第18話 伝説との対峙
ラヴァールがターニャを倒す電光石火の動きを、ユウトは木々の間からのぞき見ていた。そうしてその場から立ち去った。ギャラリーの歓声も聞こえる中、先ほどのクイ達のように茂みに隠れていた。
まったく恐ろしすぎる。どうしてあんな奴と戦わなきゃいけないんだ? 理不尽すぎる。そんな思いが彼の脳にほとばしっていた。
今日、ラヴァールが伝説の冒険者と呼ばれ、あれほど尊敬される理由を思い知った。頂点の弟子も強者揃いだが、中でもラヴァールは無敵にすら思える。それがわかった以上、わざわざ戦おうとはとても思えない。それに、さっきエクジースティをあれだけ倒したのだから、もう強さは十分証明したはずじゃないのか。どうして、試練などと称して邪魔をするんだ?
ユウトは別の恐れも抱いていた。アキーリの町でラヴァールと初めて出会った時、パフィオに格好つけるためとはいえ、うっかりタメ口を利いてしまったのだ。その件で彼が仕返しにくるのではないだろうか? どうすればいいのだろう。もし彼と戦いになったら、簡単に殺されてしまう。
頂点の弟子もいることだし、敵と遭遇した時のために、一応ユウトは右手に剣を持っているが、頂点の弟子だって強者揃い。変に目をつけられる前に、納めて降参したほうがいいのではないだろうか。特にラヴァールに目をつけられたら大変だ。そう思って剣を鞘に入れようとした時、まさに、最も会いたくない獣の声がした。
「オレの弟子、ユウト」
その声がしたとユウトが思った瞬間には、ラヴァールはユウトとあと十歩ほどの距離まで来ていた。
あまりに素早い接近と、ラヴァールに目をつけられてしまったという焦りでユウトは「うはっ」と息を呑んだ。心臓は高鳴り、一歩も動けない。
「どうした。お前にも資格がある。オレに挑み、勝利を挙げる資格が」ラヴァールの黒い瞳はすべてを見透かしているかのようであった。
「おっ、えっ、俺は、別に戦う気ないです!」ユウトは立ち上がって後ずさり、慌てて剣を納めながら言った。アキーリであんな態度を取ったのになんとも格好悪いが、こんな怪物相手に強く出ても仕方ない。岡山にいた頃、不良に何度も絡まれて理解したことだ。下手に出るしかないだろう。
すると、このユウトの態度を見てか、ラヴァールの目つきが鋭くなる。一歩一歩近づきながら言った。
「お前は戦士。そして、オレの弟子だ。戦いに臨まなくてはならない。その資格を放棄することは許されない」
遠くからギャラリーの声がする。
「やっちまえー!」
「ラヴァール様ー!」
「そんな奴やっつけろー!」
「そいつ弱そうだぞ!!」
あの野次馬にとって、俺はただのやられ役なんだろう――ユウトは思った。そしてその予想は覆せない。覆せるわけがない。
無言のユウトの前までラヴァールは来て、さらに告げる。
「オレの弟子、ユウト。お前には罰が必要だ。戦士でありながら戦いを拒否する者には、挑むことへの価値を理解するまで戦い続けてもらう」
「いや、あの……俺は……」ユウトの手が震える。額に脂汗が浮かんできた。
「さあ、剣を抜け。もし抜かないなら、お前はここで倒れることになる」
ユウトは言われた通り、渋々剣を抜いた。きっとカフやターニャのような目に遭わされるのだろうと覚悟しながら。しかし、ラヴァールは片手斧をユウトに向けるだけで、一切攻撃してこない。代わりにこう言った。
「どうした……なぜ何もしない。お前にはさらなる罰が必要だ」
ラヴァールはユウトが先手を打って仕掛けてくると思っていたのだろう。ターニャじゃあるまいし、そんな馬鹿な真似をするわけがない。しかし、そのせいでさらなる罰を受けるのなら、攻撃する振りくらいしておいてもよかったかな――ユウトは迷いながら、ラヴァールに訴えた。
「いや、いいですよ。別に。俺は、普通の冒険者でいいです」
すると、またすべてを見透かすような瞳をして、ラヴァールは言った。
