第17話 蛮勇
敵陣に大鎌を振り回しながら突進し、敵を斬り続けるターニャ。勇猛果敢ではあるが、明らかに体力の消耗を考えない無茶な突撃だった。彼女にとっては視界に映る敵をただ殺すことがすべてであり、それを果たす前に倒れるなどあってはならないと思っていた。しいていうならそれに加え、いずれ本当に対峙すべき相手に勝つために強くなること、そしてこの場にいる、彼女を仲間扱いしてくる有象無象に強さを見せつけ、黙らせることも大事だった。
彼女はそうした蛮勇だけで疲労した身体を前進させ、最後まで戦い抜けるほどの力を持ってはいなかった。既にスタミナは切れかけており、何度もめまいを起こしそうになりながら、ティーグロの群れの真ん中でなんとか持ちこたえていた。ミスペンが付与してくれた術の傘はとっくに消えていた。
ここで後方からティーグロが迫る。彼女の弱点はブーツを履いていない足なのだが、魔獣の知能ではそこを攻めるという発想が出てこないのか、敵は彼女の背中の鎧を噛んだ。牙が通らず、カッと音がして滑る。
「うっとうしい、雑魚が!」
大鎌でぐるっと四方を斬りつけるも、別のティーグロがターニャの前から腰鎧に噛みつこうとする。これまた牙が通らない。しかしその直後、彼女の右腕に激痛が。ティーグロが噛みついていた。
「痛たたた!! このっ……!!」
振り払おうとするが、その力も入らなかった。武器を地面に落とし、左腕で押しのける。次の瞬間、自分が無防備になったことに気づいてハッとする。傷を負った右腕に、さらに別のティーグロが迫る。ここまでか――恐怖に襲われた直後。ティーグロの動きが、止まった。
「ううっ……、大丈夫ですか?」女性の声がした。それでターニャは気づく。このスカーロの女がティーグロに抱きつき、その攻撃を止めていたのだ。
「んんっ!」
そして彼女は、バックドロップのように身を反らし、ティーグロを後ろへ投げ飛ばした。ティーグロの身体は半分地面に埋まると、すぐに消えて、代わりに土の掛かった魔晶数個が。
周りのティーグロはパフィオの腕や腰、しっぽに噛みついた。
「きゃあ、やめてくださーい!」
パフィオは敵の攻撃をものともせず、むしろ腕を振り回し、噛みついたティーグロをハンマーのように使って、ターニャを襲う敵を打ち飛ばした。脚や身体に組み付いたティーグロも、走って直接ターニャの周囲の敵にぶつけていく。
その様を、ターニャは動けずにただ見ていた。
アキーリを出発するまで、ターニャはパフィオを、大きいだけで何の役にも立たない女だと思い込んでいた。それが、先ほどの移動中に足の速さと腕力を見せつけられただけでなく、ここでは戦闘力に度肝を抜かれることになったのだ。まさか、二度も助けられるとは。
受け入れられなかった。ターニャの脳裏に色濃く浮かんだのは、『化け物』という言葉だった。危険すぎる。こんな、人間ではとても太刀打ちできない化け物が、異世界にはいるのか。パフィオはただ腕を振り回したり走ったりという、攻撃とすら思えない動きだけで、ターニャの周囲に10匹以上いたティーグロを全滅させてしまった。
しかし戦いが終わったわけではない。ユウトやドーペントの近くから、手負いのターニャめがけて敵が走ってくる。危ないと思ったところでティーグロへ火の玉が飛んでいき、焼き尽くした。
「ターニャ! 一旦下がれ!」
ミスペンが走ってくる。横にテテもいた。ターニャはその場に座り込み、泣き出した。
「うぅぅ……なんで。ほっといてくれりゃいいのに!」
「素直じゃないな」
言いながらミスペンは周囲を見る。まだティーグロは残っているが、ユウト達が遠くで相手してくれているらしく、付近にはいない。治療する余裕はありそうだ。ターニャの傷は深く、血がどくどくと流れ出ている。
「うわぁ、だいぶやられたね。軟膏つけようか?」テテは心配そうに見ている。
「私が回復しよう」
