第13話 飛脚
ユウト達が先行した仲間に合流してからは、ボノリーは一行を先導するようにとことこ前へ走り、一行が歩いてくるのを待ってからまた先へ走っていき……というのを、楽しそうに繰り返した。
「あいつ、急に元気になりましたね」ユウトが眠そうな目をして言った。
「ボノリーは魔獣討伐に行った時、いつもあんな感じなんだ。すごくよく走るんだよ」
とクイが言い終わるより早く、元気だったはずのボノリーは突然へばった。彼女の楕円の身体は地面に転がり、四肢はそれぞれの方向へまっすぐ投げ出されている。仲間は彼女の前で立ち止まった。
「大丈夫か?」
「つーかーれーたーぁー」
ボノリーはわざとらしく間延びした声を発し、仲間の目をひとりひとり見つめてアピールした。
「ボノリーは魔獣討伐に行ったら毎回、すぐ疲れるんだ」
「はしゃぎ過ぎだよ、ボノリー」
「あんた、ブルリーギに着く前にぶっ倒れるよ」
ボノリーは仲間の話も聞かないで、「ぷるぷるーん」と言いながら楕円の身体を左右に揺らした。
「わたしが背負いますよ」パフィオが言った。疲労の色はまったく感じられない。町にいた時と、表情も息遣いも一緒だ。ユウトとは違い、退屈さも感じていないようだ。
「大丈夫か?」
「はい。わたし、力ありますから」
そう言ってパフィオは、ひょいとボノリーを両手で持ち上げた。
「わあー! すごーい!!」
ボノリーは笑顔を見せる。動けないほど疲れていたとは思えない声のボリュームだった。
そしてパフィオは楕円のフルーツをあまりにも軽々と、お姫様だっこのようにして運び始める。それを見ていると、まるでボノリーがタオル一枚くらいの重さしかないように錯覚するが、ユウトはよく知っている。先ほどボノリーに体当たりされた時、危うく倒れそうになったほどなのだ。
「うわー、楽ちーん!」
ボノリーは運んでもらえてご満悦だ。歩けないほど疲れていたはずなのに、パフィオの腕の上で足をブラブラさせている。その様を見て、ユウトはまたイライラしてきた。よりにもよって、なんでお前みたいなのがパフィオさんと肌で触れ合って――。
好き勝手ばかりの果物に嫉妬しているとミスペンが近づいてきて、意外なことを言った。
「ユウト、代わってやれ」
ユウトは何も声が出なかった。どうして? するとミスペンは疑問に答える。
「女性に運ばせるのか?」
ユウトは『確かに』と内心手を打つ。これもまた、パフィオに気に入ってもらえるチャンスだったのだ。ボノリーに近づいていくのはイライラするが、パフィオに感謝してもらえるなら何よりだ。
なかなか勇気が出なかったが、ミスペンの視線に押されるようにして、少しずつパフィオに近づいていく。
「あれ? ユウトだー」ボノリーは先ほど抱きついていたことも忘れたかのように、ユウトに対して興味のない視線を向けた。
「はい。ユウトさん、どうしましたか?」
「えーと……あのぉ……」ユウトは小声で話しかける。
「はい」
「あっあの……えーと……その」
「どうしたんですか?」
「ユウト、なんか変な感じー」
ボノリーがパフィオの腕の上でからかうように言って、ユウトはさらにイラッとした。こいつを運ばないといけないのか……。だが、パフィオに気に入ってもらうためだと思い、我慢して目的を言った。
「そのぉ……お、俺が……運びますよ」
「運ぶんですか?」パフィオは不思議そうに応じる。
「えっ? すごいねーユウト! 力持ち!」
ボノリーが元気に笑顔で言った。さて、ユウトの提案に対し、パフィオはすました顔で答える。
「いいですよ。わたし、丈夫ですから。心配して下さらなくても、まだまだ歩けます」
「あっ、はい……」
「それに、わたしは重いですよ」
ユウトはそれを聞いて、またも言葉を失った。なんとパフィオは、ユウトがパフィオ自身を運ぶという申し出をしたと勘違いしたのだ。ユウトはとても落ち込んだ。彼女が正しく理解できるように言い直せばいいのだが、そうしたらまた勘違いされてしまうかも知れない。もしそうなったらボノリーに笑われてしまうかも知れない。するとパフィオの中で自分の印象はもっと悪くなってしまうだろう――ぐるぐると渦を巻くように、ユウトの脳にネガティブな考えが次々と生まれていった。こうなると心は委縮し、到底発言するどころではない。またしてもパフィオの天然によって、ユウトはミスペンにもらったチャンスを棒に振る結果となったのだ。視界の端で、ミスペンの呆れ顔が見えた気がした。
