第2話 うごめく山
なんだかんだでカフが加わり9人になった一行は、いよいよフォリール山に向かうことになった。プルイーリの町で会ったカニは、宝の山などではないと言ったが、それでも多くの冒険者が向かうというこの山には、少なくとも魔獣はいるのだろう。手ぶらで帰ることはないという期待を胸に、彼らは山の前に広がる草原を進んだ。
山に近づいていくと、一行は異変に気付く。真っ黒いフォリール山は、細かく表面がうごめいているようだった。黒の凹凸が海面のように、あるいはそれ以上にうねっていたのだ。
「なんだ、あれは……」
「すごい! もごもごしてる!」
「気持ち悪い! あんな山があるの?」
ざわつく一行の中で、ユウトだけはぽかんとしていた。何度も瞬きしながら山を見上げるものの、仲間が言っているもごもごした動きがなんなのか、まったくわからない。
「どうしたんですか。ユウトさん」ドーペントが訊いてくれる。
「何がもごもごしてるって?」
「もごもごしてるでしょ? 見えないの?」テテが山を指差す。
「いっぱい、小さいのがゴニョゴニョって動いてるよ」クイも続く。
「小さいのが動いてんの? 俺、視力0.7だしな……」ユウトは目を細めるが、それでもただの黒い山にしか見えない。幼い頃からテレビやゲームなどで目を酷使してきたユウトは、他の者より明確に視力が低かった。
「しりょくですか?」ドーペントが尋ねる。
「れーてんなな?」クイが首を傾げる。
「あんまり、目、よくないんだ」
すると、目がよくないという状態になったこともない仲間のアリーアは、口々にユウトに質問し始める。
「目、よくないって何?」
「目つきが悪いってこと?」
「わあ。ユウト、目つきが悪いの?」
「ユウトさんの目つきは悪くないですよ」
「じゃあ何が悪いんだろう」
ユウトはどう説明していいかわからず、そんなアリーア達の会話を聞いていた。彼らの生活にはテレビやスマホはもちろんのこと、文字すらもない。そしてどうやら、視力低下という概念もないらしい。ユウトは彼らに説明するのが面倒なので黙っていたが、代わりにドーペントが話してくれる。
「そういえばユウトさん、アキーリでも遠くの魔獣があんまり見えなかったりしましたね」
「そうなんだー」
「あんまり見えないって何? 暗いの?」
「いや、ぼやけて見える」ユウトは答える。
「それって、起きたばっかりみたいに?」
「あー、そんな感じ」ユウトは少し面倒そうに答える。
「じゃあ、僕の顔も見えないってこと?」
「そこまでじゃないけど」
ここで、ユウトとアリーア達の会話にカフが偉そうな感じで割り込む。
「お前らさ、何も知らないんだな」
ユウト達は当然ながら、いい反応ではない。
「えっ?」
「何、カフ」
「お前、何を知ってんだよ?」
カフは答える。「フォリール山っていったら、エクジースティの巣だよ。有名なんだけどな」
ユウトの仲間は再度騒然とした。
「何それー!?」
「どういうこと!?」
「エクジースティの巣!?」
「あれ、全部エクジースティってこと!?」
「そうだよ」カフはより得意げになった。「まともな冒険者は、絶対近づかないんだ」
「あのカニの野郎、冒険者はみんなフォリール山に行くって言ってたのに」
「あー。多分、騙されたな。プルイーリの奴らって憂さ晴らしによそから来た奴をハメるのが趣味らしいから」
カフが偉そうにする話に、アリーア達は顔を見合わせる。
「なんでそんな趣味なんだよ。ひどい町に来ちゃったなぁ」
「大変なことになりました。エクジースティの巣だなんて……」
「そうだよ、どうしよう!」
驚く仲間の中で、テテは表情を変えない。
「いや、カフ。あんたが言うこと、あのカニより信用できないんだけど」
「えーっ!! 俺、嘘ついたことないぞ!」
