第14話 森の中の簡素な豪邸
森の中で、草のベッドの上に寝かされたターニャにミスペンが手をかざす。彼女の全身が緑色の淡い光に包まれた。青白かった顔は血色が戻り、どこを見ているかあいまいだった目つきにも、徐々に力が宿ってくる。
「軽い熱中症か。気分はよくなったろう?」
「すいませんターニャさん。僕らだけで先に進んじゃって、ターニャさんのこと考えてなくて」
「もう……」ターニャは悔しそうに小声で応えた。「もう……うるさい」
「無理するな。お前独りで旅してたら誰も助けてくれなかったんだぞ?」
「そうよ」テテもミスペンの横で苦言を呈する。「この優しい人らが、あんたみたいなどうしようもないのわざわざ心配して、こうやって連れてきてくれたから野垂れ死にしないで済んでんのよ。ちょっとぐらい感謝したら?」
「この……虫けら」ターニャは目を閉じて、顔を背けながら、蚊の鳴くような声で言った。
「わー、まだ言ってるよ」
「ターニャって、ずっとこうだよねぇ」
「もう、放っとこ」
それからアリーア達は、生意気な少女をミスペンに任せ、彼女を助け出したヒーローに注目し始める。
「でも、パフィオさん、すごいです。あんなに速く走って、ターニャさんを簡単に連れてきたんですよね」
「そうだよ。パフィオ、すごく足速かったんだ!」クイの黄緑色の身体は、パフィオの走りで巻き上がった砂をまだ少し被ったままだが、本人は気にしていないらしい。
「うーん、そうなんでしょうか……。夢中だったから、わかりませんでした」
パフィオは称賛の声に少し戸惑っているらしい。しかしこの謙虚な姿勢に、仲間は一層色めき立つ。
「へえ、なかなか言えないよそんなの?」
「すごーいすごーい!」
「パフィオが一緒に来てくれて、ほんとによかったよ」
「そうですね。パフィオさんはすごく頼りになります」
「うーん……そうですか。わたしも一緒に来られてよかったです」
パフィオは戸惑いつつ、さらに謙虚な姿勢を見せる。するとアリーア達はなおのことパフィオになついて距離を縮め、4人で彼女の四方を囲んでしまった。そして質問攻めが始まる。
「どうやってそんなに足速くなったの?」
「走る練習したんですか?」
「そんなに速かったら空飛べるんじゃない?」
「パフィオって木か草かでいったら、空飛ぶ石ころだね」
「あんた、パフィオのどこが石ころよ?」
「びゃん!」
クイやボノリーに至っては彼女に身体をこすりつけていた。単なる酒場の店員だったパフィオは、仕事をクビになったその日に俊足のスターとして脚光を浴びることになった。そんな扱いに慣れていない彼女が何も答えられずにオロオロしている様を、ユウトは蚊帳の外からただ眺めているだけだった。
質問に対する答えはまったく得られなかったが、それでもアリーア達はパフィオへの興味や賛意を好き勝手にぶつけたことで満足し、そこらに座ったり、寝転んだりした。
「……あれ? なんで僕ら、ここにいるんだっけ」
「ターニャさんの体調が悪いからです」
「あ、そうだった。でも、ミスペンが回復したらいいよね」
「ターニャはあと少し休む必要がある」ミスペンが答える。
「えー、そうなんだ」
「お腹すいたー」ボノリーは地面を転がっている。
「ご飯にしようよ。僕もお腹空いてきちゃった」
「お腹空いた? てことは、どうせあたいは休憩できないんだよね」
「つかれたー」ボノリーは転がるのを辞めて、
「そうだね、疲れたね。ちょっと僕らも、屋根があるとこで休みたいねー」
「屋根? その辺の木の下に居りゃいいじゃない」
「眠くなってきちゃったー」
「眠ーい」
「テテのご飯、食べたいよー」
「あーもう! しょうがないなぁ。じゃあ、ちゃっちゃとやるから、ここにいて」
「やったぁー!」