それでも、何も言わずに離れるのもおかしいので、無言のままユウトは、パフィオとボノリーのすぐそばで歩いていた。あまりにも気まずい思いで。こうして無言でそばにいる時間の一秒一秒が、パフィオからの好感度を下げ続けているのかもしれない。かといって離れるのも変だ。何もできないまま、彼は緊張と後悔のあまり呼吸困難に陥ってしまいそうだった。
パフィオに抱かれながら、ボノリーが不思議そうな顔をして訊く。
「ユウト、どうしたの? お腹空いたの?」
「えっ?」
すると近くをパタパタ飛んでいたクイも「あー、言われたら小腹空いたなー」と同調してしまった。
その辺にいた他の連中がわらわらと寄ってくる。
「ちょっと、まだ出発したばっかりなのに!」と、テテ。
「さすがにまだご飯には早いんじゃないですか?」と、ドーペント。
「でも、何か食べたいよね」
「うーん、麻婆チキンバーガー食べたいなぁ」
「そうですね、私もよく食べました」パフィオが言う。「酒場の味が懐かしいですね。でも、もう食べられないと思うと、ちょっと悲しいです」
「アキーリに戻ったら食べられるよ?」
「でも、そうしたら皆さんは嫌ですよね?」
「そうだねー、アキーリは嫌な奴がいるからねぇ」
「パフィオ、麻婆チキンバーガー作ってよ」
「材料がないので……」パフィオは困っている。
「しょうがない、次のご飯で作ってあげるよ」面倒そうにテテが言った。
「えーっ! テテ、いいの?」
「そんなに食べたいならいっぱい作るよ。あたいも食べたくなってきた」
「嬉しいです。わたしも食べたいです」パフィオは嬉しそうだ。
「麻婆チキンバーガー好きがこんなにいると思わなかったよ。あたいは白味噌かずのこ丼のほうが好きだけどね」
楽しく食べ物の話をしている仲間達。それを聞かされているうちに、すっかりユウトの勇気の芽は潰されてしまった。彼は会話に加わることもなく、ただ好きな人のそばで呼吸を繰り返しながらとぼとぼ歩くだけの物体になってしまった。
そして、そんな物体がすぐそばに存在していることに、仲間がいつまでも気づかないわけがない。
「ねえ、ユウトってなんで何も喋らないの?」とクイに言われ、ユウトはわずかに肩を震わせてしまった。
「ユウト、さっきから小さい声でブツブツなんか言ってるんだ。変なの」
そう、ボノリーはユウトの、パフィオに対して上手く喋れない無様な姿を、至近距離でずっと見ていたのだ。そういう意味では、今までのパフィオとの会話失敗よりも数段恥ずかしい。それに何より、ボノリーに『変』と言われる屈辱は、相当刺さるものがあった。
「ユウトさん。何か、用事ですか?」
「あっ。いや……なんでもないです。すいません」
ユウトはついに目的を果たすこともできず、もちろんボノリーからの評価を覆すこともできないまま、失意とともにその場を離れた。彼女らの会話が聞こえてくる。
「どうしたんだろうなー、ユウト。やっぱり、木か草かでいったら、草だね」
「そうですね」
おそらく意味もわからないまま肯定するパフィオ。あんな会話でもできればいいんだろう。でも、無理だ。緊張して何も話せない。後でまたミスペンに何か言われるのだろう。
ユウトは失意の中でそんなことを思いながら、とぼとぼ歩いた。彼の複雑な感情など理解できるはずもなく、仲間はまたどうでもいい会話を続けている。
と、そんな時にドーペントがあることに気づいた。
「あの……皆さん、気になることが」
「どうしたの?」
「ドーペントもお腹空いた?」
「僕はまだ大丈夫です。それより、ターニャさんはどこに行ったんですか?」
それを聞いて、アリーア達はひとりずつ足を止めた。
「えっ? ほんとだ! どこに行ったんだろう?」クイは着地して、せわしなく首を動かしてターニャを捜すが、どこにもいない。
「どうでもいいんじゃない? あんなの、いないほうが楽しいでしょ」テテはターニャを捜すそぶりもなく、足を止めるのも嫌と言いたげな様子だ。