「お前はその器ではない。オレの弟子、ユウト。お前は大器だ。既に並の冒険者をはるかに超える力を持ったお前が並でいいなどとは、傲慢でしかない」
こんな主張を述べるラヴァールに、ユウトは何も言い返せなかった。納得などできないし逃げたくて仕方ないが、背中を見せればこのイタチはまた罰だとかのたまうのだろう。この伝説の冒険者が何を考えてこんなことを言っているのかはさっぱりわからないし、どうしたらいいのかもわからない。自分の運命が彼に握られているのは確かだった。
その時、女の声がした。
「あっ、ラヴァール様! ご無事でしたか!」
声のしたほうを見て、ユウトはなお一層逃げたくなった。遠くでピンクの塊が、多くの触手を頭上でうねうねさせながら、地面を這ってこちらに近づいてくる。分厚い唇に厚化粧したような目が特徴的。頂点の弟子の中でも特に態度のデカい、ピサンカージやダルムとよく口ゲンカしているあいつだ。尺取虫のように身体をくねらせて地面を進む。そのたびに身体が大きく揺れ、触手も顔もうねうねと乱れ曲がる。ユウトはそれを見て、本当に気持ちが悪いと思った。
ラヴァールはこのイソギンチャクに命じる。
「オレの弟子、ヘリトミネ。ユウトと戦え。決して容赦はするな」
「当然です」ヘリトミネは命令されるのが喜びとばかりに応じた。「このような者、私がすぐに倒してみせます」
そしてラヴァールは、ユウトにまた向き直る。
「オレの弟子、ユウト。ヘリトミネは優れた戦士だが、お前には資格がある。全力をもって、この戦いを制してみせろ」
ユウトは目と口を大きく開け、表情でもって拒否の意を伝えたが、逆にそんなユウトに念押しするようにラヴァールは付け加えた。
「全力を投じなければ、お前はここで死ぬ。これが、お前への罰だ」
「なんで罰なんですか……」ユウトは恐怖と緊張で固まった喉から、どうにか細い声を絞り出した。
「お前は大器でありながら、戦士として敵に挑む資格すら放棄したのだ。それがいかに傲慢であるかを理解しなければならない。ヘリトミネが今からお前に教えるだろう」
そう言い残してラヴァールは走り去った。残像が残るほどの速さで。ユウトは、ヘリトミネと戦わなくてはならなくなった。
ヘリトミネはもぞもぞと、身体をくねらせながらユウトににじり寄ってくる。ユウトは数歩後退した。
「あら、逃げる気? またラヴァール様に罰を下されるわよ」ヘリトミネはほくそ笑む。
「お前とは嫌だ!」
「あら……」ヘリトミネはユウトの顔を見つめる。「あなた、よく見ると案外悪くないわね」
「あぁ?」
「人間、っていったかしら。可愛い種族ね。私の触手の中で愛でてあげてもいいわ」
「やめろ!」ユウトはさらに後退した。
「あら、残念。それに、私もそんなことはできないわ。だって、ラヴァール様に命令を頂いたんだもの」
そう言うと、ヘリトミネの身体がぶくぶくと膨らんでいった。風船に空気が入っていくようにというよりは、そのイソギンチャクの姿を保ったまま,
2倍のサイズまで拡大していった。
やがて彼女は周囲の木と同じくらいの高さからユウトを見下ろしていた。彼は息を吸い込んだまま、しばらく吐くことも忘れていた。それは、エクジースティの群れとの戦いでも見せなかった姿。下手をすればエクジースティよりも大きい。ユウトを丸呑みしてしまいそうなほどの迫力だ。
「これが私の本気の姿。あなたと全力で戦うわ」
ヘリトミネは言い放つと、触手を彼女の頭の中心に入れ、どこに隠していたのかもわからない武器を次々と取り出した。剣、槍、弓、ハンマー、斧、そして盾も。彼女の触手はただ気持ち悪いだけの飾りではなく、多くの武器を操れる立派な腕だった。
「戦いの中で、愛を語り合いましょう」ヘリトミネはニヤリと笑う。
ユウトは震える手で剣を抜いた。ああ、こんな怪物と戦う日が来ようとは。