テテは背中に生えたグレーの斑模様の翼をバタバタと騒がしく動かして飛び立つと、茂みを飛び越えながら木々の向こうへ弓なりの軌道で入っていった。少し経つと、何やら物音が聞こえ始める。ガチャガチャ、トントン、カンカン。とてもひとりで作業しているとは思えないくらい、多くの種類の音がひっきりなしに聞こえてくる。
「何してんだろ?」
「いろんな音が聞こえるー」
ボノリーは走って、テテが消えていった森の中へ向かった。
「あー! 入っちゃいけないって言われたのに!」
大声で呼び止めながら、クイは空を飛んでボノリーを追った。
クイとボノリーはテテを追った先で、不思議な光景を目にした。そこにはもくもくと、大きな煙が出現していたのだ。彼らにとって見たこともないような、ほとんど真上を見上げなくてはならないほどの、巨大な煙の塊。しかもそれはただの煙ではなく、中ではテテらしき何者かが高速で動き回っていた。しかも、同時に10人以上。動き回っているといっても、正確にはハンマーやノコギリ、木材などを持ったテテの分身らしき者が作業のようなことをしながら、砂煙の中で短距離を瞬間移動しては停止し、また瞬間移動しては停止し……を繰り返している。細切れになった作業音の重奏を森に響かせながら。時々、普段たたんでいる背中の羽をいっぱいに広げている分身も出現した。羽を広げた分身は木材を持って高所に上がっていたり、何かにハンマーを振り下ろそうとしたりしているが、テテの分身をいくら見たところで、やはり何をしているのかはよくわからない。
「うわぁ、テテがいっぱい!」
「テテ、何してんの?」
ボノリーが問うも、返事はない。彼らの声を聞きつけ、他の仲間もぞろぞろとその場に現れる。
「すごいですね、何が起きてるんですか?」パフィオは煙の中で動き回るテテの分身を見て、楽しそうに微笑んでいる。
「テテさんの力なんです」ドーペントが答えた。
「ドーペントさんは、驚いてないですね」パフィオはドーペントを見る。
「はい。僕とユウトさんは、もう見慣れてます」と、ドーペントは隣にいるユウトを見ながら言った。するとパフィオはユウトに視線を向けた。
「あっ、そうなんですか。ユウトさん」パフィオがユウトを見る目は、先ほど彼女がテテの分身を見ていた時と同じだ。
「あっ、えっ……」
ユウトは好きな人に笑顔で見つめられ、また挙動不審になった。視線はあちこちに乱れ飛び、脚は震えて今にも崩れ落ちそうだ。
「どうしたんですか?」
「ユウトさんも、ターニャさんみたいに体調がよくないんでしょうか?」ドーペントも心配そうだ。
「あー……うーん……」
「ミスペンさんに回復してもらわないといけないですね」
そう言ってドーペントは、今も横になったままのターニャを看病しているミスペンのところへ走っていった。ユウトは、想い人とふたりきりで残された。パフィオは挙動不審のユウトを、興味深そうに見つめていた。
「体調が悪いんですか?」
「えーとぉ……いやぁ……」
「体調は悪くないんですか?」
「あぁー……」
「やっぱり体調が悪いんですね?」
ユウトが答えに悩んでいると、作業音が消え、煙の色がだんだんと薄くなっていって、テテの分身も見えなくなる。完全に煙がなくなると、そこには大きな家が出現していた。外観こそ飾り気なく、ただの間に合わせの建物といった様子だが、高さは三階建てでもおかしくないくらいのものがある。中の部屋数や奥行きによっては数十人単位でも生活できそうだ。1分で作ったとは思えない出来だった。
「うわぁー!」
「すごーい! 本物? 本物の家?」
「テテ、すごいねー!」
テテは返事しなかった。家を建てた本人は、その近くで余り物と思われる板材の上にうつぶせに寝転んでいた。
「大丈夫?」クイはテテの近くまで来た。
「ふーっ! 大変だこりゃー。疲れたー。もう動けなーい」