「逆に、本当のこと言う時あんの?」
「えーっ!!」
ミスペンは彼女よりも強い口調でカフに迫った。
「ひとつ教えろ。カフ」
「えっ、何?」
「なぜ、それを今言った?」
「えーっ? うーん……」
カフの答えを待たず、ミスペンはさらに踏み込む。「お前、ここが『まともな冒険者の近づかない』場所と知っていながら、どうしてお前は止めることもしないでここまで一緒に来たんだ?」
「えっ、ハハ……そりゃあ、エクジースティを倒せる人といたほうが、魔晶が手に入りやすいからだって」
「正直だな」
「じゃあ、カフは嘘つきじゃないってことだね!」
「なんだぁー! 嘘つきじゃなかったんだ!」クイはなぜか嬉しそうだ。
「そうだよ。俺、最初から嘘とかつかないし!」
ユウトはカフに近寄っていく。
「お前……」
「えっ、なんだよ。顔が怖いぞ」
「お前、俺がこの世界来た時、俺のこと助けたよな?」
「そうだぞ。だから感謝しろよ」
「レサニーグにいた時、お前、まともな奴だったと思うんだけど。いつから、人のこと普通にハメる奴になったんだよ?」
「ハメてないぞ! うわぁ、ユウト! 勝手なこと言ったな! やっぱりお前、性格悪いぞ!」
「……殺してやろうか……」
ミスペンが止める。「ユウト、今はそれどころじゃない。引き返すぞ」
「えっ、引き返すんですか?」
「あの山全部がエクジースティなら、選択の余地はない。数が多すぎる!」
言われて仲間全員が、改めて山を見た。
「あの山全部って、じゃあ、何匹いるんだろう」
「想像しただけで寒気がする……」
しかしターニャは山を見上げ、むしろ闘志を燃やしている。「逃げる必要なんかないでしょ。魔獣なんか、どれだけいようが……」
「そう言ってティーグロにやられたろう。考えるな、逃げるぞ!」
だが、ユウトはパフィオの前で逃げるなどという選択をしたら、ますます嫌われるということが頭によぎった。
「俺は、勝てると思います」と、彼はつい強がりを言ってしまう。
「駄目だ」ミスペンは厳しい顔つきでこれを却下した。「お前ひとりならいいが、戦えない奴もいる。死人を出すくらいなら生き延びたほうがいい」
ユウトは食い下がろうとしたが、これを止めたのは意外にもパフィオだった。
「本当にそれでいいんですか? ユウトさん。あの山は魔獣さんのおうちなんですよね。わたし、帰ったほうがいいと思います」
「あー、う、えーっと……」
そういえばパフィオは魔獣と戦うのを快く思わない、優しい性格の持ち主だった。しかし、だからといってここで素直に引き下がるのも格好悪い。ユウトが黙っていると、ドーペントが震え声を出す。
「あの……」
「どうしたの、ドーペント」
「皆さん。山が……おかしいです。話してる場合じゃないかもしれないです……」
中腹のあたりを中心に、山の表面はこれまで以上に激しくうごめいていた。そればかりか、これまではなかった波打つ模様までうねうねと発生しているのがユウトにも見えた。真っ黒だった山は、黒と茶色の縞模様を不規則に変化させていた。それは巨大で邪悪な生命体の心臓が拍動しているかのようだった。
「げっ……」
「あれ? 山がすごいゴニョゴニョいってる」
「気持ち悪ーい!」
「しかも、さ……ヤバいことに気づいちゃった」テテが言う。
「テテ、何が見えるの?」
「魔獣、こっち見てる」
「えっ!?」
「ああ……」パフィオは涙目になった。「大変です。怒ってるんです。魔獣さんのおうちに、入っちゃったから……」
「おうち? ここ、外だよ?」クイが首を傾げる。
「そういう意味じゃないでしょ」
ミスペンはそうした会話をよそに、ユウトの名を呼ぶ。
「ユウト」
「はい?」
「エクジースティは、足が速いか?」