「でも、ターニャさんも仲間なので……」
「向こうはあたいらのこと、仲間なんて思ってないんだし、勝手にどっか行っちゃったんじゃない?」
「そうなんでしょうか。心配です」
「実際、勝手に我々から離れたかも知れんが、一応捜しに行ってみるか?」
「じゃあ、ちょっと僕が行ってくるよ」
クイが言うと、返事も待たずに飛び立った。
彼が空を飛び、これまで来た道をさかのぼると、2kmほど後方で黒い小さな人影が苦しそうにとぼとぼ歩いているのを見つけた。間違いなくターニャだ。汗を滝のように流し、息も絶え絶え。クイがすぐ前に降り立っても反応らしい反応も返さないあたり、相当疲れている。
こんな鎧を着ているのだから、ただでさえ体力の消耗は激しいはずだ。そのうえ出発前に素振りを繰り返したり、何かあるたびに激怒して武器を構えたりしているので無理もない。
「ターニャ、大丈夫?」声を掛けるとターニャはゆっくり顔を上げたが、いつぞやの覇気はない。
「うる……さい」彼女の声は人が変わったように弱々しい。本人はクイをにらんでいるつもりだろうが、目もいまいち焦点が合っていない感がある。
「何かあったの? ターニャもお腹空いた?」
「黙れ……」
「ドーペント心配してるよ」
「仲間、じゃ……ない」
「えー? ここまで一緒に来たのに?」
「うっ、る、さい……」
ターニャは膝をついた。
「わあ。ターニャ! しっかりして。死なないで!」
「はぁ、はぁ……」さらに体力を消費したのだろうか、ターニャの息はさらに浅くなった。
「どうしよう。僕、さすがに背負えないし……。とりあえずみんなを呼んでこないと。あ、でも、その間に魔獣が来たらどうしよう?」
クイが途方に暮れていると、ダッダッという激しい足音が聞こえてきた。
「わぁ、なんだろう!」
見ると、仲間達がいるはずの方向で砂煙が上がっている。誰が走っているのかはわからない。
「えー! なんだろうあれ。魔獣かな?」
クイは近づいてくる何者かに示すかのように、軽くジャンプして空中で数度羽ばたいた。一方のターニャは魔獣と聞いてじっとしていられず、震える脚で立ち上がった。背中の大鎌の柄に手を伸ばすが、その動きは遅く、指は柄に届かない。
「ターニャ、無茶だよ。戦えないよ!」
「殺す……」武器を扱う力がなくとも、敵への殺意だけは失っていなかった。
その会話の間にも、何者かは近づいてくる。何か見覚えがあるという気になりながらも、速すぎて正体までは判別できない。そして砂煙を上げながら、この何者かがザーッと足でブレーキを掛け、クイとターニャのすぐ前で止まる。それはピンクのワンピースを着ていて、6本の角と太い尻尾を持つ長身の女性だった。
「えーっ!? すごい、パフィオだったんだ!」
「大丈夫ですか?」
砂煙を上げながら、正体すら視認させないほどの速度で2kmを走ってきたというのに、パフィオは平然としてターニャを気遣った。まったく息が上がっておらず、汗もかいていない。
「うわぁー! パフィオ速いね!」
「うーん、そうでしょうか。わたしはそれほどでもないと思うんですけど」
「いいや、速いよ。見たことないよ」
「そうですか。では、ターニャさん。わたしが背負います」
「要らない!」ターニャはパフィオを、敵意を持ってにらんだ。
「でも、皆さんが心配しますので」
と言って、パフィオは返事も待たずにターニャの脚と身体を抱え、簡単にお姫様抱っこしてしまった。
「ちょっ……離して」ターニャはもがこうとするが、ほとんど動けない。
「すごーい!」クイはバタバタと飛んで、ターニャの顔をすぐそばで見下ろす。「パフィオ、力持ち! でも、背負ってないよね?」
「あ……そうですね。背負ってないです」
と言ったが最後、パフィオは他の仲間のところへすっ飛んでいった。再び猛烈な砂煙が上がり、ライトブラウンの霧があたりを覆ったかと思うと、砂がシャワーのようにクイに降りかかってきた。
「ごほっ……ぺっ! ぺっ! すごいなぁ、パフィオ!」
クイは全身砂まみれになっても、相手が見えなくなっても、優しくてパワフルなスカーロ女性を称えていた。