ミスペンはターニャの右腕の傷に左手をかざし、回復術を掛けた。しかし出血は簡単には止まらない。
「やっぱり軟膏要るかな」
テテはどこかから小さな黒い壺を出した。あの、アキーリの家にあった大きな黒い壺をそのまま手のひらサイズに縮小したような見た目をしている。
「それが軟膏か?」
「そうよ。あんたにも塗ってあげたでしょ」
ミスペンは壺の中にあるものを見た。中には爽やかなブルーの軟膏がたくさん入っている。
「これが、軟膏か? こんな色をしてたのか」
「あれ? 気づかなかった?」
テテは壺に手を突っ込み、青い軟膏をべったりつけた。
「ちょっと、何する気? 変なの塗らないで!」
ターニャが拒むのも聞かぬ振りで、テテはこの軟膏をターニャの患部に手で大量に塗りたくった。
「痛たたたっ、何するの!! 何、これ! やめて!」
「塗れば早く治るらしいぞ」
「らしい、じゃなくて治るの。ミスペンも良くなったでしょ」
「……確かに……」
今言われて初めて気づいたが、軟膏を塗られた顔と肩は、すっかり火傷の痛みが気にならなくなっていた。
テテはなおもターニャの腕に軟膏を塗りたくる。
「痛い……痛い痛い! 絶対治んないでしょ! 後で殺してやる!」
「魔獣の餌になんなくてよかったじゃない」と、テテ。「あんたみたいなのでも、死んでもらったら気分悪いからね」
「うるさい……! あんたみたいなのって何よ!」
「心配してやってもそんな態度なんだね、あんたって。ま、いいけど」
この軟膏に加え、ミスペンは術でさらに回復してやる。治療してやると、徐々に出血は止まり、傷も塞がってきた。
その間にパフィオやユウトといった仲間達が、残るティーグロを次々と倒していく。いつしか魔獣の咆哮は聞こえなくなり、戦いの空気は消えかけていた。
「ふー。大変だったけど、もうすぐ終わりかな?」
「そうだな。だが、油断はできん」
そんな話をミスペンとテテがしていると、そばですすり泣く声が。
「うっ、うっ、うぅ~……」ターニャが、ティーグロに噛まれていないほうの腕を顔に当てて泣いていた。
「あれ? 泣いてる?」
「うるさい……!」
歯を食いしばり、泣きはらした目でテテをにらんだ。だがテテはそれを軽く流して、遠くから敵を倒し、戻ってくる心強い仲間の存在に気づいた。
「あ、あんたの命の恩人が来たよ」
パフィオが歩いてきて、ターニャを見下ろし気遣う。
「すごい怪我ですね……ごめんなさい。わたし、もっと早く助けに行ってればよかったのに。どうしてあなたを狙うんでしょう? どうせ襲ってくるなら、みんなわたしを襲ってくれたら、誰も怪我なんかしなかったのに」
こんな優しい言葉に対して、ターニャは渋い顔をしただけだった。
「それじゃ、パフィオが噛まれるでしょ」テテが言った。
「わたしは何回噛まれても我慢しますよ」
パフィオは事もなげに言った。彼女は腕や腹、ふくらはぎに尻尾と、全身数えきれないほどの傷を負っているが、どれもせいぜい血がにじむ程度の軽傷だ。息遣いも会話も、立って歩くのにも支障がない。ティーグロの鋭い牙も、彼女にしてみれば木の枝程度の威力しかないのだろう。痛がることも泣くこともなく、普段通りにしている。
そんな丈夫なスカーロに、1回右腕を噛まれただけで戦えなくなったターニャは、まさしく化け物を見るような視線を向けた。
「君こそ、大丈夫か?」「痛いでしょ?」ミスペンとテテがパフィオを気遣う。
「はい、痛いです。でも、わたし、丈夫なので」
強がりでもなんでもなく、本当にそうなのだろう。恐るべき皮膚の硬さと生命力。そして、噛まれながらも魔獣の群れをほとんど体当たりだけで圧倒してしまう生身の攻撃力……人間にはおよそ実現できない、生物としての強さが発揮されていた。昨日ドーペントに聞かされたスカーロという種族の戦闘力は、なんら尾ひれがついたわけではなく、真実だったのだ。