「あまり速くないと思うんですけど……」
「なら、こんなところでいつまでも話してないで逃げるぞ!」
「大丈夫じゃないの? ミスペンが精神操作しちゃえば」
「魔獣には精神操作は効かない!」
「えーっ!?」
「エクジースティ、倒したら魔晶いっぱい落とすよ!」
「じゃあ頑張ってやっつけよう!」
気楽な彼らを前に、ミスペンは顔をしかめた。この山の正体を知っていたはずのカフですら、ニコニコと穏やかにしている。どうにかして生き延びなくてはならないが、仲間を説得しきれない場合はひとりで逃げることも視野に入れざるを得ないと考えていた。
「あれっ! ターニャさんがいません!」
ドーペントの声がして、見るとターニャの黒い背中が遠くに見えた。ひとりでさっさと逃げるつもりらしい。
「もう、ターニャ! 逃げるなら言ってからにしてよ!」
「賢い奴だ。我々も逃げる!」
やはり仲間は納得しない。
「ここにはユウトとミスペンと、パフィオがいるんだよ?」
「そうだよ、勝てるよ!」
「帰ったほうが、いいのではないでしょうか……」パフィオは泣きそうな顔をして、ミスペン側についた。
「えー!」
「パフィオ、いっぱい魔晶手に入れるチャンスだよ!」
「いや、でも……」
ミスペンはアリーア達の説得を諦め、パフィオの手を優しく取った。
「パフィオ、行こう」
「あっ、はい」
「ユウト、お前もだ。逃げるぞ」
しかし、ユウトはけろっとした様子で応じる。「いや、でも、エクジースティは俺が5、6回攻撃すれば倒せますし……」
「お前、500回も攻撃する体力があるのか?」ミスペンは少しうんざりして訊く。
「多分……俺は、いけると思います」
「いや、僕は無理だよ!」
「なんでクイが答えてんの、ユウトが全部やっつけたらいい……あーっ!!」
テテの声。振り向くと、背後からもエクジースティの群れが迫っていた。独りで先に逃げたターニャ
も遠くでエクジースティに退路を塞がれ、単身での戦いを強いられていた。
先ほどまで楽勝ムードだったアリーア達だが、近くで見たエクジースティの迫力に圧倒されたのか、急に慌てだす。
「えっ……エクジースティが!」
「うわぁ、こんなにいるよ!」
「でっかーーい!」
「どうしよう! どうしよう!」
ユウトも浮足立っている。
「あいつら、なんですか? 山のエクジースティ、もうこんなに降りてきたんですか!?」
「わからん。山までは距離があったはずだが、いつの間に回り込まれた!?」
ミスペンは真上に手のひらを向ける。仲間全員の前に薄黄色の盾が発生したが、さすがにカフは仲間とは到底いえないので、盾で守るのはやめておいた。そして試しに、エクジースティ達に精神操作を試みたが――やはり意味はなかった。
「カフ! あんた、何か知ってるでしょ」
カフは全身震わせながら、突然背後から現れた敵の正体を話す。「こ……この辺は、森にも、エクジースティがいるんだ!」
「お前、なぜそれを先に言わない!?」ミスペンはいよいよカフへの怒りを隠さなかった。
「でも、だ、だ、大丈夫だろ!? エクジースティを倒したユウトの仲間だったら、楽勝だよな!?」
「嘘つき! 嘘つきのカフ!」
「嘘ついてねぇって!」
「お前のこと、一生嘘つきって呼ぶからなー!」
「なんでだよぉー!」
「あのカニも、何よ! 絶対生き残って文句言ってやる!」
「まったく、間抜けだ。もっとやりようがあったろうに……」ミスペンは自嘲してから、いつになく鋭い指示を飛ばす。「覚悟を決めろ! 敵は密集して対処しろ! 戦いの苦手な仲間をかばえ!」
「皆さん、私が守ります。私の近くに来て下さい」
「よし、パフィオから離れないよ」
「ターニャさんは追いかけますか?」
「忘れろ! 今はここにいる全員が生き延びることを優先するぞ!」