ドーペントがクイの横まで来る。「お疲れ様です」と言って、家を作ったばかりの仲間の背中を揉んであげた。
「んー、いいかも。ドーペント、もうちょっと強く」テテは気持ちよさそうに目をつぶっている。
「はい」
「あー……あー、いい感じ」
後からミスペンと、まだ元気のあまりないターニャが歩いてきた。遠巻きに、完成したばかりの家を見上げている。
「家……?」
「テテが作りました」と、横にパフィオがいるので少し挙動不審さが残っているユウトが言った。
「まったく、いつもいつもテテは、すごいものを作るな。幻じゃないんだろう?」
「はい。クイとボノリーが、中に、入ってます」
「それなら、ターニャ。中で休もう」
「指図しないで」ターニャはミスペンをにらんで答える。つらそうだが、気の強さは変わらない。
その時、クイが家から出てくる。
「ねえテテ、食べ物は?」
「あー、もう、家作るだけで限界」
「えーっ! お腹空いたのに!」
「だって、屋根があったほうがいいって言ったでしょ!」
「もう、じゃあ、こんな大きい家じゃなくて、小さい家と食べ物がよかった!」
「文句ばっかり! じゃあ自分で作ってよ」
というテテの言葉もろくに聞かず、クイとボノリーは家まで突っ走っていき、勝手にドアを開けて中に入った。
「あっ、もう! まだ入っていいって言ってないのに!」
テテはふらふらと立ち上がり、ドーペントに腕をさすられながら一緒に入っていった。それを確かめてから、ターニャも後に続く。
「うわー! 広ーい!!」家の中から、ボノリーが大声ではしゃいでいるのが聞こえてきた。半面、家の外は静かだ。何しろ、外にはユウトとミスペン、そしてパフィオの3人しかいないのだから。
ユウトは、パフィオが家に入るのをためらっているのに気づいて、「あっ、あの……?」と声をかけた。
「あっ、いえ。お気になさらずに」
それにミスペンも気づく。
「どうしたんだ? パフィオ」
すると控えめなスカーロの女性は、恥ずかしそうに確かめてくる。「はい、その……いいんでしょうか」
「何か気になることが?」
「その……木でできた家ですよね?」
「見ての通りだ」
「わたし、前に木の家に入って、床を壊してしまったことがあって。だから、ちょっと心配で」
「そうか」ミスペンは答える。「じゃあわかった。この家が大丈夫かどうか、そっと足を乗せて確認しよう」
「はい。そうします」
パフィオは家に向け歩く。ミスペンはユウトに耳打ちする。
「ユウト、エスコートするんだ」
「えっ?」
「あの子がうまく家に入れるように」
「って……何をしたらいいんですか?」
「だから、足をそっと置くように言ったりすればいいだろう。今が優しさをアピールするチャンスだぞ」
ユウトはハッとした。確かに、家の外にはパフィオとミスペン、そして自分の3人しかいない。話すのは今しかない。だが、それに気づいた時にはパフィオはドアの前まで来ていた。
「もうあんなとこまで!?」
「歩くのが速いな」
ドアはパフィオの身長と比べると少し低い。彼女は角の先端を上の角材にぶつけた。そのとき、ガン! という大きな音がして、家全体が若干ぐらついた。ミスペンは嫌な予感がした。
「……まずいかもな」
ミスペンがつぶやく間に、パフィオは身を屈めて家に入っていく。そしてすぐに、『ボキッ』と何かが折れた音がする。直後、ドカドカッと破壊音が続いて家がはっきり左右に揺れる。
「ぎゃーっ! うそーっ!」テテの悲鳴が森に響いた。
「ごめんなさーい! ごめんなさーい!」
パフィオが大声で謝っている。クイやボノリーも何やら騒いでいるようだ。そして、すぐに家の向かって右がもくもくと煙に包まれた。少し経つと、煙に包まれていた部分が増築された。家の横幅は1.5倍に増した。
「……何が起きたんですか?」
「行ってみよう」