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石と誰かの物語

お母さんったら

作者: 河 美子

石と誰かの物語です。

 この寒い日に朝から電話。

「律子さん、悪いけどあのいつもの羊羹買ってきてくれる?」

「お母さん、今日は雪が降っていて足元が悪いから明日ではいけませんか?」

「そうだけど、今日はお茶の友だちが来るのよ。一本お願いするわ」

「わかりました。お昼までにはお届けします」

 その返事を聞くまでもなく電話は切れた。

 私は専業主婦だけど、暇ではないのよ。これからまひろを予防注射に連れて行く予定だってあるし、二歳児を留守番させるわけにもいかないし、しかも外は雪がちらついてるわよ。言ってやりたい。

「てめえで買いに行きやがれ!」って。

 口が裂けても言えないわ。お母さんはいい人よ。そう世間的には。お茶もお花も嗜んで。話せば楽しいことも多い。でも、人使いが荒い。特に私には。働いていないという理由で。だって、まひろを預かってくれる保育園はない。そう、また落ちたのよ。だからと言って、姑に預けることは私の選択肢にはない。

 一度、夫婦でノロウイルスにやられて、姑に一晩預かってもらった。その翌日迎えに行くと、まひろは泣きはらした目で眉間にこぶ。

「階段から落ちちゃったのよ」

「え?」

「だって階段上りたがるでしょ。私の手を払いのけてひとりでのぼるってきかないの。すぐ下で見てたんだけど靴下ですべっちゃって。でも、一段だけよすべったのは」

 そんな……。階段から落ちたという事実が許せない。しかも、おやつはこの甘いチョコレートやポテトチップスらしい。

「ごはんをあまり食べないからお菓子を食べたのよ、ねえ」

 まひろはすっかりスナックの塩味に魅せられてる。

 別にあげない訳ではないけど、私だってお子様用は買うこともある。でもね、こんなに大きな袋を渡すことはないわ。

「ありがとうございました」

 礼を言いながら、頭には血が上る。

 ノロにやられた体にまひろの塩味たっぷりの頬がたまらない。

 夫に話すと、げらげら笑いながら額のこぶは立派な子どもの勲章だと頭をなでている。

 そうよ、確かに子どもは元気に育ってほしいけど、傷はつけないでほしいのよ。


 あ、羊羹、買いに行かなきゃ。一度近所の羊羹が美味しいからお土産に持って行ったのが事の始まり。

「律子さん、これ最高よ。お友だちにも食べさせてあげたいわ」

 それ以来、誰か来るときには必ずこの羊羹が必要となった。舅は夫が子どものころに交通事故で亡くなった。それから母が公務員を早期退職するまで一人息子を育ててきた。私たちの結婚にも喜んでくれて同居などしないと言い切った。夫は心配そうだったが、母はあっけらかんとしていた。

「やっと、あの子も独り立ちね。よろしく頼むわ」


 私の友だちはみんな姑のことを羨ましがる。

「あんなあっさりしたお母さん、本当にいいわよ。お菓子ぐらい買ったげなさい」

「そうだけど」

「律子、私のところなんて毎日電話してくるわよ。旦那を相変わらずぼくちゃんって言うし」

「それはいやね」


 そうか、羊羹ぐらい買うか。寒いけど。予防注射は後日にしよう。まひろは長靴を用意するとけたたましい笑い声で外に出られると喜んでいる。車はなかなか暖まらない。老舗の店には客がゼロ。

「いらっしゃいませ」

 栗羊羹を家用と母とに二本買う。

「こんな寒い日にありがとうございます。このどらやきを息子さんにどうぞ」

「ありがとう」

 まひろは嬉しそうに礼をする。

「え、売り物をいただいていいんですか」

「ええ、今日初めてのお客さんですから。寒いから誰も来てくれそうもないって主人と話してたんです」

 まひろはもう食べると言ってきかない。優しい奥さんはまひろの袋を切ってくれた。

「おいしい?」

 頷きながら黙々と食べるまひろ。

 車に乗せると、五分も経たないうちに寝る。

「お母さん、律子です。こんにちは」

 部屋に入ると、母が顔中包帯。

「どうしたんですか、その包帯」

「昨日、自転車で転んじゃって。派手に転んだから救急車を呼ばれちゃって」

「痛いでしょう」

「痛いより恥ずかしいわよ。鼻から転んじゃって。でも鼻が低いから折れなかったのよ」

 アイタタと言いながら笑う母。顔はひどい擦り傷状態。縫うほどではないけど血だらけになったらしい。まひろは驚いて言葉もなく怯えてる。

「悪いわね、寒いのに。でも、この顔を見に悪友が来るって言うから。買いに行けないし」

「いいんですよ、話してくれればよかったのに。そうしたらもっと夕飯の用意もしてきたのに」

「いいの、悪友たちがお鍋するから。それに、ほら、手は使えるから。そうそう、律子さん、ちょっと先だけど誕生日のお祝い」

 手には小さな箱。あけると、ブローチ。黒い水牛の台にローズクオーツが付いている。

「軽いでしょ、帯どめにもなるの。軽いからスカーフにも付けれるわ」

「ありがとうございます。素敵ですねえ」

「昨日、出来上がったから取りに来てって、もらいに行ってこの始末」

「ああ、お母さん。ごめんなさい。そのために怪我して」

「違うわよ、ただのおっちょこちょいよ」


 帰り道、まひろには箱だけプレゼント。私は胸に光るローズクオーツ。

 やっぱり、お母さんはいい人だわ。

 大事にしないと……、ブローチもお母さんも。

 

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