ミスペンはパフィオに手のひらを向け、回復してやる。すると……外見以上に傷が浅い。しかも生命力も人間とは比べ物にならず、すべての傷がすぐに塞がってしまった。
「あんなに噛まれてたはずが……回復の必要もないとは」
「わたしのことはいいので。ターニャさんを治して下さい」
「ああ。ターニャはとりあえず無事だ。ありがとう、君のおかげでターニャの命が助かった」
パフィオは「でも……」浮かない表情で答えた。
「何かあったか?」
「魔獣さんを、たくさん殺してしまいました……できれば、仲良くなりたかったんですけど」
「今回は仕方なかった。いずれ仲良くなる方法を見つけよう」
「見つかるでしょうか?」
「わからない。だが、方法はあるかもしれない」
ミスペンに答えず、パフィオは周囲をなんとなく眺めていた。そして何か見つけたらしく、「あっ!」と一声発してそちらへ向かう。その遠い先にはユウト達がいた。彼らは未だ、残るティーグロと戦っている。
「えーーーいっ!!」
パフィオはボノリーに噛みつこうとしていたティーグロを体当たりで弾き飛ばす。そしてその後、クイを狙うティーグロの背中を殴り、倒していた。
「まだ終わってないぞ」
ミスペンは天に手のひらを向け、また念じる。味方全員に半透明の盾を張り直した。遠くで戦っている仲間に手のひらを向けて念じた。距離が遠いと術は効きづらいが、少しは回復の効果があるだろう。
「あいつ、魔獣以上の化け物だわ」パフィオを見てターニャが吐き捨てる。
「ターニャ。命の恩人をそんな風に言うもんじゃないぞ」
ターニャは黙って、また左腕で涙を拭った。
「その命の恩人様のおかげで、あっちも無事に終わりそうだね」
テテはパフィオの八面六臂の戦いぶりを見て言った。嵐のように駆け回り、ユウトやドーペントが相手していたはずの分まで次々と殴り倒している。魔獣さんと仲良くしたいと言っていたはずなのに。それくらい、彼女にとって仲間は大事なのだろう。
「ミスペン、すごいじゃん」テテは続ける。「あんなとんでもないの連れてくるなんて。どうやって気づいたの? ただの酒場で働いてる人だったんでしょ」
「だが、本当はあの子に戦いをさせたくはなかった。きっと、ああして魔獣を倒すのはつらいだろう」
「ふーん……」テテが意味ありげに目を細めて言う。
「なんだ?」
「ミスペンって、さ……なんていうか、上手だよね」
その意味はミスペンにはわかる気がした。
「色々やった結果だ。自慢するほどでもない」
「色々ねぇ? 確かにね、色々上手」テテはしみじみうなずく。
「なんの話してんの?」ターニャは話についてこられないらしく、怪しげに目を細めていた。
「あんたにはわかんないよ」テテはニヤリと笑っている。
「馬鹿にしてるでしょ?」
「あんたはあたい達のおかげでビービー泣かないで済んでるんだから、もうちょっと可愛い顔見せたら?」
ターニャは黙って口を尖らせた。テテは何か言おうとしたが、ある方向を見て、「あーっ!」と叫ぶ。
「どうした?」
「魔獣、あんなとこに!」
3匹のティーグロが家に体当たりしていた。家の壁は揺れている。
「崩れるぞ!」
「いやーっ! どうしよう!」
「だが、家の中には誰もいなかったはずだ」
「そういう問題じゃない! せっかく作ったのにー!」
テテが言った直後、家を構成する4枚の壁が内側に向かって次々と、バコンバコンと音を立てて倒れ、天井はその上に落下した。ティーグロのうち1匹は天井に潰されて死んだようだが、残る2匹がミスペン達に向かって走ってくる。
「もーっ! 魔獣めー!! せっかくの家をよくもー!!」
テテはフライパンとノコギリを持って走っていき、ティーグロの片方に思い切りよく武器をぶつけるが、全く効いている様子がない。
「ちょっ! 助けてーー!!」テテはティーグロに追いかけられている。
「やれやれだな」
ミスペンは最後の敵を倒すため、立ち上がった。