らんといかん事があるがよ。


 ほんで今度こそ、今度こそ一緒に…… にゃぁ、アギ……


「待ちよりよぉー、アギー」



 龍馬がトエッタの町から去って30日後。

 ゾイが畑に訪れると、二本のトエッタの根が交差している所から、小さな小さな芽が二つ、まるでシェイクハンドをしているかの様に、重なって生えていた。



  坂本龍馬異世界へ行く トエッタ編 完  



 ※注1

 江戸末期の土佐では、一人称をオラ、二人称をオンシと言っていた。昭和まで生き、土佐勤王党にも参加していた田中光顕の談話を引用。


 ※注2

 小説やドラマなどでは、栄姉に貰った事になっている陸奥守吉行だが、出戻りの姉が龍馬に刀を渡したと記述が残っており、栄とは書かれておらず、同じ様に乙女姉も出戻りである。龍馬に刀を渡したのは乙女姉の可能性が高いと言われている説を引用。


 ※注3 はちきんとは、男勝りな女性の事。

 

 ※注4 坂本家の子孫に龍馬の刀と受け継がれ、本物と認定された陸奥守吉行に銘は入っていない。


 ※注5

 龍馬の誕生日と死亡日には諸説あるが、妻のお龍さんが言い残した説を引用。


 ※注6

 龍馬の時代の土佐犬は、別名四国犬とも呼ばれ、現在の土佐犬とは全く別物である。



 坂本龍馬の剣術について 


 龍馬が通った道場。

 ①日根野道場

 ②桶町千葉道場

 

 現在までに現存しているのは、北辰一刀流長刀兵法目録(薙刀の初目録)のみで、剣術の目録ではないとのこと。だが、例え薙刀の初目録とはいえ、僅か三年弱で三大流派の一つ、北辰一刀流の初目録を授かるのは、並の剣客以上であることは明白。

 土佐では小栗流和兵法事目録、小栗流和兵法十二箇条兼二十五箇条(中目録)、小栗流和兵法三箇条(免許皆伝)を若くして授り、土佐藩から江戸への剣術修行を許可されているという事は、土佐の代表の一人と言っても過言ではない。体面を気にする当時の事情を考慮すれば、坂本龍馬がそれなりの剣客だったのは、疑いようのない事実である。



 方言について。


 この小説では、土佐弁に強く拘りました。多くの方に知られている「ぜよ」という語尾についてですが、今回は一度たりとも「ぜよ」という方言は出てきておりません。

 「ぜよ」という方言は、東西に長い高知県の、西部の極々一部の地域と、愛媛県の極々一部の地域のみで使われている方言で、高知中部出身の坂本龍馬や、東部出身の中岡慎太郎が使っていた可能性はほぼほぼないそうです。土佐弁の監修をして頂いた方によると、高知中部の方々が使う冗談に、こういうのがあると聞きました。


「ぜよぜよ言うたりするがに、おうた事ないぜよ」


 

 最後までお読み下さり、誠にありがとうございました。

 不定期掲載ですが、坂本龍馬異世界へ行くの続きを、是非書きたいと思っております。




 龍馬が船でトエッタを去ってから、数年後……

 ここはゾイと龍馬が初めて出会った街道近く。

 草むらで用を足していた者の目に、何やら赤黒い不思議な物が目に映る。


「……」  


 用を足し終わったその者は、それを拾い上げて土を落とし、じっくりと観察する。


 これは…… 間違いない、ピストール……


「……そうかえ。オンシも来ちゅうがかえ、龍馬!」


 

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